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第十七章

   第十七章


 職員室へ行く途中の廊下で、教室に向かおうとする担任と鉢合わせた。息を切らせて猛然と走ってくるクラスの優等生を見て、口を開けて立ち止まる担任の前川。

「どうした華峰、何かあったのか?」

 クラスで何かあったのかと勘繰り顔色を変える前川に、無我夢中で掴みかかる流磨。

「先生! 転校って……転校って本当なんですか?」

「転校……? あぁ……確か小葉が……」

 普段は冷静でしっかりした生徒の激しい動揺振りに一瞬呆然とした前川だったが、すぐに何かに思い当たったような声を上げた。

「あぁ、転校したって言うと小葉だな……でも華峰、小葉とそんなに親しかったのか?」

「……えぇ…………」

 目に映る映像が音を立てて崩れていくような気がした。

 勇気はもういない。

(こんなお別れってないだろ……勝手だよ勇気……オレの気持ち、お構いなしかよ……)

 しかし瞬間、怒りにも似た悔しさが沸々と胸に込み上げてきた。

(嫌だ……絶対に、絶対に会いたいんだ……! これっ切りになんかさせるもんか……)

 音が鳴る程歯を食い縛り、ゆっくりと目を上げた流磨の瞳には、今まで持ち得なかった闘志の光のようなものが宿っていた。

 目の前にいる教え子がそんな決意をしたことなど知る由もない前川は、何か考え事をするように視線を宙に漂わせている。

「先生、じゃあ勇気はいつこの町を出るんですか? もう出てるとしたら行き先は?」

「えっ……いや、実は俺も詳しくは知らないんだ……何せ急だったからな、親御さんの都合だろうが……引っ越し先から連絡してくるつもりなんじゃないか? まぁ在学期間も短かったし、その義務はないから分からんがな」

「……そんな……でも何か、少しでも何か知りませんか? どの辺りに行く……とか、どうして転校するとか……」

 学校側からなら、何かしらの情報が聞き出せると踏んでいた流磨はショックを隠しきれずに食い下がった。何もないところから一人の人間を捜し出すのは難しすぎる。せめて一つでもヒントが欲しかった。

 だが、無情にも担任は首を振った。

「……本当なら登校もしないという話だった生徒なんだ……俺よりも、お前みたいな友達の方が詳しいんじゃないか?」

「登校するはずじゃ……なかった……?」

 流磨は乾いた声で、独り言のように聞き返した。

 その話が事実ならば、一つの可能性に繋がるものを感じた。

 前川は流磨の深刻な表情に戸惑った様子で、それがどうしたんだとばかりに頷いた。

「あぁ、そういう話だった。だが先々週あたりから急に登校し始めてな、どうしたんだと聞いたら、自分が行く筈だった学校にちょっと興味があって、一、二週間だけ通ってみることにした、皆には転校のことは内緒にしておいてくれと言われていたんだ。そうなのかと納得して俺もそれ以上は何も聞かずに他の生徒と同じように接してきたんだがな……」

「確認は……してないんですか……?」

「えっ、確認? なんの確認?」

 流磨は目を丸くする前川の顔を見据えて息を呑み、そして吐いた。

「彼が、小葉勇気本人じゃなかった……って可能性もあるんですか?」

 流磨の噛み締めるような真剣な語調に、一瞬はっとなる前川だったが、すぐに思い直したように笑った。

「ははっ! 小葉じゃない誰が来るって言うんだ? 制服や教科書一式全部揃えてまで、ほんの二週間ばかり身代わり通学する奴なんかいるもんか! おい華峰、ミステリー小説かなんかの読み過ぎじゃないのか?」

「……先生、今日早退します」

「お、おい! 華峰?」

 前川の困惑した声を背中で受け流しながら、流磨は走った。

 いよいよ、自分の思惑が核心に迫ろうとしている。

 勇気は、あの観覧車で、自分は兄の声を聞けると言い、兄を体に取り憑かせ、兄の言葉を代弁した。

 しかし、もし勇気自身が兄だったとしたら?

 あの時の叫びは勇気の言葉。

 全ての行動は兄の想い。

 そう信じている、自分がいた。

 ――諦めるな! 心残りがあるなら後悔すんな!

 流磨は頷き、次々に過ぎ去っていく景色の、その先を見詰めた。

 何処にいるのかなんて分からなかった。

 それでも、会わなければならない。

 勇気との出会いの意味を理解する為に、全てにけりを付ける為に、そして何より、ただ会いたかった。

 涙が出る程に、会いたくて堪らなかった。


 まず、流磨は入学時に配られた連絡網に載っている勇気の家の電話番号に電話を掛けてみることにした。しかし予想通り、現在この番号は使われていないというアナウンスが無機質に何度も繰り返されるだけだった。

 電話ボックスを出た流磨は、落胆する間も惜しんで、もう一つの情報、同じプリントに記された小葉家の住所に向かった。

 勇気の家は学校から徒歩十五分位の距離にある、街道沿いに建つアパートの二階だった。

 表札に名前は無く、ここに勇気が居る可能性の低さを示していたが、それでも微かな期待を込めてインターホンを押した。

 だが、やはり返事は無い。

 諦めきれずに何度も押し続けていると、隣室の住人が顔を出した。

「どうしたの? そこ、誰も居ないよ」

 右隣のドアから出てきた大学生くらいの男性の声で我に返った流磨は、半ば意地になって押していたインターホンから手を離した。

「そう……ですか……」

 一握りの希望が闇に呑み込まれる。

「引っ越したみたいだよ、もう、結構前から人が住んでる気配しないし……」

 それだけ伝えてそそくさと部屋に戻ろうとする男性の腕を、流磨は思わず掴んでいた。

「あのっ! 結構前って……どのくらい前から居ないんですか?」

 矛盾があった。

 勇気の話ではゴールデンウィーク明けに転校すると言っていたし、少なくとも三日前まではこの町にいた筈なのだ。

 大学生は、血相を変えて掴み掛かってくる流磨を気味悪そうに見返し、腕を振り払った。

「知らないよ! 挨拶もなしに出てったんだから……!」

「大体、大体でいいんです! 教えて下さい、お願いします!」

「……一ヶ月くらい前じゃないの……定かじゃないけど……」

 流磨に頭まで下げられて、大学生は仕方なしにぼそりとそう呟くと、今度こそ部屋に入って行った。

 残された流磨は暫く佇んでいたが、やがて何かを確信したように再び走り出した。

 小葉家は一ヶ月前に引っ越していた。では、三日前までいた小葉勇気は、あのアパート以外の一体何処に帰っていたというのだろう。

 何か別の事情があるのかもしれない。

 現実的で、理に適った事情が。

 しかし流磨の頭には、もうそんなものは入らなくなっていた。

 ――お兄ちゃん……

 流磨は今一番思い当たる、勇気が居そうな、兄が居そうな場所に足を向けた。

 夢の中に出てきた、あの景色。

 あそこになら、きっと居てくれる。


 バスを飛び降り、気持ちに追いつかない足にもどかしさを感じながら土手沿いの道に入る。

(どこ……どこだ?)

 二人で夕焼けを眺めた位置からはまだ距離があったが、横目で川原を見下ろし勇気の姿を探さずにはいられなかった。

(勇気……いてくれ……!)

 痛烈なまでに願った。

 息切れの余り喉が激しく痛んでいることにも気付かず、流磨は兄との思い出の場所を目指した。

 そして漸く、渇望する景色が目の前に姿を現した。

(勇気……)

 流磨は土手の上から食い入るように辺りを見渡した。

 しかし――見える範囲隅々まで目を凝らしてみたが、視界は誰も居ない静かな川原の上を空転するだけで、勇気の影も形も捕らえることが出来なかった。

(いない……? 嘘だろ……!)

 流磨は諦めきれない気持ちを手放せず、土手を駆け下りた。

「勇気!」

 悲痛に叫ぶその声も、川のせせらぎに吸い込まれていく。

 それでも流磨は、何度も何度も勇気を呼び、周辺を探し回った。呼び続けていれば「どうしたの、リュウ?」なんて、とぼけ顔の勇気がひょっこり現れてくれるかもしれない。

 それは、痛々しい程の微かな希望。

 しかし、やがて声は掠れ、足も棒のように動かなくなった。

 相変わらず、川のせせらぎだけがしつこく耳にこびり付いてくる。

 流磨は青みを帯びた柔らかい雑草の中にへたり込み、隙間の無い緑を見詰めた。不意に通り抜けていく風は髪を揺らすのと同時に、無意識にふくらんでいた涙の粒を攫った。

 やはりもう、再び勇気に会うことはないのだろうか。

 急に、今まで走り回っていた自分が馬鹿らしく思えてくる。

(もう……どうしたらいいんだよ、オレは)

 強く強く奥歯を噛み締めて、悔しさと憤り、苦しみが通り過ぎるのをじっと待った。

 しかし、胸の痛みは後から後から吹き出して、いつまで経っても底を突く兆しが見えず、ふと気付いた。待っているだけで通り過ぎるくらいの想いなら、もうとっくに諦めていただろうことに。長い間、ただ受け身に生きてきた自分がこんなにも必死になれたのは、単純に、ただ諦め切れないから。

 流磨は顔を上げ、動かなくなった足を無理矢理奮い立たせた。

(オレは、絶対後悔しないって言い切れるくらい全部、出来ることを全部やったのか?)

 自分自身に問い掛ける。

 流磨は、静かに首を振った。

 勇気が本当にいなくなるのは、兄の命日である明日の筈だ。

 証拠はないが、流磨はその可能性を信じた。

 自分の中にまだ僅かな可能性があるにも拘わらず途中でやめてしまったら、それは出来ること全てをやったことにはならない。

 流磨は再び瞳に光を灯すと、頭の中で次に行く場所の目星を付けた。

 ――今度はもう、あの時みたいな後悔はしたくない

 胸に固く宿るその想いが、重くなった足を前に踏み出させた。


 それから流磨は、とにかく勇気と少しでも関わりのあった場所をしらみ潰しに巡ってみることにした。

 最初で最後になった勇気と遊んだあの日、はしゃぎながら回った公園や沼地などを順番通りに辿った。一緒に母のお弁当を食べた川の上流にも一時間以上掛けて行ってみた。

 しかし、祈る気持ちも空を切り、望む存在はやはり見付けられなかった。

 それから流磨は休む間も惜しんで来た道を引き返し、一度家へ戻ると、幸い買い物に出ていた母に見付かることなく自室に貯金していたお年玉の残りを持ち出して再び家を出た。

 迷いのない足取り。

 一瞬も立ち止まらず、走った。

 今までの人生の中で出したことのないくらいの本気を、今、流磨は出していた。

 他の何をも顧みない程の懸命さを。

 六年分の想いが、今に集約されているかのようだった。


 その日、流磨は三日前に行った遊園地にまで行き、『兄』と会話した観覧車にも乗った。

 勇気のいない三十二番の観覧車の中で流磨は、あの時とは違う昼下がりの陽光に照らされた遊園地を見下ろしながら、窓に手を突き立ち尽くしていた。

 がらんとした室内に、風の鳴く音だけが寂しげに響いている。

「勇気、なぁ……お前、どこに行ったんだ?」

 誰もいない向かいの席に問い掛けてみる。

 勇気の、イルミネーションに照らされた寂しそうな笑顔が一瞬だけ浮かんで、消えた。

 残ったのは、眩しい程に光差す観覧車内。

 流磨は押さえ込むような溜息を吐いて、手の平で顔を覆った。

 ここまで意地になって来てしまったが、一日中走り続けて体が軋むように痛い。

(次は……次はどこを探そう……)

 考えたが、何も出てこなかった。

 ここが最後の頼みの綱だった。

 勇気との付き合いは、たったの二週間。それでこれだけ思い出の場所がある方が流磨にとっては驚くべきことだった。

 途切れてしまった道で立ち往生した流磨は、気が抜けたように席に着いた。

(あの日、目の前に勇気がいたんだ)

 造作なく、目に浮かぶ。

 勇気の笑顔、怒り顔、泣き顔。

 あれだけ見ていて、どうして気付かなかったんだろう。

 兄の優しさに。

 気付いていたら、会えたのに。

 ずっと会いたかった兄に会えたのに。

 目の前にいながら、会えないまま去っていった兄。

 勇気のまま、去っていった。

(ありがとうって……言いたいんだ……会いたい……お兄ちゃん、勇気……っ)

 最近緩すぎる自分の涙腺に苛立ちを感じながら、必死に熱くて痛い感情を抑える。

(泣くな……っ! 泣いたってどうしようもないんだから……っ!)

 自分に言い聞かせる言葉も虚しく、抑え切れず涙が溢れた。

 これじゃあ、兄がいなくなって泣いていた自分と何も変わらない。

 強くならなくてはいけない。

 兄も、そう望んで自分の前に現れてくれたのだから。

 それだけで他には無いくらい幸せなことだったのだから。

 これ以上望むのは、贅沢なのかもしれない。

 勇気との出会いの意味、そんなことはとっくに分かっていた。

(……ごめん、お兄ちゃん……オレ、強くなるよ……もうお兄ちゃんが心配して出てこなくていいように…………でも、今だけは悔やませて……お兄ちゃんと再会出来なかったこと……)

 流磨は観覧車が一回りしている間中、声を殺して泣き続けた。

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