M-205 科学文明の復興に向けて
俺達の世話をしてくれるメイドさんに、夕食はすべて同時に出してくれと頼んでおいた。
ちょっと驚いていたけど、何と言っても元が中規模騎士団そのものだ。
食べられる時にお腹一杯は基本だね。
ナイフやフォークがたくさん並んでいるけど、一番大きなものを使えば全て問題ない。
さすがにデザートのプリンはスプーンを替えたけど、エミーもいつの間にか俺達に毒されてしまったようだ。
とはいえ、一度身に着いたテーブルマナーは忘れはしないだろうから、明後日の晩餐は皆エミーを見ながらの食事になりそうだな。
「導師が来るんですよね?」
「俺だけで良いだろう。同席しなくても構わないよ。ところで明日はどうするんだい?」
「皆で買い物です。隠匿空間で留守番をしている人達もおりますから、お土産を探してきます」
「良い物があると良いね」
話を聞くとアレクやベラスコ達も一緒らしい。サンドラが案内してくれるに違いない。ローザも行きたがっていたらしいけど、王女様だからねぇ……、今回は王宮でお留守番と言うことになるんだろう。
食事が終わると、フレイヤ達は女性ばかりでお茶会をするらしい。たぶん明日の買い物コースの選定が重要な話題になるんだろうな。
アレクはベラスコ相手に酒を楽しむと言ってたけど、明日は荷物持ちという重大な使命があるんだから、二日酔いにならなければ良いんだけどね。
「リオ様。来客を客室にご案内いたしました」
俺達の絵話をしてくれるメイドさんが耳元で教えてくれた。
導師達に違いない。さてどんな話になるんだろうか?
席を立つと、メイドさんの後ろに付いて客室に向かうことにした。
先を歩いていたメイドさんが、客室の扉を軽く叩いて扉を開ける。
部屋の中に一礼すると「男爵閣下がお会いいたします」と声を掛けて、廊下に戻り、俺に頭を下げる。
このまま入れば良いのかな?
ちょっと首を傾げながら部屋に入ると、全員が立っていた。深々と頭を下げる御仁と軽く頭を下げるカテリナさん達が対照的だ。
誰もいない椅子の近くまで進むと、皆に軽く頭を下げる。
「あまり気を使わないでください。俺には礼儀は必要ありません。どうぞお掛けになってください」
俺が先に座るのかな?
とりあえず椅子に腰を下ろすと、皆もそれに続いて腰を下ろした。
右手のベンチ型のソファーに座ったのはカテリナさんと導師だ。左手の御老人と中年の男女が学府の重鎮ってことなんだろう。
「レッド・カーッペットではだいぶ教えられた。確かにリオ殿の言われるような学問はこの世界のどこにもない。それなら学府としても十分に探究する価値があるというもの。学府長は賛成しておるし、それを追求使用する者もあらわれた。
となれば、リオ殿と面識を持つことも必要であろうと、やってきたのじゃよ」
導師の言葉はバングルから聞こえてくる。
その技術を使えばヘルメットに組み込むこともできると思うんだが、結構無頓着な御仁のようだ。
「紹介するわ。ウエリントン王立学府の学府長、ラドネス様よ。こちらの2人が新たな学科を立ち上げる、ニコラスにキュリーネになるわ」
「リオと言います。ヴィオラ騎士団の騎士ですが、男爵の爵位を拝命しております。爵位は気にしないでください。本人もあまり自覚がありませんので騎士の1人と見て頂ければ結構です。それと敬語は必要ありません。普段通りの言葉で結構です」
俺の話に男女が顔を見合わせている。まるで想像と違うということなんだろうな。
そんな2人をおもしろそうな表情でカテリナさんが見てるんだけど、この場にいる必要があるんだろうか?
案外、学府の連中の驚く顔を見たかっただけかもしれない。
メイドさんがコーヒーとお茶を運んでくれた。
それを飲みながら、いよいよ本題が始まりそうだ。
「新たな学問という話をブライモス殿から聞かされた時には、我が耳を疑いましたぞ。しかし話が進むにつれて、自分の年齢を考えてしまいました。
できるならわが手で体系を作っていきたかった……。
少なくとも、基本までは関わりたい。その後をこの2人に引き継いでいきたいと考えております」
単純ではないからなあ。探求が深まれば深まるほど、疑問が出てくるはずだ。
それはどんどん枝分かれをして、専門化することになってしまうのが学問だと思う。
「悪魔に近いとまで言われたパルケラスの書庫から帝国の遺産を垣間見たという話はブライモス導師より聞き及んでいます。
確かに古代帝国の書物は散逸はしていますが、無いわけではありません。問題は、その中身を読み解く人物がいないということです。
リオ殿はそれを読むばかりでなく、その知識を応用することも可能とか……。本来であるなら、それだけでも学府の重鎮として招きたいところでです」
「たまたま出来たという御理解をお願いしたいですね。色々と知見を広めることは出来ましたし、隠匿空間とリバイアサンを通じてその応用までは何とかというところです。ですが、得た知識の中には、この世界に広めたくない代物までありますから、やはり誰もがその知識を得るということは問題があろうかと考えています」
魔石の融合なんてことを実験されたら、とんでもないことになってしまうからなぁ。
あれは黙っておこう。リバイアサンの動力源は未知の技術としておいた方が良さそうだ。
「必要に応じて教えて貰えるということでしょうか?」
「そうしたいところですが、それではこの世界の学問が進展しませんよ。自ら考えて判断することが重要だと考えています。
もちろん、そのためのヒントは差し上げることができると考えていますけど」
男性が問い掛けてきたけど、一方的ではねぇ……。それでは、先生と生徒の関係になってしまいそうだ。
「知識を独占しようと?」
かなり痛いところを突いてきたな。この女性は油断できないな。
カテリナさんが笑みを浮かべて俺を見ているのは、カテリナさんも同じ考えなんだろうか?
「知る機会があるにも関わらず、それを1人が握ってしまうことが知識の独占ということになると考えています。
でも、この場合はちょっと異なるのではないかと俺は考えてますよ。
俺の知る科学は魔道科学ではないんです。自然科学という全く異なる科学体系が俺の知る科学です。
その自然科学がたまたま古代帝国の遺産に非常に似ているということになります。
この場合、知識の独占が当てはまりますか?」
ちょっと3人が驚いているな。
少し考えを整理する必要がありそうだから、一服しながら待っていよう。
タバコを取り出して、3人に視線を向けると小さく頷いてくれたから安心してタバコに火を点けた。
「魔道科学とは全く異なる科学体系というのが理解できないのですが……」
男性が、問い掛けてきた。
やはり自然科学は発展していないからなぁ。魔道科学で全て賄えるからそんな考えは出てこなかったに違いない。
「これは推測ですが、古代帝国の全盛時代に魔道科学は無かったと考えています。帝国の内戦が長く続けられた中で魔法が発達し、それまであった自然科学が魔道科学に代わってしまったのではないかと……。
リバイアサンは一辺が400スタム、高さが200スタムを越える三角柱の形を持っています。
導師やカテリナさんがどんなに頑張っても、現代の魔道科学では作ることも動かすこともできないでしょう。
それを可能にする技術が魔道科学とは異なる体系だからです。
簡単な例ですと、ここに灰皿があります。これを上空に上げて地上に落ちてこない方法を魔道科学で行うことができますか?」
「可能ですが、持続させることはできません。その重さであるなら、長くても2日というところでしょう」
「俺なら、この世界が続く限り落ちることが無いようにすることができますよ。何故なら魔道科学を一切使わずにそれを行うことができるからです」
なぜできるかを説明する。
どんな魔方陣を構築するのかと3人が身を乗り出してきたけど、そんなことをする必要はないんだよなぁ。
最初に重力という概念を話したんだが、物が落ちるのは当たり前だという考えだから困ってしまう。
とはいえ、砲弾の飛距離を話すと何とか理解してくれたみたいだ。
砲弾には魔方陣を刻まないからね。
「すると、重力を越える速度で上空に向かって発射すると落ちてこないということになるんですか?」
「そうなるよ。その速度は知っているけど、どうやって調べるか頑張ってみるのもおもしろそうだ。一番難しいのはその速度を出す方法だろう。
試行錯誤の歴史があるけど、100年ほどで実現できたみたいだ。
それに、この世界に単位があるよね。重さと、長さ、それに時間の単位だけど、その単位を誰が何時決めたのか記録があるんだろうか?
俺が一番興味を持ったのは、秒という単位だ。これを普通の暮らしに使うんだろうか? 魔道科学でさえ使わないんじゃないか。
この単位が必要なのは、自然科学の世界なんだ。だから古代帝国の自然科学の遺産だよ」
「ブライモス殿は生物の分類の話をしておりました。自然科学の幹は何本あるのでしょう?」
「大きくは3本になると思います。生物、化学、そして物理ですね。生物は生命を科学する学問です。何故そのような生物が存在するのか、命とは何かをとことん追求することになるでしょう。それは医療技術の発展に寄与できるはずです。化学は有機と無機に枝が分かれますけど、薬の調合や冶金技術の科学と言っても良いでしょう。最後の物理は自然現象の具現化のようなものですが、その根底にあるのは数学になるはずです」
「どれを欠いても成り立たないと?」
「相互に関連して発達するという感じですね。ある分野で行き詰ると、他の分野での発見がそれを補いあるいは行うことができるということがあったようです」
「さらに担当者を増やすべきだったと悔やんでいます。とはいえ、先ずは生物でしたか、そこから始めましょう。できればリオ殿にはその論文の講評をお願いしたいのですが?」
「それぐらいなら問題ありませんが、あまり多いと俺の仕事ができなくなってしまいます。その辺りはよろしくお願いします」
導師が事前検定を行うと言ってくれたから良かったものの。そうでもないととんでもない数の論文が舞い込んできそうで心配だったんだよなぁ。
お茶を飲みながら、スコーピオと魔獣との関係の考察を話すことになったんだが、魔獣は作られたものだという俺の主張に、2人の男女は目を丸くしていた。
かなりインパクトがあったに違いない。
だけど、具体的な測定データを見せながら話を進めていくと、だんだん俺や導師の言葉に真剣に耳を傾けてくる。
考察と実証データ、この2つがきちんと整理させての話であるなら、学府の連中は効く耳を持っているということなんだろう。
だんだんと熱が入ってくると、カテリナさんまで議論や疑問点を話し始める。
学府長が間を取り持つ始末だ。
新たな学科は、学府内にかなりのセンセーションを巻き起こす可能性がありそうだ。