M-269 服はTPOに合わせないと
軽巡の士官室で朝を迎えると、8時丁度にエルンストが俺を朝食に案内してくれた。
それほど大きくない仕官食堂での朝食は、それなり味だ。朝食後のコーヒーを飲みながらぼんやりと外の景色を眺める。
かなり移動したようで、草むらが所々に見えるまでなった。
水と魔獣や獣のリスクさえなければ、良い農場を作ることができるかもしれないな。
「ここは士官食堂だぜ? 機関兵なら、船尾の兵員食堂で飯を食うんだな?」
後ろから野太い声が聞こえてきた。
軍の制服ではなく、黒のツナギは魔道機関の維持管理を行う兵員の作業服に見えたのかもしれない。
フェダーン様の軍船だから、それなりの軍人を集めたのだろう。この御仁も階級を越えた行いは艦内の統率に影響すると考えたのかもしれない。
「ここに案内されたのだが、ここで食べては不味かったかな? それなら、帰るまでだ。失礼するよ」
残ったコーヒーを飲み込んで、席を立つ。
振り返った先には、俺の移動を妨げるような形で男が3人立っていた。
「2度と来ないように教育は必要だと俺は思うが……。お前達はどうだ?」
「あまり見ない顔ですからね。新人が紛れ込んだとなればそれなりの教育を行うのが先任の役目では?」
取り巻きの言葉に笑みを浮かべているようでは、こいつの先は位に違いない。
いきなり俺の顔を殴り付けてきたが、俺は微動だにしない。
体の強化を瞬時に行ったから、そう簡単に俺を傷つけることはできないだろう。
「なるほど、そういう教育か……。早く医務室に向かうんだな。拳が砕けたんじゃないか?」
「くっそう……。ドワーフ族はこんな連中ばかりだ。士官に傷をつけたからには、覚悟はできてるんだろうな?」
俺に責任を負わせるのか? 自虐だと思うんだが……。
蒼白の顔は、右手の負傷を何とか耐えているからだろう。
苦笑いを俺に向けると、いきなり拳銃を抜いて俺の腹に2発撃ち込んできた。
全く動じない俺に、周囲も驚いているようだ。
俺に顏を向けながら、じりじりと下がっていく。
これで帰れるかな? 黒のツナギは俺にとっての制服なんだが、穴が空いてしまった。
変わりは騎士の制服だけだから、このまま過ごすしかなさそうだ。
士官食堂を出ようとした時だ。
銃声と共に背中に衝撃が伝わる。全く驚く限りだ。
振り返ると、先ほどの男が俺に銃を向けていた。
「さすがに3度は許せないな。ヴィオラ騎士団の騎士リオだ。貴様を倒す!」
ゆっくりと腰のリボルバーを抜いて、その場で撃った。
先ほどとは比べ物にならない銃声が士官食堂に響くと、男がその場に倒れる。
「直ぐには死なんだろう。場合によっては助かるかもしれんぞ」
さて、これでどうなるかだ。
非があるとは思えないし、これを気に軍から少し距離を取れるかもしれない。
とは言っても、フェダーン様の御座船だ。
少しは譲ることになってしまうかもしれないなぁ。
甲板で一服を楽しんでいると、エルンストが血相を変えて俺のところにやって来た。
かなりあちこち探してたようで、安堵した表情で息を整えている。
「フェダーン様がリオ殿をお呼びです!」
「理由は理解しているつもりだ。案内してくれないか」
一瞬、目を丸くしたのは、俺が断ると思っていたのかな?
ごくりと喉を鳴らして、小さく頷いたところで俺の先になって艦内に入っていった。
向かった先は、最初に入った会議室だった。
席に座っているのはフェダーン様のみ。直ぐ後ろに女性の副官が立ち、俺が入ってきたのを見て、厳しい目を向けて立っているのは、あの男の取り巻きの3人だった。
悪びれた様子もなく入ってきた俺に笑みを浮かべて、片手でテーブル越しの席を示した。
とりあえず騎士の礼を取り、ソファーに腰を下ろす。
ちらりと入り口近くの3人を見ると、俺に対する対応に驚いている様子だった。
「どんな銃弾を使ったのだ? 治療は何とか出来たようだが、2度とベッドから離れることは出来ぬと報告があったぞ」
黙って装備ベルトの弾薬ポーチから、銃弾を1発取り出してテーブルに乗せた。
「先行偵察時に携行している銃弾です。肉食野獣用ですよ。着弾と同時に先端が4つに分離して内臓を切り裂きます」
「物騒だが、確実だろう。これを使えるのはドワーフ族でも苦労するだろうな。強装弾であっても艦内に損傷が無かったのはそういうことか……」
「仮にも王国の軍船ですからね。俺が傷つけたら問題でしょう」
「そうだな。その心使いは感心できる。それで、これを王宮に提出するつもりだが、了承して貰えぬか?」
副官から1枚の紙を受け取り、俺に見えるようテーブルに乗せた。
内容は……、決闘の顛末記?
決闘して倒されたことにするのか。まあ、穏便な措置だな。その立会人3人があいつらになるんだな。
「俺は問題ありませんが、フェダーン様に不都合なことになりませんか?」
一応確認しておこう。艦内の統率不足などと揶揄されて降格されることがあっては問題だ。
「貴族の嫡男が、王国の有力貴族に対して、一方的に決闘を申し込んで敗れたとなれば向こうも少しは面目が立つだろう。迷惑料がリオ殿にはいるはずだ。遠慮することはないぞ。鷹揚に構えて貰っておくが良い。リオ殿を少しは恐れるであろう。
お前達3人には、まだ伝えていなかったな。
リバイアサンの提督であり、辺境伯のリオ殿だ。私の招きに応じてこの艦に乗船して貰っている客人なのだが……。さて、どうするか。さすがに無かったことでは済まされんぞ」
「知らなかったのです! それにそんな姿でしたから……」
必死に弁明してるけど、知らなければ相手を銃撃しても良いってことかな?
「軍務放棄ということで放逐することにする。王宮に関わる仕事には就けぬが、民間であれば問題なかろう。
ここが艦で良かったと思うことだ。まだ貴族でもない人物が王国の辺境伯を銃撃する現場にいて、辺境伯を助けることが無かったとトリスタンに知られたなら、暗部が動くことになるぞ」
使えぬ貴族は排除するってことか? 俺も気を付けた方が良いのかもしれない。
その暗部の2人がいつも一緒に暮らしてるんだからなぁ。
「エルンスト、手続きを頼んだぞ。それまで3人は倉庫に閉じ込めておけ」
「了解しました。……来るんだ!」
3人がうなだれて部屋を出て行ったけど、日和見な行動が身を亡ぼす良い例になりそうだ。
「これは記念に頂いておこう。それにしても大きな銃弾だ」
「荒野で1晩過ごそうと考えなければ、そんな銃弾は必要ないでしょう。トリスタンさん達には見せないでくださいよ」
「確かに。直ぐに作らせるに違いないな」
銃弾を手に取ってクルクルと回して遊んでるんだよなぁ。暴発はしないだろうけど、ちょっと心配になってくる。
副官がマグカップに注いだコーヒーを渡してくれたので、タバコを取り出すとフェダーン様が笑みを浮かべて頷いてくれた。
「乗員は厳選したつもりだったが、何時のまにか変更があったようだ。艦内風紀の維持は私の務めでもある。原因を探って2度と起こらないようにする」
「全てフェダーン様が見るのでは、別の問題もあるでしょう。将来を期待する人物に任せることも必要かと」
どこも統率には苦労しているようだ。
俺達ヴィオラ騎士団はドミニクのカリスマが強いからなぁ。リバイアサンはエミーが元王女であることが上手く行ってるように思える。それに先任伍長の貢献が大きいに違いない。
騎士団であれば、素行不良であるなら即退団だ。味方を危険にさらすようなことがあってはならないからね。
軍の場合は、そこまで強制できないのだろう。一応軍法があるようだけど、情状酌量が多いらしい。
もっとも、貴族内の圧力でそのような酌量があった場合には、トリスタンさん達が動くということになっているようだ。
「とはいえ、私の不注意もある。改めて詫びよう」
丁寧に頭を下げられると、こっちが恐縮してしまうし、後が怖くもある。
「さて話を変えるが、サザーランドの状況はリオ殿の指示を受けて、調査を断念しているところだ。だが、ウエルバン王国の西端までは飛行船からの状況偵察を行っているようだ」
「やはり避難民が流入していると?」
俺の問いに小さく頷いた。
サザーランドは内戦の後で、あの爆発だからなぁ。ハーネスト同盟としても領地の拡大を図るような貴族がいないのかもしれない。
荒廃した土地を得ても、直ぐには収入を上げることができないし、復興費用もかなりの額に登りかねない。
とはいえ下級貴族の一団が、将来を期待して領地の切り取りに励むようにも思えるんだが……。
「ウエルバンの領地が西に拡大するぐらいであろうな。それほど多くはないであろう。ガルドスの貴族は2の足を踏まぬよう警戒していると聞いておる」
「10年後を見据えれば、下級貴族が名乗りを上げても良いように思えるんですが」
「それを見据えて、東への拡大に期待しているのだろう」
俺達が開拓した土地を横取りしようというのか?
それは全力を持って阻止したいところだ。
「それほど驚く話ではない。だが、ガルドス王国は今のところ軍拡に精を出すだけのようだ。北の調査艦隊も気にはなるが、サザーランドの惨劇が少しは警鐘になるやもしれん」
発掘しても、取り扱いは慎重になるという事かな。
それにしても、まだ探しているというのが気になるところだ。
第2のリバイアサンは無さそうだが、匹敵する兵器があるということを知っているのだろうか。
「北の回廊計画では、星の海の西岸に砦が作られます。ハーネスト同盟との衝突は確実になりますよ」
「砂の海を遊弋している艦隊の1部を派遣せねばなるまい。西の魔石狩りは魔獣以外にもハーネスト同盟軍の軍船も脅威になるかもしれんな」
同じようにブラウ同盟軍も艦隊をいくつか作ることになるってことか……。
とりあえずは飛行船により広域監視は継続できそうだが、得られた情報を確実に騎士団に知らせる通信網も作ることになる。
位置測定だけでは不足ってことだな。千kmを越える通信機を騎士団に提供する必要が出てきそうだ。