M-286 カニを食べよう
カニを食べると人は無口になるらしい。
正確にはカニを食べてるときと言うことなんだろうけど、星の海で取れた茹でカニを食べる時には、どうもその言葉は当てはまらないようだ。
いや、もっと正確に言うなら、大騒ぎと言って良いだろう。
何しろカニの足の太さが俺の腕より太い。
ハンマーと鑿を使って甲羅を破らねばならない。その後は肉をナイフで切り取り、マイネさん謹製の少し酸味があるタレを付けて頂いている。
「リオ君、こっちの殻を分破ってくれない!」
「ハンマーで殻を壊したんだけど、もうちょっと破壊した方が良かったにゃ!」
リビングで食べると絨毯を汚すだろうということでデッキにシートを敷いて、俺とファネルさんで格闘している。
案外ファネルさんもこんなことが好きなようだ。笑みを浮かべながらハンマーを振るってるんだよなぁ。
ある程度殻を破ったところで、俺も皆の輪に加わりワイン片手にカニの肉を頬張る。
プリっとした食感がたまらないな。生でも食べられそうだけど、この世界の人達はあまり生を好まないみたいだ
。
「確かに珍味と言えるだろう。これを専門に取っても商売が出来そうだ」
「その辺りは、リバイアサンに乗船している商会の連中がすでに手を回しているようです。茹でた数匹を大型の魔法の袋に保管していましたよ」
どんなところに商売の種が転がっているか分からないものだ。
人気が出たならリバイアサンで毎月何度かカニを獲っても良いんじゃないかな? その辺りは商会の連中がエミーのところに陳情に来てからでも良いだろう。
「不思議な味ですが、くせになりますね。まさしく珍味と言えるでしょう。それにワインに合うのが良いですね」
「ところでどれほど獲ったのだ?」
「魔石が548個です。その内、72個が中位魔石ですから、事前の取り決めに従って、フェダーン様に分配致します。カニは83匹と聞きました。大きなカニですから足は茹でて、甲羅はスープにしたそうです」
殆ど入れ食い状態だったらしい。切り身が1つぐらいは全員に分配できたのかな?
ちょっと気にはなるけど、手に入らない者が出ているならヴィオラ艦隊の偵察の帰りにでもカニ釣りをして来れば良いだろう。
それに、飛行船なら、カニ釣りができるかもしれないな。荷物を下ろした後なら、10匹程度釣り上げても問題はないだろう。
最も、釣り上げたなら大型の小銃で早めに止めを刺さないと飛行船が落ちるかもしれないな。
クレーンで釣り上げられたカニが、大きなハサミを振り上げて威嚇していたぐらいだからね。
「航海は順調ですから、明後日には砦建設の予定位置に到着できそうです」
エミーの言葉を聞いて、フェダーン様がワインのグラスを掲げて応えている。
砦建設を始める前にちょっとした宴会が出来たことが嬉しかったのだろう。長く退屈な航海は案外士気を低下させるそうだ。
それが気のゆるみに繋がると、事故を誘発する原因になってしまうからだろう。
2時間ほど騒いだところで、皆も満足したのだろう。デッキからリビングに移動して、今度は紅茶やコーヒーを飲んでいる。
マイネさん達がどこからか持ってきた車輪が付いたカゴに、食器を取り除いたシートを素早く包みこんで持ち去っていった。
ドックでシート水洗いして残飯を星の海に捨てるのかな? 残飯を食べてくれる生物もいるに違いない。
「今夜は楽しませて貰ったぞ。後でローザを褒めてやらねばなるまい。ブラウ同盟の3王国に新たな食材を教えてくれたのだからな」
「海のカニと同じぐらいに考えたのかもしれませんよ。それにしても美味しかったですね」
しかし、よくも食べようなんて考えたものだ。
その点だけは感心してしまうけど、案外食いしん坊だけなのかもしれないな。
「明日から、ヴィオラ騎士団の周辺偵察を行った帰りに、砦建設位置付近の偵察を行ってきます」
「そうだな。お願いする。谷の奥もよろしく頼むぞ」
フェダーン様達が階段に向かって歩いていく。残ったのは俺とフライヤにエミーだけだ。カテリナさんはどこに行ったんだろう?
自分の部屋は寝るだけにしているみたいだから、駐機台近くの自分の研究室にこもっているのかな?
「分配は、騎士団が魔石200個ずつ。残りの148個は軍ということでフェダーン様の副官と調整できました。軍の取り分が2割を超えているのは、中位魔石の分配を辞退してきましたので……」
「フェダーン様から配慮するように言われたんだろうね。きちんと調整出来ているなら問題はないと思うよ。ブリアント騎士団も喜んでくれたんじゃないかな」
「びっくりしてたわよ。水の魔石は値も良いみたいね」
12騎士団の矜持があるから、ある程度の収入減は覚悟していたに違いない。
副団長達が残った陸上艦を使って狩りを続けるのだろうが、陸上艦1隻がこっちに来ているからなぁ。あまり北上しての狩りが出来ないだろう。
隠匿空間なら800kmほどの距離だから、それほど変わった魔獣はいないと思うんだが、近づいてきたならブリアント騎士団に軍の戦機を使って狩りをして貰おう。
厄介な相手なら、アリスが何とでもしてくれるだろう。
「砦から星の海は離れすぎてるんでしょう?」
「100ケムを越えているよ。それに星の海を取り巻く緑の土地は、見掛けほど安全じゃないんだ。肉食魔獣がわんさかいるんじゃないかな」
それを考えると、谷の奥は草食魔獣の隠れ家としても使えそうだが、直ぐにその考えを改めた。谷の奥は閉じている。チラノ数体で入り口を閉ざせば、食べ放題になってしまうだろう。
反対に、肉食魔獣の隠れ家として使われる可能性の方が高そうだな。
夜も更けてきたので、ワインのボトルと真鍮の小さなカップを持参して浴場へと向かう。
ファネル様達がジャングル風呂を気に入ったらしいから、しばらくはファネル様達専用にしてあげよう。こっちは大きいから泳げるんだよね。
エミー達と湯船に浸かっていると、浴室に誰かが入ってきた。
大きな水音を立てたのは、飛び込んだってことかな? こんなことをする人は……。
「お邪魔だったかしら? 別に気にしなくても良いわよ」
そんなことを言ってフレイヤ達をからかっているのを、ユーリル様が口に手を当てて笑っている。
エミー達はユーリル様と一緒に入るのは初めてだろう。
笑い声の主にちょっと驚いていた。
「下の自然的な浴室も趣はありますが、やはりここの大きさ、湯船を囲む彫像と、大きな窓に映る周囲の景色が良いですね」
窓と言っているけど、実際は巨大な仮想スクリーンなんだよなぁ。そのままならリバイアサンの周囲の景色を写しだしているんだが、制御室の様子やリバイアサンの状況、さらには生体電脳が作り出すシミュレーション画像まで眺めることができる。
風呂で酒を飲みながら戦でもしていたんだろうか?
そんなことをしているから、帝国が滅びたってことだろうな。まったく変なプライベート区画だ。
「ユーリル様も、導師から指導を受けた学生の1人よ。生憎と弟子という関係にはいかなかった。その理由はリオ君も知ってるはずよね」
「ということは、2人で討論をしていたってことですか? 結構美味しかったですよ。しばらくはあのカニを食べられないのが残念ですけど」
「ちゃんと食べたわよ。それでもう1つ枝が増えてしまったし、新たな枝の先は2つに分かれることまで同意できたんだから」
どうだという感じで胸を張ってるんだけど、そんな恰好を風呂の中でしないで欲しいな。絶対わざとやってるに違いない。
両隣にいたはずの2人がいつの間にか俺を押し出すようにして、背中に移動してるんだよなぁ。
「確かに、カニとエビはハサミを持ってますからね。同じように硬い甲羅も持ってますね」
「でしょう! これで水中生物の枝が1つ増えたわ」
確か節足動物に入るんじゃなかったかな? クモと祖先を同じくするなんて言ったら、どんな反応をしてくれるだろう。
「それなら、案外簡単だったでしょうに?」
「なぜ片方は平べったくて、片方は細長いのか? 片方は足を食べるんだけど、もう片方は尾を食べるでしょう? 分類が間違っているんじゃないかと、2人で話してたのよ」
言われてみればその通りなんだけどね。でもそれが2つの特徴なんじゃないかな?
エビとカニの幼生時代を見るとほとんど違いがないのに気が付くはずなんだが。それが分かるまでにはまだまだ時間が掛かりそうだ。
「そうそう、頂いた顕微鏡の図面のコピーを導師に上げたわよ。あの顕微鏡も一緒にね。2台頂いたから、1つは分解して複製し、再組み立てを行なえば使えることが分かったわ。さすがにその者ズバリを複製できなかったのは残念だけど」
それほど構造が難しいわけでは無かったのだが、光学系を一気に複製するのは難しかったというところか。
カテリナさんの研究室には数台揃ってるんだろうな。ガネーシャ達にも渡すだろうし、王都の学生達にもいくつか渡すのだろう。
何を調べて行くのだろう? 微生物学の夜明けが訪れるのは、案外早いかもしれないな。
「カテリナさんは、何をなされているんですか? リビングでいつも仮想スクリーンを見ているようですけど」
「リオ君のおかげで、王都の学府に新たな学部が出来たのは知っているでしょう? 本来ならリオ君に学生達を指導してもらいたいんだけど、リオ君は学生達にそれを自力で学ばせようとしているのよ。とは言ってもまったくの白紙では学生達は途方に暮れるでしょうから、課題が出ているの。私が悩んでいるのも、その中の1つである生物の分類という学問よ」
「そんなに悩む必要はなさそうだけど?」
「ですよねぇ……」
エミーとフレイヤはあまり考え込まないようだ。とりあえずそんなことをしても何の役にも立たないと思ったに違いない。
それが実を結ぶのははるかに先の事だからね。それに、単に分類するのが目的ではない。魔獣の分類だって必要だ。どう考えても作られた生物。そこまでいかなくとも遺伝子改造を受けているように思える。
動物だって、胆石や腎臓結石を作ることはあるんだが、魔石はそれとは異なるものだ。しかもすべての魔石は魔獣の心臓近くで作られ、しかも大きさが均一だ。
消化器官ではなく循環器官で作られているようにも思える。
一度解剖してみても良さそうだ。アリスが周辺監視をしてくれるなら、その足元で解剖を行っても、それほど危険性は無いだろう。