二度目のレッスン
驚き過ぎて言葉が出ない。
「Hi, How have you been ?(元気だった?)」
「あ……I'm been fine. Have you...?(元気だったよ。あなたは……?)」
「Me, too. 」
『俺も元気だったよ』ってニコリと微笑まれ、複雑な気持ちになる。良かったと安堵する気持ちもあり、無理をして笑顔を作っているのではないだろうか?と訝しむ気持ちもあって。
戸惑う私の心情を知ってか知らずか、彼は特に何かを気にする様子も無く、さらりと椅子を勧めて来た。
「Please have a seat.(座って下さい)」
慌ててストンと腰を下ろす。
「あの、アレックス……」
と言いかけて、言葉に詰まる。物怖じもせず、緑色の瞳をシッカリとこちらに向けて、アレックスは私の言葉を待っていた。だけど聞きたい事は色々あるのに、どうしても後を続けられない。それらは声帯を震わせる前に、喉の奥へポトリと落ちてしまう。
アレックスはフッと微笑んで、助け船を出すように口を開いた。
「ミキさん、レッスンに集中しようか?五十分はアッと言う間だよ。―――Let's get started.(始めよう)」
「あ……Sure!(はい!)」
慌てて私がDVDをセットすると、満足そうに彼は頷いたのだった。
結局レッスン以外のプライベートな事については、何も話さずに終わってしまった。レッスンが終わった後、通常であれば次のレッスンがあっても十分間の休みがあるので、いつもアリスやコナンはハッピーアワーの出入口まで来て私を見送ってくれる。
だけど終わった途端、アレックスは慌てて立ち上がり「申し訳ないけど用事があるので」と言うなり荷物をパッと纏め、教室から出て行ってしまった。
置いてきぼりになった私は暫し呆然として、それからモソモソと机の上の物を片付け教室から出た。すると事務の女性と目が会う。彼女は少し申し訳なさそうに、微笑んで説明してくれた。
「コナンから急遽頼まれたので彼、学校を抜け出して来たみたいなんです。慌ただしくて申し訳ありません」
「あ、全然!あのこちらこそ……有難うございます。せっかくここまで来て、キャンセルにならなくて良かったです」
彼女の言葉にそうか、と納得する。
忙しい時にわざわざ出向いてくれたんだ。気まずいだろうに、普通に接してれたのだと思うと、本当に有難いな……と改めて思う。
それからハッピーアワーの扉を出て駅へと向かう。テクテク歩きながら頭の中で考えるのは―――さっき目の前にいた銀髪に緑色の瞳の男の子のこと。
ちょっとだけ痩せた?頬がシュッとしたような気がする……卒論とか忙しいんだろうな。髪の毛も随分伸びたなぁ。前はこざっぱりした男の人って感じだったけど、ちょっと色っぽいと言うか軟派な雰囲気に変わった。ただでさえモテそうだったのに、更に色気が増してるってまずいんじゃないだろうか……いや、私が今更心配する事じゃないんだけど。
彼女とか出来たのかな。忙しいは忙しいのだろうけど、もしかしたら若いから恋愛も就活も勉強もバランス良くこなせているかもしれない。私と映画に出掛けて、別のことが疎かになっちゃってるなんて、彼は全く言って無かった。専念した方が良いって提案したのは私だ。あれは私の完全なお節介で……。
きっと呆れてるよね。あれからサッパリ連絡もないし、偶然会う事さえなかった。だからアレックスの為に……なんて色々言い訳をして自分を守った私の狡さに、彼はあの時気付いていたと思う。
そう、呆れてくれて良かったんだ。
今日会ったアレックスは、私に対してかつてのように熱意を持っていなかったように見えた。少なくとも、私の目には彼はとても落ち着いているように見えた。たまたまお父さんのコナンがレッスンに間に合わなくて、たまたま短い時間が取れたからレッスンの代理をしただけ。私に会う事に気負いも無かっただろう。だって講師と生徒、それだけの関係なのだから。
そんな風に私も、彼が私に対しての関心を手放すのを望んでいた―――はずなのに。
切ない。寂しい。そしてもう少しだけ―――話がしたかった。
でもちょっと話をしたくらいじゃ収まらなかったかもしれない。
だって私の中に現実のアレックスが足りなくて、こんなにも胸が苦しく感じてしまうんだ。
地下鉄の駅に向かっているつもりで歩いていたら、すっかり通り過ぎて大通公園の端っこに辿り着いてしまった。あと一丁歩けば次の駅に到着してしまう所だ。
札幌市の中心部に左右に長く連なる公園は、南と北を分け建物を伝って炎が燃え広がらないように設けられたもので、百メートルくらいの幅で一・五キロメートルほど緑地が長々と続いている。その西端にはひっそりと石造りの資料館が鎮座していた。
資料館の敷地に足を踏み入れる。庭園の入口からは雪をたくさんの人が踏み固めた、獣道みたいな細い通路が出来ている。私はトボトボとその後を辿るように歩いて、次の駅を目指した。
其処はかつて裁判所として使われていたそうだ。正面まで回り込んだ時、何とは無しに正面の入口を見上げる。すると目隠しをした女性の顔のレリーフが目に入った。
「何だっけ……これ」
スマホを取り出して『札幌市資料館 目隠し』で検索する。すると直ぐにヒットした。
『正面玄関の上部には目隠しをしたギリシャ神話の法の女神テミス像、左右には天秤と剣のレリーフがあります。テミスの顔をよく見ると目隠しをしていますがなぜでしょうか?それは貧富の差や権力にとらわれない法の前の平等を示しているからです』
なるほど、このレリーフにはそう言う願いが込められているのか、と納得する。説明通り彼女の左右、一段下の所に天秤のレリーフが刻まれている。確か弁護士バッチの真ん中にも天秤が刻まれていたような……何で見たんだっけ?テレビかな。
この目隠しは立場の違いに拘わらず、誰に対しても平等に判断を行うと言う意味なんだ。
逆にこうとも取れる。人は立場の違いに容易に囚われてしまうものだと。
だからこそ敢えて理想を掲げて自らを戒めているのか……。
私、やっぱり……アレックスを諦められない。
漸くハッキリと自覚した。私はグッと拳を握って、女神テミスの顔を見上げる。
立場の違いばかり気にして、アレックスの真心だけでなく自分の気持ちも邪見にしてしまった。本当に酷い事をしたと思う。最初は偶然の出会いだったかもしれない。でもアレックスは自分から……何度も私に関わってくれたんだ。諦められないって縋ってもくれた。
今度は私から、彼に訴えたい。
既に彼の中にある私への関心は、すっかり薄れてしまっているかもしれない。そしてもしかすると……もう失恋の傷を優しく慰めてくれた女の子がいたりして、恋仲になっているかもしれない。つまり手遅れって事も、十二分に考えられる。
だけどもう、ウジウジと自分に言い訳して、動かなかった自分を後悔するだけなんて嫌なんだ。例え振られるにしても―――ちゃんとはっきり、彼に私の気持ちを伝えたい。そう、思った。
おそらく次話、最終話になると思います。
なお明日から数日PC前から遠ざかるので、次話投稿はおそらく翌週水~金曜日頃になります<(_ _)>
※一部、札幌市HP掲載『札幌市資料館(旧札幌控訴院)』から引用抜粋致しました。
http://www.city.sapporo.jp/keikaku/keikan/rekiken/buildings/building05.html




