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第四章

  第四章


 なんの心境の変化も、現実面での進展も無いまま、呆気なく三日後の朝が来た。

 相変わらず悪夢を見る。

 家族の前では愛想笑いの仮面を被り、自責の念で歪んだ顔を隠し通していた。

 生徒会の件に関しても同様で、前にも後ろにも一歩も踏み出せずにいる。

 完全に自分を捨て切る覚悟とは、実際にどうすれば出来るのか、いくら考えても答えは出なかった。いや、むしろその答えを流磨自身が避けているのかもしれない。

 そして今日も問題を先延ばしにするように思考を止めると、停車したバスを降りた。

最近の唯一の救いといえば、他のクラスメイト達と何も考えずに馬鹿話をしている時間くらいだった。逃げている時間とも言えるが、そんなことは考えないようにしている。

 だが、まさかその逃げ場さえも自分を追い立てる怪物の一つになろうとは、この時は思ってもみなかった。

その日の朝のHR前、用を足しに教室を出た流磨は、同じ階にある職員室に出向く途中だった生徒会長に偶然出喰わした。一瞬返事を期待するような目をした沙輝だったが、流磨が目を逸らすと残念そうに笑い、ちょっとした世間話程度の挨拶をしただけで、急ぐからとすぐに擦れ違い去っていった。

 この間、周りにいた生徒達が物珍しそうにこちらを見ているのには気付いていたが、事情を知られたわけでもないしと、特に気にも止めなかった。

しかし、その考えが如何に甘いものだったか、流磨はこの後すぐに痛感することになるのだった。


「よっすリュウ、お前どうすんだ? あの生徒会長と付き合うのか?」

 本鈴ギリギリに教室に入ってきた春季の唐突な質問に、予習を切り上げようとしていた流磨は訝し気に顔を上げた。

「おはよ春季……なんの話だよそれ」

「とぼけるなよぉ! みんな言ってるぞ、リュウが生徒会長に告白されて、返事待たせてるって!」

「……!」

「やるなぁ、リュウ」

 ニヤニヤしながら肘でつついてくる春季に思わず絶句する流磨。

 恐る恐る周囲に目を配ると、皆興味津々という顔でこちらに注意を払っている。

「春季、その話どのくらいまで広まってる?」

「へ? さあなぁ……とにかくオレは色んな奴が話してるのを聞いたぜ?」

「……マジ?」

 頭から血の気が引くのを感じた。

内容がばれなければ噂になりようがないだろうと高をくくっていたが、まさかそういう方向に話が持っていかれるとは。

「まぁ、いかにもみんなが面白がって広めそうな噂だしなぁ」

 どうすべきかと目を泳がせている流磨の横で、春季が最もらしく頷く。

「お前、他人事だな……」

「あぁ、羨ましい他人事だな! で? で? どうするかもう決めたのか?」

 話題を変える隙も与えず、『ワクワク』という擬音表現がピッタリくる顔で詰め寄ってくる春季。

クラスメイト達も固唾を呑んで聞き耳を立てている。

 目眩を覚えながら、溜息を吐く流磨。

「オレ、告白なんてされてないんだけど……」

「えっ? 何だ、そうなのか?」

 間髪入れずにこくりと頷く。

「あぁ、勘違いもいいトコ」

流磨の言葉に皆、意外そうな声を上げる。

「そうだったの? そうだよねぇ! よかったあ!」

「私達、華峰君が誰かと付き合ったらどうしよ~ってすっごく心配してたのーーーー!」

 いつも何かと流磨に纏わり付いてくる通称取り巻き四人組が嬉しそうに走り寄ってきた。

「はぁ~あ、ったく人騒がせな……」

途端にクラス全員の意識が分散し、教室に元の喧騒が戻ろうとした、その瞬間。

「……でもさ、じゃどうして生徒会長と話してたの? しかもあたしの情報によると結構親しげだったって話だよ?」

 静寂を蘇らせたその声の主は、流磨の後ろの席で頬杖を付く千空だった。

これ以上追求されずに済みそうな雰囲気に胸を撫で下ろしたのも束の間、流磨は突然の切り返しに対応しきれず口籠もった。

「べ……別に親しげなんかじゃ……そう、ただクラス委員として世間話をしてただけで」

「なーにー? 今の不自然な間と明らかに棒読みなセリフはーー?リュウちゃん絶対何か隠してる! 大体、世間話で返事がどうとかって呼び出しはあり得ない!」

「なっ……何でお前そんなことまで知ってるんだよ?」

 ハッとした。

 顔を硬直させたままクラス委員仲間二人に視線を向ける。

目に映ったのは、わざとらしく口笛を吹く植田と、引きつった笑みを浮かべてこちらに手を合わせる赤地の姿だった。

「お、お前らぁ! 裏切ったな!」

「そう、すでに証言は得ているわ! 観念しなさいリュウちゃん」

勝ち誇ったような千空の笑みに再びクラス中がどよめき始めた。

「何だよ、やっぱり噂はホントって事か?」

「そんな……ウソでしょ? 華峰君!」

(まずい……どうすればいいんだ)

ここは諦めて本当のことを言ってしまった方がいいのかとも考えたが、こんなに熱気を帯びたクラス全員の前で発表してしまえば、それこそ後に退けなくなってしまう。それだけは避けたかった。

「さあ、リュウちゃん、ホントのトコはどーなの? 言えば楽になるよぉ?」

だからといってこの鉄条網に囲まれたような状況からどうやって抜け出したらいいのか、いくら頭を絞っても思いつかないのだった。

 結局どうすることも出来ず、激しい追求のヤジを黙秘で跳ね返し耐えていると、見兼ねたように植田が立ち上がった。

「リュウ、口が滑っちまったオレも悪かったけどさ……ここまできたら腹をくくっちまえよ、その態度は生徒会長に失礼だと思うぞ」

「な……」

(何を言うつもりだ植田……)

「植田ちゃんの言うとおりだよ、まさかリュウちゃんがここまで往生際が悪いとはね~」

 黙秘権という最後の砦までも呆気なく壊されそうな展開に、目の上を押さえる流磨。

「なあ、どういう事だ? 勿体ぶってないで教えてくれよ」

男子生徒の一人がしびれを切らしたように声を上げると、植田はそれに答えるように皆を見回し、一呼吸おいて口を開いた。 

「この前の放課後、教室に会長がリュウを迎えに来て返事がどうとかって……で、二人は一緒に帰ったっぽかった……な? リュウ」

「マジで?」

 教室中が沸き返り、流磨に注目する。

確かにそれだけ聞くと、そういう事情以外に考えられないのが納得できて虚しかった。

だからといって本当のことも話せない。

「違う」

 取り敢えず否定だけはしておくが誰の耳にも入っていなかった。

「もーーホンット罪な男だよねぇ! もっと自慢しなよリュウちゃん!」

「ひどいよ華峰君! 私達にウソついてたのね!」

「付き合っちゃヤダぁぁ!」

「なんでリュウばっかそんなモテんだよ、納得いかねぇなっ」

「そーだよ少し分けろよこの野郎っ!」

 賞賛や羨望、嫉妬等様々な感情をぶつけられる中、流磨は完全に固まっていた。

「これでいいんだよ、こういう事は隠さず堂々としてりゃみんなすぐ飽きるさ」

一人、師匠ヅラで微笑む植田を睨む気力も一秒で尽きた。

これから先のことを考えると、脱力感から逃れることはどうしても出来なかった。

 

 昼休みになり、千空やその他リポーター化したクラスメイト達を何とか撒いて三年の教室がある三階へ行くと、突然誰かに腕を掴まれ近場にある非常階段まで連れてこられた。

「……ふぅ、焦ったよ……誰にも見付かってないよね」

「会長……」

 息を切らし、辺りを見回しているのは生徒会長その人だった。

「やっぱり……三年生まで伝わってるんですね……」

「あぁ、さっき聞かされたよ……しかしスゴイ事になったねー……私がキミに告白とは……」

「すみません……」

生徒会長ならこの件も笑い飛ばしてくれるのではと仄かに期待していた流磨だったが、想像以上に元気がない彼女を見て頭を下げた。

「はは……何でキミが謝るの……私が考え無しに行動したのがいけないんだよ、ゴメンね」

「いえ、オレの友達がこんなに大袈裟に広めたんだと思います……それにオレがすぐに返事してたらこんな事には……」

 自分の不甲斐無さを痛感した。そして、それでもまだ答えを出そうとしない臆病な心が悔しくて強く唇を噛み締める。

 そんな流磨の思い詰めた表情を見て、沙輝は困ったように微笑した。

「なーに言ってんの! 迷うのは当たり前のことだよっ……でもそうか、もし私がこの噂のせいで失恋したりしたら、キミに責任取って代わりに彼氏になって貰うってのも悪くないかもね?」

「えっ……」

「冗談だよ……そんな本気で返さんでくれよ」

 そう言って渇いた笑いを漏らす生徒会長を、流磨は真顔でじっと見詰めた。

「それ……ホントに冗談ですか?」 

「何? キミは付き合う気ありとか?」

「いえ、そっちじゃなくて失恋って方……」

「ああ…………冗談だよ冗談、深く考えないでくれたまへ」

 沙輝はいつものように笑ったが、一瞬しまったという顔をしたのを流磨は見逃さなかった。どうやら冗談ではないらしい。

「まぁでも本当のことが言えないってのが一番痛いね……ノーコメントは肯定に取られやすいからなぁ……」

人気の無い非常階段に腰を下ろして腕組みする沙輝。

 ここではっきりと返事をするのが一番いいのだ。

 だが流磨の口からはどうしても言葉が出てこなかった。

 未だに兄のようになる自信も、自分を捨て切る覚悟も出来ていないということに嫌でも気付かされる。

(無様だな……)

無様な自分も、それを責めることしか出来ないもう一人の自分さえも憎かった。

(華峰流磨はいらない……オレは……華峰夕真になりたいんだ)

 目を閉じて、強く、それだけを願った。

(どうすればいい? ……オレはそれを知ってるはずだろ……ずっと前から)

 流磨がそんな葛藤をしていることなど知る由も無く、沙輝は脳天気に今の状況の打開策を並べ立てていた。 

「今の噂よりもっとインパクトの強いデマを流すって陽動作戦はどうかな? 実は私とキミは生き別れの姉弟だった! ……とか」

「会長……」

「……ダメ? やっぱ」

 苦笑しながら頭だけ振り向いた沙輝は、流磨の暗く深刻な表情を見て笑みを消した。

「どうしたの? 華峰君」

「オレ、ホントはっきりしないどうしようもない奴です……でも、やっと自分の中でケリを付ける決心が出来ました……だからそれまで、もう少しだけ時間を下さい、お願いします……!」

「え……別にそんな切羽詰まらなくてもいいって! こんな噂、無視しとけばそのうちみんな飽きるんだから、気にしない気にしない」

 流磨の追い詰められたような言動に驚き、沙輝は慌てて両手を激しく振った。

「いえ、やっぱりこのままじゃいけませんから……自分のためにも……」

「う~ん、キミがそう言うなら口は挟めないけどさ、私の勝手な勧誘が元なんだからあんま深刻にならないで、ゆっくり考えてよ、ね?」

 沙輝の心遣いに感謝し頷きながらも、流磨の決意は固かった。

 もう、苦しいだけで何の意味も無い葛藤を繰り返してばかりの自分を、この世界から消してしまいたい。

 その覚悟が、漸く胸に宿った。

 何かを切り捨てたような顔をする流磨に一抹の不安を覚えながらも、沙輝は扉の向こうの物音に耳をそばだて始めた。

「さぁて、こんな所で二人きりでいるのが見付かったらどうなる事やら……そろそろ解散としますか」

 誰もいないのを確認してからこちらを振り向いた沙輝はもう一度念を押すように言った。

「いいかい? 決して無理はしないで、よーく考えた上で自分の納得できる結論を出してくれよ? キミ自身の答えでいいんだ。ま、勿論私は良い返事を期待してるけどね!」

 別れ際の決まり文句となったその明るい声がこだまして、ゆっくりと扉が閉まった。

 静かな非常階段に一人残された流磨は、鋭い目で宙を見詰め、昼休み終了間近までその場を動かなかった。


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