訪問
インターフォンを押すと返事がない。なっちゃん、ひょっとして出掛けているのかな?俺を呼び出しておいて、忘れて出かけてしまったなんて事は……マイペースななっちゃんだから実は結構あり得る。一旦帰ろうかな、と思案する。どうせ近所だから家に帰ってからまた訪ねたって全然構わない。ただちょっと俺が今すっごくなっちゃんに会いたいって思っているから、残念だってだけで。
肩を落として方向転換したのとほぼ同時、ガチャリと玄関が開く音がして思わず立ち止まる。
「タロー!」
ハルだった。
「あれ、いたの?」
「いたよ!だから連絡したのに」
随分な言い方だな、と思った。それなら玄関の鍵よりまずインターフォンで一言返事をすれば良かったのに。
「入んなよ」
眉間に皺を寄せたまま、玄関にもたれかかるように扉を支える小柄なハル。ハルは不機嫌そうに俺を睨む。と言っても、ハルがにこやかに微笑んでいるって光景、ほとんど見ないからそんな様子を見ても特に気にはならない。
「なっちゃん、いるの?」
「いるよ」
「なら、入る」
「可愛くない」
ボソっと低く呟かれたけどスルーする。ハルの辛口には慣れている、反論するのも面倒だ。反論したら反論したで、三倍くらいになって返って来るのが予想できる。それを考えるとウンザリした。何しろ俺の機嫌は最悪で、精神的に今、めっちゃ疲れている。
「なっちゃんは?二階?」
「……」
だんまりだ。機嫌を損ねたらしい。最近こういう事多いな、と思う。返事がないのを了承の返事と受け取って、勝手知ったる他人の家とばかりに靴を脱いで上がり込む。
「……あの女の人と会ってたんでしょ?」
ドキっとした。だけど直ぐに気持ちを落ち着ける。そう言えば、サークルの飲み会日程を決めると言ってハルに用事を尋ねられていたんだっけ。
「ミキさんの事?」
「そう、市役所の……」
ん?
「ミキさんが市役所に勤めているなんて、ハルに言ったっけ?」
「うん、言ってたよ。浮かれ切ってデレデレ話してた」
「そうだっけ……」
自分で話していてそれを忘れているとは―――俺、若年性のアレだったりしないかな?それとも失恋のショックで忘れたか?……なんてな。俺は乾いた笑いを浮かべて首を振った。
「ま、いいや。俺上行くから」
「あ。あのさっ……えーと……」
珍しくハルが言い淀んでいる。竹をスパスパバスバス割りまくるような口調のハルが、こんな風に言い淀むのは極めて稀だった。
「……元気ないよね。彼女となんかあった?」
「……」
そりゃあ、振られてニコニコしている奴なんていないだろう。しかも二度目、落ち込まない方がどうかしている。珍しくハルから優しい気配が漂って来ていた。でも俺は油断しない。『振られた』なんて言おうものならコイツは高笑いするに決まっている。それが例えハル流の励ましだとしても、今茶化されるのはゴメンだった。
俺はハーッと溜息を吐いた。
「別に何もない」
「太郎あのさ」
「ちょっとほっといてくれない?……上行くから」
そう、俺とミキさんの間には最初から何も無かった。勝手に俺が彼女にシンパシーを抱いて、夢中になって付き纏っただけだ。最初から学生の俺なんか相手にもされていない。何度もハルにもそう言われた、きっと『ホレ見た事か!』と笑い飛ばされるのがオチだろう。
今まで女の子とのトラブルについてハルに笑われて落ち込む事があっても、ほどなくそれなりに復活する事が出来た。ハルの言う事ももっともかなって、心の整理が着いた後に彼女の厳しい指摘に納得する事も多かったし。だからこれまでは、意外とハルのキツイ揶揄いは俺の気持ちを整理するのに役立っていた……とも思う。もう少し優しい言い方ないのかって思わないでも無いけれども。
だけど今分かり切っている自分の駄目な部分を指摘されて、尚且つミキさんの感情を的確に描写されでもしたら、地の底までめり込んでしまいそうだ。
何か言い掛けたハルの伸ばされた手を振り切るように、俺は二階へと足早に逃げ出す。トントントンと駆け上がって、久しく触っていなかったドアノブに触れる。そしてノックもせずにバンッと扉を開けて、その部屋へ一歩飛び込んだのだった。
―――が、すぐに廊下に一歩下がり扉を閉める。
汗が噴き出した。そうか……ハルはこの事を言おうとしていたんだ、とその時気が付いた。俺はどうして良いか分からずその場で立ち竦む。すると部屋の中でボソボソと話し声がして、ややあって中からその扉が開けられた。
「あら、可愛い」
扉から出て来たふんわりした茶髪を揺らす派手な顔立ちのお姉さんが、俺を真正面から見据えてニッコリと笑った。気まずさに返事も出来ずにいると、ブレスレットと綺麗な桜色の爪に飾られた華奢な手が俺の頬に伸びて来た。
「佳織、そいつに触んな」
背後から笑いを堪えた低い声が響いた。
「真面目なんだから、チョッカイかけるな」
「なっちゃん……」
俺だって成人した男なんだけどな。と心の中で反論してみたりするけれども、中学校の頃こうやって肉食系の女の子を追い払ってくれたあの頃を思い出して、一気に懐かしくなる。
お姉さんがクスリと笑って、コワモテのなっちゃんにクルリと振り返りそのゴツくて堅そうな頬を細い指でグイッと摘まんだ。
「いてぇ」
「随分な言い方ね!……ちゃんと埋め合せしてよ」
「へーい、了解」
気の抜けた返答に肩をすくめて、お姉さんは「じゃね」と俺にもついでのようにニコリと微笑んだ。そしてふわりと柔らかそうに茶髪を揺らしてトントンと階段を降りて行った。
「デカくなったな、お前」
「……いや、流石にもう伸びて無いよ」
去年会った時とさほど変わっていないと思う。それに俺より遙かにデカいなっちゃんに言われると、やはり子ども扱いされているような気分になる。
「その……邪魔してゴメン。彼女?」
扉を開けた時目に入ったのは、あの茶髪のお姉さんの髪が床に拡がっていてなっちゃんがその上に両手をついている所だった。床ドン?って言うのか、こういう場面。ノックくらいすれば良かったと後悔する。
「いや?友達」
「……」
『友達』の定義が明らかに俺と違う。




