荒稼ぎ
廊下を歩く度にヒールのコツコツという音がサムの耳に入る。
彼自身決して音フェチとかそういうものではないが、すぐ隣からその音が聞こえてくると何だか形容し難いムズ痒い感覚が体を走る。
多分、その理由は普段絶対にヒールなんて履こうとしない女性が、黒いドレスに身を包んでお洒落をしながらサムの隣を歩いているからだろう。
「……さっきから何? ジロジロ気持ち悪いんだけど」
サムがボーっと隣を歩く彼女の姿を無意識に眺めていると、不意に言葉が飛んでくる。
「あぁ、いやソフィアのドレス姿に見とれてしまっていたようだ。やっぱりお前、綺麗な女なんだな。性格はあれだけど」
「はぁ!? 貴方よりは百倍マシよ。たまには男らしい事言ったかと思えば、何それ!?」
からかうサムの足元でズグリと鈍い音。ソフィアがヒールでサムの革靴を思い切り踏みつけた。
一点集中の痛みがサムの足の甲を走り抜ける。普段彼女が履いているブーツで踏まれる痛みとは訳が違う。「ギャッ!」という奇声と共に、たまらずサムの体が飛び上がった。
ここ、アリーア・カジノ・ステージは様々な層が集まるカジノである。ルーレット、スロット、バカラ、ブラックジャック……遊べるものは数え出したらきりがない。
施設内では基本スーツまたはドレスを身に付けなければならず、今の三人は更衣室から着替えて来たところだ。
相変わらず喧嘩の絶えない二人の様子を見ながら、ウィントは大丈夫なんだろうかと再び不安をぶり返し始める。腕は確かに信用できるはずだというのに。
「あの、二人は随分仲が良いようですが付き合っているのでしょうか?」
「「そんな事は絶対にない!」」
途中ウィントのふとした疑問に二人は即答する。ここに来るまでの間にした雑談で、二人は事務所で同居中だといった。ならば関係を持っているのではないかとウィントが思い質問をしたのだが、どうやらそうではないらしい。
口喧嘩の最中だったというのに、この否定する反応速度。少なからず、サムとソフィアはどんな時でも意気だけは合う事は確信に至るものだった。
ガタイに合わせたぴっちりとしたスーツに、背中や足と肌の露出が多いドレス。普段着ることのない服装に少し違和感を覚えながら、三人は廊下を進みカジノ広場へと足を踏み入れる。
天井には光石を加工して作られた眩しいシャンデリア。あちこちではジャラジャラとベッティングコインが動き回る音。一歩足を入れればそこは夜のステージ、大勢の人達が身なりを整え賑わいを見せていた。
「ひ、広い!」
「当たり前さ。ここは王都のカジノステージの次にでかい賭博施設だぜ?」
見渡す限り様々な遊びを行うテーブルの数々。そこらの冒険者やゴロツキが屯って賭け事をしている酒場とは訳が違う。ここは本当にギャンブルに強い者達も集まる、本格的な施設である。
白熱しているのか熱気が強い。一歩足を踏み入れただけで温度の変化が手に取るように三人へと伝わってくる。
驚いているウィントを連れてサムとソフィアは歩くと、一度スロット台に三人で横に並ぶように腰を掛けた。作戦会議の時間だとサムが告げる。
ウィントの娘ハルに近づくためには、またここからピースを集めていかなくてはならない。カジノへ来たからと言って直ぐにハルの下へとたどり着けるほど甘くはないのだ。
ここには大勢の人達がいる。見渡す限りざっと数えて千人はいるだろう。バラックの町からの今までの推測が的外れではない限り、ハルに対する情報自体はかなりの確率であるはずだ。そこまでは三人はしかと理解は出来ている。
だが問題となるのはその情報を持つ人物が一体誰なのかだ。こんな大勢の中から見つけるとなると、とてもじゃないが不可能に等しい。いくらサムとソフィアがベテランでも無理だろう。
一見詰みのような状況に陥っていると、サムはニカッと笑いスロット台にコインを投入しだした。
「よし、じゃあ早速遊ぼうぜ」
ガシャッとスロット台のスタートレバーを動かし、リールを回転させる。聞き心地の良い電子音がピロピロと流れ出すのと共にサムがテンションを上げ始めた。
「えっ!? ちょっと、真面目にやってくださいよ! 私の依頼忘れていませんよね!?」
子供がゲームを手にしてはしゃぐような姿のサムに、ウィントが勘弁してくれと言わんばかりの表情を向ける。それでも余程面白いのか、リールの絵が上手く揃った途端には「よっしゃ!」と声を上げるサム。
本当に彼が何を考えているのか分からない。今にも自分の娘が危機にさらされているかもしれないのに、この自分の体たらく。
ウィントはサムの行動と、今自分の状況に頭の中がごちゃごちゃになりそうなその時、
「ウィントさん、落ち着いてください。少し気負いすぎなんじゃないですか?」
ソフィアからの声。隣でベッティングコインをいじりながら彼女は心配そうにウィントを見つめてきた。 突然の事でキョトンとするウィント。
「……えっ?」
「私知っていますよ。ウィントさんは昨日車で少し寝たきり、それ以降は今まで一睡もしていませんよね?」
確認するようにソフィアが言うと、それに「はい」とだけウィントは短く答える。
しかしそれが一体どうしたというのか。自分の娘の安否が気になれば寝る事なんて出来ない。彼は不思議そうにその続きを尋ねる。
「確かに娘さんの事が気になるのは分かります。ですが鏡を見てください、自分の顔をよく映して」
ウィントのもとへとソフィアから手鏡が受け渡される。何の変哲の無いただの手鏡。
言われるがままに、それを手に持つと自分の顔を映し出した。
「なんだ……これは……」
直後にウィントは言葉を失ったかのように息を呑むことになった。手は震え出し、思わず手鏡を落としそうになるくらいに。
――化け物。ウィントが見た先、鏡の中には化け物がいたのだ。目元に大きなクマをつけ、無理してつくった笑顔。それがまるでフィクションに出てくるような殺人ピエロのような不気味さを放ち、子供が見たら泣き出しそうな恐ろしい顔をした化け物が。
これは本当に自分自身の顔だというのか。鏡に映されたやつれた表情の己の姿を見て、ウィントは現実を疑うようにペタペタと自分の顔を触り始める。
「私達は依頼を達成できるように最善の努力はいたします。しかし、依頼主の貴方がどうにかなってしまっては元も子もありません。もう少し肩の力を抜いて自分を労ってあげてください」
鏡に映った顔が余程今までより変貌していたのか、ウィントが手鏡をソフィアに返すと、指を組んだ手を額に当てうつむき始めた。
ソフィアはそんな彼の肩に手を置き、優しく励ますように言った後で思った。――彼は今日まで精神的にかなりの無理をしていたのだろうと。
ウィントはサムやソフィアとは違い、表世界で生きるただの一般人だ。そのため、娘が消えれば精神的にやられる事はごく当たり前の事と言えよう。だが、そんな時こそ休める時に休み、羽目を外して気持ちを強く維持できるようにしなくてはいけない。
本当に精神的に苦痛を感じているのは父ウィントではなく、娘のハルだ。彼女が無事に助けられたとしても、心に大きな傷を負っていれば、支えてあげられるのはサムでもソフィアでもない。唯一の父であるウィントでしかないのだ。
だからこそ、今はウィントにそんな化け物の様な顔をさせておく訳にはいかなかった。
「それと、私達は依頼を受けた限りは絶対に手なんて抜きません。このスロットゲームをする事だっておふざけに見えますが、ちゃんと意味があるんですよ。――――ねぇ、そうでしょサム?」
ソフィアからの呼び声で、ウィントを挟んだ先に座るサムは「そうだな」と答える。
彼はスロットを止めてハットをかぶり直し、ウィントとソフィアの方向へと体の向きを変えると、
「確かに今しているスロットは親父さんの気力回復が目的だ。だが、それともう一つ目的がある。――――このコインはカジノにいる”情報屋”っていうギャンブル好きな連中が非常に欲しがっているものなんだ」
親指でコインを弾き上げ、それをキャッチするとウィントの座るスロットマシーンに投入する。機械が待ってましたと、目が覚めたように強く光り出した。
サムがスタートレバーに手を掛けると、同じように軽快な電子音を鳴らし出し、レールが回りだす。
「俺達はこの大人数の中から娘さんの行方を知る人物を探し当てることなんてとてもじゃないが出来ない。だが、何かを知っていそうな情報屋という人物なら見分けることが出来る。遊べるだけのコインを情報屋に提供すれば、少なからず娘さんのもとに辿り着くヒントは得られるだろう」
回るレールに目を向けず、『タン、タン』という軽快な音を立たせながらサムがスロットを止めていく。
「――だから俺は”遊ぼうぜ”って言ったんだ」
三回目の『タン』というレールストップの音。サムが口にしたのと同時に、左右中央のレールの絵柄が揃い、下の出口からは十枚ほどのコインがジャラジャラと流れ落ちてきた。
話を聞きながら一連の様子を眺めていたウィント。彼は「はッ!」と、ここでようやく目が覚めたように顔を上げる。
彼らは常に真面目に仕事を行っていたのだ。依頼人である自分に気を使い、それに並行して依頼を着実に遂行させていく。尚且つ、依頼が成功した後のことまで考えて。
そこに気づいたとき、ウィントは申し訳なさと、何か吹っ切れたようなものが体の内を駆け巡る。
小さく息を吐くと両目をギュッとつぶり、そのまま両方の手の平で顔を叩いて自分を奮いあがらせる。すると、
「そうですよね。父である私がしっかりしなくては、ハルに顔向けできない!」
彼は下の出口に貯まっていたコインを手に取ると、そのままスロット台の中へと入れ始めた。今は自分に出来ることをしっかりやるしか前に進む道はない。近道がある程現状は簡単ではないのだ。
その事に、ウィントはようやく今気が付いた。
始めて見れば意外にも面白いのか、無駄なことを考えずに純粋にスロットの楽しさへと没頭していく。その時のウィントの表情は、ハイウェイロードで景色を眺めていた時のように、肩の荷を下ろした安らぎの表情へと変わっていった。
「それで良いんですよ、ウィントさん」
隣でソフィアが楽しそうに遊ぶ様子を見ながら呟く。
サムは依頼を置いて遊びだすなんてことは絶対にしない。そして依頼人が抱える心理的状況を常に考えて行動している。だからこそサムは一人前のプロ賞金稼ぎなのだ。もしそうでもしなければ、依頼は何度やっても良い成果は生まれない。賞金稼ぎなんて務まらない。
サムが今と真逆の人間ならソフィア自身もサムと共に賞金稼ぎの道を歩もうとは思わないだろう。だが、今こうして相手の気持ちを常に考えられる人間だから、ソフィアはサムについていくのだ。
「いいねぇ、乗ってきたじゃないか親父さん」
「いや~中々これ楽しいですね」
純粋に楽しんできたところで、突如ウィントのマシーンが更に音を上げながら光りだす。今までにないくらいの機械のアクションだ。
驚きで「えっ!?」とサムとソフィアが乗り出してサムのスロット台に視線を送る。するとそこには上の画面に大きくボーナスと書かれた文字。
「「777だ!!」」
二人が同時にそう言葉にした時、下のコイン出口からは今までのとは比にならない枚数のコインが流れ落ちてきた。五十枚、百枚、いやそれ以上だ。
それをかき集め、麻袋に納めていく。情報屋に渡すのは最低でも5万枚以上は欲しいところだが、今のウィントのおかげでこの数分で数百枚は一気に稼げた。この調子で行けば、今日中には情報と交換できる。
しばらくの間、スロット台でコインを稼ぎ続け、ボーナスタイムが終了したのと同時に三人は違う遊び場へと向かった。
続いて場所で相手として立ちはだかるのは、黒いベストを身に着けたエルフのディーラー。指先を器用に使い、絵札をそれぞれのプレイヤーたちに配っていく。
このテーブルに参加している者はソフィア、そしてリザードマン二人、人間一人、ドワーフ一人。サムとウィントは横からその様子を眺めている。
ソフィアは受け取ったトランプを確認すると、周りの者達が準備が整うのを待つ。時折横からは舌打ちの音や、鼻で笑う声が聞こえたりする。まぁ正直これはほぼ運のゲームなので、舌打ちしようが笑おうが、いくらでも予想外の事が起こるものだ。
勝敗が判定するのはほんの一瞬。ディーラーの手札と自分の手札、どちらが21に近いかを競う簡単なゲームだ。
「僕の手札は20です」
ディーラーの手元には9、9、2と三枚のトランプ。結果を見て、隣で笑い声を上げていた者が舌打ちを響かせる。
「――ブラックジャック」
一方でソフィアは、スタンドさせた手札をディーラに向けてそう告げた。絵柄の手札と1の手札。
ディーラーからの「おめでとうございます」という声と共に数百枚のコインがジャラジャラと渡される。同時にちょっとした歓声。一緒にゲームをした人達からは「やるじゃないか」「姉ちゃん良い運もってるな」と声が飛び交う。このゲームはソフィアの勝ちだ。
「ようし、いいぞソフィア!」
「流石です」
運に味方されている状況で、ソフィアはサムとウィントにニコッと笑顔を見せた。
意外と知られてはいないが、実は彼女、大のギャンブル好きなのである。普段あまりやろうとしないが、こういう場所に来た時には喜んでやり始める。ましてや、強さはピカイチ。サムでは相手にすらならない位の腕と運を持つ。
彼女がブラックジャックにて良い具合に稼げたと感じたところで、再び三人は他の場所を目指し始めた。あまり同じ場所にいてもずっと運が味方してくれているとは限らない。必勝法としても、色々なゲームを楽しむためにも、場所を移動するのが得策だ。
コインケースには八百枚ほどから二千枚近くにまで増えたコイン。それを持って次に向かう場所は、完全に運任せなテーブル。
――その名も、運命の輪だ。