そして、月曜日
またしても盛り上がってしまった。でもこれが最後になるかもしれないから、ついつい私も会話が途切れた隙間が生まれる度に、お喋りを引き延ばしてしまう。
でもそろそろ話をしなくちゃ。キュッと唇を引き締めて、溜息を吐く。
「ミキさん、もしかして疲れてる?」
するとアレックスが心配気に私の顔を覗き込んで来た。
「ううん、大丈夫」
「そっか」
私が出来る限り柔らかく微笑むと、アレックスはホッとしたように微笑んだ。うん、もうタイムリミットだな。
「アレックス……あのさ」
「ん?」
ニコ、と笑って私を見つめる緑色の瞳。私はその奥をしっかり見つめた。
「やっぱりね、これで最後に……しようか」
「え……」
目の前の綺麗な男の子は、ポカンと口を開けた。全く予想していなかったに違いない。だって一度会わないって言ったのを撤回してから、そんなに時間は経っていない。柔らかい灰色の髪をクシャッと掴み、戸惑ったように問いかけて来た。
「何で……どういう事?」
「あのね、やっぱりいい加減な気持ちでアレックスに気を持たせるのは……やっぱり駄目だなぁ、と思いまして」
「いや、だってそれは分かってるよ?好きになって貰えるとまでは……己惚れてはいないよ。それでも良いから、ミキさんと会いたいって思って」
「うん、そうだったよね。だけどね、やっぱりそうは言っても……」
今度こそ耐えきれなくなって視線を逸らした。しっかり目を見て話そうと思っていたのに、やはりどうしようもなく気持ちが揺らいでしまう。アレックスが本気でそう考えてくれているのは分かっている。これは―――辛い未来から逃げ出したいって言う私の我儘なんだ。
「もしかして、あの男の人?」
「え?」
「同僚の……『今』さんとか言う。あの人と付き合う事にでもなったのかな?それで俺が邪魔に……」
そう絞り出すように言うアレックスの声は、暗い。私は慌てて首を振った。
「ち、違うよ……!」
「だって……あの時正直お似合いだって思ったよ。呼び方も親し気で……」
「いやいやいや!同期は皆あの人の事『コンちゃん』って呼んでるんだよ?あっちだって他の女の子もちゃん付けで呼んでるんだし。私だけ特別な訳じゃないから」
「でも」
アレックスは顔を上げて真剣な表情で、私を見つめた。
「俺、分かったんだ。あの人……『今』って人は、ミキさんの事が好きだと思う。同じようにミキさんを好きな俺には、あの人の態度を見ただけでピンと来たよ」
「うっ……確かに、その……あの後暫くして、コンちゃんには告白された」
「やっぱり……」
『絶望的』って言うのがピッタリな表情でアレックスは呟いた。私は更に焦って言葉を重ねた。
「いやっ……でもね、それはそのっ……昨日きっぱり断ったから!友達以上にはなれないって」
「え」
「だからコンちゃんがどうとか、そう言う事じゃないの。これは私の気持ちの問題で……」
泣くかもしれない。そう思ったけれども―――アレックスは眉根を顰めただけだった。そうして暫く沈黙が訪れる。三十秒ほど長い沈黙が二人の間に流れて、彼は再び口を開いた。視線を私から逸らして。
「理由は?」
「……」
「一体どうして、そう言う風に考えたの?」
「あのね」
私は大きく息を吸い込んで。それからゆっくりと言葉を選んで話し出した。
「アレックスが―――私の事好きだって言ってくれて嬉しかった。その、アレックスはカッコいいし趣味も合うし、正直結構好きだなって思う。だけど……」
「だけど?」
アレックスは視線を戻して、たどたどしく内実を紡ぐ私の顔をヒタッと見つめた。緑色の目が私の心の中を見透かそうとしている。一つ一つの言葉を選ぶにあたって、決して中途半端にしてはいけない、と私は思った。正直に、話さなければ。誠実に私を好きだと告げて繋がりを持とうとしてくれる彼に対して、嘘やごまかしで躱してはいけない。
指先が冷たくなるような気がする。裁判所の被告人席に立って弁明している気分だ。私の判断は―――正しいのかもしれないし、アレックスの為になるのかもしれない。だけど結局その判断の根本は……自分可愛さのエゴそのものでしかないのだから。
嫌われたくない。そう思うから、カッコ良く誤魔化す事も考えた。彼を傷つけたくないとも。でもそう言う中途半端な優しさがきっと一番アレックスの為にならない。勝手な私の言い分に呆れてくれた方が良い。最初は辛いかもしれない。でもその方が―――きっと結果的には彼の憂いを減らせるだろう。
「学生と社会人は……やっぱり違うよ」
「それは年下は嫌ってこと?」
「そうじゃなくて……意識も環境も違うから、付き合うとかそう言う事は考えられないの」
「何で?……俺の事、ちょっとは気に入ってくれているって今言ったよね。それに俺は付き合ってくれなくても会ってくれるだけで良いって思ってる。だから友達でも」
「中途半端な付き合いは、やっぱり駄目。気を持たせるのは嫌なの。あのね、私も学生の時付き合っていた人がいて―――就職して、その人は道外に引っ越したの。で、結局別れる事になっちゃった。私も仕事に慣れなくてこまめに連絡できなかったし、きっと相手にも別に好きな人が出来たと思う。アレックスは就職先はもう決まった?」
「……いや、まだ……」
「それならこれから忙しいでしょ?卒論もあるだろうし……就活とか学業に専念した方が良いよ」
はっ……これは余計な事だったかも。
就活中だって進学するにしたって、息抜きは出来る。いい加減な人には思えないし、きっと彼はその隙間に私と会っているんだろう。年上ぶって偉そうな事を言ってしまった。ただでさえヒドイ事を言っているのに、まるで追い討ちをかけるみたいに。
「……」
アレックスは視線を落として考え込むように手を握った。痛い沈黙が流れる。さっきの比ではないほど長い時間……私達は視線も合わさずに押し黙っていた。
ブーッブーッブーッ。
そこでテーブルの上に置いていたアレックスのスマホが震えた。さっきまではその画面を覗き込み、映画の話をして楽しく過ごしていた。私達を取り巻いていた温かい空気はすっかり冷え切ってしまい……さっきまでの和やかな雰囲気も掻き消えていた。
『ハル』
と表示される。そんな筋合いじゃないのに、胸の奥にチラリとモヤっとしたものが湧き上がる。
もしアレックスと付き合うなんて事になっていたら、私はみっともなく嫉妬してしまうかもしれない。彼がずっと仲良くして来た友人との関係に不快感を表してしまうかも。
それにアレックスは『自分は本当はモテない』なんて言っているけど―――多分そんな事は無いと思う。確かに英国紳士風の見た目に目を奪われて、勝手に理想を押し付ける女の子は多いだろう。けれどもちゃんと本人と接しさえすれば。明るい語り口、ふとした瞬間の優しい態度……趣味にイキイキと目を輝かせる所も。素敵だと感じる所はたくさん数えきれないほどあるし、それを好ましいと思う女の子はいっぱいいると思う。アレックス本人にそれが伝わっていないってだけで。
だからきっとそう言う彼の周りの女の子達……とりわけ若い可愛い女の子達に嫉妬して、グダグダ絡んでしまうかもしれない。そして結局付き合った後に失望される、なんて展開もあり得るだろう。
無表情のまま、彼はその画面を見つめる。
「……出たら?ハルちゃんからでしょ?」
モヤモヤを振り払って、そう告げると。アレックスは押し黙ったまま、スマホを手にした。
「―――なに?うん……うん、分かった。じゃ、後で」
スマホをタップして通話を終え、アレックスはそのままデニムのポケットに押し込んだ。それから顔を上げて、再び私をまっすぐ見つめて。
……吹っ切れたように、こう言った。
「ミキさんの言いたい事は分かったよ。学生の俺じゃ駄目だって事だね」
「そっ……」
否定しかけて、グッと押し黙る。私が言ったのは、まさにそう言う事だった。
「今日は誘ってくれて有難う、嬉しかったよ。ミキさんの言う通り、これからは就活と卒論に専念します。じゃあこれで」
アレックスはスッと立ち上がり、ニコリと強張った笑みを浮かべた。
「バイバイ」
「あ、うん。バイバイ……」
クルリと背を向けてアレックスは去って行った。
拍子抜けするほどあっさりと私の申し出を了解し、そのまま振り返らずにカフェの自動扉をすり抜けて立ち去ってしまったのだった。




