step.1-2
きっかけは、大好きだったお母様の死。
元々、体が弱い方だったけれど、亡くなってしまうほど状態が良くなかったなんて知らなかった。少し前まで色々な話をしていたというのに。一緒に笑い合っていたはずなのに。私の側からお母様は、あっという間にいなくなってしまった。
そして、お母様が亡くなってしまってからすぐに、お父様が私に会わなくなってしまった。仕事が忙しいという理由から一緒に食事を摂らなくなり、屋敷にもほとんど帰ってこなくなったのだ。
最初は不安に思いながらも、仕事が大変だというお父様の言葉を信じていた。けれど、何とかお会いしたいと考え、眠りにつかずにこっそりと帰りを待っていたあの日。私の姿を見たお父様の怒声と恐ろしい形相を受けたことによって、嫌でも気付かされることになった。お父様はただ、私を避けていただけだったということに。
18年間生きてきた前世の記憶を思い出したことによって、10歳になったばかりの私の精神は大きく成長を遂げていた。だから、今ならあの時のお父様の気持ちが、少しなら分かるような気がする。
お父様はお母様のことを深く愛していた。だから、恐らくその死をすぐには受け入れることができなかったのだろう。
何かに没頭することによって、お母様がいないという事実を頭から忘れ去らないと、心がもたなかったのかもしれない。お母様のことを思い起こさせる私の存在が、憎くて仕方がなかったのかもしれない。
けれど、どんな理由があったとしても、当時の私にはそんなことを考える余裕なんてどこにもなかった。
6歳とまだ幼かったあの頃の私は、大好きだったお母様の死を信じられないでいたのだ。お母様は少しの間いないだけであって、いつかきっと帰ってきてくれるはず。そう思い込むことによって、何とか心の均衡を保っていたのだ。
それなのに、お母様だけでなく、お父様まで私の元から離れていってしまった。あの時、一人ポツンと取り残された私は、自分がひとりぼっちになってしまったとしか思えなかった。
だから、そのような状況下に置かれて孤独感に苛まれ続けた私の心は、次第にどこかが壊れていったのだ。自分は誰からも必要とされていない、無価値な人間である。そのような考えに行き着いて、自分の殻の中に閉じ籠もるようになってしまったのだ。
とはいえ、気が付けば、あれからもう4年もの歳月が経っていた。前世の記憶を思い出したことによって、不安定だった心も今は大分落ち着いてきている。これをきっかけに、そろそろ前を向いて歩き出してもいいのではないだろうか。今の私なら、きっとそれができるはずだ。
私はフゥと息を吐いて心を落ち着かせると、ベッドの横に置いてあるサイドテーブルの前にしゃがみ込んだ。そして、鍵を差し込んでカチャリと回すと、その引き出しをゆっくりと引いた。
中には、少し錆び付いた手鏡がポツンと一つだけ入っている。これは以前、お母様からいただいた形見の品であり、私の大切な宝物だ。
実はお母様の死後、私は部屋にある鏡や光り物を全て撤去していた。お母様のことを連想させる自分の顔を見るのが、苦痛で仕方がなかったからだ。けれど、お母様との思い出が詰まっているこの鏡だけは、どうしても手放すことができなかった。そこで、まるで封印するかのように、この引き出しの中にずっと仕舞い込んでいたのだ。
「懐かしいなぁ……」
私はこの手鏡を貰った時のことを思い出して、顔にそっと笑みを浮かべた。お母様が手鏡を使っている姿がとても綺麗で、羨ましくて、仕方がなかった。だから、幼かった私は『欲しい欲しい』と、泣きながら駄々を捏ねて強請ったのだ。
今思い返すとあの時は一体、何をやっていたんだろうと恥ずかしくなってくる。それでも、私にとってはかけがえのない大切な思い出だ。
緊張していたけれど、お母様との記憶を思い出したことによって、だいぶ心が和らいだように思う。私は『よしっ』と言って心を決めると、僅かに震える手でそっと手鏡に触れた。
そして、恐る恐るという風にゆっくり持ち上げていくと、そこには最後に見た時から随分と成長している、自分の姿が映っていた。