遠距離恋愛
行こうか、と促され歩き出すコンちゃんの背中を追った。コンちゃんは珍しく口を噤んだまま無言で歩き続ける。いつもより少し歩くのが早い気がする―――追い付くのがやっとで、言葉を掛ける事が出来ない。と言うかどう声を掛けて良いのか自体、全然思いつかないんだけど。
暫くそんな風にコンちゃんを追い掛け小走りで歩いていた。けれども突然ピタっと立ち止まったその背中に、ドンっと顔をぶつけてしまう。
「いたぁ」
「あ!……ゴメン!」
コンちゃんはパッと我に返ったように振り返って、鼻を抑えて俯く私を心配気に覗き込んだ。
「だ、大丈夫?」
オロオロとした声にちょっとだけ安堵する。コンちゃんは敢えて私を無視していたのではなく―――やはり動揺していたのだろうと分かったからだ。
私は顔を上げてアハハと笑って見せた。ぶつかって潰れた鼻はややジンジンするけど……堪えきれないほどの痛さではない。
「大丈夫、大丈夫」
するとコンちゃんはショボンと肩を落とした。
「ゴメンね、考え事しちゃって―――歩くの速過ぎた」
悄然と謝罪するコンちゃんに対して、少し申し訳なくなる。だって普段はこのくらいの速さで歩いているんだろうなって気が付いたから。きっと私と歩く時は気遣って速度を落としてくれていたのに違いない。
「あの……コンちゃん、ゴメンね」
「え?」
「私、知らなくて……コンちゃんと彼女の事」
「―――っ」
息を飲む気配がした。罪悪感で目を逸らしたくなったけど、それじゃあ謝罪にはならないだろう。だから背の高いコンちゃんをシッカリと顔を上げて見据えた。
「何度も『彼女と付き合い続けているの偉い』……なんて言って、ゴメン。だから私に別れた事、言い出せなかったんでしょう?」
「それは……」
図星だったのか、コンちゃんは気まずげに視線を逸らした。
「なのにさっきも思い遣りの無い発言しちゃって。コンちゃんはただ私の為に心配してくれただけなのに―――」
「違うの」
言葉を被せるようにコンちゃんが吐き出した。私は問いかけるように、目を逸らしたまま眉を顰める彼の顔を見つめる。
「心配したのは―――ミキちゃんの為だけじゃない。ほとんどは……自分の為」
「え?」
「ミキちゃんがあの子と二人きりになるのが、嫌なの」
コンちゃんが逸らしていた視線をゆっくりと戻した。辛そうに眉を顰めたまま。その仕草が妙に男っぽくてドキリとする。
「僕、ミキちゃんが好きなんだ」
「え―――は?」
思わずぼんやりと聞き返してしまう。一瞬幻聴かと思った。
「何言って―――えっと、そうだ!彼女と別れて……寂しかったからそんな気がしちゃったんじゃない?」
そうだ、それぐらいしかない。実は私も、彼と別れた後は何だか寂しくて色んな人を誘って飲みに行って愚痴ったりしたものだ。繋ぎ止める努力を怠ったくせに、改めて別れを告げられるとモヤモヤしちゃって。だけどそうやって暫く過ごして行く内に―――徐々に気持ちも落ち着いて来て、自分の落ち度も今の現状もちゃんと受け入れる事が出来て。それからは割と独り身も気楽で良いって気付いて、今では楽しく過ごせている。失敗したり凹んだりもするけれど仕事も充実しているし、趣味もある。この先どうなるかは分からないけど、だから少なくとも今はまあまあ幸せ。
そんな私の言葉を耳にしたコンちゃんは、グッと両拳を握り込んで首を振った。
「違うの、もっと前から―――ミキちゃんの事好きになっちゃって。でも彼女がいるのに身近な女の子に気持ちを移した彼氏のこと、ミキちゃんは明るく愚痴ってたけど本当は傷ついているって知ってたから……言えなくて」
「え、それって……」
じゃあ、コンちゃん、彼女と付き合っている時から―――私の事好きだったってこと?
「ミキちゃんが僕に興味ないのは分かってた。だから彼女のこと大事にして忘れようって何度も自分に言い聞かせたの。もしかして彼女が仕事に夢中で連絡が取れない寂しさで、気持ちがフラフラしているのかなって考え直したりした。だけど一年くらい前から彼女が……仕事辞めたい、結婚してこっちに来たいって言い出すようになって」
コンちゃんは言葉が追い付かないように、少し早口になった。
「その時、やっぱり彼女とは結婚したいって思えなくて―――」
私は慌てて口を挟んだ。何だかコンちゃんが盛り上がり過ぎてて、焦ってしまったのだ。頭を冷やして落ち着いて欲しかった。
「待って待って、コンちゃん!それって―――彼女が好きかどうかってコトじゃなくて、ただ単にさ『まだ結婚したくない』ってだけなんじゃないの?男の人って二十代じゃまだそう言う覚悟できていない人も多いんじゃない?だからそう思ったのにあまり私の事は関係ないんじゃ……」
「―――関係あるよ。僕、その時ミキちゃんだったら結婚したいって思ったんだもの」
思わず息を飲んでしまう。その時「ひぁ?」と変な音が喉から出て来て、恥ずかしさに頬にが忽ち熱くなる。
「こんな風に有耶無耶に伝えたく無かったんだけど……」
コンちゃんは目を閉じて、溜息を吐いた。そして頭を切り替えるように首を振って、しっかりした口調で、強い視線で私を見据えた。
「ミキちゃん、付き合って欲しい。僕の事何とも思っていないって知ってるけど―――考えてみて」
「えっ……でも」
その視線の強さにたじろいで思わず私はキョロキョロと視線を彷徨わせてしまう。コンちゃんは構わず続けた。
「それと、その事は別としてお願い。あの男の子と話をする時……ちゃんと友達として大人しくしているから、一緒に連れて行って」
「ええー……それは……」
それはマズいような気がした。
関係をハッキリさせないでコンちゃんの好意の上に胡坐を掻く行動は、彼の気持ちを聞いてしまったからには、ますます出来そうも無い。コンちゃんの精悍な眼差しに晒されて、視線の当たる場所がジリジリと熱い。
コンちゃんがちゃんと男の人なんだって、改めて意識する。いや、元々知ってはいたんだけど。微かに怖い―――そう思ってしまった。嫌いとかそういうんじゃないんだけど。ドキドキしてソワソワして、笑って誤魔化せない今の状態が何だか落ち着かない。
もしかして私は―――いや、もしかしてじゃなくて十中八九、私はコンちゃんに甘やかされてきたかもしれない。彼はこれまで彼の思う所を、ひた隠しにしてくれたのだ。同期の友達としての私の感情を、慮って尊重してくれたんだ。
だから私は首を振った。
「それは……出来ない」
「どうして……?」
コンちゃんが大きな右手で私の肩を掴んだ。私はハッと息を飲んで身を固める。すると私が身を固くしたことに気が付いたコンちゃんが、パッと手を離した。
あ。また、気を使わせてしまった。その事実に、胸の奥がズクリと疼く。
「うん、えっと―――あのね?コンちゃんが心配するような事にはならないし、ならないように気を付ける。だからコンちゃん、私を信頼してちょうだい」
私が彼の目を見て、しっかりとそう返答すると、コンちゃんはクッと口を噤んで―――それから、ハァっと息を吐き出して肩を落とした。
「うん、分かった」
頷いた後腕組みをしたコンちゃんが、キッと私を睨みつける。そしてさっきまで纏っていた重苦しい空気を取り払うように、パッと笑顔になった。
「その代わり―――何かマズい事になったら連絡してね。あと、愚痴でもなんでも聞くし」
「うん」
私はホッとして体の力を抜いた。
「ありがとう。その時はちゃんと、連絡する」
「きっとね」
微笑んで私を解放してくれたコンちゃんに感謝した。
ああ本当に甘やかされているな……そう思うと、胸が一杯になった。




