M-021 カテリナさん
部屋のカーテンを開ける音が聞こえる。
どうやら朝になったようだ。アリスの話では今日には体を動かせると言っていたが、果たしてどうなんだろう?
手を動かそうとしたが、まだ動かない。指先は少し動かせるようだ。
ゆっくりとあちこち動かしながら、動かせる範囲を確認する。
カーテンを開けた人物が、俺に近くにやってきて体に掛けた薄手のタオルを直している。その感触が遠くに感じる。
その手の動きが急に止まったのが分かる。次の瞬間、部屋の扉を乱暴に開ける音が聞こえてきた。
「姉さん、リオさんが気が付いたみたいよ!」
階段を駆けのぼる音が聞こえてきたと思ったら、俺の左手が力強く握られた。
「リオ、気が付いたのね。直ぐにお医者さんを呼んでくるわ」
俺の返事などお構いなしだ。だけど元気なソフィーとフレイヤの声が聞けて少し安心した。
それにさっきまで俺の世話をしてくれたのはソフィーなんだろう。無事でよかったと安堵する。
体の回復は急速に行われているようだ。
最初は腕を上げることもできなかったが、1時間も経たない内に腕を動かせるようになってきたし、足もかなり動かせることが分かった。
何度か寝返りも打ってみたけど、特に異常もない。
問題は、両目を覆った包帯だな。最初は目が見えなくなったのかと心配したんだが、どうやら意図的に巻かれたものらしい。
このままにしておいた方が良さそうだ。医者が来ると言っていたから、その時に外してもらえばいいだろう。
やがてフレイヤがやってきた。ベッドの近くに椅子を運んだらしく、一方的なおしゃべりにつき合わされることになってしまった。
それでも、最初の言葉がソフィーを守ってくれてありがとうだったから、感謝しているのは確かなんだろうな。
医者がやって来たのは夕暮れ近くになってからだった。
一緒にドミニクまでやって来たのは、それほど俺が心配だったということになるのだろうか?
それとも騎士団内のきずなは、俺が考えるよりも深いということなのか……、微妙なところだな。
「どうやら、気が付いたみたいね。フレイヤ、リオ君の体を起こしてあげてくれない。病人でもないし、怪我だってしてないんだからそれぐらいは問題ないわよ」
どうにか体を起こしてもらったけど、さてこれからどうするんだろう?
「とりあえず診察しましょう。布団を剥いで頂戴」
体を起こしてもらった時に気が付いたけど、俺は何も着ていないようだ。女性の前で裸を晒すということか?
「さすが騎士だけのことはあるわね。贅肉が全くないわね。王都に行けば彫像のモデルとして食べていけそうだわ」
そんなことを言いながら、体の触診をしているようだ。
あれほど動かなかった体が、触診の強弱に合わせて筋肉が反応しているのが分かる。
触診が終わったかと思ったら、胸に冷たい金属が当てられた。聴診器ということなんだろうか?
胸の前後と首の付け根に押し当てるような感じで診察している。
「次は、口を開けてくれない。大きく開いてね!」
言われるままに口を開けたら、金属のへら状のものを押し込められた。
喉の奥でも見てるんだろうけど、俺は風邪をひいたわけではないんだよな。
「はい、閉じてもいいわよ。次は包帯を解くけど、めまいがするようなら横にさせるわ」
フレイヤにカーテンを閉じるように言ってから、ゆっくりと両目を覆った包帯が解かれた。
パチパチと瞬きしながら周囲を見ると、3人の美女が左手にいる。椅子に座った女性が女医なんだろうか?
俺の表情を面白そうに眺めていた女医が、どこからか取り出したのは大きなルーペのような代物だ。
枠の一面に細かな魔方陣が描かれているし、取っ手のところにはいくつもの魔石が填め込まれている。
見るからに怪しく感じるんだけど、フレイヤ達は興味もないようだ。
女性が短く呟くような詠唱をすると、ほのかに先ほどのルーペのような物体が光り始めた。
それが終わると、ルーペで俺の体を頭から足の先まで丁寧に調べ始めた。何度か魔法の詠唱をしているところを見ると、魔法によって作動する何らかの観測装置のようなものかもしれない。
「はい。全て終了よ。健康な18歳の男の子。直ぐに騎士団に復帰できるわ」
その言葉が、俺も含めて皆が知りたかったことに違いない。ドミニクやフレイヤの緊張した表情が笑顔に変わったぐらいだ。
「終わったら、リオに布団をかけてあげてもいいですか? このままでは少し……」
ずっと裸のままだったようだ。女性が頷くのを確認してフレイヤが布団をかけてくれた。
とりあえず欲しいものを要求されたから、コーヒーと着替えを頼むことにした。
「長生きはするものね。こんな青年がいるとは思わなかったわ。次の船は大型だったわね。私の部屋も用意しておきなさい」
「リオは魔導士なの?」
「そんな簡単な話ではなさそうだわ。分かったことだけを学会に発表するだけで大紛糾が起こりそうな話よ。でも、そんなことはしないから心配しないで」
女性とドミニクの会話は、コーヒーを運んできたフレイヤの搭乗で中断されてしまった。
フレイヤから渡されたコーヒーを美味しく頂く。
まだまだポットにあるみたいだから、もう1杯は飲めそうだな。
「もう少し、問診をするから2人は下がっていいわ。着替えはベッドの上に置いておけばだいじょうぶよ。夕食時には下りていけるでしょうから、軽い食事を用意してあげてね」
女性の言葉に小さく頷いた2人が部屋を出ると、女性がベッドの隣の椅子から立ち上がり扉にカギを掛けた。カーテン越しの外は夕暮れ時だから部屋の中はかなり暗いんだが、テーブルの傍のランタンに魔法で作った光球を入れて部屋を明るくする。
女医というより魔導士なんじゃないか?
「さて、2人だけになったわ。私はカテリナ。ドミニクの母親よ」
驚きの表情を俺は抑えられただろうか? どう見てもドミニクと似た年齢にしか見えない。老化を抑える魔法があるとは聞いていたが、これほどとは思わなかった。
「リオと言います。ヴィオラ騎士団に所属する騎士ということになっています」
「騎士である自覚が乏しいということね。確かにあなたは騎士ではないわ。戦機を動かすことは出来ないはず」
傍らの机に乗せられたコーヒーポットからカップにコーヒーを注いで一口飲んでいる。考えを整理しているのだろうか? それにしても砂糖の無いコーヒーをよく飲めるものだ。
俺のカップにも注いでくれたから、砂糖を2杯強請ってみた。
呆れた表情をしていたけど、きちんと砂糖を入れたコーヒーを渡してくれた。
「ドミニクは貴方が戦機を動かしていると言っていたわ。それは不可能な話だと私には思えるのだけど?」
『マスターが動かしているのが、私だからです。私は戦機ではありませんが、よく似た形状をしています』
突然、部屋にアリスの声が聞こえた。
「驚いたわ。私のバングルを使ったのね。通信機能を付け加えてはあるんだけど、魔石のコードを知っているのは限られた人物だけよ」
『それほど複雑なものではありませんから、昨夜の通信を解析しました』
アリスの話を聞いて嬉しそうな表情に変わる。おもちゃを見付けた子供の表情と一緒に見えるのが不思議なところだ。
「古代の魔道戦争で、戦機に精神を封じ込めた話があったわ。貴方はそれに類するのかしら?」
『私は私であることを自覚したものです』
哲学的な話になって来たけど、カテリナさんの目が益々輝いてきた。
「一度会って語り合いたいものだわ。……最初に戻るけど、リオ君は人間なのかしら?」
『マスターの質問にも同じものがありました。マスターは人間です。私と限りなく似たところがありますがマスターは母親から生まれました』
今度は俺に顔を向けてきた。
やはりどう見ても、おもちゃを見付けた子供と同じ表情だ。
「皆には研究段階の魔法を発動させた結果、と報告しておきましょう。色々と研究がなされているから信じてくれるはずよ。
私の見解であれば王国間を通してあなたの存在が認知されるわ。人間族の1人としてね。見返りは……、そうね、たまに私に付き合ってくれればいいわ」
何か一方的な見返りで、俺には益が無いように思えるんだが……。
「アリスもそれでいいわね。この世界の情報に付いては私が力になれるわ。貴方達の見解が周囲と会わない時には私が調整役を務められるわよ」
『マスターに従います』
アリスは俺に判断を投げてきた。
まぁ、娘さんには世話になってるんだし、騎士団以外の意見というのも、俺の行動を決める上での参考にならなくもない。
ここは、握手と行こうか。
握手しようと手を伸ばしたらいきなりキスされてしまった。
体を離したところでニコリと笑ったのが、何となく唾を付けたという感じに思えて仕方がない。
カテリナさんとの問診? が終わったところで衣服を整える。
部屋を出る時に、扉近くの鏡を見たら口にルージュの跡が残っていた。慌てて拭き取りもう一度鏡で確認したところで部屋を出る。
リビングに集まっていたフレイヤの家族に心配を掛けたことを詫びると、イゾルデさんが頭を垂れて「ソフィーを救ってくれた」と感謝する始末だ。
無事だったことを喜ぶだけで良いんだけどね。
「それでリオ兄さん。あの羽を貰ったんだけど」
「構わないさ。でも1本は分けてくれないかな。帽子の飾りにしたいんだ」
レイバンが嬉しそうに頷いてくれた。残った羽は友人達に分けてあげるんだろう。あれだけ大きかったからたっぷりと取れたに違いない。
フレイヤ達もレイバンに羽根を要求する始末だ。さて、どんな交渉が行われるんだろう。
「ドミニクさん達は、直ぐに家を出ています。まさか王都でも1、2を争う博士がおいでになるとは思いませんでした」
「俺も驚きましたよ。でも話を聞いたらドミニクの母親というじゃありませんか。ヴィオラ騎士団の騎士ということでドミニクが動いてくれたんでしょうね。確かに腕は一流です」
そんなことは無いんだけど、そう言っておけば周囲の人間は納得してくれるだろう。さすがはカテリナさん。それだけの知名度があったんだな。
少し遅くなった夕食は、俺だけ別メニューだった。どうやら5日近くも寝込んでいたらしい。皆と一緒の食事でも問題は無いんだが、スープ1皿にサンドイッチが3つだけなんだよなぁ。
とはいっても、スープは別格の美味さだ。一口飲んで思わずイゾルデさんを見てしまった。
「それが、ファルコのスープです。他の鳥では出せない旨味があるんですよ。私達はすでに頂きました。リオさんのために、肉を少し残しておいたんです」
「集荷ギルド連中が驚いてたわ。たぶん王宮に運ばれたかも知れなくてよ」
確かに美味い。1皿だけなのが残念だ。
ゆっくりと味わいサンドイッチを食べ終えると、ワイングラスが渡された。
城壁の内側といえども安心はできないようだ。
アレクがいれば少しは心強いだろう。30歳を超えて戦機に乗ることはないと言われているから、あの2人を引き連れてこの農場に帰ってくるんだろうな。