develop/Explorer 探索者 [2 ahead]
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鬱蒼と生い茂る緑。
濃く暗い、新緑の世界。
自分は、羅姫のテリトリー──俗にいう「森」──に足を踏み入れている。
二年前までは人の住まう地であったこの場所は、今でも多くの建造物が残っている。しかし、今ではそのどれもが朽ち、蔦や葉が無数に絡みつき、強烈な退廃感を漂わせている。
人間にとって、森は穏やかな場所ではなくなった。
そこは、獣と不可思議の住む魔境。人間が恐れる濃い闇の気配と、むせかえるような緑の匂い。
人間がかつて使っていた住居、商業店舗、公共施設などの建造物、放置されて苔むした自動車などがまるで最初からこうなる運命であったのだと言わんばかりの無力さで、森に囚われている。
これらの、森に奪われた資産の所有者は絶望的な被害を被った。
家を奪われたもの、職場を失った者や学校に登校できなくなった者まで、多様な被害形態を見せている。
羅姫が大地に根付いた二年前、人界の縮小から二ヶ月。政府対応の元でそうした被害者たちへの支援措置が施行された。これが、「森林被害者支援政策」だ。人界に仮設住宅や、特別学校を設ける措置だ。二年経った今ではなんとか形になっており、被害者達の生活も安定してきていると言う。
ふと、何か生物の遠吠えのような声が聞こえた。
「今夜も機嫌がよろしくないようだ」
草が生え、脆くなったアスファルトの旧国道を走りながら、ぼやく。とても長い時間使われなくなった舗装道路は収縮と膨張を繰り返し、文明の誇りを捨てて朽ちてゆく。それは、人々が想像するよりもずっと早い。舗装された路面といえど、森の中では不安定な地面となんら変わりはない。
森には、CBRの発する不機嫌そうなエンジン音の他にもう一つ、不愉快そうな獣の鳴き声が聞こえてくる。
森に住まう野生動物、羅生。森に立ち入る人間を捕食する者達。
道を外れた先の草木の中からは無数の赤い光。強い視線を感じた。
背筋にぴりぴりとした野生の意志を感じながらも、朽ちかけた旧国道をひた走る。
「こんな場所にわざわざ訪れるなんて、酔狂以外の何モノでもない」
自分は、世間一般で言うところのエクスプローラーに該当する人種であるが、それでも好き好んでこんな場所に来たりはしない。自分が労力と命を賭けて訪れる森は、それこそ真に美しい森であり、こんな平凡な、ただの危険地帯には基本的に用はない。
それでもこんな森に足を踏み入れる理由が、自分にはあった。
「ドルイド、か」
言葉が強い向い風に溶けて消える。
危険地帯である森に足を踏み入れるような人種が、二通り存在する。
一つは廃墟の探索者、エクスプローラー。
もう一つ、一般には全く認知されていないが、「ドルイド」なる人種が存在する。
ドルイドは森と人世の中間を生きる存在であり、森の適合者だ。
詳しいことはまだわかっていない。なにせ、世界中に今のところ唯一人しか存在しないのだから。
自分は今、世界で唯一人のドルイドがいるであろう場所へ向かっている。
そのドルイドの存在を、世界は知らない。完全にユニークな存在。
人類の救世主にもなり得るその存在を、自分はしかし、世に明かせずにいる。
森が一瞬開けた。
近くに感じていた草のさざめき声が、少しだけ遠くに感じられた。
自分は緩やかにブレーキをかけ、その場所にCBRを止めた。
白い地面。あまり多くの草が生えていないその場所は、廃墟となった学校の校庭だった。
黒い空が顔を覗かせるその場所からは、森の中から見るには眩しい星々が無数に輝いている。
自分は空を見ることをやめ、今一度辺りを窺ってから歩き出した。
空からの光に目を凝らしていて、背後の赤い視線を忘れてしまったら最後、現世に別れを告げることになる。森とはそういう場所なのだから。
バイクから降りた自分の足では、羅生の走るスピードと勝負にすらならない。それも羅生達はよく理解しているようで、がさり、がさり、と草陰からその身を夜灯りに晒した。
背後に強烈な殺気を感じつつも、振り向かずにゆっくりと歩を進める。羅生達もそれに合わせて一定の距離で背後についてきているのが分かる。
自分は歩きつつ、腰に提げたシザー・バッグから小さな鉄の塊をいくつも取りだし、それを地面に落としつつ歩くペースを早めていく。
羅生達が歩くペースを早めるのを背中で感じると、自分はシザー・バッグから今度は一つの筒を取りだし、後ろ手に落とした。
羅生達の吠える声。
振り返っていないので確たる事は言えないが、恐らくは犬型の羅生であろう。彼らは羅生の特性である身体強化の恩恵を最大限に受けた魔物であるが、羅生化したことによるデメリットも存在した。
筒から閃光と共に異臭を放つ白い煙が噴出された。
対犬型羅生用の異臭性発煙閃光筒だ。
これを受けた犬型羅生は鋭敏な暗視能力を持った目を灼かれ、強力な策敵能力の要となる嗅覚から得る信号の強さから、一時的な混乱・恐慌状態に陥り、正常な歩行などの基本的運動が困難になる。
それでもこちらを追おうと歩を進める羅生もいたが、それらは例外なく数歩の後に足を止めた。聞こえるのは身近な悲鳴。
古式ではあるが、先ほどまいたまきびしである。平時ではまず、こんな道具に犬型羅生は引っ掛からないが、混乱状態にある今、煙で視界を塞がれているのだから無理もない。このまきびしには神経に作用する毒を塗ってあるため、大型の羅生などから逃げる際にも重宝する。
自分は急いでその場所を離れ、校庭を駆けた。
ドルイドのいる場所、廃校となった建物へと足を踏み入れる。
学校の中は、森の中にして異空間であった。
日常の象徴でもあったはずのこの学舎は、今では羅姫に囚われた森のキャストの一人となり、さらに、ドルイドの支配する領域である。
入り口には、木の根っこから作られたと見える小さな人形が二体。彼らはそう凝った作りこそされていないが、呪術的な力を持つ。以前聞いた話では、羅生を寄せ付けない結界の役割を果たすのだと言う。──ドルイドの技術。
ドルイドも、エクスプローラーと同じく、ただの人間だ。
様々な呪を操ることができるが、その能力の出所は不明。もしかすれば、修練と才能如何で他の人間もドルイドとなりうるのかもしれないが、そもそもドルイドがユニークな存在である今、研究が進むべくもない。
自分がドルイドの存在を世に公表すれば、世界中の森林問題は瞬く間に解決するのかもしれないし、それで何人の人間が救えるのかは想像するに難くない。しかし、それをしない理由、いや。
できない理由がある。
校舎の屋上。
この建物には、結界により羅生が足を踏み入れることができないため、警戒を解いて素早く移動ができた。校舎の中はところどころに植物が生えており、前衛的なアート空間かと見紛う程だが、多く現代を生きる人間にとってはホラーマンションさながらの恐怖空間でしかないのだろう。
この学校の最も特徴的なところは、校舎中央を巨大な樹が貫いていることである。それは成人男性20人にも及ぼう太さを持ち、高さにしてゆうに15mを越える。その樹こそ、ドルイドの力が及んでいる証である。この樹は羅姫の影響を受けず、地脈を形成する。ドルイドは地脈から流れ出る力を現世に放出することで呪を作り出す。
森から見上げる夜空は、人界のそれよりも星が近い。さらにこの場所、屋上であるからなおさらだ。都市に囲まれて生きるようになった人類が、以前よりも明確に自然から遠ざかった結果、こうした透明な夜空に触れる機会は少なくなった。
夜空から目を背け、屋上を見やる。
屋上には、ひとつの机。
そして、彼女はそこにいた。
腰まで伸びた、黒く長い髪。
木製の椅子に座っているが、背後から見ると髪の長さも相まってやや不気味である。
「こんばんは」
自分が声をかけると、彼女は振り向いた。
「こんばんは、狐さん」
世間一般に照らし合わせて見るに、とても白い肌。日差しを浴びたら焼け焦げそうな印象すら抱かせ、世辞にも健康そうとは言えない。
「そろそろ帰ろうと思ってたのですけど。今日はどうしたんです?」
「最近帰りが遅いってお母さんから言われてたから、お迎えに。自分と遊んでたことにすればいいでしょう」
今日は週末、金曜日。自分は大宮の専門学校から帰ると、そのままアーバンパークラインへ乗り、千葉に来ていた。
ふと、彼女は嫌そうな顔をする。
「まだLINEでうちのお母さんと連絡取ってるんです……? この前お母さんに怒ったばかりなのですけれど」
「LINEくらい、別に何でもないだろうに」
LINEとは、通信デバイスおなじみのコミュニケーションツールである。
「私とはLINEしてくれないじゃないですか」
言葉とは裏腹に、特に機嫌の悪い感じはしない。これについては、どうしようもない一つの理由があるからだ。
ふぅ、とため息をついて、開いたままだったシザー・バッグの口を閉じる。
「携帯持ってればするんですけどね」
「必要ありませんしっ」
このドルイド系女子は、携帯電話というアイテムになんら魅力を感じていないのだった。現代人からすれば魅力も何も、所持していなければ生活に支障が出てしまうほどの価値を持つと思うのだが、必ずしもそうとは限らないようだ。考えさせられる。
ドルイド女子というからには文明の利器を嫌うきらいがあるのかと思えば、まったくそんなことはない。彼女は家にいる時は大体iPadか、ノートPCのお友達になっている。基本的に、引きこもるために必要な物が好きだ。布団、兵糧(菓子類)、そしてインターネット。重度の引きこもりなのである。
そんな引きこもりの彼女の捜索を彼女の母に頼まれるとき、大抵はこの場所にいる。携帯を持っていない彼女を探す手間が省けてよいが、ここまで来て実はコンビニに行ってるだけでした(WEBマネーを買いに)、ということもあったので必ずしもこの基地にいるというわけではないようなので気を付けなければならない。ただのお迎えにこちらは命を賭けているのだ。
「ところで、今日は何を作ってるの?」
「これですか?」
ふふり、と自慢げに笑ってみせるドルイド。
机の上には、散乱した蔦と木の破片、細工用のウッドナイフや錐、鋸とやすり、そして一枚の木の板があった。板は丁度手のひらサイズの四角形をしており、表面はなめらかだ。いくつかの記号が刻まれており、意味は分からないが呪に使う物品なのだろうと推測できる。ドルイドの呪のほとんどは、こうした物作りに終始する。
「これは"汚染"です」
「もうちょっとだけ詳しく」
ドルイドは閉じた業界で、何せプロが一人しかいないようなものだ。用語などは生まれようはずもないのだが、会話についていけないことが往々にしてある。それはつまり、彼女が独自の理論でドルイド用語を作り出していることに他ならない。
「"汚染"は"汚染"です。森を穢す毒……みたいなものでしょうか」
「そんなものをドルイドが作っていいものなんですか」
彼女が作る呪の物品は、今までこの校舎秘密基地を堅牢にするための物品が大半であったので、こういった方向性の作品を見るのは初めてだった。
「もうこの基地は完成していますから。あとは、羅姫を取り除かないといけません」
「羅姫を取り除く……って。人類の悲願がそんな小さな板切れ一枚で達成されちゃうんですか」
「……まぁ」
何の感慨もなさげに、彼女はそう言った。
言うまでもなく、羅姫を大地から取り除くことは人類の悲願である。
「私、森は好きですけれど、この場所は取り返さないといけないなぁと、思うのですよ」
合点がいく。
"この場所"とは、まさにこの場所を指す言葉だろう。ここは、彼女が本来通うはずだった学校である。彼女が中学三年生の時。受験も終わり後は卒業するだけ……というタイミングで森の浸食がはじまったのだ。結果、彼女はこの学校に通うことかなわず、県が用意した特別学校に在籍することとなった。緊急の措置であったはずのその施策は、森の問題が解決できないままに二年の時が過ぎ、今でも続いているのだ。
特別学校は、県内の近隣校などの教室を借りることで実施される。正規在籍するその学校の生徒達からはあまりよく思われないそうだ。
彼女が今着ている高等学校制服は、本来彼女が通うはずだった高校のものである。特別学校措置を受けた生徒は、元々通うはずであった学校の制服と、この制度によって臨時で通うことになった学校の制服を選ぶ権利が与えられている。特別学校の制度が実施された当初は本来通うはずであった学校の制服の着用が義務付けられていたが、「侵食された学校」の制服に忌避感を覚えるものが多かったため、生徒の任意で制服が決定できることとなった。
「元々、学校には期待していませんでしたが、想像以上につまらないですから」
「自分も、特別学校に通ってたら同じ感想を持ってたと思う。その点で、この森を羅姫から取り返すのは賛成」
とまで口に出して、すぐに後悔する。理由は一秒後。
「じゃあ、お願いできます……?」
板っきれ一枚を両手に持って、こちらに差し出してくる。
考えるまでもない。なんといっても彼女の頼みだ。自分は躊躇なく答えた。
「できません」