ある父親の依頼
バラック山岳地帯の仕事を終えてから約三カ月が過ぎ去った。
あれからレーヴェン盗賊団の目撃情報は耳に入ってこない。それに代わって、探求者に新星の若手ルーキー現ると言う噂が聞こえ始めた。
どうやらサムが予想していたように、ノア達は上手くやっていけているようだ。
新聞を手に、机の上で足を組みながら、事務所のソファーでサムは退屈そうに暇を持て余していた。
ノア達との事件から今日までの間、いくつかは賞金首の仕事が入った。しかし、どれもこれもチンピラもどきを相手にする退屈な依頼ばかり。しょっぱい依頼の立て続けでサムとソフィアはうんざりしていた。
「……俺も探求者に転職しようかな」
「悪運がカンストしてる貴方じゃ、ダンジョンのトラップに引っかかってお終いね」
互いに冗談を交わし合いながら、もっと金になるような大きな仕事でもないのかと虚空を見つめる。
この事務所もだいぶ年季が入っている。いい加減建て替えるためにもそろそろ金が欲しいところだとサムが思う。
賞金稼ぎが金持ちと言う人がいるが、それは大きな間違いである。武器のメンテナンスや生活費、仕事の頻度によっては赤字続なのだ。
今月の生活はどうしようか。手帳を眺めならソフィアが考えていると事務所のドアにつけられている鈴が音を鳴らした。
ドアがゆっくり開き、その方向に視線を送ると、中年の男性が悲しそうな顔を向けながらそこに立っていた。安物の服から見て分かるように身なりは良さそうもなく、表情と格好からはネガティブ臭が全開だ。
そんな彼は少し事務所の中をキョロキョロと見ると、サムとソフィアに向き直り口を開いた。
「あの~、甘ったるい弾丸さんの事務所ってこちらで宜しかったでしょうか?」
「ああ、そりゃ間違いだ。他をあたってくれ」
新聞に視線を移しながらサムは答える。
「ちょっと何を言っているのサム!? 依頼人が直接来るなんて滅多にない事でしょ! ――すみません、ここであっています。この馬鹿が失礼しました」
「勘弁してくれ。今の俺は18歳以上の美女の依頼しか受け付けたくないんだよ」
興味無さそうな態度を取るサムに「貴方それでも大人なの?!」とソフィアは怒ると、手に持った新聞を取り上げ喝を入れる。
賞金稼ぎは町に張られた手配書や情報誌から得た内容から、自分達で勝手に行動して依頼をこなしていくスタンスである。そのためこういう風に直接依頼にやって来ると言うのは珍しいものなのだ。
相変わらず気だるげな表情のまま、サムは直接依頼に来た男性へと向き直る。
「で、親父さんどうしたんだ? ”妻を寝取られたからそいつを捕まえてくれ”なんていうドロドロしたのは無しだぞ」
「そ、そんな事ではないですよ! 実は……」
依頼に来たのは良いが、いざ口に出そうとしたところで彼は更に悲しそうな顔をしてしまう。
「実は……今年で9歳になる娘が数日前から行方不明なんです。それで、噂で聞く甘ったるい弾丸ならどうにかしてくれるのではないかと思いまして……」
「ギルドに捜索願は出したのか? 行方不明となりゃ冒険者がどうにかしてくれるだろう?」
「はい……それが――――」
目の前の男性は頭を抱えながら、ここまでの事情を話し始めた。
初めは捜索願によってバラックの町付近の捜査を多くの冒険者がしてくれたらしい。しかし、それでも未だ発見には至らず、現在は誘拐の可能性が高いという。
誘拐となれば並みの冒険者を迂闊に動かす事は出来ない。誘拐された子だけではなく、冒険者そのものにも危険が伴ってくるからだ。
腕の立つ冒険者を雇えば話は別かもしれないが、まともに受けてくれるのがいるだろうか。生憎、一番信用性がある白の双栄剣でさえ今は遠征中で当てにはならない。
そのため現在はギルドが詳しい情報を出来る限り集めている現状だという。
「――――なるほどな。誘拐なら相手がどんな人物か知らない以上、迂闊に動けないって事か」
「お願いします! 妻は先に天に旅立ち、娘のハルだけが今の私のたった一人の家族なんです! 出来る限りの報酬は払います、ですので娘を何とか……!!」
彼はサムとソフィアに向け土下座をしながら床に頭を擦りつける。ついには涙を流し始めながら懇願する姿に、ソフィアが無理やりにでも土下座をやめさせようとする。
しかし、それでも彼は頑なに頭を上げようとはしない。どうやら了承の返事をもらうまでは意地でも動かないつもりだ。
「なぁ親父さん、今報酬は出来る限り払うって言ったよな? 賞金稼ぎに直接そんな事を言うってのはどういう意味か分かってるよな?」
サムは声のトーンを下げ、男性に投げ掛けるように言う。同時に男性の体がビクンと驚いたように跳ねた。
「分かっています……賞金稼ぎに依頼をする時点でその事は覚悟していました」
「そうか……じゃあ報酬は金貨一千枚、またはそれに相応するものだ。どうだ、払えるか?」
サムが提示した金額に依頼人の目が大きく開かれる。
それもそのはずだ。賞金稼ぎとはその名の通り、金の亡者たちでもある。ぼったくりと言っていい巨額の金額を提示し、それに応えてくれる者でなければ直接依頼なんて受け付けない。
これほどの額となれば、王都で土地を買って家を建てることが可能なほどの金額だ。貴族でもない限り簡単には出す事は絶対できないだろう。
しかし、それでも問題解決に至ってはそこらの冒険者よりもはるかに高いというのも事実である。絶対に依頼を成し遂げるという保証はないが、金に見合ったものは必ず戻って来る。
何十年と働いてようやく手に入れられる巨額の大金を払って成功の確率を上げるか。それとも賞金稼ぎよりもいい当てを見つけてそっちにお願いをするか。貴族でもない一般人にとっては、それは大きな決断になることであった。
「金貨一千枚!? ――いや、払う! 体の臓器を売ろうが何をしようが絶対に払う、だから娘をお願いします!」
驚いて言葉を詰まらせた男性ではあったが、彼は覚悟を決めた様子で下に下げている両手に握りこぶしを作り上げる。そしてサムの威圧する目を見ながら、真剣そのものの目で訴えかけるように叫んだ。
――流れゆく沈黙の数秒間。ピリピリとしたその数秒間を男性の肌を撫でる。
心の中に土足で足を踏み入れてくるようなサムの瞳。しかし男性は怖気づく事はおろか、逆に絶対に目をそらすものかと力強く目に光を宿す。
そこでサムは笑った。ニカッと笑ってソファーから立ち上がり男性の肩に手を置いた。
「オーケー! 親父さん名前はなんて言うんだ? 知ってるかもしれないが俺はサム。隣の女はソフィアだ」
「わ、私はウィント・シーズンと言います」
「なるほど、ウィントさんか! 俺達に依頼したからには大船に乗ったつもりでいてくれ。――ほら、先ずは顔を洗ってきな。娘さんと会った時にそんな顔をしてるつもりか?」
涙でぐしゃぐしゃになっていたウィントにタオルを渡し、洗面台へと向かわせる。
サムの笑顔は依頼を承諾したというOKサイン。今のやり取りを一部始終を見ていたソフィアはそこでようやく胸をなでおろした。
相変わらずではあるが、サムにこの事務所で雇ってもらってからソフィアもこれだけは慣れない。直接依頼にやって来る人にはサムは毎回こうやって大金を提示するのだが、酷い時には事務所で条件をのめない依頼人と暴れたりと大混乱だ。
彼曰く、この大金を提示した際に一緒にやる脅しは、依頼人がどんな人物か見極めるための方法だという。依頼を成功させた際に、成功料を払わず夜逃げする人もいれば、弁護士を連れて面倒事を吹っ掛けてくる人もいるらしい。だからソフィア自身もどうこう言う事は出来ず、毎回黙って見ているしかないのだ。
久しぶりに歯ごたえのある仕事が来たみたいだと、サムの顔が久々にやる気に満ちたものへと変わっていく。
良い目をしていた。窮地に追い込まれていながらあそこまで強く光を宿した人間を見たのは久しぶりだ。無意識にサムは笑みをこぼす。
ソファーから立ち上がり体をポキポキと鳴らすと、ウィントが顔を洗って戻ってきた後で作戦会議を始めた。
◆ ◆ ◆
現在ソフィアは依頼人であるウィントと共に、最後に目撃情報のあったバラック公園へと来ていた。サムは依頼の手続きでやることがあるらしく、今はソフィアに全てを任せている。
「ここが最後に娘さんが見かけられた場所ですか?」
「そうです。いつも友達とこの公園で魔法の腕を競ったりして遊んでいました」
今は午前中であり人の数もそれなりにある。しかしバラック公園は夜になると非常に人通りが少なくなる。それを踏まえてみれば考えて見れば不審者に誘拐されるという確率もゼロではない。
一通り歩きながらソフィアは公園の状況を調べてみる。流石にここも捜索が行われたのか、手掛かりになりそうなものは何もない。
場所を変えてみた方がいいのかもしれない。ソフィアはそう思って公園を後にしようとした時、公園入口近くの歩道で何か光り輝くものを目にした。
「……なんだろうこれ?」
「ソフィアさん、何か見つけたんですか?」
何となく気になったそれをソフィアは指で拾い上げてみる。
――これは貨幣なのだろうか……。ただの鉄屑にしては何か違うような……。
薄汚れた鉄でできた何かを指でこすって良く見えるように調整してみる。
「――?? どこかで見たようなマークね……」
「何ですかこれ? ただの鉄屑ではないのですか?」
「う~ん、よく分かりませんが、とりあえず持って帰りましょう」
よく分からない謎の金属をビニールケースに仕舞う。自分では分からなくてもサムなら知っているかもしれない。
公園での手掛かり捜査はここまでにし、ソフィアとウィントは次にバラックの町正門へと向かう。もし本当に誘拐となればこの町の人間か、それとも町外の人間か調べる必要がある。不審な乗り物の情報が得られればそれは誘拐がどうかを判定するのにも大きな鍵となるだろう。
だが、バラックの町正門は一日に何十、何百と馬車や自動車が通過する。ウィントはそんな中から手掛かりを見つけることは絶対に不可能だと思った。
正門に着けば、いつものように門番が車両のチェックをしていた。おかげで正門の出入り口はいつも通り大混雑だ。
「お~、今日も通行量が多いですね」
「やっぱり無理ですよ。こんな沢山の車両がここを通っているというのに、不審な荷台が通った情報を得るなんて無理です」
こんな場所で情報を探るより、もっと他の場所にも手掛かりはあるはずだ。ウィントはそれをソフィアへと訴えるように言い聞かせる。
だが彼女は場所を変えようとする様子は見せない。それどころかニッコリと笑うと、
「まあその言葉は、これを使ってから言ってください」
ソフィアはウィントに液体の入った小さな容器を手渡した。中の液体は透明で、一見はただの水ようにしか見えないものが入っている。
「これは”ヴィジョンズドロップ”と呼ばれる目薬です。効果は……説明するよりも実際使った方が分かりやすいかもしれませんね」
先にソフィアが容器のキャップを開けると、顔を上げて自分の目に向けて滴下させる。
冷たさが目に広がり、液体がスッと溶けていく。ソフィアはスッキリした表情を見せると「ウィントさんもどうぞ」と促した。
「ひっ! 目が紅くなっている!」
「失礼な、これは元からです。とりあえずやってみてください」
自分の目に聞いた事も無い謎の液体を入れる恐怖。それでもソフィアに言われるがまま、ウィントも恐るおそるヴィジョンズドロップを目に滴下した。
スカッとした爽快感。確かにソフィアの言ったように、目に入れた時の感想は目薬を入れたのと同じだった。ビビっていたのが阿保らしいとウィントは思いながら、ようやく目が慣れてきたところで視界のピントを合わせる。
だがその後、彼は不思議な光景を目の当たりにし、違う意味で驚くことになった。
「えっ!? これは一体!?」
「どうです? なかなか面白いものでしょう」
ウィントの視界に映るのはいつもの光景。そう、いつもの光景なのだが何かが少し違った。
地面だ、地面に足跡が見えていたのだ。馬車や自動車の跡もくっきりと。最近の新しいものほどハッキリと見え、時間が経っているものは薄くなって地面に跡を残していた。
「ではウィントさん、少し町の外へ出ますよ。ここでは車両が多すぎて車輪の跡が重なり過ぎています。上手い具合に車両が散り始めた場所まで行きましょう」
彼女はそう言うと、正門から町の外へと先に歩き出していく。
その後ろ姿に、ウィントもハッと意識を現実に戻すと後を追いかけて行った。