M-236 学府での講義(2)
休憩を終えると再び演台の前に立つ。
前より聴講者が増えているように思える。前は立ち見している連中はいなかったはずだ。
それよりも、俺の持ち時間は2時間の筈なんだが、とっくに過ぎているように思えるんだよなぁ。
とりあえず、締めくくりはきちんとしておこう。
「さて、始めよう。諸君に課題を出した。3つ答えられる者はこの中にいるか? いるなら名乗り出てくれ……」
ゆっくりと講堂内を見渡す。席を立つ者は誰もいないし、手を上げる者もいない。
やはり自然現象を観察して、その原因を突きとも用とする者はいなかったようだな。
「先ほど4つあると俺は言ったが、その後、ブライモス導師に新たな方法を教えられた。少なくとも5つある。
簡単に教えよう。物が燃えるということは、その物が燃え出すまで熱を加えれば良い。この温度は一定ではないが、綿なら比較的低い値だ。
この熱を加える方法を考えることになるわけだが、1つは太陽を使う。太陽の熱をガラスレンズで終息して一点に集めれば高熱が発生する。これで火が付く。2つ目は……」
ゆっくりとプロジェクターで画像を作りながら説明を行う。
簡単なイラストを交えての解説だから、彼等にも理解することができるだろう。アリスに感謝だな。
「以上の5点になる。まだまだあるだろう。俺が直ぐに思いつかないだけだろうからね。
ここで重要なのは、どの方法においても魔法を使っていないことだ。
新たな学科はこのような課題を考える場でもある。常に疑問を持つことだ。それがなぜ起きるのか、それを起こすにはどうすればよいのか……。その答えが直ぐに王国の人々に役立つとは思えない。
先ずは基礎を築くことだ。それができて応用になる。応用を図る上で重要なのは人々の幸福に繋がるかを考えて欲しい。
この学問は人々の不幸を簡単に招いてしまう事もある。
かつての帝国はこの学問によって滅んだとも言える。できれば復活しない方が良いのかもしれない。
だが、帝国末期の生態系への介入が現在の魔道科学の基であることも確かだ。
生態系への無理な介入は、大きなうねりを伴うようだ。そのうねりを無くすために生態系そのものが、異端である枝を切り取ることもあるだろう。
現状を見ると、どうやらその過度期にあるように思えてならない。
諸君達の努力により新たな学問が泰明を迎えることを願って俺の講義を終えることにしたい。
……さて、質問はあるかな?
この場で答えられない問いもあるだろうが。可能な限り答えたい」
途端に挙手が林のように乱立することになった。
文書で送れと言った方が良かったかな?
「静まれ! 我等はウエリントン王国の最高学府の学生だ。それぐらいの自制は出来るだろう。リオ閣下の御予定もあるだろうから2つほどに制限したい。それ以外の質問については、学生代表の私に送ってほしい。カテリナ博士に内容を確認して貰いリオ閣下に教えを受ければ良いと思う。リオ閣下には大変恐縮ですが、それを了承して頂くとともに学生全員への開示許可を頂きたいとお願いする次第」
要するに後で回答をくれってことなんだろうな。
カテリナさんが取りまとめてくれるなら、変な質問は無いだろうし、場合によってはアリスが答えてくれるに違いない。
「了解だ。約束しよう。それでは最初の質問者を指名してくれ」
「ありがとうございます。イートン! 最初は君だ」
最前列に座っていた学生が立ち上がった。
線が細いが、眼光は鋭いな。秀才と言う感じが伝わってくる。
「新たな学科を創設するという話を聞き、真っ先に物理学という世界に飛び込もうとしているイートンというものです。私が興味を持ったのは、それを学ぶには数学の知識が必要だということでした。数学は取引を行う上で重要な学問でもありますが、話を聞く限りにおいて商取引とは一切関わらないように思えます。何故に数学の知識を必要とするのでしょうか?」
「君に大きな課題を与える。それを私にきちんと説明して欲しい。重さ、長さ、時間この3つだ。これは物理学の根本ともなる要素であり、これがいい加減だと後々苦労することになる。
さて、説明の方法はどうする? 俺だけを納得させても意味がない。後の代にも恥ずかしくない方法として君は何を用いてそれを定義するかな?」
唖然とした表情で俺を見ている。
まさか既に決まっているとか考えてはいないだろうが、皆の注目を何時までも浴びせるのも気が引ける。
「そこで出てくるのが数学なんだ。数学でそれを定義して貰いたい。物理学の基本単位となる重要な3要素だ。曖昧な値では後輩達が困るだろうからね」
「重さは、商会ギルドの原器では駄目なんですか?」
「それも1つの方法だろう。だが、その原器の重さは何時、どこでも同じだとは限らないと言ったらどうする? 単位としては使えないんじゃないかな。
長さにしてもそうなる。基準はあるだろう。だがそれは永久不変ではない。時間にしてもだ。この世界の時間は太陽の動きを元にしていると思っているようだが、実際はこの大地の動きを元にしている。この大地は自転しているんだよ。その自転は永久に同じとは限らない。
曖昧な値を使った学問では困るんだ。物理学とは神の探索と考えても良い。神の御業を自らの力で証明していくぐらいの気概が欲しいところだね」
「曖昧さを無くすために、取引にも使われる数学を使うということですか……」
「今はそれで良いだろう。だが、数学も物理学に合わせて発展するだろう。君は三角形の内角の和は180度になることを知ってるね?」
「もちろんです。土地測量はそれを元に行われております」
「私は三角形の内角の和が270度になる世界を知っているよ。もちろん君も見ているが、それを全く気にしていないから気が付かないんだろうな。ちょっとヒントを与えすぎたかな。3つの定義に合わせてそれを探すのもおもしろいと思うな」
がやがやと聴衆が騒ぎ出した。
そんな三角形があるのか? という感じだが、さてどれぐらいで正解にたどり着くだろう。
「イートン。課題が出たが何とかなりそうか? もちろん学府は全面的に協力するぞ」
「現状の原器を使わないということに戸惑っております。先ずは数人で回答を見付けるべく努力したいと考えます」
再び先ほど仕切ってくれた学生が聴講生を見渡した。小さく頷いて声を出す。
「ルミーナ嬢。次をお願いしたい」
中段で席を立ったのは、フライヤぐらいの女性だった。中々の美人だな。長い黒髪が印象的だ。
「ルミーナともうします。私は生物学という世界に足を踏み入れようとしておりますが、先ほど分類と生態からと仰られておりました。それで人の世界に幸せを招くことができるのでしょうか?」
「俺の言葉が足りなかった。申し訳ない……。この世界にどんな生物がいるか。これだけで数百年かけても半分にも達しないかもしれない。それほどこの世界の動植物は多いのだ。
それを分類していくことも大事だが、当然利用することも大事な話だ。生物学の枝が増えるのはそうしてどんどん新たな学問が生まれるからに他ならない。
例え話で申し訳ないが、荒れ地で麦を豊作にするためにはどうすれば良いのか、その答えも枝の先にあるはずだ。場合によっては砂漠を緑に変えることもできる。
その方法を教えることは可能だが君達で見つけて欲しい。
これも課題だが、カンニングは出来るだろう。私は魔道科学を理解できないが自然科学は理解しているつもりだ」
動植物がどうして育つのか、その理由を探ることも大切だ。
彼等が遺伝子の存在に気が付くまで、どれぐらいの時間を必要とするだろう。彼等の観察眼に期待したいところだな。
「以上で俺の話を終える。取り留めない話で申し訳ない限りだが、疑問があればブライモス導師カテリナ導師に伝えて欲しい。しばらくは王都に帰らぬことになるが、連絡は付くはずだ」
最後に聴講者に顔を向けて軽く一礼をする。
ゆっくりと控室にあるいて、ソファーにドカリと腰を下ろした。
「ご苦労様。これで少しは彼等も見えてきたかもしれないわね。ところで、重さと長さ、それに時間はそれほど重要なの?」
「前にカテリナさんに教えましたよね。重さは場所によって変わると……。これを一定にするには、この力が一定である必要があるんです」
そう言って、タバコの箱をテーブルに落とした。
ポトンと落ちた箱を眺めてブライモス導師が首を傾げている。
「物が落ちる……。極めて常識的ではあるが、これが意味することは」
「なぜ物が落ちるかということね。前に話してくれたわね。学府の鐘櫓から綿花と鉄を同時に落としても同じ時間で地面に付くと……。これもそれに繋がるの?」
「ええ、重さで落下速度が変ることはありません。でも変えることは出来ます。飛行機や飛行船は浮かびますからね。とはいえ制限もあるんですが……」
「そこから導き出されるのは、何かの力と言うことじゃな。物が落ちるのは何かの力によるものだとリオ殿は理解しているのだろう……。なるほど、おもしろい。その力が何によるものであるか、その力はどれ程か確かめることもできそうじゃ」
重力を最初に測定して公表するのは誰になるのか。導師のことだから学生にそのチャンスを与えるに違いない。
「長さは原器ではいけないの? 決まりをつけように無い、と思うんだけど」
「現状では問題もないでしょう。ですが、将来精密な測定や機械加工を行う上では、長さも定義する必要がありますよ。時間にしてもそうです。1日を24時間、1時間を60分にしているのは12進法から来ているんでしょう。割れる数が多いですからね。
できれば1分を60分割した『秒』を作っておくと測定する時に役立ちます。それ以下の単位は秒を更に分割することになるでしょうが、あえて単位の名を付けなくても良いでしょう。ところで1日24時間をどのように定めているんでしょう? 太陽の動き? それとも星ですか」
カテリナさんの返答は、星の動きと言うことだった。星が15度の角度を移動した時の時間が1時間だということだけど、それだとやはり問題が出て来るな。
「カテリナさんが観測器具を取り出したことがありませんから、たぶん神殿が絡んでいるんでしょう。星の動きを基準とすれば太陽よりも正確だと思います。ですが、星も長い間に移動していますし、星が動いているように見えるのは、この大地が回転しているためです。この大地の回転はゆっくりと遅くなっていますから、一定とは言えませんね」
「それが数式で値を出すことに繋がるということじゃな。そうなると、常識は全て見直さねばならんな」
そこから色々と分かってくることもあるんじゃないかな。
ニュートンだってそうなんだし、大地が回っていると言って処刑された学者もいるぐらいだ。だが、この世界ではそんなことはない。
いつでもカンニングができるんだから、案外早くに花開くと思うんだけどなぁ。