恋愛御法度どす。一話目
私の運命の転機は中学校の修学旅行──────
特にしたいこともなりたいものもなく、毎日をなんとなく過ごしていた。
高校だって自分の頭で行けそうな中から適当に選ぶつもりでいた。
「舞妓さんだっ!」
「きれ───いっ!」
大型バスに乗りながら京都の街を移動中、歩道を歩いていた舞妓にクラスのみんなが大はしゃぎしている。
確かに綺麗だけど…そんなに騒ぐほどかな?
「アホだねみんな。あれは観光客の変身舞妓なのに。」
隣の席の子が呆れたようにつぶやいた。
確かこの子…京都から引っ越してきたんだっけ?
「滝沢さんて本物の舞妓さん見たことあるの?」
なんとなく聞いてみたのだけど……
「あるよ、一回だけやけど。むちゃ…綺麗やった。」
滝沢さんはうっとりとした表情で遠くを見つめた。
そしてしばらくなにかを考えたあと、私の方を勢いよく振り向いた。
「ねぇっ渋谷さん、今夜旅館抜け出して見に行こか?」
「……えっ?」
彼女はちょっと素行の悪いところがある。
私も真面目で良い子かと聞かれればそうではない。
舞妓自体にはそれほど興味はなかったが、夜、京都の街へくり出すということが楽しそうだなと思った。
大広間で夕飯を食べたあと、クラスごとにお風呂に入ったりする自由時間に非常口から外へ出ることに決めた。
京都でも舞妓がいるのは上七軒、祇園甲部、祇園東、先斗町、宮川町と呼ばれる5つの街で、五花街と呼ばれているところらしい。
私達の泊まる旅館からは祇園甲部という五花街の中でも一番規模の大きな花街が近かった。
クラスのみんなが大浴場へと移動する中、私は滝沢さんと共にコソコソと1階にある非常口へと向かった。
誰に見つかることもなく、楽勝だねと笑い合ってその重い扉を開けると、外で待ち構えていた生活指導の川合先生と目が合った。
「おまえ達みたいな輩は毎年いるんだよ。」
勝ち誇ったように笑う通称コワイ……
これで明日の自由時間は無くなったなと私は真っ青になったのだが、滝沢さんはコワイの横をすり抜けようと猛ダッシュをかました。
が、あえなく御用。
コワイの横腹に、両腕でがっちりホールドされてしまった。
その勇気だけでも讃えよう。
「渋谷さんだけでも行って!!」
…………えっ?
先生に押さえつけられ、足をバタつかせながら滝沢さんが叫んだ。
行けと言われても私…場所わかんないよ?
「上がってったら着けるからっ早うっ!!」
滝沢さんの剣幕に押され、二人の横をすり抜けた。
上がるってどの方向っ?
上がるとは京都の言い方で北を指すらしい。
ちゃんと北って言って欲しかった。
まあ北に行けと言われててもどっちなんだか全く検討がつかなかったんだけど……
コワイの怒鳴り声が響く中、私は行先のわからない京都の夜の街を全速力で突っ走った。
どれだけ走っただろう……
私は近くにあった石に片手をついて寄りかかった。
こんなに一生懸命走ったのなんて久しぶりかもしれない。
体中が火照って熱い。
もう…一歩も歩けない……
肩で息をしながらひんやりとした感触の石に目を向けると、上の部分が橙色にぼんやりと光っていた。
それは石畳に沿っていくつも並んでおり、昔ながらの常夜灯のようだった。
昼間回った観光地とはまた違う、風情ある木造家屋の軒先には提灯が灯り、道行く人を照らしていた。
街全体がしっとりと濡れたような良質な雰囲気に包まれていた。
ここが祇園甲部……?
私のような子供がくる場所ではないことは明らかだった。
居心地の悪さに移動しようにも、ここからどこに向かえば帰れるかさえわからなかった。
「迷子にでもなったのかい?」
あたふたと周りを見渡す私に後ろから誰かが声をかけてきた。
その低く澄んだ声に振り向くと、一人の若い男が立っていた。
深い色合いの着物を身にまとい、肩まで伸びた髪を無造作に後ろにひとつでまとめ上げ、手には煙管を持っていた。
月夜に照らされた彼はとても優美で……煙管を口に含み、煙をぷかりと吹かす流れるような所作に魅入ってしまった。
男の人に対して…いや、女の人にもこれだけ色っぽいと感じたことは今まで一度もない。
「今宵は月が綺麗だねぇ。」
夜空を見上げ、まるで月を支えるかのようにそっと手をかざす……
なんてうっとりするぐらい綺麗な人なんだろう。
なんだか胸が苦しくなってきた…ってやばいっ。
食い入るように見てたから息をするのを忘れてた。
ケホケホと咳き込んでしまった。
にしても……
「……あの…あなたは舞妓さんですか?」
明らかに違うのに、トンチンカンなことを口走ってしまった。
彼は特別表情を変えることもなく、口元だけをフッと緩めて微笑んだ。
「私は男だから。舞妓は君のような若くて可愛い女性がするもんだよ。」
「そんなっ……」
可愛いと言われて照れてしまった。
冷静に考えればこんなに綺麗な人に可愛いと言われても全然説得力なんてないのに……
ついつい間に受けてしまった。
「千夜さんは舞子に会いに抜け出して来たのかい?」
「へっ?」
なぜ私の名前を?
驚く私の胸の辺りを、彼は煙管でちょいちょいと示した。
そこには渋谷千夜と書かれたゼッケンがでかでかと貼られていた。
そうだ…私、体操服姿だった。
中学校名までバッチリと刺繍されている。
「この時間、舞子はもうお座敷に上がっている時間だから外を歩いてはいないよ。」
「そう…なんですか……」
滝沢さん、爪が甘いな…とんだ無駄足じゃん。
でもそのおかげで彼と出会えたのだからいいか……
むしろ感謝しないといけないな。
「天満月の夜に、千の夜と名乗る女性に会えるとは実に風雅だ。」
言葉の意味はよくわからないがどうやら私の名前を気に入ってくれたらしい。
「あの…良ければあなたのお名前も……」
そう聞こうとした時、遠くから私の名前を呼ぶがなり声が近づいてきた。
コワイの声だ。相当怒っているっ。
「目上の人の言うことは聞かなければいけないよ。じゃあね、千夜さん。」
彼は私に軽く会釈をし、カラコロと下駄を鳴らし歩き始めた。
横に並んで着いて行きたかったのだけど、こんなダサい体操服のままで彼の隣を歩けるはずがなかった。
でももっと……
もっと彼と話がしたいっ。
「あの……私っ……」
そう、彼の隣が似合うのはきっと──────
「私でも舞妓さんになれますかっ?」
それまで表情を崩すことのなかった彼が驚いたように私を見た。
また私はトンチンカンなことを口走ってしまったのだろうか?
口に手を当て、品定めするかのような彼からの視線に赤面しながらも、負けじと見つめ返した。
せっかくだしこの綺麗な顔、目に焼き付けておこう。
彼の真剣な眼差しが、しばらくすると優しく緩んだ。
「……いいね、君は。根性がありそうだ。」
根性?
舞妓になるのに根性が必要なのだろうか?
「もし本気なら…祇園甲部にある菊乃という置屋を訪ねてみるといい。春から来れる仕込みをまだ探していたようだから。」
またよくわからない言葉がいっぱい出てきた。
とりあえず菊乃だけは聞き取れたからOKだろう。
去ろうとした彼を私はまた呼び止めた。
「あのっ……舞妓さんになれたらまたあなたに会えますかっ?」
彼は私の問いかけに吹き出すように笑い、参ったといった感じで肩をすぼめた。
「そうだね。会えるように、この祇園の街で…祈っておくよ。」
月明かりの下で私に微笑む彼はとても艶っぽくて……どこか…儚げに見えた。
「渋谷っ!おい、渋谷!!」
気付けばコワイが真横に立って大声で私の名前を呼んでいた。
「どした渋谷、ぼぉーっとして?なんかあったのか?」
「……先生…私……」
コワイの両肩をガっとつかんだ。
「私、舞妓になるっ!!」
「はあっ?!」
私はすでにこの時に
彼に恋してしまったのだ───────
修学旅行先の京都で舞妓を見て私もなりたいと目指す人は多いらしい。
今はホームページで舞妓になりたい人が募集されている時代だ。
意外と京都出身の舞妓は少なかったりする。
私の場合は舞妓ではなく男を見てなりたいと思っちゃったわけだけど……
「綺麗だったなぁ…月夜の君……」
コワイのせいで名前が聞けなかったもんだから、こう名付けた。
彼に再び会えるのならばやってやろうじゃない舞妓さん。
恋する乙女は強いのだ。
ネットでいろいろと舞妓のことを調べてみると、まず舞妓とは芸妓になるための修練期間らしい。
その舞妓になる前の見習いのことを仕込みといい、舞妓や仕込みがいるのが置屋というところだ。
あの時、月夜の君が教えてくれた菊乃というのはその置屋のことで、わかりやすく言えば芸舞妓さんになりたい人が所属するプロダクション兼、寮である。
芸舞妓は日舞、茶道、三味線、鼓…日本のあらゆる芸事を習得しなくてはならない非常に厳しい世界。
憧れだけではとても出来ない真面目な職業なのだ。
芸舞妓を目指す多くの女の子が、中学を卒業してすぐに親元を離れ、住み込みで厳しい修行をすることになる。
これを手放しで喜ぶ親はいないだろう。
私の親もご多分にもれず、大反対された。
特に父親なんか私を溺愛してたもんだから、顔をぐちゃぐちゃにして泣きながら抱きつかれてしまった。
それを見て危機感を持った母が、父を子離れさせなくちゃと思い賛成側にまわってくれた。
菊乃に電話をしてから履歴書を送ると、冬休みに面接に来ないかと丁寧なおハガキを頂き、母と一緒に京都へと向かった。
その頃には父も観念したのか、嘆きながらも応援してくれるようになった。
かくして私は春から、祇園甲部にある置屋、菊乃へと仕込さんとしてお世話になることが決まった。
この調子でとんとん拍子に舞妓になるぞーっと意気込んでたんだが…超甘かった……
「私が四角い言うたら、丸いもんでも四角やから。」
出会って早々、開口一番にピシャリと言い放ったのは芸妓の華乃姉さんだった。
普通芸妓になったら自立といって置屋を出て独り立ちするのだが、この置屋の娘でもある華乃姉さんは、教育係も兼ねてこの置屋で一緒に暮らしている。
この姉さん、すごぶる美人なのだがとにかく性格がキツすぎる。
この世界では上の人が言うことは絶対だ。
理不尽なことで怒られてもまずはすんまへんと謝らなければならない。
「すんまへん。華乃姉さん。」
私と同じ時期に入った仕込みの弥生ちゃんは毎日とても素直に謝る。
「でも私達はちゃんと電話で伝えたんですよ?明らかに先方のミス……」
「言い訳なんぞ聞か───んっ!」
私にはそれが出来ず…華乃姉さんに両拳でこめかみのところをグリグリされるのはしょっちゅうだった。
「全く…千夜は舞もまともに出来んし、ちょっとは弥生ちゃんを見習いや。」
「弥生ちゃんは小さな頃から日本舞踊習ってるし。私なんかまだ1ヶ月そこらですよ?そんなの比べる方が……」
「言い訳すな─────っ!」
「痛たたたたぁっ!!」
今この置屋は華乃姉さんの祖母が女将をしている。
女将のことはお母さんと呼ぶのだが、お母さんは昔ながらの肝っ玉風母ちゃんで、もう80近いのに気配り上手ですごく頼りになる人だ。
そして舞妓の豆乃姉さんもいて、豆乃姉さんは丸っこくておっとりとした可愛らしい舞妓さんで、私達仕込みにもとっても優しい。
なのでこの置屋には女将、芸妓一人、舞妓一人、仕込み二人の女ばかり計五人が暮らしている。
芸妓の華乃姉さんと舞妓の豆乃姉さんは毎日のようにお座敷に上がる。
お座敷とは花街にあるお茶屋さんを舞台に、舞妓さんや芸妓さんを相手にお酒や余興を楽しむことだ。
私達仕込みは座敷にはまだ出ないものの、やることはてんこ盛りだ。
舞や三味線等のお稽古ごとに置屋の家事仕事、京言葉・しきたり・行儀作法と覚えることも山ほどある。
芸舞妓さんのお世話も大事な仕事のひとつだ。
自分達も仕込みの一年が終わったら舞妓としてお座敷に立つわけだから、姉さん達を見てしっかりと学んでおかなければならない。
朝は誰よりも早く起き、夜は日にちをまたいで帰ってくる姉さん達を待って、着替え等の手伝いをしなければいけないので睡眠時間は毎日3〜4時間だ。
体力がなきゃやってられない。
実際このハードさに耐えられず、仕込みの段階で辞めていく女の子達は多いのだ。
仕込み生活にもなんとか慣れ始めたある日、同期の子が残念そうに教えてくれた。
「南ちゃん辞めちゃったみたいよ。」
「ええっ?ウソ!」
祇園に来た仕込みの女の子達は全員、八坂女紅陽学園へ通う。
そこでは厳しいお稽古ごとの数々が待っているので、楽しい学園生活なんてものは皆無だ。
今年の春からの同期は私も含めて11人だった。
まだ三ヶ月しか経ってないのに……
これで2人目だ。
置屋のルールは置屋によって多少違うもののどこも厳しい。
携帯は禁止だし一年間実家には帰れない。
お座敷に上がることを考えて夏でも水分を取ってはダメ、トイレに行ってはダメなんてとこもある。
辞めた2人は同じ置屋にいた。
あそこは大所帯で特別厳しいところだった。
辞めたあとどうするんだろ?
私達は高校に行ってないから中卒扱いになる。
高校に行き直すとしても同級生は年下ばかりだ。
でもまあやり直すなら早いに越したことはないか……
って、私が人の心配をしてる場合じゃないのだけど。
華乃姉さんは時間があれば私達三人に踊りの稽古をしてくれた。
「豆乃ちゃんそこはもうちょいゆっくりと。」
「弥生ちゃん、色気出しすぎ。舞妓は初々しい方がええのよ。」
「千夜、手が逆。」
「千夜、足がもたついてる。」
「……千夜…このっ…下手クソがぁ!!」
華乃姉さんは私には鬼にしか見えないが、祇園の芸妓の中ではNo.1の売れっ子だ。
舞も見惚れるくらい見事なもので、自分が出来るからか教える時はホントに厳しい。
今日も私だけ怒られまくった。
最初は千夜ちゃんて呼んでくれてたのにいつ間にか私だけ呼び捨てだし……
「舞が舞えんかったら舞妓にはなれやしまへんで。」
これは確かに華乃姉さんの言う通りなのだ。
どれだけ器量が良かろうが愛嬌があろうが舞妓にはなれない。
舞の試験に合格しないことには晴れて舞妓にはなれないからだ。
私……合格する自信がまったくない。