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第十三章

   第十三章


 軽く二時間は待たされそうな長い行列を横目に、流磨は息を切らせて予約専用の受付にチケットを出した。

 多少乱暴に突き付けた為か、受付係の女性が一瞬怪訝そうに目を上げ流磨を見た。が、すぐに営業スマイルを作るとチケットに目を通し、今度は戸惑ったように手元の時計を見た。

「乗り場の方へお急ぎ下さい、恐らくまだ間に合うと思いますが……」

 係員がそう言い終わるか終わらないうちに、流磨は人垣を掻き分けて乗り場に走った。

「七時十分、三十二番予約の方! 居ませんかー? もう閉めますよー!」

 男性係員の良く通る声が響いてきた。

「待って下さい! 乗ります!」

 必死で声を張り上げると、迷惑そうな顔をしていた他の予約客達も道をあけてくれた。

「あぁ、いましたよ、今来ます」

 流磨の存在を認めると、係員は三十二番の観覧車に顔を突っ込みそう声を掛けた。

(勇気……乗ってるんだ)

 途端に鼓動が速くなる。

 どんな顔をして会ったらいいのか、最初に何を言えばいいのかさえ考えていなかった。

「急いで、もう昇っちゃいますよ!」

 しかし考えている暇などある筈もなく、係員の焦った声に急かされて転がるように乗り込むと、闇色の窓をバックに座っている勇気と目が合ってしまった。

 不思議な感覚だった。

 正真正銘、勇気がそこに居る。

 ある筈のないものを見ているような気分だった。

 勇気は放心したように流磨を見ていた。

 流磨も似たような表情で勇気を見ていた。

 だが、流磨の方はすぐに我に返り、強く下唇を噛んで俯いた。

 何を言えばいいのか分からなかった。謝る資格さえないと思っているのに、何故、自分はここへ来てしまったのか。

 ――勇気と話がしたかったんだろう? また、前みたいに――。

 身勝手な望み。

 しかし、この想いだけでも最後にぶつけてみようと思った。許して貰えなくても、罵倒されるだけだとしても、もう兄の時と同じ後悔はしたくなかった。

 流磨は覚悟を決めたように、強い眼差しを勇気に向けた。

 夜景を際立たせる狙いか、観覧車内は小さなオレンジ色のランプが灯っているだけで、ダークブルーのシャツに黒いジーンズ、灰色のジャケット姿の勇気は、濃い影のようだった。

 だがその影の中で、瞳だけは意志の光を宿し、しっかりと流磨を見返していた。

「……勇気、千空から話、聞いたよ……オレ……疑ったりして、本当にゴメン!」

 有りっ丈の想いを込めて頭を下げた。

 そうしながら、千空の顔が脳裏を掠めた。

 千空もこんな想いで自分に頭を下げたのだろうか。

 ごく数秒の間が、永遠と思える程長く感じられた。

「……いいよ、怒ってなんかいないから……頭上げてよ、リュウ」

 予想外に優しい口調。

 流磨が呆然と見上げると、勇気は柔らかな笑顔で微かに頷くだけ。そしてその笑顔には、ほんの少し寂しさの色が混じっているような気がした。

「ねぇ、リュウ見て! スゴイ綺麗だよ!」

 勇気は完全に気分を切り替えた様子で、眼下に広がるネオンの群集を指さし歓声を上げた。

 だが、流磨はそれに賛同する気にはなれなかった。

「何で……」

「リュウ?」

「何で……何でそんな平気な顔が出来るんだよ勇気! オレはお前を疑った……裏切ったんだぞ? 普通キレるか愛想尽かすかするだろ? 何でそんなあっけなく許したり出来るんだよ? 何考えてるんだよ勇気……分かんないよ……」

 苦しさに声が歪んだ。

 言ってから、自分を笑顔で許してくれた勇気に掛ける言葉ではないと思った。しかし、言わずにはいられなかった。自分は勇気を知らな過ぎる。もしこのまま元の鞘に戻れたとしても、また再び同じことが繰り返されるに違いない。それが漸く分かったような気がした。

 勇気は、ふと流磨から視線を外して窓の外を見た。

 何も答えない。

 その静かな表情からは、何を考えているのか全く読むことが出来なかった。

「それだけじゃない……どうしてそんなにオレに構う? どうしてオレに優しくしてくれる? 信じてくれるんだ……? 頼むから答えてくれよ……でないとオレ……情けないけどやっぱりお前のこと完璧には信じられない……」

 ――もう二度と、お前を裏切りたくないんだ……!

 言葉に込められたその想いが伝わったのだろうか、暫く目を伏せ、迷っているような表情を浮かべていた勇気が、軽く溜息を吐いて流磨の方を向き直った。

「とにかく座りなよ、リュウ」

 言われて初めて自分が立ったままだったことに気が付いた。バツが悪そうに席に着く流磨だったが、これでまた話が誤魔化されるのではないかと、警戒した目付きですぐに勇気に視線を戻した。

 しかし、それはいらぬ心配だったようだ。

 勇気は少しも茶化すことなく、真剣な顔付きで床を見ながらぽつりぽつりと語り始めた。

「……まずどうしてオレがリュウを責めないか……それは今リュウも言った通り、よく考えればリュウがオレを信じられないのも当然だと思ったから……オレ、リュウに自分のこと何も話してなかったでしょ?」

 分からないくらいの苦笑を浮かべながら見上げてくる勇気の目を、流磨は黙ったまま見詰め返した。

 勇気のことだ、話さなかったのにはそれなりの事情があったのだろう。それが分かるから流磨も敢えて訊かなかった。だがやはり、信じることに臆病になっている流磨にとって、本当に信頼し合う為の材料が足りなかった。

 特に無償の奉仕とも言える勇気の優しさが、流磨には疑問でならなかった。その疑問を早く解いてしまいたい、そして勇気を本当の意味で理解し、信じたかった。

「リュウに付きまとってたのはね……自分と似てるから放っとけないっていうのも本当だよ……でも、リュウの目には不自然だったんだね……確かに本当は……それだけじゃない」

 一言も口を挟まずに勇気の言葉を待つ流磨。

「やっぱり、話さないといけない……よね」

 勇気は再び難しい顔をして躊躇うように黙り込んだ。

 一体どんな理由があるというのか。

 ほんの一週間前に出会った、大人しめで、天然ボケで、しかし一本通った芯に他にはない強さが感じられるこの少年が、自分にこだわる理由。

 全く、想像もつかなかった。

 やがて、勇気はゆっくりと顔を上げ、目を逸らすのが難しいくらいの真っ直ぐな瞳を流磨に向けた。

「オレね、リュウのお兄ちゃんの気持ちが分かるんだ……すごく、すごく分かるんだ」

 散々待たされた末に出た勇気の言葉。流磨は全神経を集中して受け止めることにした。

「……分かる? 勇気もオレと似たような経験したとか? でも……死んだお兄ちゃんの気持ちが分かるって……?」

 勇気は首を振った。

「ううん、そうじゃなくて……う……ん……何て言ったらいいのかな……リュウのお兄ちゃんの想い、言いたいことが分かる……って言うのかな」

「? ……どういう意味だ? お前お兄ちゃんに会ったことあるのか……なハズないよな」

 例え会ったことがあったとしても、兄が死ぬ前といったら勇気だって幼かった筈だ。兄が本当に言いたかったことを理解し、今まで覚えていて今更伝えようとするとは考え辛い。

「会ったことはないよ……でも分かるんだ、本当だよ、お兄ちゃんの気持ち……今だって伝わってくる、痛い……くらいにね」

 勇気は「ここに」とでも言いたげに胸を押さえて寂しそうに笑った。

 しかし流磨は勇気の真意が分からないまま、それどころか余計に疑問の糸が複雑に絡み付いていく。

「勇気……それってまさか、お兄ちゃんの霊が見えて話せるとか……そんな冗談言わないよな……?」

 半笑いで、半分ギャグのつもりで嫌な予感を口にすると、勇気はまるで今の一言を吟味するかのように宙を見詰めた。

「霊と会話、か……もしかしたらそういうことなのかもしれない。考えたこと無かったけど、ずっと前に死んだ華峰夕真……くんと、オレは会話して、リュウにそれを伝えてるだけなのかも……しれない」

 勇気のその現実感の無い答え、覚束ない口調は、まるで下手な言い訳か冗談を聞かされているようだった。しかし、冗談だろうと覗き込んだ瞳はこの上なく真剣で、そんな逃げ道を潰してくれる。

「……本気で……言ってるのか……」

 こめかみを押さえながら、歯切れ悪く尋ねる流磨。

 勇気は今度は確信するように頷いた。

 確かに嘘を言っているようには見えない。

 しかし……

 ――そんな……そんなことって……ある……のか? 本当に……

 要するに勇気は、兄の霊に頼まれて、それで自分にお節介を焼いていた、と……そう言っているのだろうか。

 どんなに突拍子もない話でも、必ず信じようと心に決めていた。

 しかし、この突拍子のなさは流磨の予想を遙かに超えていた。

 言われてすぐにハイそうですかと納得出来る内容のものではないのは確かだった。

「簡単に信じてもらえないのはよく分かってる……自分でもよく分からないくらいだしね……でも、本当なんだ……」

「……勇気」

 勇気の目を見て、流磨はじっと考えた。

 自分は、また勇気を疑うのだろうか。

 突拍子もないとか、そういうのは言い訳に過ぎない。自分は目の前の勇気から今度こそ目を逸らしてはいけないのではないか。

 そう、思った。

 流磨は目を閉じ、もう一度思い返した。

 勇気という人間を、見極める為に。

 たった二週間程の付き合いだが、勇気の色々な表情、言葉が、驚く程脳裏に刻まれていることに気付かされた。

 最初の朝、事故現場を目の前にして立ち竦んでいた流磨に声を掛けてきた勇気。

 事故現場に飛び出して危うく死ぬところだった流磨を、体を張って助けてくれた勇気。

 死にたいと言った流磨を泣きながら叱ってくれた勇気。

 どんなに苦しい思いをしている時も、勇気の明るい笑顔が流磨の気持ちを晴れさせてくれた。

 瞼を開き、涙が零れそうになるのを耐えた。

 危うく二度も勇気を裏切るところだった。

 流磨は思い出を巡っていた視界をゆっくりと夜景をバックにした勇気に戻すと、少し震えた声で、こう言った。

「それで……お兄ちゃんは何て?」 

 それを聞くと、勇気は驚きと安堵が混ざり合った、心底嬉しそうな微笑みを浮かべた。

「うん……お兄ちゃんはね、いつもリュウのことを思って、心配してる……リュウが元気で、ずっと笑っててくれるようにって願ってるんだよ」

「お兄ちゃんが……? ウソだよ」

 勇気の言葉を聞いて、途端に流磨の顔に暗い影が落ちた。

 自分の所為で命を落とした兄が、そんな風に思っている筈が無い。

 やはりこれは、勇気が自分を励まそうと一芝居打っているに過ぎないのではないかと思えてきた。

 突然冷めたように視線を窓の外に逸らしてしまった流磨を、勇気は悲しそうに見詰めた。

「リュウ、ウソじゃない! お兄ちゃんは本当にそう思ってるんだ、何度も何度もオレにそう言ってたよ!」

「そんなキレイな話あるわけないだろ? いいよ慰めてくれなくて、どうせオレにはそんな資格無いんだ……余計虚しくなるだけだよ」

 自分を責めている時の癖である皮肉笑いを浮かべ、色を失った遠い目をする流磨を見て、勇気は悔しそうに歯を食い縛った。

「どうして分からないの? リュウがそんなだから、お兄ちゃんは天国に行けないってこと……リュウのその気持ちがお兄ちゃんを苦しめてるんだよ? 何なら今本人と話す? 話せるんだよリュウとだって!」

「やってみろよ、どうせ芝居だろ? 大体お前の話はオレに都合が良すぎるんだよ! じゃあ勇気、お前だったらどうだよ、誰かのせいで自分が死んだら、その誰かを許せるか? オレだったら許せない、幸せになって欲しいなんて思えるワケない! 人間だったら誰だってそうだろ? もしお兄ちゃんがまだ成仏出来てないってんなら、それはオレを憎んでるからだよ、呪い殺したいくらい憎んでるからだよ……!」

 六年間の想いが暴発したような、鬼気迫る迫力と剣幕だった。流磨自身、途中から自分で何を言っているのか分からなくなってしまっていた。

 肩で息をしながら、微かに我を取り戻して勇気の反応を窺った。

 勇気は流磨の顔をじっと見詰めたまま、涙を流していた。その顔は、いつもの寂しそうな泣き顔とは違った、何か突き崩すことの出来ない強靱な意志のようなものが感じ取れる顔だった。

「……?」

「呪い殺したいなんて……思ってるわけないだろ……? そんなに頭悪かったのリュウ? あの頃の楽しかった思い出も、幸せだった時間も、リュウには全然伝わってなかったの……? オレの……お兄ちゃんの思いも分からなかったって言うのか……? リュウが……大好きだって気持ちも……」

 違った。

 喋り方も、微妙な表情も、明らかにさっきまでの勇気と違っていた。

(なんだ……これ……)

 咄嗟に先程勇気が口走っていた言葉が蘇る。

 ――何なら本人と話す? 

 そんな推測を必死で振り払う。

 そんな筈あるわけ無い。

 これは、勇気の芝居だ。

 そう思うと猛烈な不快感が湧き起こった。

「やめろ……オレとお兄ちゃんの思い出を汚すな……軽々しく入ってくるな……!」

「……確かに最初は、悲しかった……自分が死んで、父さんや母さん、小さかったシュウや梨歌、リュウにも……もう会えないって……『何で?』って……ずっと悔しかった……でもねリュウ……今までリュウのこと見てて、気付いたんだ……」

「勇気、やめろって言ってる……」

 待て。

 数秒遅れでハッとする。

 ――オレ、柊馬や梨歌のこと、勇気に話したことあったっけ――

 改めて、勇気の顔を見上げる。

 一瞬眼鏡に光が反射する、その奥の瞳が別の誰かと重なった。

 息を飲む音が、耳に大きく響いた。

 鼓動が急激にペースを上げる。

 ――ウソ……だろ……?

「リュウが……死んだオレよりも……もっともっと苦しんでるって……あの寂しがりで泣き虫だったお前が……オレのことでもの凄く辛い思いしてるって……気付いて、それで、その苦しみはきっと終わることはないんだって思ったら……」

「……に……ちゃ……?」

 無意識に、口から声が零れ落ちる。

「今はそのことが一番悲しいんだ……そのことが一番悔しいんだ……リュウ……ごめん……ごめん……!」

 胸が千切れそうな痛み。

 勇気から強烈に伝わってくる痛み。

「お兄ちゃん……」

 流磨の呆然とした呼び掛けに、勇気は何か支えを失ったかのように涙を溢れさせた。

「リュウ……やっと会えた……ずっと、ずっと謝りたかった……」

 その優しく包み込むような表情。

 記憶の中の兄がいつも向けてくれる表情。

 今にも消えてしまいそうに涙を零し続ける『夕真』を、流磨は咄嗟に抱き締めていた。

「お兄ちゃん……!」

 胸の奥から熱いものが込み上げ、止めることが出来ずに溢れてくる。

「会いたかった……ずっと、会いたかったよ……!」

 もう、勇気の演技でも、夢でも何でも良かった。例え錯覚だとしても、今、目の前に兄がいる。そう信じられるだけで。

「お兄ちゃんごめんなさい! オレ……あの時……ごめんなさい……!」

 あの時言うことが出来ずに後悔していた言葉を、流磨は漸くの想いで伝えた。

 夕真は、自分の胸に顔を埋めた弟の背中を優しく撫でるように叩いた。

「……リュウが謝ることじゃないよ」

「だって……! オレがあんな所まで行かなきゃ、お兄ちゃんは!」

「オレがもっとリュウの寂しさ分かってあげてれば、リュウにあんな無茶させずに済んだんだ」

 夕真は憎しみの欠片もない穏やかな声で、しかし瞳にはしっかりと意志の光を宿らせて言った。

 それでも納得出来ずに首を振る流磨。

「そんなの違うよ! お兄ちゃんは忙しかったんだ、オレと遊べなくて当たり前だったんだ!」

「それでも、リュウに寂しい思いさせたことには変わりない」

 きっぱりとした迷いのない夕真の態度に、流磨は気押されたように俯いた。その表情は、嬉しさと悔しさを混ぜ合わせたような複雑なものだった。

「お兄ちゃんは本当に優しい……オレがお兄ちゃんみたいになろうなんて……」

 なんて無謀なことを考えていたんだろう。

 そう続けようとするのを遮るように首を横に振った夕真は、再び流磨の言葉を否定した。

「オレは優しくなんかないよ……結局は自分のことしか考えてなかったんだ……リュウのこと大切に思ってたのも、リュウを助けて死んだのも、全部自分の為だったんだ……本当にリュウのこと想って、リュウの気持ち考えてたらきっと、こんなことにはならなかった」

 深い悔恨に染まった瞳を固く閉じると、瞼の中に収まりきらない涙がまた一つ落ちた。

「何言ってるんだよお兄ちゃん! お兄ちゃんの優しさがオレをどれだけ救ったと思ってるの? お兄ちゃんがオレにとってどれだけ必要だったか……!」

「お兄ちゃんもだよ。リュウの笑顔、頼りにしてくれる眼差しに救われた……オレにはリュウが必要だったんだ、強くなる為に……その為にリュウを自分に依存させすぎた……」

 泣き叫ぶような調子の流磨に対し、涙を流してはいるものの、夕真の言動は飽くまで冷静だった。まるでもう既に自分の中では答えが出ているような、優しく、それでいて隙の無い、断固とした態度だった。

「そんな風に、言わないでお兄ちゃん……! お兄ちゃんはオレの心の支えだった、お兄ちゃんがいなかったらオレ……」

 流磨にとって唯一不変の兄との思い出は絶対的なもので、永遠に美しいままでなくてはならなかった。

 それが流磨の弱さ。

 夕真にはそれが分かっていた。

 真っ直ぐに自分を慕ってくる流磨の瞳から一瞬も目を逸らさず、夕真は自分にとっても残酷な言葉を紡ぎ出さなければならなかった。

「オレがいなかったら、リュウはもっと強くなってた……リュウ、お兄ちゃんも弱い人間だったんだ……リュウを自分の弱さの犠牲にした……リュウを守ったつもりで誇らしかった、あの時……強くなれたって……リュウがその後どんなに苦しむかも考えずに……バカだよね、結局弱いままだったんだ、自分中心な偽物の優しさを振りまいてただけ……これは、お兄ちゃん自身が招いた運命だったんだよ……」

「いやだ! そんなこと言わないでお兄ちゃん! あの頃、お兄ちゃんがいたから楽しかったんだ、お兄ちゃんがくれた思い出も、あったかい気持ちも本物だよ? それだけがオレの宝物なんだ……!」

 兄の言葉を最後まで聞き終わらぬうちに、流磨は耳を塞ぎ幼い子供のように泣きじゃくった。

 その想いに、夕真も涙を流した。

 暫し、薄暗い部屋の中はお互いのしゃくり上げ、すすり泣く声だけが支配した。

 やがて、窓の外に目をやった夕真が感嘆の籠もった声を上げた。

「リュウ……見て、キレイだね……」

 そう言われて、流磨は初めて窓の外の景色に焦点を合わせた。勇気とのことや、突然の兄の出現に対応しようとするのに精一杯で、周囲の様子に気を配る余裕など微塵も無かった。

 だから見えていなかった、オリオン座やカシオペア座、他にも流磨の知らない様々な星座を模したショッピングモールやレストラン街の灯りの群れに、そんな星屑の海を駆ける流れ星に見立てたジェットコースターの鋭い光、土星らしきドームと、その環になっているゴーカートコースを走る車のヘッドライト、数え切れないネオンの洪水が視界に流れ込んだ瞬間は、驚きの余り息が出来ない程だった。

「本当に……本当にスゴイ……」

 その美しさを言葉にして表現出来ず、流磨はただただ惚れ惚れした表情でその情景に目を奪われていた。

 今、丁度一番高い所を過ぎようとしている、ピークの瞬間だった。

「ねぇ、懐かしいねリュウ……昔も乗ったね、父さんと母さんとリュウ、それにまだ幼稚園だったシュウと梨歌……」

「お兄ちゃん……」

 落ち着き始めていた涙腺が、再びじわりと緩む。

 流磨はすぐ隣で窓の外を眺めている兄と、そっと手を繋いだ。

「覚えてる? お兄ちゃん、オレが恐がってるの見て、こうやって手を繋いでてくれた……オレ、スゴイ心強かった……」

 夕真は小さく頷きながら、懐かしそうに笑った。

「覚えてる……でもあの時は、正直オレも恐くて……リュウの小さい手握ったら、何かホッとしたんだ」

 今、時を超えて、同じ空気がこの観覧車内を満たしている。

 流磨は、繋いだ手にギュッと力を込めた。

 ――どうして、終わってしまったんだろう……ずっとずっと続くと信じていたあの頃の温もり……

 流磨の、そんな痛切な想いを知ってか知らずか、夕真は夜景に目を細めながら独り言のように呟いた。

「もっと、あともう少しだけでも……みんなと一緒にいて、こうやって色んなもの見たり、笑い合ったり、泣いたり、ケンカしたり……したかったな……」

「お兄ちゃん……!」

 ――じゃあもっといてよ、これからもずっと、時々でもこんな形でいいから、勇気には何とかお願いして……!

 そう言おうと口を開いた。

 だが、その前に夕真は静かに笑うと、流磨の顔を見て言った。

「でも……いいよ、オレは幸せだったから」

 声が出なかった。

 今にもどこかに行ってしまいそうな兄を、泣いて喚いてでも引き止めたかった。

 しかし、一番辛いのは兄なのだ。

 一人だけ違う所にいる、寂しい筈の兄が、こうやって笑い掛けてくれている。

 激しい葛藤で精神が真っ二つに割れそうになりながらも、結局言葉は出ず、出るのは涙ばかりだった。

 流磨は無言で、もう一度兄に抱き付いて泣いた。

 兄は、優しく頭を撫でてくれた。

「リュウ、お兄ちゃんにとっても、リュウはずっとずっと宝物だよ……笑ってて、あの頃みたいに、ずっと……ずっとだよ……」

 兄の声が段々遠く、小さくなっていくように感じた。

 ――いっちゃう……?

「――っありが……う……ありがとう……おに……ちゃん……!」

 それだけ言うのが精一杯で、あとは溢れ出てくる熱いものを抑えることが出来ず、身を任せるしかなかった。

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