待合わせ
土曜日。時計台の入口で百八十円を支払う。通常は二百円なんだけどロードサービスの会員証を提示すればちょっとだけ割引して貰える。
時計台は、北海道の『三大がっかり名所』って言われているらしい。北海道と言えば広大な大地―――なのに大きなビルに囲まれた市街地の中にちんまり納まっている時計台は、観光客が期待するイメージをあまり良くない意味で裏切ってしまうようだ。
だけど私は結構この建物の佇まいを気に入ってる。すっかりオフィスビル街に変貌を遂げたこの場所は、昔はだだっ広い草地だったらしい。そんな場所で、出来たばかりの札幌農学校の木造校舎や、元々は学生の為に建てられた演武場である時計台がポツンと立派なナリをして建っているのを想像するとちょっと面白い。二階ホールの雰囲気も結構好きだ。当時としては珍しい柱の無い広い空間には、教会の中にいるような厳かな空気が漂っていて気持ちが良い。友達の演奏会でピアノの音色を聞いた時は、古い木に囲まれた空間で聞く音楽って気持ちが良いモンだなぁって、ちょっと感動したんだ。
それに会社の近くなので、フラッと寄り易いって言うのもある。一階には札幌の歴史に関する展示物やちょっとした図書コーナーもあって、二階のホールには木造のベンチがずらっと並んでいる。座る場所はたくさんあるし、アレックスも偶に足を運ぶって言っていたから、そこでの待ち合わせを提案したみたのだ。
何となく一緒に何か食べながらって気持ちにはなれなかった。アレックスに対して云々……と言うより、コンちゃんからの告白の衝撃が大きすぎて。
だってアレックスとは気が合い過ぎる―――何しろミニシアターで最悪な印象を抱いた後なのに、ワリカン代のお返しにやや強引に映画に誘われた後、話が盛り上がり過ぎてすんなり友達ポジションに収まってしまったくらいなのだ。だから一緒に食事とかしちゃったら、またなし崩しに楽しくなっちゃう気がした。正直今はそう言う気分じゃない。
改めて考えてみたけど、アレックスはやっぱ彼女の気持ちを再優先すべき!だと思う。ましてや彼は、私やコンちゃんみたいに遠距離恋愛をしているワケでは無いのだから。
まあもう既に、映画友達と言う立場だとしても他の女と二人で会うのは止めてって彼女に言われて納得したのかもしれないけど。と言う前提で『この間は痴話喧嘩に巻き込んでスイマセンでした!』なんて、アレックスは謝ってくれるつもりなのかもね。
本音を言うと―――正直彼氏彼女でも個人の趣味は違うのだから、興味の無い事でも無理して合わせて付き合うとか、いつもピッタリ一緒に行動しなきゃ!って言う考えはイマイチしっくり来ない。でも付き合っている彼女を悲しませてまで貫く姿勢ではないと思う、うん。
それに彼女であるハルちゃんの言い分では、どうやらアレックスには前科があるらしい―――うーん、分からないモンだなぁ……見た目はキラキラだけど日本語で話すアレックスは、ややオタク気質の拘りはあるものの素直で素朴な男の子だと感じたのだけれど。最初に出会った英国紳士風の、押しの強い軟派な性質のアレックスが、本当の彼だったりするのかな?
あ、でも彼女も言ってたっけ。『コイツ、ごくふっつーの大学生ですから!』って。あと……何だっけ?そうそう―――
『納豆大好きだし、居眠りして鼾もかくし、お気に入りのグラビアアイドルは漏れなく巨乳!Fカップ以上お呼びじゃないって宣言していたの聞いた事あるし……!』
うん、そうだ。アレックスはFカップ以上お呼びじゃないんだっけ。
……割とマトモかも?Gカップが下限って言われたら、滅多に見つからないよね、好みの女の子。
つーか、あのハルちゃんはB……若しくはA……だろうから『彼女』にはそう言う無茶を求めない……性格重視だと言う事かな?雑誌限定ってコト?うーん……分からん。どちらにしても取りあえず一応話を聞いて、もう会うの止めようって伝えれば終わりだ。だから彼の嗜好を突っ込んで考えても意味はない。
よっし、やーめた!深く考えるの。だって私には仕事もあるし趣味もあるし、それから―――コンちゃんに言われた事もどうするか考えなきゃならないし、とにかく今は大学生カップルの痴話喧嘩に巻き込まれている場合じゃないんだから……!
木造の軋む階段を上りホールへ足を踏み入れると、ポツリポツリと存在する人影の中に見覚えのある背の高い人物を見つけた。思わずちょっと笑ってしまう。外国人観光客が多い場所だから、銀髪で如何にも西洋人!って容貌のアレックスが立っていても全く不自然じゃない。
「待った?」
声を掛けると、ジッと真剣な表情で大きな振り子式時計の歯車に見入っていたアレックスが振り返った。
「―――ミキさん」
ホッとしたように眉を緩める。そんな表情を見せられると、何だか自分が彼を虐めているような気分になってしまうから不思議だ。確かに彼のメッセージに対する返事はちょっと……いや大分遅くなっちゃったけどね。でも気持ちが纏まらない内に返事をする気にはなれなかったしなぁ。コンちゃんの事もあって、かなりアレックスに対する返事が遅れてしまったのよね。
「えーと……座らない?」
ニコリと社交辞令的な笑顔を作り、ホールにズラッと並んでいる木製のベンチを視線で示す。彼は神妙な表情で頷いた。
「「……」」
ベンチに腰掛けると、人一人分の間を空けてアレックスも腰を下ろした。
うん、適切な距離だと思う。ナンパ男には思えないなぁ。
なんてどうでも良い事を考えつつ、アレックスの言葉を待った。
「あの、ミキさん。この間は……友達が失礼な事言ってゴメンなさい」
―――『友達』?言葉の選択に違和感を感じないでは無かったが、取りあえず話を進める事にした。
「いや、別に―――って言うか彼女の立場からしたらあんな反応になるのは仕方無いよね。自分の恋人が他の女と一緒に映画を観てたら……そりゃ怒りたくもなるって」
「こい……?は?」
「『彼女』なんでしょ?あのショートカットのハルちゃんって子」
俯いていたアレックスが、目を見開いて口をパクパクさせている。
え、何で?内緒だったの?―――本気で英国人詐欺やってるつもりだった?もしかして。
「ち、違うよ!」
キーン……!と響くくらい大きな声に、思わずビクリとしてしまう。耳を抑えて顔を顰めると「あっ……ゴメン!大きな声出して」とアレックスは慌てて謝罪し―――それから真剣な表情でズイっと身を乗り出して来た。
「ミキさん、ハルは友達で……」
「でも彼女言ってたよね。『また女の人引っ掛けて』『私だけにしておけって言ったのに』って」
「それは……っ」
グッと口を噤むアレックスが視線を落とす。私はフーッと息を噴き出して、ポンと彼の肩を叩いた。
「彼女の言い分も分かるし―――これ以上誤解を招く行動は止めよう?」
「え……」
素行の悪い弟を叱る姉のような気分で、私は穏やかに告げた。俯いていたアレックスは顔を上げて、再び私を見る。
「この間、私が映画奢った分でトントンだよね?だからもう二人で会うのは止めよう」
戸惑うような表情の彼に、私はニコリと笑いかけた。
「でも楽しかったよ!残念だな~こんなに趣味の合う相手って珍しいからさ」
「ミキさん、そんな」
反論しようとする空気にちょっとだけイラつく。
ん~ここで手打ちにしてやろうって言うのに、往生際が悪いな?あんまりシツコイとお姉さん、怒っちゃうよ?本気で。そう言う意識なかったとしても、彼女に反対されても私と出掛ける事に固執するなら、今度こそ女の敵認定しちゃうよ?
そもそも彼女がいるんなら二度目は無かったのにな……って、んん?じゃあ私も少しは期待していたってコト?
んーまあねぇ、下心が無かったとしても生理的に受け付けないタイプと二人で出掛けたりはしないよね、うん。アハハ、何だ。私も結構アレックスの事気になってたんだな、だからこそ何だか裏切られたような気もするし、彼女の不満も分かると言うか……うーん、残念。彼がフリーじゃなくて非常に、残念ですよ。まっ……とは言ってもこの年の差で恋愛対象とか……普通あり得ないけどねっ!学生さんだし。
とにかくどちらにせよ修羅場に巻き込まれるのは勘弁だな、うん。コンちゃんの事も片付いていないし、大学生カップルのいざこざに関わっている場合ではない。私はウンウン、と心の中で納得し、大きく頷くと立ち上がった。
「じゃ、そう言う事で!」
片手をピッと額に当てて立ち去ろうとした所で、グンっと手首を引かれて体が止まる。
トンっとお尻が再びベンチに着地して―――私はムッとして彼を振り返った。
「アレックス、離して」
「ミキさん、待って。誤解なんだ、説明するから―――話を聞いて」
眉根を寄せて若干情けない縋る様な眼差しに、思わず怯んでしまう。
うっ……アレックス。コイツ、何でこんな表情すんの?!捨てられた子犬かっ……!
これじゃあ、まるでこっちが虐めているみたいじゃん!




