月曜日
「はぁあ~……」
「What’s wrong ?(どうかした?)」
流暢な英語が頭の上から降って来たので、顔を上げる。
「アレックス……あの、別に何でも……」
「...You promised you’d speak English here, right?(ここでは英語で話すって約束したよね?)」
「あ、そうだった。ゴメン、じゃなくて、えーと……It's OK! Never mind!(大丈夫! 気にしないで!)」
「...Really?(ホントに?)」
「Sure!(うん!)」
『大丈夫、何でもない』と首を振ると、アレックスは心配気に顔を覗き込んで来た。
待ち合わせていたシネカフェのテーブル席で、肘を付いて顎を乗せ盛大に溜息を吐いた所を見られてしまったのだ。何でもないって言われても、そりゃあ疑うだろう。
おひとり様が寂しくて切羽詰まって年下の大学生に手を出し遊ばれるんじゃないか?と、同期の友達に心配されてしまう自分が残念過ぎて溜息が出た……なんて言いたくないし、適当な英語表現も浮かばない。上手くニュアンスを伝えられずに妙に深刻な雰囲気になっちゃっても困るから暗いネタは引っ張らないでおこう。映画の上映時間も迫って来ていることだしね……!
カップルデーの月曜日にシネカフェで落ち合う約束を交わした時、アレックスから提案があった。『ミニシアターとシネカフェにいる間の遣り取りは英語限定にしよう』と。英会話の勉強にもなるし、まあいっかと考え私は了承した。
アレックスも以前からここでは日本語を使わないらしい。その理由は何となくはぐらかされてしまった。言いたくないのか、理由がないのか、その辺は良く分からないけど……その辺は突っ込まずに放置した。だって二人で会う目的は、映画を観て楽しむこと。細かいコトを掘り返して、あえてこの場を気まずくする必要はないと思ったのだ。
「Grab a pew!(座って!)」
掌で向かいの椅子を示し勧めると、アレックスはニコリと爽やかな笑顔を返して来た。
「You remember the previous lesson!(この間のレッスン、覚えているみたいだね!)」
彼は私を褒めてくれた。前のレッスンの事をちゃんと覚えていたんだねって。
『Grab a pew』―――そう、これは以前アレックスが担当してくれたレッスンで彼に教えて貰った英国英語の表現なのだ。レッスンの後改めて確認したら『コンサルティング探偵シド』の台詞中、やはり同じ表現が使われていた。このドラマを好きだと言うアレックスは、もしかしてあの時私を試したのかもしれない。ドラマの台詞で以前使われていた表現を覚えているかどうかと言う事を。
辞書を調べたら『pew』は座席とか協会のベンチを示す単語だった。『Grab a pew』または『Take a pew』で、椅子を勧める慣用句になるらしい。つまりは『Take a seat = 座って下さい』って言うのと同じような表現なのかな。
「えーと……Yes, I remember that you used that expression before. In “The Consulting Detective Sid”, a suporting player said so.(うん、君が前にその表現を使ったの、覚えているよ。『コンサルティング探偵シド』で、脇役の人が言ってたよね)」
「Exactly!(その通り!)」
英語ばっかりってやっぱ、ちょっと疲れるなぁ……いや、この大変さがのちのちの英会話力向上に繋がるんだよ。うん、頑張ろ。と心の中で自分を励ましつつ、スープセットを注文する。今日はお昼ご飯を食べ過ぎたので、夕飯は控えめ。同じ課の先輩と職場の近くの美味しいと評判のランチビュッフェに行き、欲張ってしまったのだ。明日の朝体重計のメモリがランクアップする事は決定事項になってしまったけれども―――大変美味しかったので悔いは無い!
アレックスもスープセットだ。これは前回と同様。
やっぱ小食だなー……だからこう、スタイルが良いのかね?この子は。
「Alex...You are a small eater, aren’t you? Is it enough?」
思わず『小食だね、足りるの?』って聞いてみたくなった。今日は私もスープセットだけど、普通だったらこれじゃ絶対足りない!私よりずっと背が高いのに、そんなんで栄養が足りるのか心配になったのだ。
「It's enough. Since I’ve just eaten two dishes of curry.(十分だよ。さっき、カレーを『two dishes』食べたばかりだからね)」
「は?……カレー食べたの?え、ついさっき?」
「Speak English!」
『英語で!』と言われ、慌てて言い直す。
「あっと、うん。えーと、Did you eat curry? Yet?(カレーを食べたの? もう?)」
「Yes, I did.(うん、食べたよ)」
「Two dishes?!(二皿?!)」
「To be exact, two-extra-large-portion-dishes.(正しくは、『two-extra-large-portion-dishes』ね)」
「えっ……エクストララ―ジって……ええ!大盛?つまり大盛カレー二杯?!すごっ……」
『正確には大盛二杯』と事も無げに言い直したアレックスに、愕然としてしまった。
全然小食じゃなかったのね。大盛二杯のカレーをさっき食べたばかりと言っておいて、更に目の前に配膳されたスープセットをペロリと平らげるアレックスの様子を目の前にして。
「若いってスゴイね……」
なんて思ってしまった。なんか一気に年寄りになった気分だ。
映画を観終わって駅まで歩く道すがら、英国人から日本人に戻ったアレックスが先ほど交わした英会話について、補足説明をしてくれた。
「そう言えばミキさん―――通じない訳じゃないけど『小食』って言う時『small eater』はあまり使わないんだ。逆に大食いは『big eater』ってよく言うけどね」
「え、あっそうなんだ。じゃあ……何て言えばいいの?」
「『I eat small portion.』とか。あと『I eat like a bird.』かな?」
「『like a bird.』?『小鳥みたいに食べる』って、何か可愛い言い方だね」
私の素朴な感想に、アレックスはクスリと笑った。
「ちなみに『大食い』の時は『You eat like a horse.』って言う」
「へぇ~『馬』?たくさん食べる動物ってイメージあんまりないなぁ。豚なら分かるけど」
「確かに『like a pig』も使えるけど……」
と一旦言葉を切って、アレックスはこちらを向いて目を細めた。あ、何か意地悪そうな表情!
「気を付けてね―――『食べ方汚い』って言ってるのと同じだから」
「ええ?!そうなの?ブタさんって可愛いイメージだったんだけど……危なかったぁ、知っといて良かったよ。間違って使ったら怖いもん」
思わず胸を押さえて溜息を吐くと、アレックスはクスクス笑い出した。
「―――ホント、ミキさんって面白いよね」
「は?……何処が?私、いたって真面目な生徒なんだけど」
英会話の時の私は必至過ぎて、ふざける余裕なんて全く無い。
「だって、初対面の相手にボーイズラブ表現満載の原稿渡すし、際どい単語を大きな声で連呼して意味を尋ねて来るし」
「あっ……!だ、だってそれはたまたま……あの時ちょうど話の切れ目で、初めてあのサイトの解説文使って……それにアリスだと思ってて……」
「凄い事聞いて来るな……揶揄われているのかな?思ったら、今みたいに焦って目を白黒させたりして……ふっククク……」
アレックスは口元を抑えて笑いを堪えている。
そ……そう言えば……今の今まで忘れていたけど。
あの時はアレックスの事を年上の社会人だと思っていた。
だけど実際は大学生の男の子で―――私は年下の男の子相手に、あのBL要素満載の資料を押し付けたのだ。……完璧セクハラだよね……。
「あの……その節は大変失礼いたしました。ああいう表現が多いって私気が付いて無くて……セクハラだよね、本当に」
シュンと肩を落として立ち止まると、笑っていたアレックスも立ち止る。気まずさに俯いていた私は、思い切って顔を上げた。
彼は緑色の瞳を細めて、とても優しい表情で私を見下ろしていた。―――思わずドクンと心臓が跳ねる。
「―――あの……ゴメンね」
重ねて謝罪の言葉を口にすると、アレックスは溜息を吐いて―――私の両肩に手をポンと置き、キリッと真面目な表情でこう言ったのだ。
「いや―――むしろ大歓迎です!」
「なっ……バッカじゃないの!真剣に謝っているのにナニ言って……!」
思わず恥ずかしさにカッとなってしまい、考えるより先に手が出た。
気付いた時には遅い。私はアレックスのお腹に、ボスっと拳を叩き込んでしまっていた……!
「ぐふっ……」
「ああっ!ゴメン!そんなつもり……!」
そこはもう地下鉄駅の改札広場で。たくさんの人が行きかう中、お腹を抱えてその場に蹲るアレックスに、あちこちから視線が集まっている。
う……謝るつもりがぁ!何故こんな事に……?!




