変わったこと
つきあった彼女に情けない悪評を広められた俺だが、その後も何度か告白もされたし、おそらく好意を持って接しているんじゃないだろうか、と思えるような女の子も何人かいた。
しかし俺は痛い経験から慎重になった。可愛い子に思わせ振りに肩を叩かれても、潤んだ瞳で見上げられても決して浮足立ってはならないと自分を諫めた。……単純な俺の体は簡単にドキドキ胸を高鳴らせるのだが、理性で何とか浮かれそうになる気持ちを抑えつけていた。次はあんな悲しい失敗はしたくない。ちゃんと相手を見て―――それから付き合わないと。
そんな中でちょっと良いな……と思った子がいた。だけど、そんな良さそうな子がモテない訳がない。素っ気ない俺の気持ちが自分に向いて無いと判断したのか、直ぐに気持ちを切り替えたようだ。暫くして同じクラスの男子と付き合っている事が判明した。
その事実を俺に伝えたのもハルだった。
「佐藤さん、橘と付き合ってるらしいよ」
「……え……」
「グズグズしているから、とられちゃったね。残念!」
アハハ!と陽気に笑う小柄なハルを、俺は睨みつけた。
「ハル―――お前、俺の事嫌いだろ」
「……は?」
「楽しそうに人の不幸を嗤いやがって」
「……忠告したげてるのに、そう言うこと言う?後で知ったりあの子のクチから聞いた方がダメージ、デカいじゃん」
ハーっと俺は溜息を吐いた。
そう言われれば確かにそうだ。それに俺が振られたり選ばれなかったりするのは―――単に自分に魅力が無かったってだけなのだから、ハルの所為じゃない。
「ま、元気だしなよ!」
そう言われても直ぐに元気になるモンでもない。
「ああ」
と頷いたきり、トボトボ歩く俺の横を何故かハルが並んで歩くのだった。
高一の俺の夏休みはとてつもなく寂しいものだった。
夏休みが始まるとすぐ、弟と一緒に英国に送り出される。中学生になってからは四つ下の弟を連れて親の同伴なしで夏休みと冬休みに父親の実家に暫く滞在するようになった。ここまではいつもと同じ夏休み。だけど帰って来てから―――この夏、俺は暇を持て余している。
中学生の頃はなっちゃんに連れ回されて、バスケ三昧。それから彼の友達と交流したりして忙しく暮らしていた。高校生になって初めて彼女が出来て、彼女の行きたい事やりたい事に付いて行ったが、結局振られてしまった。
バスケ強豪校に進学したなっちゃんは土日もなく朝から晩までバスケ漬けの毎日で、とても構って貰える状態じゃない。同じ中学の奴等ともクラスが離れてしまって、部活にも入らず高校の始まりをずっと彼女と過ごしていた俺には未だに親しい友達はいない。
自分の家で暇を持て余していた俺は、親父のコレクションを何とは無しに眺めて手に取った。暇潰しになるかもと思い、テレビを点けてそのDVDをデッキに入れた。
―――それから夏休み中、父親の書庫の映画を片っ端から制覇して。それから映画の原作本にも手を伸ばした。海外の映画に関しては日本語版と英語版の両方をチェックする。親父の本棚に無いものは図書館に足を運んで読み漁った。そうして次にはレンタル屋に通って新しい映画を漁るようになった。
なっちゃんみたいにキラキラした人間を傍で眺めているのが好きだった。映画は、そんな俺の好みにピッタリと嵌った趣味だったのだ。
幾つかの大学で英会話講師を兼任している父親は映画好きだ。留学生だった母親と知合ったのも映画館だと聞いた事がある。二人は英国で結婚したのだが、俺が五歳の頃家族四人で日本へ移り住む事になった。
父親にはたくさん兄弟がいるから英国のGrandadとNanaの心配はいらないけど、母親は一人娘だった。母親のおばあちゃんが病気で入院したのを切っ掛けに、二人は話し合って日本に拠点を移す事に決めたそうだ。
と言っても今ではおばあちゃんも入院したと言うのが嘘のように、ピンピンしていて現役で働いているんだけど。だから実家には偶に顔を出すくらいで、父親の仕事の都合もあって俺達は札幌で暮らしているのだ。
父親は俺が映画好きになってから、俺を伴って映画館に通うようになった。駅ビルにあるメジャーなシネコンから、あまり広告されない各国の映画を扱うミニシアターまで幅広い。俺はますますこうして映画に詳しくなって行った。
仕事で英語ばかり話す所為か、俺の父親はあまり日本語が得意じゃない。それと俺の英語を鍛える目的もあって基本的に二人でいる時は英語で会話をすることになっていた。夏休み中に英国の祖父母の家に遊びに行ったついでに英会話スクールにも通っていたから、英国英語なら、ほぼネイティブと変わらないくらい話せる自信はある。とは言え、父親のいない場所じゃ滅多に使わないけど。
そんな訳で映画館では英語ばかり使っている。シネコンではそうも行かないけど、ミニシアターの受付にいるここの代表をしている五十代くらいの女の人は英語が堪能なので、父親に貰った無料券を使って一人で通う時も、何となく英語を使い続けていた。
そのミニシアターでたびたび見掛ける綺麗なお姉さんがいた。
最初は「あれ?あのお姉さん、前もいたな」って思っただけだった。だけど何度か見掛けている内に―――もしかして映画の好みが似ているのかもしれない、と気が付いた。
気が付いた途端、心臓がギュッと縮まるような気がした。
あのお姉さんと話をしたい。話したら面白いだろうな……と想像するだけでドキドキと胸が高鳴った。だけど見知らぬ外国人(?)からいきなり声を掛けられたら、どう思うだろう……?と想像する。ナンパ?ストーカー?一人で映画を観に来ていると言う事は、俺と同じく彼女は映画をジックリ楽しむ事を趣味としている人なのだ。それなのに俺が声を掛けて―――邪魔をしたり、この場所に来るのを躊躇うようになってしまったら申し訳ないよな、と自分を自制した。
と、言うか『自分から声掛ける』なんて発想これまでした事ないし……!出来る訳ねぇ!
なんて、自分の想像を鼻で笑って―――そんな誘惑は胸に収めた。けれども彼女と楽しくおしゃべりするような妄想がふとした拍子にポンっと頭に浮かんだりして。何となく一人でニヤついていた所をまたハルに指摘されて眉を顰められたりして。
あれ?これってもしかして恋なんじゃないだろうか?なんて事に漸く気が付いたのは大学に進学した後。
映画に夢中になってからは、現実の恋愛にあまり興味が持てなくなって告白されても断ってばかり。いつの間にか女の子から告白される事は無くなった。ハルによると初めての彼女と付き合った後、彼女を作ろうとしない俺について様々な憶測が飛び交い、皆遠巻きに見守るようになったのだとか。
大学に進学した後、俺にまたモテキがやって来て―――留学生の多い大学だから、今度は完全に外国人だと勘違いした上で最初から英語で話しかけて来るような積極的な女の子もいて。だけど気さくに肩を叩かれたり、腕に手を掛けられたり……高校よりアップグレードした気安い女の子の態度に、昔ならドキドキして浮かれまくっていた所なのに、妙に気持ちが凪いでいた。
ドキドキしない。胸が高鳴らない。
あのお姉さんを見掛けた時には胸が高鳴るのに。彼女に声を掛けたら……なんて想像するだけでワクワクして胸が一杯になって。そんなトキメキを全く他の女の子に感じない自分を意識して―――初めて気が付いた。
俺はあの人が好きなんだ。
口も聞いた事も無い、名前も年も分からない、あの女の人の事を考えるだけで―――こんなにも胸がドキドキする。他の女の人に何を言われてもされても何とも思わなくなるほどに。




