M-025 いざ砂の海へ
工房都市ギジェを離れると北に向かう。このまま北上して川に出るまでが回廊と呼ばれているようだが、風の海とも呼ばれる地帯でもある。
丈の短い草が風でなびく姿を見ると、そのロマンチックな名前もなんとなく理解できるな。
「この辺りまでなら機動艦隊が遊弋しているから、昔ならそれほど危険ではないのだが、この前のこともある。監視部の連中にだけに、周囲を監視させるということにはいくまい」
「少しは頑丈になったんだろうな?」
「5割増しは確実よ。何といっても元は軍船だわ」
試作艦だけどね。それでも5割増しならかなりの強度を誇るんじゃないかな。
武装も強化しているとフレイヤが言っていたけど、問題は舷側の大砲がどうなったかだ。意外と数を増やしただけかもしれないな。
「今度も砂の海ということね」
「狩場は北に向かうほど獲物が豊富なことは間違いない。獣でさえ魔石を持つことがあるとまで言われている」
カリオンの話に思わず首を傾げた。魔石を持つから魔獣じゃなかったのか?
だが、獣でさえ持つともなれば、野獣と魔獣の明確な線引きができなくなってしまいそうだ。
今夜にでも図鑑を調べてみるか。その辺りの話が掲載されているかもしれない。
「それほど遠くに行くんですか?」
「まぁ、新型の見極めというところだろう。さすがに大型魔獣が跋扈するまでには北上しないだろうが、1度ぐらいは姿を拝むことができるかもしれんぞ」
かなり物騒な話だが、前回の航路よりは先に向かうことになるのは間違いないらしい。
俺に当座できることはこのデッキで周囲を見守ることぐらいだが、場合によっては群れを探す先行偵察の頻度が上がるかもしれないな。
ギジェを出て3日目になるのだが、まだ偵察車を送り出すことはない。ひたすら北を目指しているということはラザール川を早く渡りたいということなんだろう。
俺を加えたことで狩りの成功率が上がったのなら、中型魔石を得られる魔獣を狩る方が効率的と判断したに違いない。
ギジェを出て5日目の夜の事だった。
個室でのんびりと本を読んでいると、ドミニクとレイドラがやって来た。
2人に椅子を勧めて、ワインのグラスを手渡したところでシェラカップにワインを注いでベッドに腰を下ろす。
「先行偵察ですか?」
「明日の昼には浅瀬を渡ることになるわ。周辺の状況を確認しながらヴィオラの護衛をお願いしたいの」
急な話だが、ラザール川の近くまで来ていたんだな。
小さく頷いて了解を示す。
「今度は砂の海での狩りということなんですね?」
「前の航路より3日、北に向かうわ。そこから西に向かえば星の海の北東部に出るはず。草食魔獣の大型が多い場所よ」
あわよくば上位魔石の数が増えると考えたようだ。だが気になることもある。
「星の海はガルトス王国が領有宣言をしていると本で読んだのですが」
「宣言はしても、他の王国はそれを認めていないの。一方的宣言であり、その領地に人が住んでおらず、軍でさえ展開していない。それでも領地と呼べるのかしら?」
一方的宣言だったのか。それなら問題もなさそうだ。それに領有宣言を出しておきながら近づく者に警告さえしていないというなら、全く意味はない。
「魔獣の様子と騎士団、それに騎士団に害をなしそうな存在を探ればいいですね?」
今度はドミニク達が頷く番だった。
ドミニクの頷く姿を見たところで力強く頷いて了承したことを示す。
ほっとした表情を浮かべると、レイドラが小さな紙きれを渡してくれた。書かれているのは符号表のようにも見える。
「私掠船の調査をした軍から私達への警告文がギジェに届いていました。どうやら大型の魔石通信機を使って私達の会話を聞いていたようです。通常の会話になるべく合わせられるように暗号表を作りましたので、偵察時の通信文はこの表を使ってください」
やはり暗号表だったのか。数字暗号ではなく、符丁で情報を伝えるんだな。結構面倒な感じもするから、この辺りはアリスに任せればいいだろう。
ドミニク達がワインの礼を言って個室から出て行ったところで、アリスに連絡を入れる。
『そうですか。テーブルに紙を広げてマスターは紙面を見つめてください。スキャニングを実施します』
言われた通りにしたところ、1秒もかからずにアリスの作業が終わったようだ。
『方向については120度右回転させて、ヴィオラを起点として報告するようですね。角が1本欠けたトリケラが私掠船で、2本欠けると海賊船のようです。距離は5桁数字でカム単位。最後の1桁は小数点1位ということですから、基本の電文は私が作成します。そうそう、5号探索車が私達のコールサインのようですよ』
なんだかおもしろそうな口調で符号表の中身を教えてくれた。
どんな報告分になるんだかわからないが、アリスなら簡単に変換してくれるんだろう。
「明日は1日、探査になりそうだ」
『そろそろラザール川ですね。渡河が一番の問題ですから、ドミニク様の心配も頷けます』
大勢の団員を預かっているという自覚は常にあるんだろうな。俺には到底無理だ。
そんなドミニクの心配を軽減するためにも明日は頑張ってあげないといけないだろう。
翌日の朝食時に、アレクに先行偵察の話をすると、アレクも気になっていたのか俺の肩を叩いて頷いている。
「俺達の戦機では無理な話だが、アリスは別物だ。上手くヴィオラを導いてくれ。だが、そうなるとだ……。食事が終わったら俺達も戦闘準備で船尾の第3甲板に集合だ。リオが帰還するまでは厳戒態勢が出るはずだからな」
魔獣がいつ襲ってこないとも限らないということになるんだろう。
そんな事態にならないように俺達が偵察に出るんだが、万が一の事態をいつも考えるアレクは、この騎士団で一番信頼される筆頭騎士に違いない。
食事が終わったところでカーゴ区画に向かうと、すでにアリスの前にタラップが用意されている。
急いで乗り込む俺に、ベルッド爺さんが片手を上げて応援してくれた。
コクピットの中に入り、胸部装甲板が閉じ始めるとタラップを片付ける若者と、舷側の扉が開く音がコクピットの中にまで聞こえてくる。アリスが周囲の音を拾っているんだろう。普段は静かな空間だ。
舷側が半分ほど開いたところで、俺達は飛び出した。
速度を戦機よりやや上げた状態でヴィオラから北に向かって走る。滑空はヴィオラの船体が見えなくなってからだ。
仮想スクリーンを1つ作りだし、アリスのセンサーが捕らえた周囲の状況を映し出す。
地上モードだから周囲30km程度に限定されるが、全周スクリーンに映し出される映像が周囲数kmであることを考えれば、便利な監視装置といえるだろう。
たまに上空100mほどに上昇すれば100kmの範囲での状況も分かるのだが、荒野に浮かぶアリスの姿は目立ちすぎるんだよなぁ。
『とりあえず周囲に大型生物はいないようですね』
「だが、ラザール川の渡河は昼過ぎなんだろう? 渡河地点周囲を重点に探ることになるのかな」
『推定渡河時刻は1240時になります。前回と同じ地点を選ぶでしょうから、渡河地点の周囲50kmを索敵すればドミニク様の意図にも合致するかと』
ヴィオラとラザール川の渡河地点はすでに100km以下に近づいているようだ。
両岸に広がる緑地帯をまだヴィオラからは見ることは出来ないだろうが、俺達がいなければ偵察車を何台も先行させて状況を確認してたんだろうな。
『後方のヴィオラの監視範囲を越えました。滑空モードに変更し、速度を上げます』
「了解。緑地帯に入る前に地上20mまで上昇。樹冠すれすれを飛行すれば他の騎士団に見つかることもないだろう」
俺達の存在は可能な限り隠すようにドミニク達にも言われているからね。
ラザール川の渡河地点はいくつかあるのだろうが、それほど多いとも思えない。そんなことだから、場合によっては他の騎士団が近くにいないともかぎらない。
『緑地帯を確認、300m手前で上空に移動します。周囲50kmに他の陸上艦は見当たりません。魔獣の気配も確認できません。前回はいくつか群れがいたんですが』
静かすぎるということなんだろうな。変なフラグじゃなければいいんだけどね。
「予定通りに渡河地点周囲を周回して監視する。1週したところでヴィオラに状況報告をしてくれ」
アリスだと簡単にラザール川を越えられるんだが、重量物である陸上艦だとそうもいかない。渡河地点は川の量岸の地盤が良いことも条件になる。
何度も騎士団の陸上艦が行き来しているから、数百mほど上昇すると、道ができているのがわかる。獣道と同じことなんだろう。
『さすがに対岸は静かとは言えませんね。魔獣の群れが4つ確認できました』
「この群れだな。少し北上して高度を上げてみるか? さらに群れがいるかもしれない」
渡河地点から30kmほど北上して、アリスを高度300mまで数分間上昇させる。これで周囲100kmの状況を確認できるはずだ。動態センサーで移動方向を特定できるし、センサーの分解能いかんでは群れの大きさを割り出すこともできるだろう。
アリスが高度を下げて渡河地点周囲を監視し始める。全周スクリーンに映る緑地帯には魔獣どころか獣の姿も見えない。
赤外センサーを使って発熱反応も仮想スクリーンに表示させているんだが、たまに小型草食獣の反応が出てくるぐらいだ。
『先ほどの周囲状況確認結果は暗号表を使ってヴィオラに通信を送りました。現状はこのようになっています』
アリスの言葉が終わる前に少し大きめの仮想スクリーンが俺の前に現れた。
渡河地点がスクリーン下部に表示されている。それを起点とした円周の表示が50kmの間隔で表示されていた。
アリスの話によれば、渡河地点の50km圏内に魔獣の群れが2つ、その先100km圏内に4つ、その先にも3つほど群れがあるが、150kmの円周表示が無いから、群れの数はもっとあるんだろう。
次に群れの移動方向と速度がベクトル表示される。渡河地点に真っ直ぐ向かってくる群れは無いようだ。
油断はできないが、とりあえずは近くの2つの群れの動向に注意することになるだろう。