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恋愛御法度どす。四話目

私はお座敷から帰ってくる華乃姉さんを待ちながら、小さな手鏡を見つめていた。


月夜の君は私に合わせて赤くて可愛いデザインのにしてくれた。

ずっと帯に挟んで肌身離さず持っておくねと言っていたけれど……

月夜の君がこの鏡を使っているところを想像したらちょっと笑ってしまう。




にしても華乃姉さん今日は遅いなぁ。

祇園の芸妓でNo.1の売れっ子である華乃姉さんはお座敷の掛け持ちなんてことはザラだ。

確か今日は3つだっけ?

明日から都をどりが始まるのに、体力は持つのだろうか……


一階で物音がしたので華乃姉さんが帰ってきたのだと思い、階段を駆け下りた。

でもその音は全く違うものだった……


お母さんが廊下で倒れて意識を失っていたのだ。



「お母さん?!」



声をかけてみたけれどピクリとも動かない。

息はあるっ心臓も動いている。

お母さんはもう80歳間近だ…なにがあってもおかしくはない。

私は慌てて救急車を呼んだ。









「千夜!!」


華乃姉さんが病院に駆けつけてきた。

お母さんは命に別状はないものの意識がまだハッキリとせず、しばらくは検査入院をすることになった。


「私が病院残るから、千夜はもう帰り。」

「私が残りますから華乃姉さんこそ帰って下さいっ。」


お座敷からそのまま来た華乃姉さんは芸妓姿のままだった。


「千夜は今日は宗一郎とイチャイチャしてお疲れやろうからもう帰り。」


今それを言う?

いや、今だから言うのか……

私に心配かけさせまいとしているのだ。

華乃姉さんとはそういう人だ。



「意識が戻ったら帰るから…付き添いは二人もいらへ

ん。」


顔に塗った白粉に涙の跡が残っていた。

幼い頃に母を亡くした華乃姉さんにとって、祖母であるお母さんは実の母親のような存在だった。


「……わかりました。お願いします。」




私は華乃姉さんに任せて病院をあとにした。

お母さんが女将を続けられなくなったら、この置屋はどうなるのだろう?


置屋とは芸舞妓さんになりたい人が所属するプロダクション兼、寮である。

そして女将とはそのプロダクションの社長兼、寮母の役割をしていて、芸舞妓のスケジュール管理や売り込み、寮の運営や経営等、様々な仕事をしてくれていた。


お母さんがいなきゃこの置屋は成り立たない……



誰もいない置屋で、私は不安に押しつぶされそうになっていた。









女将不在の中、都をどりが始まった。



都をどりは一日3公演。

華乃姉さんは昼間は舞台に立ち、夜はお座敷に立ち、その合間に病院に行ったり女将の仕事までこなしていた。

殺人的なスケジュールである。



「千夜、見世出しの時に頭にさすべっ甲の簪と櫛見つかったか?」

「それが…どこを探しても見つからないんです。」


「千夜っ、この日のお座敷の時間被ってるんやけど私に分裂しろ言うてる?」

「わわっ、どうしようっ。」


「千夜!帳簿の計算がいっこも合ってへんやないかっ。」

「何度計算しても合わなくて……」



私も少しでも華乃姉さんの負担を減らしたくて手伝うのだがうまくいかない。



「千夜っ!私のことを怒らすな!体力が消耗するっ!」

「すんまへ〜んっ!」



結局、華乃姉さんが女将の仕事も全部することになった。












夕方に都をどりを終えた華乃姉さんが置屋に戻ってきた。

今日も夜に3件のお座敷が入っている。


「少しだけ寝るから15分したら起こして。」


そう言って自分の部屋へと入って行った。

昨日、お母さんの検査結果が出て胃に癌がみつかった。

年齢も年齢なので手術は出来ず、薬で治療することとなった。

お母さんの娘、華乃姉さんにとっては叔母にあたる人が面倒を見てくれることにはなったのだけど、女将を続けることは絶望的だった。



ようやく四月も半月が過ぎた。

でも都をどりが終わったとしても次は私の舞妓デビューが待っている。

華乃姉さん…こんな忙しさをずっと続けていたら、いつか倒れてしまうのではないだろうか?




お母さんが倒れた日からずっと考えていたこと。

もう戻ってこれないのだとわかり、私の気持ちは固まっていた。


15分経ち、私は華乃姉さんの部屋へと入っていった。







「冗談言うんやったらもっと笑えるのにしてくれる?」

華乃姉さんが不機嫌そうに布団から起き上がった。


「冗談じゃないですもう決めたんです。私は……」


華乃姉さんは売れっ子の芸妓だ。

十分一本立ち出来るのに、この置屋にいるのは私がいるせいだ。


「私は舞妓にはなりません。」


私が舞妓になんかなったら、華乃姉さんはこの先何年も女将の仕事もしなければならなくなる。

芸妓の仕事だけでもしんどいのに、両立なんてはなから無理な話なんだ。



「理由は?」


「舞妓をする自信がないんです…やり直すなら早い方がいいですし、今ならまだ高校にも行けるかなって。」



普通は仕込みの時に置屋が払ってくれた稽古や生活等の費用を、舞妓になってから稼いだお金で返済するものなのである。

私はそれを返さずに辞めると言っているのだ。

怒鳴られたり殴られることも覚悟していたのだが、華乃姉さんはただ黙って私のことを見続けた。



「そう…残念やわ。とりあえず、今月の都をどりが終わるまでは居てや。」


華乃姉さんはそれだけ言って部屋から出ていってしまった。

そのあっさりとした対応に身構えていた私は拍子抜けしてしまった。







千夜さんが舞妓になるのを楽しみにしているよ





月夜の君の顔が浮かぶ……


私は…待つと言ってくれた彼を裏切ることになってしまった。





舞妓にはならない──────




これでいい。

これでいいんだ…………


気持ちが揺らいでしまわないように、強く唇を噛み締めた。














都をどりも残すところあと一日となった。

相変わらず大忙しな華乃姉さんが舞台で倒れてしまわないかと心配だったのだが、なんとか乗り切れそうだ。


「千夜、ちょっとええか?」


朝の掃除をしていた私に、起きてきた華乃姉さんが声を掛けてきた。

私が舞妓を辞めると言った日から、華乃姉さんとは必要最低限の会話しかしていない……


「今日の最後の都をどりの公演。千夜の分の席取ったから見においで。」


そう言って華乃姉さんはチケットを一枚私に渡してくれた。

怒っているのだと思っていた華乃姉さんからのプレゼントに嬉しくて目頭が熱くなった。


「隣の席には宗一郎が来るから。自分の口でちゃんと明日田舎に帰るって伝えや。」


えっ……


「華乃姉さん私っ……」

「黙ったままで去るつもりやったんやろ?あいつは千夜に本気なんやから、最後まできちんと向き合い。」


華乃姉さんはもうちょっと寝ると言って部屋に戻って行った。

どうしよう……

華乃姉さんの言う通り、私は月夜の君には何も言わずに田舎に帰ろうと思っていた。


だって、月夜の君の顔を見たら離れたくなくなる。

優しい言葉をかけられたら、きっと甘えてしまう……





こんな舞妓にもならない中途半端な私が


月夜の君のそばにいて良いはずがない──────














都をどりの間にしか飾られないぼんぼりの間を通って、祇園甲部歌舞練場へと続く石畳を歩く。

最終日とあって会場はとても賑わっていた。


月夜の君がやって来たのは開演する少し前の時間だった。

月夜の君の登場に、回りの席の女性達がザワつく。


「千夜さん、すまないね。仕事が立て込んでいてこんな時間になってしまった。」

「私こそ、お忙しいのに急に誘ってしまって申し訳ないです。」



都をどりで芸舞妓達が着ている舞台衣装は、毎年ふく善が手配している。

この時期は観光客も多く、ふく善の社長である月夜の君はとても忙しくて、本来ならばこんなところでのんびりと油を売っている余裕などないのだ。


月夜の君は隣の席に腰を下ろすと、私の手を包み込むようにそっと握った。


「会えるのはとても嬉しいよ。」


ニッコリと微笑む月夜の君に、私は笑顔を返すことが出来なかった。






「ヨーイヤサー」の掛け声とともに花道から進み出た舞妓達が、息を合わせて舞い始めた。

都をどりの幕開けだ。


都をどりは1時間の中で8つの演目が披露される。

幕がひとたび上がれば最後まで下がることはない。


京都をはじめとする名所旧跡を歴訪しつつ、春・夏・秋・冬の季節にちなんだ情景を舞い表し、そして再び春の花見で幕を閉じる。

三味線や太鼓、笛などはフルオーケストラ状態で演奏を奏でる。



舞台で大勢のお客さんの前で舞を踊る華乃姉さんは実に堂々としていて見事としか言いようがない。

指の先まで完璧に美しく舞い、表情なんてゾクッとするほど艶っぽい。

さすが祇園でNo.1の芸妓と言われるだけはある。



「さすが華乃さんだね。麗しい中にも、鬼気迫るものがある。」



本当に……


華乃姉さんはすごい。




ここ最近は置屋ではクタクタに疲れている姿しか見ていなかったけれど、舞台にいる華乃姉さんは別人のように凛としていて艶やかに輝いていた。







なぜ私はあの舞台にいないのだろう……



舞の稽古をもっと頑張っていれば、私も今、華乃姉さんと共に同じ舞台で舞っていたかもしれないのに……





舞台にいる華乃姉さんと目が合ったような気がし、思わず目を逸らした。



眩しすぎて見れない……





この胸の苦しさ、刹那にわき上がる感情を抑えるのが辛かった。





最後の演目は全出演者が総出演し、爛漫の桜が咲きにおう花見の風景の中、芸妓・舞妓の群舞で幕を下ろした。




郡勢の中でも


華乃姉さんの存在感は圧倒的だった─────













「本当は甘味処にでも誘いたいのだけれども、本当にすまない。」

月夜の君はこのあとすぐに大きな商談の予定が入っているらしい。


「いいんです。お仕事頑張って下さいね。」

「ああ。千夜さんも五月に入ったら見世出しが始まるのだろ?頑張るんだよ。」


言わなければならない。わかってる。

わかってはいるのだけれど……



「社長、お車をご用意致しましたので。」

「ありがとう。すぐ行く。」

従業員が時計をやたらと気にしている。

もう余り時間がないのだろう。



「私ももう行きますね。さようなら。」


忙しそうな月夜の君……

やはり私とは住む世界が違うのだ。

背を向けて歩き出した私の腕を、月夜の君が掴んで引き止めた。



「千夜さん、私に対して遠慮などという、やぶさかなことをしてはいけないよ?」



この人はどうして今の私の気持ちがわかるのだろう?

泣いてすがりつきたくなる気持ちで崩れそうになる。



でもダメだ……


今の私じゃ月夜の君とは─────…………






─────本当にそれが理由なのだろうか?




私が素直に月夜の君に頼れない理由。


私が京都に来たのは月夜の君に会いたかったから。

月夜の君に似合う女になりたかったから。






今は……?

今私は何になりたいと思っている?





月夜の君のことは好きだけど


大好きだけど───────








「千夜さん……?」



ただの手段でしかなかったそれは、いつしか私の中で大きな目標となっていた。




「今度はちゃんと…甘味処に連れて行って下さいね。」




馬鹿だな私…………


今それに気付いたところでもう遅いのに────





私は溢れそうになる涙を必死で堪え、笑顔で月夜の君を見送った。
















誰もいない置屋でお座敷から帰って来る華乃姉さんを待っていた。

都をどりの最終日だというのに、相変わらず華乃姉さんは忙しい。



今日はお座敷何個だっけ?

いつにも増して遅い……

こうやって帰りを待つのは今日で最後なのに…ついウトウトとしてしまった。





「千〜夜。そんなとこで寝てたら風邪引いてまうよ。いいかげん起きや。」


夢の中に華乃姉さんが出てきた。

「まったく、姉さんが頑張って働いてんのに。」

いや、違う…これは現実だっ!

台所のテーブルに突っ伏して寝ていた私はガバッと起きた。


「すいませんっ、寝てしまいましたぁ!!」

「見たらわかるわっドアホが!」


見ると華乃姉さんは着物を脱ぎ、お風呂に入って寝巻き姿だった。

お世話するのは最後だったのに……

やらかしてしまった。



「宗一郎から電話あったわ。千夜の様子がおかしかったけどなんかあったんかって……」

華乃姉さんは冷蔵庫から缶ビールを取り出し、グビっと一口飲んだ。


「あんた…結局宗一郎になんも言わんかったんか?くっつかんで良かったん?」



月夜の君とのお膳立てのために二人分のチケットを用意してくれたのだろうか?

華乃姉さんなりの優しい気遣い……



でも…それは私には出来なかった──────




「まあええわ。私のこれからのこと、一応千夜にも言うとくわ。」

そう言って華乃姉さんは私の向かいの椅子に静かに腰を下ろした。




「この先ずっと芸妓と女将の両立を続けていくんわ無理やわ。死んでまう。」



華乃姉さん…少し痩せた?

よくあのスケジュールを倒れずにこなせたと思う。

寝る時間も、食べる時間さえもなかったんだから……


でも良かった……



「だからいっこにするわ…私は───」



これで華乃姉さんは芸妓として一本でやっていける。




「───芸妓を辞めて女将になる。」






えっ………

今……なんて?


私は驚いて椅子から立ち上がった。



「なんでっ?私辞めるって言ったのに!!」

「あんたのためやない。私がそうしたいからそうするんや。」



じゃあ誰もいないのに女将になるって言ってるの?

信じられない……

華乃姉さんほど、あんなに見事に舞を踊れる芸妓はこの祇園にはいない。

華乃姉さんならこの先何年も何十年でも売れっ子の芸妓としてやって行けるのにっ……




「私はこれからこの置屋を盛り上げて、祇園一の置屋にする。私がNo.1女将や。」



No.1女将って……

聞いたことがないっ。



「千夜はホンマに明日田舎に帰るん?」


「それは……」



「千夜は本当はどうしたいんや?」



私は辞めるとはっきり言った。

華乃姉さんが女将をするからって、やっぱりしますだなんて都合が良すぎる。






「……私が千夜を都をどりに呼んだんは、自分も来年この舞台に立ちたいと思わせるためや。」



華乃姉さんの舞を見て、私の心は震えた。



「芸妓人生、最後の大舞台。私は、千夜のためだけに舞を踊った。」



真っ直ぐに私を見つめ、そう言い切る華乃姉さんに、私は涙が溢れてきた。







「千夜には、私のこの思いは伝わらんかったんか?」





私ははっきりと気付いてしまったんだ……


「しっかり…伝わりました……」


向かい合う、華乃姉さんの目にも涙がにじんでいた。




「もう一度聞く。千夜は本当は、どうしたいんやっ?」





私の本当の気持ち──────






私は……


何よりも誰よりも


自分のために────────






「舞妓になりたいですっ。」









そう、私は……

自分がどれだけ舞妓を夢見ていたのかを

自覚したんだ──────





華乃姉さんがボロボロと泣く私の側まできて、強く抱きしめてくれた。



「千夜は妹なんやさかい、姉さんには甘えとったらええんや。いらん気おこすなっ!」


「華乃姉さんっごめんなさ〜いっ!!」



私は華乃姉さんの懐の深さを全然わかっていなかった。

この祇園にいる限り、華乃姉さんとの姉妹関係は永遠に続いていく。

この人が私の姉さんで、本当に…本当に良かった!



「華乃姉さん大好きっ。」

「そういうのは宗一郎に言い。」


「舞妓は恋愛御法度ですよ?」

「……そやけど、私そんな趣味ないから。」


「私だってないですっ!」





今日からこの置屋は、私達二人で再出発をする。










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