アルコール依存症214
痴呆状態の婆さんが行雄の苦しむ声を聞き付け、眼を見開き正気を取り戻した。
海の底。
物理法則を無視して、水中都市を取り巻く巨大なガラス面に夥しい数の人々の心の映像が張り付き、それが七色に反射しながら動いて行く。
人と人が言い争う映像や、反対に食事を摂って談笑したりする映像、結婚式や葬式の光景などが、まるで遊具で遊ぶ子供達のようにひしめき輝きながら、ガラス面を滑らかに移動して行く。
その夥しい人々の喜怒哀楽の場面映像が、やがて心の水のように音もなくガラスに浸透して行き、落下して集合し、行雄の声に変わり、痴呆状態の婆さんの耳に少しずつ届いて行く。
「ば、婆さん、俺の事を思い出してくれよ…」
「婆さん、俺と一緒に酒飲みに行こうぜ」
「婆さん、き、今日は本当に最高の酒だぜ、俺嬉しいよ、婆さん」
「婆さん、で、でも俺婆さんに会えて嬉しいけれども、ちょっぴり寂しいんだ。婆さん」
「ば、婆さん、酒は飲めたけれども俺無性に寂しくて堪らないのだ、婆さん」
「ば、婆さん、俺寂しいわ。寂しくて、苦しくて堪らないわ。婆さん、俺を助けてくれよ、婆さん」
「婆さん、お、俺苦しいよ、婆さん、俺苦しくて死にそうなんだ。ば、婆さん」
「助けてくれよ、婆さん、助けてくれよ、婆さん、お願いだから」
その声に耳をそばだてていた痴呆状態の婆さんが、正気を取り戻して眼を見開き、瞬きを何度も繰り返してから独り呟いた。
「い、行雄今助けてやるから、待っていろ」




