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3 / 2 : 『陸』『観覧車』『嫌な子供時代』



 「お父さん。」


 私の娘が、私の顔――右頬辺りを見つめながら、爛漫とした声音で私に喋りかける。


 我が娘ながら、実に可愛らしくて、私の頬をこそばゆくさせてくれるような感触を感じる。――いや、流石に親バカが過ぎるかも知れないが、しかしつくづく……、本当に、彼女に似てくれて良かったと言えるのかも知れない。


 「何だい? 理穂。」


 出来る限り優しい応対になるように……、はは。少し馬鹿馬鹿しいかもな。寄りにもよって、実の娘相手に気を遣う等と。外交官としての癖とでも言えば良いのだろうか。或いは職業柄?何れにしても、娘に対して『私』だなんて気取り過ぎているにも程がある。


 まぁ、とはいってももう何年も昔からこうなのだから、今更一人称を変えようとも、変えたいとも思えない。『俺』で通したがる外交官もそうそう居ないだろう。もしそうであったのならば、或いは彼女との出会いも無かったのかも知れないから。


 「あれ、なあに?」


 「あれかい? あの、カラカラかい?」


 「うん、そう。 あの、すっごく大きくて、まあるい建物。」


 娘と私の目の前には、大きく、既に寂れ切ってしまった観覧車。カラフル……と言うには些か語弊が生じる様な、苔と錆に纏わりつかれてしまっている遊具。微風に吹かれて、ゴト、ゴト……と軋む音を立てながら、ゴンドラが揺れる姿と言うのは……、感じたくも無いノスタルジーを否が応でも感じさせる姿だ。


 「あれは、観覧車と言うんだよ。」


 「かんらんしゃ?」


 「そうだよ、観覧車。 見てご覧。 あのゴンドラに乗って、上に、上に――、円の天辺にだって行けるんだ。」


 「ほんとう! じゃあ、あたしもあれに乗れるの?」


 「うーん。 もう、無理なんじゃないかな。 あれだけ錆が浮いてしまっていては、流石にもう乗れないだろうね。 ごめんね、理穂。」


 途端、ガッカリしたような表情を浮かべる理穂。流石に、この年の子供に遊具を我慢させようというのも酷だろう。今はまだ……流石に無理だろうが、次の街に着いたのならば、何か玩具の1つでも買ってやらねば。


 「お父さん、お父さん。」


 「なんだい、理穂?」


 突如、得意気な表情を私に向ける娘。ニンマリと、少しの嫌味も無く――、いや、そうでは無い。この表情には、何度も何度もつき合わされてきた。外交官という職に就く以上は仕方無いことなのかも知れないが……。しかし、初めて行く観光名所の豆知識に関して、さも見知った様な、まるで自分の手柄の如く得意気に知識をひけらかすあの表情。流石にもう慣れた表情とはいえ、未だに辟易するのも確かだ。


 最も、娘から得意気な表情を向けられるのは、決して不快では無い。1つ1つ、まるで噛みしめるかの様に知識という名の御馳走を平らげて、親の私へと吐き出す娘の所作。親冥利に尽きるというものだ。


 「あれは、エンじゃないんだよ。」


 「ふぅん? じゃあ、あれは何というんだい?」


 「あれは、ハンエンっていうんだよ。 だって、お水の下にも、ハンエンがあるんだもん。」


 娘の言葉を受けて、頭を撫でてあげる。嬉しそうに目を細めながら、子猫を思わせる表情でされるがままになる娘。娘のつむじから目を離して、もう一度観覧車に目を向けると成程、確かに娘の言う通りだ。


 ――もう沈み切ってしまった地表。海洋と街の境目が無くなってしまった世界。


 子供の頃に未来予想図を描いた図鑑に、こういった絵図が乗っていた事が有ったが……。まさか、こういった幻想的な景色が現実のものになるとは、私も思いもしなかった。


 ああ、娘と同じ年の頃の私……。文学を嗜む少年と言えば聞こえは良いが、要は身体が弱く無理な運動が出来なかったというだけなのだから。嫌な思い出だ。娘の理穂は、快活な彼女の性質を色濃く受け継いでくれたのか。歩幅がまるで異なる私の歩みに、悠々と合わせて歩けると言うのだから、つくづく彼女には感謝しか無い。――そんな事も無いか。感謝しかないので有れば、わざわざ辛うじて残った屋根伝いを、娘と一緒に歩いて往く事も無いだろう。


 「そうだねぇ、理穂は賢いよ。 あれは、半円って言うんだ。 下半分の観覧車が、水の中に沈んでしまっているからね。」


 「えへへー。 お父さんに褒められちゃった。」


 年相応の朗らかさを見せる娘。その娘が先にピョンと飛び跳ねて、ひと際大きな屋根の上へと移動する。都合5メートルは有りそうな垂直距離。屋根に辛うじてあるでっぱりに脚を掛けて……、それでも屋根へと登る力が足りない私としては、娘が差し出す手の力を借りなければ先に進めないと言うのは――、不甲斐なくもあり、しかし私の娘へと感謝の念に絶えない。何とも不可思議な感覚だ。


 「理穂。 見てご覧。 ずっと遠くまで、地平線が続いているよ。」


 「ちがうちがーうっ。 お父さん、やっぱり間違えてるー。 これは、スイヘイセンって言うんだよ。 お水がいっぱい平べったくなってるのは、スイヘイセンッ。」


 「……。 あぁ、そうだね。 ふふ、私も、まだまだ過去に囚われてしまっているのかもな。」


 侘びた言葉を吐く私の手の平に目を向けると、気のせいかやけに皺とひび割れが目に留まってしまっている。身体が弱っている、という感覚もだが――、それ以上に今更、目の前……、否。娘の言う通り地表を覆ってしまっている水平線がどこどこまでも続いてしまっている現実を、認めたくないのだと言うのが……。私の老いを、殊更動かない身体に伝えてしまっているかの様だ。


 「お母さん、見つかると良いね。」


 「あぁ、そうだね……。 理穂。 お母さんを恨まないでくれるかい?」


 「うんっ。 しょうがないよね、お父さん。 こうでもしないと……、皆、死んじゃってたんでしょ? 私ね、私ね。 この前読んだご本で学んだの。 お母さんも、同じ事をやったんだよね。」


 「そうなのかい。 どんな御本を読んだのかな?」


 「えと、えっと……。 ビービレ? バーブル? バイブー? うー……、わ、分かんない……。」


 「――そうかい。 理穂は、英語はちょっと苦手みたいだね。」


 自身の弱みを見つけられて恥ずかしいのか、私の右手をひと際強く握る娘。顔に少し赤みが差している所は――まるで、熟れた林檎を想起させるようで微笑ましい。


 「お父さん、ごめんなさい……。」


 「謝る事は無いさ。 それは、私の専門分野だからね。 理穂にも、色んな言葉を教えてあげるよ。」


 「本当! 嬉しい、お父さん。」


 「そうかい、そうかい……。」


 言葉遊びを続けながら、尚も娘と水に沈んだ道を行く。彼女との再会を……、今も尚、夢に見続けながら。




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