147.アドリアナとアレナリア
今回もアドリアナ視点でお送りします。
「アレナリア……?」
目の前の存在を見て、私は呟く。
叩かれた頬が熱くて痛い。腫れているんじゃないか?
頬の痛みが、予想外の出来事に呆けていた私の頭を再稼働させた。
あいつは、叩いた方の手を抑えている。よく見ると手のひらが赤くなっている。あいつよりレベルが上の私がこんなに痛いのだから、相当強く叩いたはず。痛くなるのも当然。
自分で叩いておいて痛がっているなんて、いい気味。
「何がおかしいの?」
あいつが怒った顔で言う。
どうやら、気づかないうちに笑みがこぼれていたようだ。
でも、わざわざそれを言う必要はない。
「別に。それより、なんであんたがここにいるのよ。王宮よ?」
「陛下に呼ばれたのよ。あなたを懲らしめるために」
今まで見たことのない冷たい顔と声であいつが言う。
さっきみたいな怒った顔を見たのは久しぶりだったけど、こんな冷たい顔を見るのは初めてだ。
いつもつまらなそうな顔をしてるか、ヘラヘラ笑ってるところしか見ないあいつが、あんな顔をするなんて。
本当に、気に入らない。
「私を懲らしめる?あんたが?ははっ!家を出て、遂におかしくなっちゃった?私より弱くて、何もできないあんたが、一体どうやって私を懲らしめるっていうのよ?」
魔法も碌に使えない。勉強もできない。まあ、私がそうなるように仕向けたんだけどね。
家を出てから多少はレベルが上がったみたいだけど、徹底的に叩きのめした自信がそう簡単に戻るはずないわ。
前みたいに脅せば、怖がって大人しくなるはずよ。
「だいたい、あんたなんかを陛下が呼ぶわけないじゃない。私の噂を聞いて、あの冒険者に頼んで不法侵入でもしたんでしょ?こうして姿を現した以上、あんただって捕まるわよ。跡取りでもないあんたなんか、すぐに処刑されて終わりよ。はははっ!」
これだけ言えば、あいつのことだから、すぐにブルブル震えて謝ってくるはずだ。
でも、あいつの態度は変わらなかった。
「あなたは相変わらずね。アドリアナ。昔からあなたにとって私は、ただの駒でしかなかった。いつからかあなたは、私自身を見てくれなくなった」
今までとは明らかに違う。目の前の人物が、全く知らない人に思えて怖くなった。
「私ね、本当はすべて知ってたの。あなたの気持ちも、あなたの力も。でも、私はあなたが大切で、幸せになってくれるならそれでいいと思ってた。私たちは双子で、あなたは私のたった一人のお姉ちゃん。私の、分身……。そう思ってたの。いつかまた、小さい頃みたいに仲良くできる日が来るって信じてた。……ううん。信じたかった。自分で可能性を潰してしまうのが怖くて、何もできずにいただけなの」
あいつが、すべて知ってた?私のことを?なにそれ。どういうこと?いつから知ってたの?どうやって?力のことなんて、誰にも言ったことないのに。
あいつの話が衝撃的過ぎて、思考がうまく纏まらない。
あいつが全部知ってたなんて、そんなことありえない!ありえないわ!
「ねぇ、アナ。もうやめよう。私はこれ以上あなたとは関わらない。オネインザ家にも帰らない。私はあなたたちの知らないところで、自由に生きる。だから、あなたは安心してオネインザ家で暮らせばいい。あなたや家の不利になることはしないと約束する。その代わり、今後一切私とトモリさんには関わらないで」
「約束……?ただの口約束を信じられるわけないでしょ?だいたい、そんな約束にどんな意味があるのよ?私にメリットがあると?」
あいつが自由になる。それは、私たちがあいつにしたことが明るみになるかもしれない危険性を孕んでいる。
約束したところで、あいつが守る保証なんてどこにもない。
私にメリットがないのに、約束する必要なんてない。
「もし約束してくれたら、今まで私にしてきたことは、すべて水に流す。意味はわかるよね?」
つまり、約束しさえすれば、あいつにしてきたことは罪に問わない、ということね。
この国の法律では、被害者が自らの完全な自由意志を持って加害者を訴えないことを表明した場合、加害者は罪に問われない。被害者を脅迫したりして、訴えないようにさせたら逆に罰せられるけど、この場には王も宰相も王女もいる。証人は十分だ。
でも、保険を掛けておくに越したことはないわよね。
「……2つ、条件があるわ。それを呑んでくれたら約束する」
「呑むかどうかは条件次第だけど、何かな?」
「1つ目は、あんたも私たちとのことを他人に言いふらさないってこと。もう1つは、この約束を『誓約』として交わすこと。どう?」
誓約とは、魔法を使って行うもの。もし誓約に反した場合は、予め決めておいたペナルティが課せられる。
こうすれば、あいつから真実がバレる心配をしなくて済む。
「わかった。その条件、受け入れましょう。あ、でも、誓約にするには準備が必要ね。どうしよう?」
あいつはすぐに条件を呑むことを承諾した。
これで一安心ね。
でも、誓約には専用の紙が必要だ。家にならあるけど、王都には持ってきていない。そもそも、今この場でしなければ、あいつに逃げられてしまうかもしれない。
あいつは、助けを求めるように宰相を見た。
すると宰相は、あいつの意図を察したようで、すぐに行動した。
棚の引き出しから、誓約用の紙を取り出し、インクとペンと一緒に机に置いた。ついでに保管用と下書き用の紙も出して、準備万端だ。
「よろしければこちらをお使いください」
なんて準備がいいの。もしかして、ここまで予想済みだったの?
そう思ってあいつを見ると、とても驚いた顔をしていた。演技でなければ、あいつも知らなかったことのようだ。
「お気遣いありがとうございます。ですが、私たちが王宮のものを使ってもよろしいのでしょうか?」
「ええ。むしろ、この場できちんと誓約を結んでいただいたほうがこちらも助かりますので」
「そうですか。では、お言葉に甘えて使わせていただきます」
あいつは丁寧にお礼を言って、下書き用の紙に文章を書いていく。
書き終わると私のところに持ってきて、内容を確認するように言った。
私は隅々までよく読んで、間違いないことを確認した。
私の確認が終わると、あいつは保管用と誓約用の紙に下書きと同じ内容を書き写していく。書き終わると、すべて持ってきて、私に確認させた。
どれも全く同じ内容で書かれていることを確認すると、あいつは誓約用の紙に署名をし、血判を押した。
その間に、宰相が私の縄を一度解いて、前で縛り直し、机まで連れて行った。縛り直すときに逃げられないかと思ったけど、逃げられないように手を掴む宰相の力が思ったよりも強くて諦めた。
あいつが血判を押した誓約用の紙の前に立つと、ペンを渡された。私は縛られた手でなんとか署名すると、血判を押した。
そのままの流れで、あいつと同時に誓約用の紙の上に手を置き、魔力を流す。すると、紙に織り込まれた魔法陣が輝き、紙を燃やしていった。
「これで誓約は完了ですね」
「はい。ご協力ありがとうございます」
「いえ、こちらも助かりました。あなたのお陰で、だいぶ話がしやすくなりましたよ」
宰相とあいつが話している内容に、少し引っかかりを覚える。あいつら、何を言ってるんだ?
「さて、アナ。これが私からあなたに送る最後の忠告よ。素直になりなさい、アナ。その方が身のためよ」
「なんであんたなんかに忠告されなきゃならないのよ?私がどうしようと、あんたにはもう関係ないでしょ?」
「ええ。そうね。私はもうこれ以上あなたに干渉しない。好きにすればいい」
そう言ってあいつは壁際に下がった。部屋の外には出ていかないところを見ると、まだ話は続きそうだ。
予想を裏付けるように、宰相が私に向かってにっこりと笑った。目元が全く笑っていないので怖い。
「さて、アドリアナ嬢。ここからは私たちとお話する番です。知っていることを洗いざらいお話してもらいますよ」
やっぱり!
まあ、あいつにしたことはもう不問になったんだし、とりあえず、嘘にならない程度に話をして、さっさと解放してもらおう。
あと、鑑定は全力で回避するのよ!