118.ぼっち少女と領主一家10
「ん……」
ギルマスが出ていってから2時間近くが経った頃、ようやくアレナリアが目を覚ました。
「ここは……」
『ギルマスの部屋だよ』
「ギルマスの……?」
そう言って部屋を見回したアレナリアは、やっと現状を把握したようで、慌てて飛び起きた。
「私、腕!」
領主に折られた右腕が綺麗に治っているのを見て、不思議そうな顔をする。
「あれ?治ってる?」
『うん。痛そうだったから、私が治したよ。痛かったり、違和感があったりしない?』
アレナリアは、確かめるように右腕を触ったり、手を握ったり開いたりしてから答えた。
「えっと、大丈夫、です」
『そう?なら良かった』
他人を治療するのは初めてだったからちゃんと治せてるか不安だったけど、問題ないようで安心した。
私がほっとしていると、アレナリアはもう一度部屋を見回して言った。
「あの、ギルマスはどちらに?」
『ギルマスなら、情報収集に行ったよ』
「そうですか」
そういえば、いつになったら戻ってくるんだろう?
戻ってくるまで待ってた方がいいのかな?それとも、出て行っちゃってもいいのかな?
ギルマス、そういうこと何も言わずに行っちゃったんだよね……
アレナリアが起きる頃には戻ってくると思ってたんだけどなぁ。
うーん。どうしよう。
あれこれ悩んでいると、ドアをノックする音が聞こえた。
「トモリちゃん、いる?」
ハティさんの声だった。
私は急いで鍵を開けてハティさんを迎え入れる。
部屋に入ったハティさんは、焦った様子でドアを閉め、鍵をかけた。
「大変よ!イーサンが領主と大喧嘩してるわ!」
部屋に入ったハティさんの第一声がそれだった。
えーと、イーサンってギルマスのことだよね?
何で領主と……?というか、なぜハティさんがそれを伝えに来たんだろう?
聞きたいけど、ハティさんに念話が使えることを教えるつもりはない。
別にハティさんが嫌いだとかそういうわけじゃない。ただなんとなく、教えたくないと思っているだけ。
アレナリアに教えたのは、状況的に仕方がなかったから。本当は、アレナリアにも教えるつもりはなかった。
念話のことは、誰にも教えない。
念話を使うのは、ディーネと話す時だけ。
それが、念話のスキルを獲得した時に決めた自分のルール。一度破ったからって、ルールがなくなったわけじゃない。
だから、ハティさんには教えない。
私は、話したくない。
だから、話さない。
私は魔法で出した水で文字を作ってハティさんに見せた。
"何があったんですか?"
「私も詳しくは知らないのだけれど、トモリちゃんが関わっているのは確かよ。名前が出ていたから。イーサンなんか『トモリさんは私が守る!』とか言ってたのよ。あのイーサンから、そんな言葉が出てくるなんて思わなかったら、おかしくて笑っちゃったわ。それで、とりあえずトモリちゃんを呼んで来れば、喧嘩も収まるかなって思ったのよ」
なるほど。だいたいわかった。
私をアレナリアの誘拐犯に仕立て上げようとしている領主に対して、ギルマスが抗議に行ってくれたんだろう。それで、喧嘩になったと。
……喧嘩って、口論って意味だよね?手が出てたりしてないよね?
ふと不安に思ったので、聞いてみた。
"口喧嘩?"
「そうね。私が見た時は言い争っているだけだったけれど、二人の周りには領主の護衛がいたし、イーサンも武器持ってたし、今はどうなっているのかしら」
首を傾げながら、サラリと言うハティさん。
それって、今頃は取っ組み合いというか、殺し合いに発展してる可能性があるってことだよね?
まあ、さすがに、本気で殺し合ってはいないだろうけど…………いないよね?いないと信じたい。信じたいけど、あの領主だからなぁ。
助けに行ったほうがいいかな?
でも、私が行ったら逆効果になるかも。領主がおとなしく引き下がるとは思えない。
だからといって、私のために動いてくれたギルマスを見捨てることはできない。
結局、答えは一つだ。
私は溜息をつくと、文字を作った。
"行く"
「わかったわ。場所は領主邸の前庭よ」
ハティさんは頷くと、目的地を教えてくれた。
私は「地図」と「探索」で転移先の安全を確認すると、ハティさんとアレナリアを連れて転移した。
◇◆◇◆◇◆◇
転移先は、領主邸から一本入った人通りの少ない路地。
今は、領主邸の騒ぎのおかげで誰もいないので、転移したところを見られることはなかった。
私はすぐにアレナリアと自分に防御結界を張り、アレナリアを連れて領主邸に向かう。
ハティさんは少し離れて後をついてきた。
領主邸の正門から広がる前庭では、ギルマスと領主による一騎討ちが繰り広げられていた。
剣だけを使った真剣勝負。剣は木刀でも刃引きがしてあるものでもない、真剣だ。
しかも、ギルマスも領主も手を抜いていない。二人とも本気だ。
このままいくと、どちらかが戦闘不能になるまで続きそうだ。
それに、真剣だから、殺し合いと言えなくもない状況だ。
本当は、ある程度状況が落ち着くまで待っているつもりだったけど、悠長にしている暇はなさそうだね。
私はアレナリアの手を引いて、領主邸の中に足を踏み入れた。
先に気づいたのは、ちょうどこちらを向いていたギルマスだった。
「トモリさん?」
驚きで注意が逸れ、動きが一瞬止まる。
領主は、その隙を逃さなかった。
領主の剣の切っ先が、ギルマスの胸元に迫る。
私は慌てて防御結界をギルマスに張る。
領主の剣は、結界に阻まれてギルマスには届かなかった。
領主は剣を降ろすと、ゆっくりと半身で振り返った。
「また、お前か……!」
その横顔には、激しい憎悪があった。
何度も私に邪魔されて、怒っているのだろう。
気持ちはわかるけど、領主が人前でそんな姿を見せてもいいのかな?
こんなときなのに、私はそんなことを思った。
そしてすぐに、それは今はどうでもいいことだと思い直した。
私は領主の5メートルくらい前で立ち止まると、ギルマスを見て手招きをした。
さすがにこの距離じゃ文字を読むのは難しいし、そもそも私に領主と話すことはない。
ギルマスと合流したら、すぐに帰る予定だった。
ても、物事はそう都合よくいかなかった。
「あら、トモリさんではありませんか」
領主邸からアドリアナが出てきた。横には母親もいる。
アドリアナと母親の出現に、私は嫌な予感がした。これ以上何かを言われる前に帰らなければ、大変なことになる予感だ。
私はアドリアナが次の言葉を発する前に、ギルマスの手をとって門に向かって駆け出した。
後ろから領主とアドリアナの声が聞こえたけど、無視して走った。
そして、領主邸から出ると、門の外に集まっていた人混みをかき分け、転移してきた路地に行き、ギルマスの部屋まで転移した。
……ハティさんを置いてきたことに気づいたのは、ギルマスの部屋に転移してからしばらく経った後だった。
◇◆◇◆◇◆◇
ギルマスの部屋に着いた私たちは、状況を説明し合った。
ギルマスが領主と一騎討ちをしていた経緯は、私の推測通りだった。
私のために行動してくれたギルマスに、私は深々と頭を下げた。
それから、私たちは今後のことを話し合った。
そして、その日の夜、私はアレナリアを連れて、こっそりとカージアの街から脱出した。