M-169 孵化が始まった
第一陣のとりあえずの迎撃準備が終わったのだろう。到着3日目には、だいぶ落ち着いてきた感じだ。
今日の会議には、リバイアサンの礼拝所を預かるユーリル様も出席している。
どうやら、礼拝所としての機能と治療所の機能を作って貰えたようだ。
「各艦で対処不可能でもユーリル様なら何とかなるやもしれん。重傷者はリバイアサンに飛行機で輸送できるだろう」
フェダーン様の言葉に皆の表情が和らいでいた。
戦艦ならまだしも、駆逐艦や軽巡では治療所すらないだろうからね。
会議が終わったところで、俺達のリビングに案内する。
中央の大きな画像に驚いている様子だったが、ソファーに座ると優雅に紅茶を飲んでいる。
王宮とはだいぶ違うけど、ここで暮らしていけるんだろうか?
「あのような立派な部屋を頂いて申し訳ありません。見習い神官が2人、私の面倒を見てくれますが食事はここで頂いて良いのですか?」
「食堂というわけにもいかないでしょう。そんなことをしたら陛下から大目玉を食らいそうです。他の神官達には申し訳ありませんが、食堂を使うようお願いいたします」
昨日までは、フェダーン様の巡洋艦で食事をしていたらしい。いつの間にか忘れていたから申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「リオ殿のプライベート区画だ。2階層分だが、王都の貴族舘よりは遥かい広いい。風呂の大きさに驚くぞ。たまにリオ殿が入っているが、気にせずとも良い」
そこは気にして欲しいところだ。
ユーリル様は、フェダーン様の話を聞いて笑みを浮かべるばかりだ。
「フェダーン様はそのような出会いを何度かしたのですか?」
「慌てて出ていくから、おもしろいぞ。こちらとしてはのんびりと話をしても良いのではないかと思うぐらいだ」
ますます笑みが大きくなって、しまいには袖で口元を隠してコロコロと笑い声を漏らしている。
「奥方達の為を思っておられるのでしょう。王都の貴族とは異なりますね」
「どちらかと言えば騎士の矜持が大きいのだろう。ユーリル殿もその辺りは気を付けて欲しい」
俺には、どう気を付ければ良いのか分からないけどユーリル様は理解できたようだ。しっかりと頷いている。
「それで、リオ殿の体の魔道紋はどのような?」
「それが、全く出ないの。6個も体にあるならそれこそ全身に現れると思うのだけど、どこにも無かったわ。それでいて高位神官でさえできないような空間魔法が使えるのよね。更に土魔法の身体強化は神官を越えてるんじゃないかしら?
その施術をした人間は分かっているわ。パラケルス……、リオ君を取り巻く女性の一人によって生きながら砂に埋められた」
「すでにパラケラムはこの世にいないと?」
「空間魔法の発動を短時間に行うことはできないでしょう。長い詠唱を魔方陣の上で行って初めてできるの」
俺達の空間移動手段とは異なるようだ。魔法は便利に使えるらしいが制約もあるみたいだな。
生活魔法で水を出したり火を点けたりするような生活魔法は、適性さえあればだれにでも使える。
攻撃魔法の『火炎弾』も生活魔法の範疇に入るのは少し疑問もあるんだけど、ネコ族のお姉さん達は使えるんだよなぁ。
お姉さん達が持っている拳銃よりも威力があるように思えるけど、使えるのは数回らしい。
人それぞれが魔気を自然にため込んでいるためだろう。そしてそのキャパシティが使用回数になるようだ。
ある程度は素質に左右されるらしいから、訓練すれば良いということではないらしい。
「でも……、リオ君は全く異なる方法で魔法を使うのよ。教えてもらおうとしたことがあるんだけど、私には全く理解できなかった」
「カテリナ様でもですか?」
「導師もよ……」
俺が教えたという記憶が無いから、アリスが教えたのかな?
ポットからコーヒーを注いでいると、アリスが『数学の課題を出したことがあります』と耳打ちしてくれた。
高次元への介入を、数理演算を解くような形で物理的に行っているからだろうか?
アリスの時空間移動を教えるには、数学からということで課題をだしたら、カテリナさんには理解できなかったらしい。
『位相幾何学の初歩でしたが、理解不能のようです。この世界の数学はユークリッド幾何学で停滞しているようです』
「電子核数も知らなかったし、素数も知らなかった……。だけど、12進法を時刻に使ってるし、方角は360度を採用している」
『ひずんだ学問体系ですが、かつては統合されたものだったと推察します。帝国時代の学問が断片的に伝わった結果ではないかと』
結局はかつての帝国になるんだな。
栄枯盛衰はしょうがないとしても、ゆっくりと滅亡して欲しかったものだ。
それなら文化の伝承が上手く行ったかもしれない。
「ところで研究は進んでいるの?」
「カテリナ様まで知られているのですか……。隠し事はできませんね。断片的な情報を収集しているだけですのに」
いつの間にか2人の飲み物が変っている。
コーヒーと紅茶だっのだが、今はワインを飲んでいるんだよなぁ。
俺はこのままで良いけれど、これも2人の内のどちらかの魔法と言うことになるんだろう。
「レッド・カーペットはかつては無かった……。それならそれを無くす方法が必ずあるはずです」
ユーリルさんもレッド・カーペットの被害を憂いてるのか。
まだそれを見ていないから何とも言えないけど、全く影響がないウエリントン王国の王族さえもが憂いるということだから、コリント同盟の3王国の被害は大きかったに違いない。
今回だけ乗り切るのではなく、それを無くすにはどうするかと考えていたようだ。
「直ぐにできるものではないでしょうね。大魔導師の多くがそれを憂いて独自に対策を考えていたと導師が教えてくれたわ」
「未だに答えがないということは、対処する術がないということでしょうか?」
「必ずあるはずよ。貴方の思索に石を投げ込む者が現れた、というのも何かの縁があるんかもね。リオ君は私に言ったわ。『スコーピオは世界を律する存在の1つではないか』とね」
思わずコーヒーを噴き出すところだった。
そんなことを言った覚えはないんだが?
『マスターとの対話から、カテリナ様が出した推測のようです。さすがはカテリナ様ですね深い思索を重ねた結果直でしょう』
感心した口調で、アリスが耳打ちしてくれた。
そんなことを言うから、ユーリル様の視線が俺に移ってしまったんだよなぁ。
「リオ殿は何を知っておられるのでしょう?」
「たぶんカテリナさんの知る知識の上辺を知るぐらいでしょう。俺自身のこともあまり知らないのが実情です。荒れ地を彷徨っているところを、ヴィオラ騎士団に保護されたぐらいですからパラケルスという男は、俺を切り刻んで笑みを浮かべていた男ぐらいにしか記憶がありません」
「それを冷静に監視していたのが、リオ君を取り巻く美女の一人であるアリスなの。その時点ではまだ動けなかったらしいから、復讐心で心が一杯だったはずよ」
「それでパルケラスはこの世を去ったと……。自業自得とはいえ、知識も失われたということですか」
「そこがちょっと違うの。パラケルスの知識は全てアリスのものになったわ。彼が出来なかった課題さえもアリスは自分の知識で補ってしまった。現在のアリスは導師さえ超える存在じゃないかしら。アリスもこの会話を聞いているんでしょう? ユーリル様と友人になってくれない?」
『マスターの友人であるなら、私の友人です。魔道通信機で呼びかけてくだされば、応答いたします』
うんうんとカテリナさんが笑みを浮かべている。
アリスの退屈しのぎになると思えば良いのかな? 本来の性能を出してはいないようだから、形而上的な命題を解くのはアリスにとってはパズルを楽しむぐらいなのかもしれない。
「今回の戦いには、リオ君の考えた兵器が使われるわ。もっとも、時間が無かったから数は少ないけど、効果があるなら次は大規模に使うこともできる。
レッド・カーペットを無くすよりも、対策が確立する方が早いかもしれないわよ」
「それでも、研究は必要でしょう。レッド・カーペットで終わるとも思えません」
この世界自体に意思があるとすれば、本来の世界に異質な生態系を作れば自浄するに違いない。
それがスコーピオであるなら、その対策をしても次の動きが出て来ないとも限らないということか。
面倒な話だな。
帝国の内乱の最後の数年間に何が起こったのか……。
リバイアサンの生体電脳と記憶槽には、その記録が散逸してしまっている。
ハーネスト同盟が、第2のリバイアサンもしくはリバイアサンを攻略できる兵器を探しているらしいが、俺達も探してみた方が良さそうだ。
この世界の生態系を正すとしても、その発端が分からなければ再び間違いが起きるとも限らない。
ユーリル様の目指す先は、中々に難しそうだな。
改めて、タバコに手を伸ばそうとした時だ。
突然、室内に警報音が鳴り響いた。
カテリナさんのブレスレットが光り出したのは、制御室からの連絡と言うことかな?
俺にはまだだから、それほど急な話でもないのだろう。
でも警報音を出すとなれば……。
「……そう。了解したわ。目の前で一服しているから、私から伝えてあげる。フェダーン達にも連絡はしたのね。なら現状はそこまでで良いわね」
周辺相手の声が聞けないんだよなぁ。そんなこともできるのだろうか。俺の持ってるブレスレットでは相手の声が周辺にまで聞こえてしまう。
「リオ君。孵化が始まったわ。予定より早いけど、だらだらしながら待つよりは遥かに良いわね」
「空爆は何時から?」
「フェダーン達が今頃騒いでいるはずよ。まだ始まったばかりだから、明日の早朝になるんじゃないかしら? 明後日には50ケム(75km)四方を越える範囲で一斉に孵化するわ」
目標範囲が広すぎるな。
それでもやらないよりはマシに違いない。
連絡はコリント同盟軍やエルトニア王国軍にも届いているだろう。飛行船を使った爆撃は各王国も行うだろうな。




