木漏れ日の森の賢者
暖かな、そよ風が吹く季節。葉を優しく撫でる風に導かれ、小鳥たちは綺麗な歌を紡いでいる。柔らかな地面に注がれる光は、朝でも昼でも穏やかで、常にきらきらと輝いていた。
そこは、近隣の村人たちより《木漏れ日の森》と呼ばれる森。魔物の消えた、純粋な動物たちのみが生態系を成す、世界でも数少ない安全な自然地帯。多くの村の男たちが数日おきに狩りに訪れるその森は、この領域を収めている王国にとっても、誇るべき場所であった。
最も、単に安全な森であるというだけでは、一つの国が誇るほどの理由にはならない。故に他国では一時期、多くの噂が囁かれ、言伝に真実ではない理由が広まったこともあった。王国に仕える魔法使いたちの実験場、密やかなる離宮、果ては単に結界が張ってあるだけ――そういった虚偽の理由は、当然いつしか王国にも届いた。しかし、その上で、時の王はこう語ったと言う。
『真実は、我らのみに託された』
王国は正しき理由を、決して世界へと伝えることを良しとはしなかったのだ。真実はいつの時代も、王国の王都、その城の中の書館にて保管された、一冊の書の中に。あるいは、その時代の王と、その家族と臣下のみが、偉大なる歴史としてその胸に刻み込んでいった。
《木漏れ日の森》と呼ばれるその森には、一人の魔法使いが住んでいた。
すでに百は越えたその森で暮らす年月は、しかし、彼の容姿を変化させることも、またその心を移ろわせることも、成せはしなかった。
齢十八ほどの若い青年の姿をしたその魔法使いは、今日も自らの魔法で創った小さな家から出て、空を見上げる。背中の半ばを越す、艶やかな黒の長髪がゆれ、整った美貌に揃った藍色の瞳が、眩しそうに細められた。
彼は呟く。かつて、強大なる魔を幾度も屠ったその魔法を紡いだものと、同じ音色の声で。
「あぁ、今日も良い天気だ」
《木漏れ日の森》の、その奥にて。
今日もまた、人知れず《賢者》と呼ばれる彼の、遅いながらも迷いのない、森の散歩が開始する。