M-285 航海途中のお楽しみ
軍の拠点を出発して5日目の事だった。
リバイアサンに導師の飛行船がやってきた。どうやら隠匿空間へと向かう導師にヒルダ様が果物や野菜をリバイアサンへ届けるようにと頼まれたらしい。
マイネさん達がメイドを引き連れて駐機台に向かったようだけど、全員で出掛けてしまったから、導師を迎えての歓談はカテリナさんが淹れてくれたコーヒーだけになってしまった。
もっとも導師はあまり食事や飲み物を取らないみたいだが、カテリナさんがストローをコーヒーカップの横に置いてあるのに気が付いて美味しそうに飲んでいる。
なるほど……。マイネさん達にも教えておこう。
「ヒルダ殿の頼みとあれば引き受けぬわけにもいかぬな。殿下は果物好きだから、丁度良い。それで、これがカテリナに頼まれた品じゃ。あのガラスケースの中身が例の品じゃな?」
「そうです。リオ君が銀貨5枚で買ったそうですよ。まったく運が良いとしか言いようがありませんね。……これはリオ君に上げるわ。せっかく買った望遠鏡が、あの通りだからちょっと可哀そうに見えて……」
導師が魔法の袋から取り出した包みを開くと、真新しい望遠鏡が出てきた。
三脚の課題にハンドルが付いているから上が左右の微調整ができるということだな。倍率は……、10倍と30倍だ!
「ありがとうございます。大切に使わせてもらいます。……ところで、この世界の暦は神殿で作られていると聞きましたが、時間も同じですか?」
「ウエリントンの4つの神殿から派遣された天文方が天文台で編纂しているよ。そこで時間も決めておるが、基本は正午の時刻ということになるかな。日時計を造り、それで時刻を読み取るのじゃ」
なるほど、まだ天体の動きを使ってはいないようだ。
「導師の事ですから、望遠鏡で夜空の星を覗いたことがあると思います。面白いものがあったはずです」
「今でもこれと同じような望遠鏡で、夜空や月を眺める時がある。確かに興味深いものをいろいろと見付けることができたが、カテリナは覗いたことがあるかな?」
「何度か双眼鏡で見たことがあります。肉眼で見た数よりも星の数が多いことに驚きました。それに月にはホットケーキを焼いたときにできるような穴がいくつもあったことに驚きました」
やはり望遠鏡を空に向けたことはあるってことか。それで天文学が暦以外に発展しなかったのも面白いな。
「1年の正確な時間と実際の暦とでずれが生じているのは御存じですよね。1日にしてみればほとんど気にも留めないようなわずかなズレですけど、数年の長さで考えれば神殿の祝日がズレてきます」
「4年に1度、光の神を祝うことになる。それでもやはりズレが生じる。それは闇の神へ光の神の祝日を捧げることで帳消しにしているようじゃな。確かに面白い話じゃ。リオ殿はその原因を知っておると言う事じゃな? 先の回答書と一緒に隠匿空間で思索を巡らすことにしようぞ。カテリナも少し考えてみると良い。多分神殿の天文方も知らぬであろうな。彼らは神が定めたことだということで、計算は行うようじゃが、なぜその計算で暦ができるかを知らぬ輩じゃ」
「王都の南にあるウエルンの町の井戸は有名よ。夏至の碑に太陽が深い井戸の底を照らすんですもの。でもその日を天文方は正確に暦に記載できるのも面白い話ってことね。4年に1度の光の神を祭って調整する理由が理解できないわ」
「神の定めということで我等は満足できるが、新たな学問の世界ではその理由付けをしなければならん。先ほどの話からすれば、望遠鏡と関連があるという事じゃな?」
導師のバングルから押し殺したような笑いが漏れてくる。
カテリナさんも笑みを浮かべているところを見ると、ヒントとしては十分かもしれないな。
「カテリナの事じゃ。リオ殿に教えを乞うのは目に見えておるが、少しは考えることも必要じゃぞ」
「はっきりと教えてくれたなら何の役にも立たないけど、カンニングしている感じなの。その後が大変よ」
自分なりに考えてレポートにまとめることは大切だろう。その結果を導師と一緒に再び考えることになるだろうけどね。
「これが、私の方からの新たな解説書になるわ。リオ君から疑問を教えて貰った感じだけど、動物を分類するということは当初考えていたよりもかなり奥が深いみたい」
「簡単な学問などありはせん。だが、さすがに数字を扱うことは少ないであろう。学生達もいろいろと考えていたぞ」
導師がリビングを去る前にテーブルに取り出したのは、新な学生達からの質問書だった。「一応、ワシが確認して類別している」と老師が言ってくれたけど20枚を超えていそうだ。
隠匿空間で弟子の指導をしているようだけど、飛行船ならいつでもリバイアサンにやってこれるだろう。老師の偵察用飛行船は、アリスによるとかなり改良された跡があるとのことだった。
デッキからカテリナさんと導師の飛行船を見送ると、さっそくカテリナさんの質問が始まった。
また湯船に浸かってのレクチャーになるんだろうか?
1日2回もお風呂に入る習慣は無かったんだけどなぁ……。
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軍の拠点を出発して6日目。
今日は、アルゴルの集まる島で狩りをする日だ。
先行偵察をおおせ使ったから、いつものヴィオラ艦隊周辺の偵察を終えた後に星の海に浮かぶ小さな島へと向かう。
「やはり集まっているなぁ。200を超えてるんじゃないか?」
『ある意味、良い狩場とも言えます。他の騎士団にはここでの狩りはできませんからね』
島の周囲を偵察しても、大型魔獣の気配は全くない。やはり地下で眠るヘビの気配を敏感に感じているのかもしれないな。
リバイアサンに戻ると、指揮所近くの小部屋を使って狩りの作戦会議が始まる。フレイヤ達が何度も行っているから、今日は最終確認ということになる。
壁にプロジェクターを使って、本日の偵察の様子を報告すると、皆が笑みを浮かべて頷いている。
「狩りは2つの段階に分けて行います。リバイアサンのドックを両側とも開いて、第1班の獣機30機は斜路にてアルゴルを狙撃。リバイアサンの高度は水面から6スタフ(9m)ですからアルゴルが斜路に上ってくることはありません。慎重に狙いを定めて狩りを継続してください。
第1班がマガジン2個分を撃ち尽くしたところで、状況確認。これはフレイヤに任せます。フレイヤは、さらにマガジン1つ分を撃つか、それとも解体に移るかを判断してください。
第2班の戦機4機は、アルゴル解体中斜路にて待機。万が一他の大型魔獣が島に上がってくる際は獣機の避難を援護してください。
解体終了後は速やかにリバイアサンに戻ること。参加する獣機、戦機共に通信機の設定は09番を使用すること。作戦指揮を執るフレイヤも同じです。
なお、第3班は反対側の斜路を使って、魔獣狩り終了までカニ釣りを行ってください。
リオ、餌は用意できたの?」
概要説明の最後は、俺に対する確認だった。
餌を2匹狩ってきて欲しいと言われたんだが、カニの餌だからなぁ。イノシシのような獣を駐機台にいたドワーフの若者に渡しておいたんだけどね。
甲羅だけで1mを超えるカニだからなぁ。たくさん釣れると良いんだけど……。
「駐機台の若い連中に渡しといたよ。2頭狩ってきた」
うんうんと会議室の何人かが頷いている。
あのイノシシを全部餌にするのかな? 少し残しておいて焼いて食べてもおいしそうだったんだけどね。
「現在0940時です。島に到着する予定時刻は1100時。それでは準備を始めてください!」
いくつかの質疑応答があって、最後にエミーが会議の終了を告げる。
笑みを浮かべた連中が急ぎ足で部屋を出て行ったけど、すでに準備は終えてるんじゃないかな?
そんなに慌てなくとも、あの島で狩りが出来るのはリバイアサンだけのはずなんだけどねぇ。
「私達も行きましょう!」
エミーとフレイヤが出て行ったから、部屋に残ったのは俺とフェダーン様、それに副官の3人だけになってしまった。
「一方的な狩りとはいえ、航海の息抜きには都合が良い。他にも同じような島があるかもしれんぞ?」
「魔獣の生息する島はあるでしょうが、そんな島で安全に狩りができるとは限りませんよ。あの島は特別ですからね」
「良い漁場でもある。リオ辺境伯の旗を立てておくと良いのでは?」
直径300mにも満たない島だからなぁ。領土にしたとしても誰も住めないだろう。
とはいえ、旗を立てて置くのも面白そうだ。
「ハーネスと同盟軍が驚くでしょうね」
「調査しようとしてもアリスの話では地中深い場所ということだから、単なる状況調査で終わるだろう。まさか狩場として利用しているとは思わないだろうな」
いまだに核融合の小さな灯を点けているようだから、ハーネスと同盟の行動いかんでは島ごと破壊することになるだろう。
それまでは、漁場としての役目を持たせても良いのかもしれない。
フェダーン様に別れを告げて、リビングへと向かう。
リビングにいたのはカテリナさんだけだった。マイネさん達はあの狙撃銃を担いで出掛けたに違いない。
コーヒーポットからマグカップにたっぷりと注いで砂糖を3個入れる。
さて、カテリナさんの方はどんな感じなんだろうな?
「あら、戻ってきたの? ということは、まだ狩りが始まっていないのね」
「1100時からと言ってました。エミー達に任せておけば問題はないでしょう。万が一に備えて戦機が4機待機してくれますし、砲塔の方にも人員を配置するようですよ」
「面白い島であることは間違いないわね。……ところで、これなんだけど」
仮想スクリーンを拡大して俺にもよく見えるようにしてくれた。
だいぶ幹から枝が伸びてるな。
枝の1つの先が2分して獣と鳥になっている。トカゲと魚、それにヘビがある。虫は蝶とバッタ、それにクモが枝分かれしているし、ムカデとミミズは1つの枝のようだ。
取り掛かりとしてはこれで十分かもしれない。学生達の系統図と比べて議論ができるだろうし、老師だって何も考えていないということはないだろう。
「外見で区別しましたね? それも1つの方法ですけど、鳥は悩んだんじゃないですか」
「足に鱗があるでしょう? それに歯がないわよね。それを考えると、トカゲの一種とも考えられそうね。亀の口は鳥と似通った嘴だわ。でもそうしなかった最大の理由は……」
「体温ですね?」
俺の言葉に、呆れた顔をしている。散々悩んだ結果をあっさりと見抜いてしまったかな?
「それが最大の理由よ。この枝の動物には体温があるけど、こっちは体温を感じられないものばかりよ」
「そうなると、1つ疑問が出てきませんか? 体温が必要なのはなぜだろうと」
俺の問いに先ほどまで食い入るように画像を眺めていた姿勢を、仰け反るようにしてソファーに背を預けた。大きく腕を広げたところを見ると、お手上げって感じかな?
「即答できないわ。でも、確かに不思議よねぇ……」
「それと、動物と鳥では大きな違いがいくつかありますよ。卵から産まれるか、羽を持つか、鱗を持つか……」
分類は外見に拘ると飛んでもない見落としをしそうだ。
何を元に分類したかについてもしっかりと記録しておく必要があるだろうな。