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アル中の歌  作者: 岩本翔
250/260

アルコール依存症250

「死はいつも他人の死だという御都合主義的愚かな考え方からすると、他人の死を見て、本当は自分が死ぬべき筈であったのに、この人が死んでくれたのだと思う、感謝の考え方に発想転換した方がいいという事ですよね?」と悪友は言った。

悪友が尋ねる。




「死はいつも他人の死だという御都合主義的愚かな考え方からすると、他人の死を見て、本当は自分が死ぬべき筈であったのに、この人が死んでくれたのだと思う、感謝の考え方に発想転換した方がいいという事ですよね?」





巫女が答える。





「そんな発想転換はいい事だとは思います」




悪友が加えて質問を連ねる。





「例えば無生物、人形などが自分の身代わりになって死んだ場合、人形は無生物と捉らえるのは逆の意味でおかしく、人として捉らえるべきだと言う事ですか?」





巫女が答える。





「それは常識、普遍的な事柄だと私は思います。死はいつも隣り合わせにあると言う発想を以って感謝するべきだし、人の念が入る入らないに関係なく、無生物も生物と同等に尊いものだと捉らえれば無駄遣いなど一切しないし、人間は万物の霊長であるという驕り高ぶりは消え失せますからね」




悪友が尋ねる。





「その意見は巫女としてではなく、無為なる消費や無駄遣いを牽制する一般常識人としての、人間の驕り高ぶりを糾弾、論うという事ですか?」





巫女が答える。





「巫女としても一般常識人としてもの考え方ですね」




死刑囚が言った。





「死がいつも自分の隣り合わせにあるという発想は、考えてみると、それって大いに革命的な発想転換ですよね。驕り高ぶってなんかいられませんよね?」





巫女が答える。





「そうですね」

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