恋愛御法度どす。二話目
「千夜ちゃんまたキョロキョロしてる。」
今日は月に2日しかない貴重な休みの日だ。
私と弥生ちゃんは観光地で有名な八坂神社の辺りをプラプラと散策していた。
「だって月夜の君が歩いてるかもしれないからさぁ。」
「私も会ってみたいなぁ。千夜ちゃんの想い人に。」
「もうビックリするくらい綺麗でね…」
「はいはい、その話は何度も何度も聞きました〜。」
弥生ちゃんは私の鼻を指でキュっとつまんでクスクスと笑った。
弥生ちゃんは小さな頃にテレビに出ていた舞妓を見て、その存在に衝撃を受けたそうだ。
日本舞踊に三味線、長く伸ばした美しい髪の毛も全ては舞妓になるためにずっと頑張っていたことだ。
私みたいな浮かれた恋心で舞妓になりたいと思ったのとはわけが違う。
普通なら呆れられそうな私の理由も、弥生ちゃんは心から応援してくれていた。
月夜の君はあれだけの美人だ。
一目でも見ていたら記憶に残ると思うのだけど、豆乃姉さんは知らないと言っていた。
長年祇園にいるお母さんや華乃姉さんなら噂くらい聞いてそうなんだけど、舞妓は恋愛御法度だ。
だから聞くわけにはいかない……
神社でお参りをしたり、観光客に人気の抹茶専門店で抹茶パフェを食べたりしていたらあっという間に時間は過ぎてしまった。
明日っからまた稽古に家事に姉さん達のお世話にと、朝から晩まで息つく暇もない日々が始まるのか……
舞妓になれる日がとても遠くに感じる。
舞妓になったからといって楽になるのかというとそうじゃない。
豆乃姉さんは相変わらず熱心に稽古を続けているし、私達ほどではないが家事もしている。
むしろ夜に舞妓として座敷に上がることになった分、仕込み時代より忙しいんじゃないだろうか?
一見華やかに見えるこの世界。
実は軍隊並の体力と精神力が必要だったりする。
ある日みんなで夕飯を食べていると、弥生ちゃんの実家から電話がかかってきた。
私達仕込みは見習いの身……
実家とのやり取りは主に手紙だ。
電話なんて…まして向こうから置屋にかけてくるなんて有り得ない。
いやな空気がみんなの間に流れた。
「……お父さんが?…うん……うんわかった……」
廊下から微かに聞こえてくる弥生ちゃんの声が震えていた。
「弥生ちゃん、お父さんどないしたん?」
食卓に戻ってきた弥生ちゃんにお母さんが心配そうに聞いた。
「……なんでもないです……」
いや、なんでもないわけないよね?
顔が真っ青だし。
「そうか、ならええ。早ご飯食べて着替えするん手伝って。」
華乃姉さんはそう言って何事もなかったようにお茶をすすった。
なにこれ…これで終わり?
ウソでしょっ?
私は椅子から勢いよく立ち上がった。
「なんでもないわけないじゃないですか!今すぐ弥生ちゃんを実家に帰してあげて下さいっ!!」
「千夜ちゃん…いいの本当に。」
「よくないっ!お父さんになにかあったんでしょ?!」
華乃姉さんが持っていた湯のみをテーブルに叩きつけるようにして置いた。
「千夜…それがどない意味になるんかわかって言うてる?」
凄みをきかせてにらむ華乃姉さんは背後に炎が見えるんじゃないかってくらい怖かった。
私達仕込みは一年間実家に帰ってはならない。
途中で帰るのは辞めることを意味する。
でも…それって肉親が倒れてもなの?
「弥生がなんもない言うてるんやからそれでええ。」
華乃姉さんはさっさと支度部屋に行ってしまった。
弥生ちゃんもそれを追いかけるように部屋へと入っていく……
私はお母さんと豆乃姉さんに助けを求めようと見たのだけど、申し訳なさそうに首をふるだけでなにもしてあげられない様子だった。
私も…なにもしてあげれない……
私には芸の道を極めるというこの厳しい世界のことを、まだ全然理解出来ていなかった──────
朝早くに目覚めると、弥生ちゃんの布団が綺麗に折り畳まれていた。
置屋の中を探してみたけどどこにもいない……
まさかっ───────
「なにぼーっとしとるん?今日からは仕込みは千夜一人だけなんやから早う仕事しいや。」
華乃姉さんが欠伸をしながら二階から降りてきた。
今…今なんて?
「……弥生ちゃんは?」
「電車で田舎に帰る言うて朝早うに出て行ったわ。」
「様子見たら戻ってくるんじゃないんですか?」
「途中で帰るような中途半端な子はうちにはいらん。」
華乃姉さんのあまりに冷たい言い草に怒りを隠すことが出来ず、わなわなと震えた。
弥生ちゃんも弥生ちゃんだ。
なにも言わずに出て行くなんて……
この半年間、ずっと二人で頑張ってきたのに。
せめて最後の言葉くらいかけて欲しかった。
いつ出て行ったんだろうか?
走ればまだ間に合うかもしれない。
「私、京都駅まで行ってきますっ!」
「ちょっと千夜!待たんかいっ。」
「華乃姉さんの鬼っ!アホ───っ!」
「はぁあっ?!」
私は京都駅へと祇園の街を突っ走った。
木々が色付き始めた秋の古都京都。
うだるような盆地特有の蒸し暑さは幾分か和らいだものの、全力疾走してきた私は汗だくになってしまった。
こんなに一生懸命走ったのなんてあの修学旅行の日以来、一年ぶりだ。
私はあの日から…なにか成長出来ているのだろうか?
「千夜ちゃん?」
改札口を渡ろうとしていた弥生ちゃんは、目の前に現れた私の姿に驚いて声を上げた。
「なんで?みんなの食事の準備は?」
「そんなのより弥生ちゃんの方が大事っ。」
「華乃姉さんに怒られるよ?」
「あんな冷たい人の言うことなんかもう知らん。弥生ちゃんもひどいこと言われたんでしょ?」
「ううん…違うよ千夜ちゃん、華乃姉さんは違うよ……」
弥生ちゃんは自分の鞄から何かをを取り出した。
それは故郷に帰るための新幹線のチケットが入った封筒だった。
「華乃姉さん…ほんまはお父さんとこ帰りたいんでしょって言うて、このチケットを私に渡してくれたの。」
封筒には達筆な文字で、負けたらあきまへんで。と書かれていた。
「千夜ちゃんにお別れを言わなかったのも、華乃姉さんが千夜の心が折れてまうかもしれんから、帰ってから励ましの手紙を書いたってって言われたからなの。」
華乃姉さんが……?
いつも怒ってばかりの華乃姉さんの顔が浮かんだ。
「華乃姉さん、その時は理不尽だとしか思えないようなことでも、あとからそんな見方もあるんだなと思えること、多くなかった?」
今朝、わざと私を怒らせるようなことを言ったのも、私を悲しませないようにするためだったのだろうか?
「千夜ちゃんは頑張って舞妓さんなってな。」
「弥生ちゃん…私……」
今にも泣き出しそうな弥生ちゃんの顔を見たら、その先を言うことが出来なくなってしまった。
「見送ってくれて、おおきに。」
弥生ちゃんの後ろ姿、真っ黒で艶やかな長い髪……
きっと綺麗な割れしのぶの髪型が結えただろうに……
そう思いながら、自分のまだ短くてコシのない髪を手で撫でた。
なんで私?
なんで私の方が残るの?
弥生ちゃんの方が純粋に舞妓を目指していたのに……
弥生ちゃん…私……
私も、もう……
ダメかもしれない……
華乃姉さんが心配した通り、私の心は折れそうになっていた。
今にも雨が降りそうな曇り空。
今の私の気持ち、そのものだ。
お昼を過ぎても私は置屋に帰れずにいた。
着の身着のままで飛び出てきたもんだから財布なんて持ってるわけもなく……
一人でぼ〜っと鴨川のほとりに座っていた。
ここはカップルがなぜだか等間隔で座るので有名な川辺である。
隣のカップルがイチャイチャしてやがる。
ただでさえ気分が沈んでいるのに…私もなんでこんなとこをチョイスしたのだろう。
一人で座ってるのなんて私くらいだ。
情けなすぎて笑けてくる……
「はぁ……帰ろっかなぁ。」
……どこへ?
私はどこに帰りたいのだろう……
地元の高校に行っていれば、私にも今頃は彼氏なんか出来たりしたんだろうか……?
少なくとも、学校帰りに友達と寄り道したりする普通の生活をしていたはずだ。
───────後悔してる?
………ダメだ。
そんなのは絶対認めたくない。
サラサラと絶え間なく流れる川を見つめていると、どこからかチリンチリンと可愛らしい鈴の音が聞こえてきた。
それは近付いてきて、私のスグ後ろで立ち止まった。
「隣に座ってもいいかい?」
この声は──────……
まさかと思って振り向くと、そこにいたのは紛れもなくあの彼だった。
──────月夜の君っ!!
なんでこんな所に?!
あの日と同じ、着物姿で肩まで伸びた髪をひとつにまとめ、煙管……は、今日は持っていない。
代わりに黒い番傘を持っていた。
竹で出来た柄の部分に、小さな可愛らしい鈴が巻き付けてあった。
「隣いいかな、千夜さん?」
はっ……すっかり魅入ってしまっていた。
私のことを覚えてくれていたんだ。
どうしよう…嬉しすぎて顔が赤くなる。
月夜の君が座る地面の砂をパタパタと手で払い除けた。
「ど、どうぞっ!」
月夜の君はフッと口元を緩め、着物がシワにならないように手を滑らせながら腰を下ろした。
ただ座っただけなのに、その流れるような立ち振る舞いに呆けてしまった。
相変わらず色っぽい。
「秋に降る雨はいいね。ひと雨ごとに暑さを和らげてくれる。」
どんよりとした憂鬱な雨雲も、そんな風に言われるととても風流なものに見えてきた。
月夜の君が空から私へと視線を移す。
「随分と辛そうだ。君にも…雨が必要かな。」
着物のたもとからハンカチを取り出し私にそっと差し出してきた。
彼の前で泣いてもいいのだろうか?
泣けば私のこのどんよりとした気持ちも少しは和らぐのだろうか……
ハンカチを受け取ると植物由来の上品な和の香りが漂ってきた。
月夜の君と同じ香り…とても落ち着くその香りに、自然と涙がこぼれ落ちた。
私は強情で負けず嫌いな性格だ。
だから他人の前で泣くなんてことはしない。
この半年間、辛いことがあっても涙一つこぼしたことなんてなかった。
一度こぼれ落ちると、後から後からとめどなく流れてきた。
もうとっくに限界なんて越えていたのかもしれない。
弥生ちゃんがいなくなり、私の心は粉々に切れて押しつぶされそうになっていた。
心が悲鳴を上げているのに、向き合うのさえ怖かった。
「……ずいまぜんっ…ハンカチが汚れましたぁ。」
「気にすることはないよ。ハンカチとは汚れるものだから。」
私の涙につられるかのように、空からも雨がこぼれ落ちてきた。
月夜の君が持っていた番傘を開くと、鈴が大きく揺れてチリリンと鳴り響いた。
「この雨は甘雨だね。」
「……かんう、ですか?」
私は泣きながら尋ねた。
「そう、日照り続きの後に降る草木を潤す喜びの雨だよ。」
喜びの雨……
私の涙も……いつか喜びに変わる時が来るのだろうか?
空から降ってくる雨を私は手の平で受け止め
強く握りしめた。
私は………
こんなところで
立ち止まっている場合じゃないっ───────
「千夜さん。迷いは消えたかい?」
あまりの忙しさに追われて本来の目的を見失いかけていた。
私は目の前にいるこの人に似合う女になりたくてこの京都に来たんだ。
「はいっ。ありがとうございましたっ月夜の君!」
大きな声でお礼を言ってハンカチを返すと、キョトンとした彼と目が合った。
そうだった…これは私が勝手に付けた名前だった。
「あのっ……お名前がわからなかったんでっ。」
「洒落た名前だね。気に入ったよ。」
「す、すいませんっ。」
「私のことはこれからもそう呼んでくれないかい?」
いつもとは違ってイタズラっぽく笑う彼に、私は耳まで真っ赤になってしまった。
「家の人が心配してるだろうから今日はもう帰った方がいい。」
「あの時は菊乃を紹介して頂いてありがとうございましたっ。」
「私は教えただけだから…受け入れてもらえて良かったね。」
優しく微笑む月夜の君に、また胸がキュンと締め付けられた。
雨がしとしとと降り続く中、二人でひとつの番傘に入って置屋へと向かって歩いた。
華乃姉さん…般若のごとく怒ってるよね……
すごく恐ろしいが平謝りするしかない。
さっきから道行く人が月夜の君を見ては振り返る。
そりゃ見るよね。これだけ綺麗な男の人がこれだけ粋に着物を着こなしているのだから。
名前や何者なのかを知りたくて彼の横顔を見つめたのだが、その独特の雰囲気に飲み込まれてしまい、尋ねることを躊躇してしまった。
知れば知るほど不思議な人だ。
一見その美しさと溢れ出る色香に目を奪われてしまうけれど、その内には力強い芯の強さが通っている。
それでいて、じんわりと心に染み込んでくるような温もりのある人……
こんな人が好きになる女性っていったいどんな人なんだろう?
想像すら出来ない。
「この雨は私にとっても喜びの雨だ。」
「喜びの雨…月夜の君にもですか?」
農業でもやっているのだろうか?
土仕事をしている姿がイマイチ想像出来ない。
「雨が降ってくれたおかげで、こうやって千夜さんと相合傘が出来るのだからね。」
思いもしなかった答えに面食らってしまった。
綺麗な顔でサラりと私との相合傘が嬉しいだなんて言われたら照れないわけがない。
「そのっあの……そんなことを言われると嬉しすぎて誤解してしまいますっ。」
「私は初めて会った夜から千夜さんのことがずっと気になっているよ?」
えっ…それって……
私の心臓が尋常じゃない舞を踊って飛び跳ねた。
いやいやそんなの有り得ない。
第一、私はあの時ダサい体操服姿だった。
よくよく考えれば一回しか会ったことがないのに、田舎から自分を追っかけて来ちゃうような女の子ってどう思っているのだろう?
もしかしたら頭のぶっ飛んだ危ない子だと思われてるかもしれない……
いつの間にか置屋の前まで帰ってきていた。
華乃姉さんが玄関で腕を組みながら仁王立ちしていた。
「どこのどなたか知りまへんけど、うちの可愛い妹に不用意に近付かんといてくれます?」
頭には角が生えていた。
うん、見間違えじゃない。確かに角が生えている。
「その子は舞妓になる子やから、軽い気持ちで手を出されては困ります。」
「ちょっ……華乃姉さんっこの方はそんな人じゃないです!」
誤解を解こうと華乃姉さんに説明しようとしたのだがどう言ったらたらいいのかわからない。
だって名前も何者なのかも知らないんだもん。
「軽い気持ちではないと言ったら?」
えっ……
敵意むき出しの華乃姉さんに対して、月夜の君は余裕の笑みを浮かべていた。
「本気だと言ったら?」
なにを言ってるの…月夜の君?
華乃姉さんも不敵な笑みを浮かべてにらみ返す。
「兄さんこの子の旦那にでもなるつもりか?」
旦那とはスポンサーのことである。
芸舞妓の着物やお稽古ごと等の毎月の諸費用を代わりに全部みることで、その費用は軽く家一件分はかかる。
でも私はまだ舞妓にもなれていない……
「なると言ったら?」
「へぇ…一体いくらかかると思ってますの?」
二人を止めたいけど、とてもじゃないけど入っていける雰囲気じゃない。
空気が緊張感でピリピリしていて肌が痛いっ。
「いくらでも出すよ。最後まで面倒を見るつもりだ。」
「最後までってどこまでを言うてはりますの?」
「最後までは最後までだよ。」
えっ…それって……
まさか…嫁にもらうってこと?!
華乃姉さんがわなわなと震え出した。
ヤバいっ、本気で怒っている!
「宗一郎!!からかうんも大概にしいやっ!!」
ピシャリと言い放った華乃姉さんを見て、月夜の君が吹き出すように笑った。
「私と知り合いなのは伏せておいて欲しいんじゃなかったのかい?」
「これ以上あんたのタチの悪い冗談に付きおうてられるか!」
うん?
「華乃さんはそうやってすぐ怒るのがよくない。本当は優しいのに。」
「うるさいわ!あんたが怒らすように挑発的なことをわざと言うてくるからやろっ!」
なになにこの二人…知り合い?
「私と華乃さんは中学時代の同級生なんだ。」
驚いている私に月夜の君が教えてくれた。
「千夜さんがずっと鴨川のほとりに座って動かないから、私に連れて帰ってきて欲しいと泣きついてきたんだよ。」
「はぁあっ?宗一郎!!それは絶対内緒にしとかなあかんとこやろ?!」
「華乃さんは君のことを心配して探し回っていたんだよ。見つけたけどどう声をかけていいかわからなかったんだ。案外可愛いだろ?」
華乃姉さんがバツが悪そうに顔を背けた。
────────華乃姉さん………
私は半年間この人のなにを見てきたんだろう?
親以外に、こんなに私のことを真剣に怒ってくれる人がいるだろうか?
なにも……
見えてなどいなかった──────
「……今日はすいませんでした。華乃姉さん、それに…宗一郎さん。私のような半人前のために、本当にありがとうございました。」
二人に向かって深々と頭を下げた。
「宗一郎にはお礼なんかせんでええ!そいつが千夜をこの世界に引き込んだ張本人なんやから、これくらいして当然や!」
「君だって千夜さんのことを気に入ったから受け入れたんだろ?」
「うるさいわ!ほんま…男のくせにペラペラと。千夜、こいつは天性の女ったらしやから気を付けや!」
「随分な言い草だな。私は女性を泣かせたことはないよ?」
二人の痴話喧嘩が止まらない……
中学の同級生にしては仲が良すぎない?
「あの…二人って昔、付き合ってました?」
なんとなくそう思って尋ねたんだけど……
「こんな女より色っぽいやつと付き合うかぁ!!」
「私も華乃さんはじゃじゃ馬すぎて無理かな。」
二人して全否定されてしまった。
「胸くそ悪っ…千夜も早入りやっ仕事が山積みやで!」
華乃姉さんは怒りながら置屋へと入っていった。
月夜の君はそんな華乃姉さんを花でも見るかのように涼しげに見送った。
なんかこの二人……
静と動、水と油みたいだな……
「彼女とはいつもこんな感じだ。お騒がせしたね。」
「お知り合いとは驚きました。それに…私の旦那になるとかって話が進んでいっちゃうし。」
まだ舞妓にもなってない私にそんな話が持ち上がること自体有り得ないのだけどね……
月夜の君の演技が余りにも上手くてドキドキしてしまった。
「冗談だと思ったのかい?」
そう言って月夜の君は私の頬を指でそっと撫でた。
「私は本気にしてくれても構わないよ?」
「つ…月夜の君……?」
これはどう返せば良いのだろう?
冗談なのか本気なのかもわからないっ。
「それが天性の女たらしって言うてんのじゃ──っ!!」
置屋から飛び出てきた華乃姉さんが塩をぶちまけながら叫んだ。
私にも塩はタップリかかったのだけど……
「噛みつかれそうだからもう行くよ。千夜さんが舞妓になるのを楽しみにしているよ。では。」
月夜の君は軽く会釈をして去って行った。
「華乃姉さんっ彼はどこまで本気なんでしょうかっ?」
「知るかいっ!あぁもう!だからあいつとは関わらせたくなかったんやっ!!」
「彼は今フリーですかっ?」
「知るかいっ!!てか舞妓は恋愛御法度やろっ!!」
華乃姉さんから思いっきりこめかみをグリグリされてしまった。
後日、華乃姉さんからなんとか聞き出したのだが…
月夜の君は名前を福本 宗一郎と言い、創業200年は越える老舗の呉服屋、ふく善の若社長なのだそうな。
だからいつも着物を着ているのか。
中学校時代もあのままの感じだったそうで、月夜の君が廊下を歩けば女子生徒が恋に落ち、言葉を発すれば鼻血を出してぶっ倒れる人が後を絶たなかったのだという……
う〜ん……あながちウソには聞こえない。
私は舞妓になるため、稽古に家事に姉さん達のお世話にと一層取り組むようになった。