2 / 24 : 『音』『雑草』『冷酷な幼女』
「ふんふんふん♪ ふふふふふん♪」
森のあぜ道を進んで行く。冬の季節の一つの恩恵とでも言えば良いのか。虫の音も、腕に鬱陶しく纏わりついてくる蜘蛛の巣も、或いは青々と茂って、腕を引っ掻く雑草も無い。進むにも、歩むにも十分で無いという事は無い。
ただ……。虫の音こそ聞こえねど、さっきのさっきから耳朶へと響く音が、やけに耳に残る。不快な音と言う訳では無い。寧ろ、清涼でどこか神聖さを感じさせるような、やけに澄み渡った声だ。
声……、そう、声だ。おかしい。有りえない。
だって、夜なんだぞ。それも、まるっきり光が見えない、俺の手元のスマホの光しか、光源として成り立っていないのに。夜空を見上げても……、月の光も、星の光も殆ど効果を見せてくれない。
都会の喧騒も、都会の煩わしい強烈な光源からも離れ切ったこの森の中で。それこそ、一寸先すらも見える事の無いような、そんな闇。全ての光源を纏めて飲み込んでしまうかのような、そんなブラックホールじみた永久の闇。
嫌だ、嘘だ。有りえない。有りえない有りえない有りえない有りえない有りえない有りえない。
だって、アイツは――、もう、土の中に――。
「酷いことするよねぇ、お兄さん。」
不吉の音が――、悪夢の声が、背後の闇から聞こえる。
「私が何をしたっていうの?」
いやだっ、聞きたくない。俺が、何を――。
「そうだよ。 私は何にもやってない。 やったのは――、お兄さんでしょ?」
……。ちが、違う。俺じゃないんだ。俺、じゃ……。――そう、そうだ!アイツだ! アイツが悪いんだ! アイツが、俺を脅してきたから――。
「ふぅん。 成程……。 横領の証拠を……ね。 そりゃあ……、困っちゃうね。 会社、クビになちゃうもんね。」
そう、そうだ! 俺じゃ無いんだ!! 脅してきたアイツが悪いんだ!
「そうそう、そうだね。 私も――偶々、お兄さんが、土に埋める所を見ちゃっただけ……。 だから、私が悪いって訳ね。」
あ、………当たり前だ! 何で、こんな森の中に――樹海の、奥地も奥地に!
「ふうん。 良いよね、お兄さん。」
な……なに、なにがだぁ!
「いやぁ……。 生き易いだろうなぁって。」
何を……、何を言っている!? 生き易い! 生き易いと来たか! あぁ、当たり前だ! 俺を誰だと思っている!? この年で、課長だなんて信じられるか!? 信じられまい!? 俺ほどの出世株、そうそう居て堪るものか! 生き易いに決まっているとも! 彼女への指輪だって買ったんだ! 横領の証拠だって! これまで、丹念に隠し続けてきたんだ! そう、やっと、やっと! これから何だ! これ、か、ら……。
「ふぅん。 羨ましーなぁ、お兄さん。 私もね……、ちょっとだけ、『生き易い』んだ。 あぁ、『死に難い』、の方がより正確なのかなぁ?」
――目の前に、死が見える。暗闇の中から。茂った雑草の中から。不吉の音が、ザワザワと耳朶を犯し始める。イヤダ、待って、首元が、おね、がい……。
「お兄さん……。 生きたまま、『蟲に集られる』ってのは、どんな気分なんだろうね? 私にはそれが良く分かるけど……、良くわかんないや。 だから……、お兄さん。」
俺の目の前2m。この年の幼女には、大よそ似つかわしくない言葉なのかも知れないが……、ただただ、今の俺には、その幼女が美しく見えた。
――透き通る、焦げ茶色の瞳。鼻梁の整い方と言ったら、否が応でも将来の美人図を予想せざるを得ない程に整っていて。愛らしく、ふわふわの髪も……、大人から撫でられる事を義務付けられているかのような、愛くるしい盛り上がりっぷり。
「お兄さん……。 最後の最期まで、ちゃーんと教え切ってね。 ――愛してるよ、お兄さんっ。」
目の前の幼女が、バラバラと輪郭を解き始める。焦げ茶色の瞳が、コオロギに、百足に、蜘蛛へと変貌して。整った鼻梁が、ブゥンという音と共に、俺の口元への侵入を開始し始めて。そして、ふわふわの髪の中からも――髪そのものすらも、夜空へと羽音を羽ばたかせて……。
耳への侵入と、口元への侵入と、穴という穴の、何もかもへと……。
い、や だ……。 た、す……。
「お兄さん……。 美味しいっ。」
耳元――ち、がう。耳の『中』から、甘い蜂蜜みたいに、とろどろに蕩けきった、幼女の愛撫が聞こえてきて……、お、 れの 意識が、 永遠に 食べられ、 続け ――。
「お兄さん……。 ばいばいっ♪」