M-323 暫定値で進めることになりそうだ
「……ということで、この大地の動きを基準とした時間と、星の動きを基準とした時間に差が出てくるんだ。同じように俺達の住む大地を巡っている天体だが、この模型で季節の変化と時間に差が出ることを理解してくれたと思う。
この大地、古代帝国の大地母神の名を取って『バルネア』と呼ぶことにしたいが、バルネアだけが太陽を回っているわけでは無い。
さらにいくつかのバルネアのような星が周回している。これは『惑星』と呼ぶことにするが、1つ面白い現象を確認できる」
俺の話を熱心に聞いているけど、果たして天文学に興味を持ってくれた学生がいるんだろうか?
2時間ほどの話を終えたところで、30分ほどのコーヒーブレークを告げた。
メイド見習いの少女たちがワゴンを押して学生達にコーヒーを渡し始めるのを見て、リビングに引き上げて俺も一服を楽しもう。
案愚カップにたっぷり入ったコーヒーを頂いていると、導師を伴ってカテリナさんとユーリル様が現れた。
「中々に面白い話じゃったな。この大地が傾いて自転することで季節ができるというのは、さすがにワシでも洞察できん。だが模型を使った実験で冬と夏の太陽の高度差ができること、それによって太陽から受ける日差しの強さが変わること……、この歳になってもまだまだ学ぶことは多そうじゃ」
導師の腕のバングルから導師の呟きが聞こえる。
念話も可能なんだが、普段はあまり行わないんだよね。
「結局、リオ君はどちらの時間を使うか判断していないのよね。学生達に任せるの?」
「どちらも、長期で考えると一定しないんです。太陽にしてもバルネアにしても昔から比べれば長くなっていますよ。もっとも、100万年という年月に対してですけど……」
3人が目を見開いている。
今現在を考えればどうでも良いということになるのかな?
「呆れた話じゃが、それが問題になるという事じゃな。それにしても止まる寸前のコマのようにこの大地が回っておるとはのう」
「当座は、太陽の動きを元にしておけば間違いはないと思いますが、それを元にした時刻が未来永劫変わらないという考えを持たなければ十分でしょう。正確に時を定義することは可能です。たぶん、200年も経たずに定義できると思いますよ」
「運動というのも定義すると面白いわね。力を加えない限り物体は静止するということね。でも、空中に物体は静止できないはずよね?」
「何らかの力がそこに働いているから? と考えられませんか」
「物が落ちるという現象も、その定義に当てはまりそうじゃな。そうなると、疑問が出てくる。それはどんな力がどこから加わってくるかという事じゃ」
ようやく重力の話が出来そうだな。物を軽くするための魔法陣があるくらいだから、それぐらい分かっていると思っていたけど、重いものは持ち上げられないという認識だったからなぁ。
「その力は常にバルネアのどの場所でも、ほぼ一定の力で働いています。ほぼ一定というのは、緯度によって変わるからなんですけどね」
「ほう……。確か学府でそのような話をしておったな。重さを定義するのは難しそうじゃな」
導師達と会話をしていると、休憩時間が亜っという間に過ぎていく。
さて、次は重さの話をもう1度しておこうかな。
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18時に脱線しまくったゼミを終えると、仕出しの夕食をご馳走する。
人数が少し多くなったけど、王宮から資金提供を受けているぐらいだから問題はあるまい。
食事中も学生達は議論をしているようだ。にぎやかな食事の後は、学生達との雑談になる。1時間程の食事はリビングでゆっくりと味わおう。
「明日は生物だったわね。微生物と虫、それに動物に分化したわよ。顕微鏡の数が増えたから微生物を専攻した学生は張り切ってるわ」
「虫の方も系統樹作りが始まったようです。最初の枝は足の数で分けたと聞きました」
「動物は解剖して構造を探っているようだけど、なぜそのような形になるのかを悩んでいるみたいだったわ。その辺りのヒントを教えてあげて欲しいんだけど……」
先ずはその種類をリストアップして分類をするという感じかな。それにしてもすでに解剖を行ったというのには驚いた。
これで爬虫類と両生類の区別も出来そうな感じだ。
「動物を飼育する建屋と植物を育てる建屋も作ったみたい。それも学生達が自ら作ったそうよ」
「植物はその毒性を良く調べた方が良いかもしれません。生物の毒についてはかなり種類が多いですからね。一応、無闇に食べないように言っておきましょう」
新たな食材が増えるかもしれないけど、自らそれを食べてみるのは止めさせないとな。
先ずはネズミに食べさせて経過観察ということが必要だろう。
「それぐらいの自制はあると思うんだけど……」
「ローザ達があのカニを食べたぐらいです。似た形をしていたなら、食べてみようと考えるかもしれません」
毒を持ってるかも? なんて考えなかったようだ。
後で、どうして食べようなんて考えたのか聞いてみたら、「美味しそうだったから」と答えてくれたぐらいだ。
ヒルダ様の教育を疑ってしまう答えだったな。
食事が終わると、学生達との懇談だ。
コーヒーを飲みながら次々と出てくる質問に対して、答えを導くためのヒントを与える。
「リオ殿は、時間と長さ、それに重さを当座は暫定値を使う事を了承して頂けると?」
「暫定値ということを忘れないでくれれば十分だ。たぶん君の曾孫の子供が学生になる頃には、それを定義できるようにしてほしい。
簡単ではないぞ。物理学だけでそれを成し遂げるのは不可能だろう。化学の連中とも十分に議論を重ねるべきだろうね。
最初に定義して欲しいのは、なぜ物が落ちるかということだ。いったいどれぐらいの速さで物は落ちると思う? 落下速度は果たして一定なんだろうか? 重さで落下速度が変わることがあるだろうか……」
たぶん実験で確かめるつもりだろう。
1Gはこの世界で9.5m/s²らしい。時間も暫定値、長さも暫定値だから彼らの計測がどこまで真値に近づくのか楽しみだな。
「リオ君。それって、大砲の射程を計算で求められるってことかしら?」
「そうです。弾速と発射角度が分かれば計算できますよ。でも弾速を計る方法があるのでしたらですけどね」
そうは言っても、艦隊戦に応用するにはまだ外の因子があるんだよね。互いの進行方向、砲撃方向に対するコリオリ力、砲身摩耗や緯度による重力補正……、あり過ぎる。
リバイアサンの照準システムの理論は、さすがに開示することは出来ないな。フェダーン様なら喜んで技術開発費用を出してくれるかもしれないけどね。
「物が落ちるという力と、重さには関係があるんでしょうか?」
「良い質問だ。関係があると答えておくよ。ここで面白いのは、緯度によって重さが異なるということになるんだが、それを正しく図る方法もあるんだ。王都の商店街の秤を全て見てごらん。どんな仕組みで測っているかを調べてみれば直ぐに分かると思うんだけどね」
天秤なら、重量比較になるから重力の影響を無視できる。さて、それに気付くかな?
やはり学生の質問は楽しめるな。
エミー達には申し訳ないけど、リバイアサンでは地味な仕事をしてるんだから、これぐらいの余禄はあっても良いんじゃないかな。
22時に懇談を終えると、カテリナさん達と一緒にお風呂でワインを楽しむ。
フレイヤ達はぐっすりと夢の中だ。
今日は初日だからなぁ。結構疲れたに違いない。
5日目は直ぐに別荘に向かわずに、王都の商店で買い物を楽しませてあげよう。
その時にお土産を買い込んでおけば、別荘から直ぐにリバイアサンに戻れそうだ。
「明日は、リオ君に頼まれた物を調達してくるわ。金属製のテーブルと真鍮のタライ、それに木枠はベルッドが作っているはずよ」
「図面も渡してくれたんですよね?」
「変わった架台だとベルッドが悩んでいたわよ。重りが移動するし、高度目盛りと方位目盛りの値が違うでしょう? 副尺というものにも頭を捻っていたわ」
「副尺を使うと、十分の一まで正確に読み取ることができるんです。変わった望遠鏡になりますが、ユーリルさんは喜んでくれると思いますよ」
反射式望遠鏡を赤道儀に搭載するんだからね。
将来は、時計式の駆動装置を取り付けることで、同じ星を望遠鏡の視野にずっと止めることができる。観測がかなり楽になるはずだ。
そういえば、カメラもあったんだよな。
直焦点撮影ができるように乾板式のカメラも取り付けられるようにしておくと、製図の作成がかなり楽になるかもしれないな。
「前にアレクの農園に行ったとき、皆で写真を撮ったことがあるんです。顕微鏡で覗いた画像を写真に撮ることは出来るんでしょうか?」
「そうねぇ……。目で見たものを撮るだけだから可能なはずよ。確かに面白そうね。それは私が何とかしてあげましょう」
「出来たなら、私にも1つ戴けませんか? 星図を作るのが格段に容易になる気がします」
思いは同じか……。だけど、写真館で見たカメラの焦点距離は結構長そうだし、レンズも明るくないんじゃないかな。
光学系の設計はこの時代ではできないだろうから、星空を10秒程度の露出で映し出せるレンズを考えないといけないかもしれない。さすがに俺が研磨できそうもないから、アリスに頼むしかなさそうだ。
「写真は良い方法かもしれないわ。記録として十分に使えるもの。明日は写真館も巡ってみるわ」
写真機を手に入れてくるのかな?
どんな代物か楽しみだ。さすがにあの写真館で見たような蛇腹式のものではないんだろうけどね。
「ところで、リオ君の研究は進んでいるの?」
「俺の研究と言うと……、魔獣の系統樹ということですか? 多分、系統樹にはならないと思いますよ。年表で分かったことは、魔獣が作られたこと。その素になった生物はどこから手に入れたか疑問が残るんですけどね」
そもそも帝国時代に恐竜がいるとは思えないんだよなぁ。
恐竜がいたなら、人間よりも恐竜の方の進化が先になるだろう。となると恐竜人間がいてもおかしくないんだが、そんな種はカテリナさんの話の中にも全く見当たらない。
凍った湖の底から冷凍の恐竜でも見つけたんだろうか?
北の大山脈には誰も近づかないから、その山脈にある氷床の中も怪しく思える。
凍った細胞組織が手に入るなら、バイオテクノロジーで恐竜の再生も可能だったかもしれない。
だが、魔獣はそうやって作られたとしても、魔気を作りだす生物はどう見ても管虫の類に思える。魔獣を倒しても肉はそのままだが、砂の海には魔獣の骨はあまりないようだ。デザートワームと呼ばれる大きな管虫が腐肉を食べるらしいが、それだって元からいた生物とも思えない。
帝国の生物学者達は、いったいどれだけの種をこの世界に放ってしまったんだろう?




