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第十二章

   第十二章


 人混みを縫うように走って、待ち合わせの広場に着いたのは約束の時間を十五分程過ぎた頃だった。

「千空いるかなー……あっっいた! リュウ、あそこだ……!」

 春季が指差した方向に目をやると、こちらに背を向けてはいるものの、軽く色を抜いた長い髪とよく目立つ赤いブルゾンを羽織った後ろ姿は確かに千空に違いなかった。

「怒ってる……よな」

「少なくとも笑って許してはくれんだろうな」

 固唾を飲んで立ち竦む二人。

 異様なプレッシャーの中、春季は覚悟を決めたように低く唸った。

「じゃ……いくぞ」

 いかにも全力で走ってきましたという雰囲気を出す為に、わざと苦しそうに息をしながらドタバタと足を踏み鳴らして千空に駆け寄る流磨と春季。

「ハァ、ハァ……ち、千空……ぜぇゲホッ! 遅れて……ゴホッ、ゴメン……!」

「ハァ、ヒィ……ワリィ千空……ま、待たせたな……メチャクチャ急いだんだけどよ……」

 二人の声を聞くと、千空はゆっくりと振り向いた。

「あ……リュウ……ちゃん……?」

 意外にも千空の第一声は心細そうな弱々しいものだった。

「……あれ?」

 てっきり怒鳴りつけられるものと思っていた流磨は息切れの演技も忘れ、まじまじと千空の顔を見た。千空は青ざめ、何かに怯えるような目をして流磨の顔を見上げていた。

「千空……? どした?」

 こんな千空は初めて見る。

 考えてみるとここ数日、千空の様子がおかしいと思うことが何度かあった。この間、学校の屋上で冷たく突き放した時のことを未だに気に病んでいるのだろうか。もしそうならば、自分が謝った方がいいのかもしれない。

「ちそ……」

「おわあぁーーーっ? 何だ何だ千空ぁ、もしかしてオレらに置いてかれたとか思って半ベソ状態だったってか? やめとけやめとけ! そんなしおらしいの似合わねーぞ! 頭にツノ生やして怒り狂うゴリラってのがお前のイメージだろ?? イメージ壊すなよ!」

「…………は?」

 流磨から見れば、この瞬間空気が凍り付いたような気がした。

 この状況で、一体どこからそういった言葉が出てくるのだろうか。

 冗談のつもりなのか、春季はにやにやしながら千空の顔を覗き込んでいる。

「……ねぇ、サル……」

 千空は俯いていたが、声質が先程の弱々しいものとは明らかに違っていた。

「何だよ……オレは思ったことを率直にだな」

 ドスの利いた声に思わずたじろぐ春季を、千空はにっこりと笑いながら見上げた。

「お昼、あんたのおごりね」

 その笑顔と無機質な口調には、有無を言わせぬ何かがあった。

「は……はあぁぁ? 何でだよざけんなよ! オレは千空が元気無いから、こう励まそうとしてだなぁ」

「キーキーうるさいわね、このセクハラザル! あんたも一応男なら黙っておごりなさい」

「お……おめーこそ逆セクハラゴリラだろうが! ゴリラ、ゴリラゴリラ!」

「乙女に向かってゴリラとは何なのよ! ちょっとこっち来なさい! 口じゃわかんないようだから」

 小学生低学年並みの挑発をしながら走って行く春季と、その挑発に乗って鬼の形相で追い掛ける千空を、流磨は呆然と見送った。

 二人のペースにはどうしても付いていけない時がある。

(オレがオヤジなんだろうか……)

 少しだけ考え込む流磨だったが、二人が本気で見失いそうな勢いで走り去っていくのに気付くと急いで追い掛けた。


 千空が予約したという店は流石に予約制なだけあり、なかなか雰囲気の良いレストランだった。落ち着いたログハウス風の外装で、入口の門には篝火が焚かれ、不思議な、幻想的なムードを醸し出している。

 そして、店内に入った流磨は思わず感嘆の声を漏らしてしまった。

 店の中は今が昼間だということを忘れてしまいそうな程暗いのだが、テーブルの上に据え付けられた色とりどりの美しい光を放つランプが、ぼんやりと卓上を照らし出している。そして天井はプラネタリウムになっていて、見上げるとまるで宝石を散りばめたような星空が広がっていた。

 何度も溜息を吐きながら席に着いた三人は、早速洒落た星座模様のメニューに目を通して料理を注文した。値段の方はやはり一般的な飲食店の相場よりは張ったが、千空は全く気にする様子もなくメイン以外にもいくつか多めに頼んでいた。

 嫌な予感がしたのか、春季は顔を引きつらせながらメニューと睨めっこをしている。

 天井の星々を惚れ惚れと眺め続けている流磨を見て千空も嬉しそうに上を見上げて言った。

「リュウちゃんも気に入った? ……超いいよねーここ」

「あぁ、誰が考えたんだろうなこんなの」

「まぁ星空(・・)ってのがこの遊園地のコンセプトらしいから……それでなんだろうけど、それにしてもこれ考えた人はロマンチックだね」

「へぇ、星空がコンセプト?」

「リュウちゃん知らないの? テレビであんだけ宣伝してたのにぃ! スタートリックワールドはその名の通り星とか星空ってのがテーマになってて、それぞれのアトラクションも星つながりの仕掛けになってるんだよ」

「そうなんだ、全然知らなかった」

 流磨は余り家でテレビを見ないので、そういった情報には疎かった。しかし千空はそんなこと気に止める様子もなく、思い出したように声を弾ませ話を続けた。

「あ、そうそう、リュウちゃん達観覧車乗ってきたんでしょ? 実はあれがこの遊園地最大の目玉なんだよ!」

 千空の言葉に目を瞬かせる流磨。

 観覧車にはたった今乗ってきたが、待ち時間もそれ程ではなかったし、確かに巨大ではあるが他の遊園地のものとそれの程違いはないような気がした。あれに比べたら、この店の方が余程目玉と呼ぶに相応しいように感じられる。

 流磨の不可解そうな表情で何を言わんとしているかを悟った千空は歯を見せて笑った。

「ふっふっふ……実はねぇ、あの観覧車に長蛇の列が出来るのは夜になってからなの!」

「夜……」

「そう! 夜にあの観覧車からこの遊園地を見下ろすと、全体が星空に見えるんだって! 全部の照明の位置を細かく設定してあって、星座の形とか、流れ星とかの演出もあって……とにかくスゴイらしいよ……!」

 千空はそう言いながら目を輝かせている。

 流磨も、その様を思い浮かべて感心したように何度も頷いた。

「それは一度見てみたいな……夜になったら今度は三人で乗ろうか?」

 千空も大いに喜ぶと思ってした提案だったが、意外にも反応は優れなかった。

「あぁ……でもメチャクチャ並ぶらしいんだよね……多分もう夜になってから乗るって人達の列が出来始めちゃってるんじゃないかな」

「えぇ? そうなのか? まだ三時過ぎじゃん、今から並ぶ気はさすがにしないな……」

「うん、何せスゴイ大混雑になるからって、全体の三分の一くらいは予約席みたいになってるくらいだもん……何時何分何番の観覧車って指定されてる札を前もって貰っておくっていう」

「はぁー何かスケールが違うって感じだ……その札って何処で貰えるんだ?」

「観覧車乗り場だけど、もう遅い時間しか残ってないんじゃないかな……早い者勝ちだし」

「そうだったのか……じゃあ乗った時貰ってくるんだったな、いい時間残ってたかもしれないのに……損したなぁ」

 流磨が悔しそうに項垂れるのを見て、千空は何か言いた気に唇を動かした。しかし、結局何も発することなく、そのまま目の前のランプに視線を預けて無言になってしまった。

 柔らかなオレンジ色の光に浮かぶその横顔には、何かを思い詰めて苦しんでいるような陰りが確かに見受けられた。

 先程言おうとして言えず終いだった言葉が、流磨の脳裏を過ぎる。

(……今、謝った方がいいかな)

短い沈黙を置いて、タイミングを見計らう流磨の視線に気付いた千空は、慌てた様子で笑顔を作った。

「千空……あのさ」

「あっチョコパフェなんてあったんだ! 追加しよっかな? どうせサルのおごりだし」

 千空は、まるで流磨の言葉を避けるように、未だにメニューから顔を上げない春季の肩を叩いて言った。

 結局その後すぐに料理が運ばれてきて、話すチャンスを見付けられないまま流磨の言葉は宙に消えてしまった。


 本当に昼食代をおごらされた春季と、当然という態度の千空は、入学以来稀に見る規模の舌戦を繰り広げたが、結局最後には流磨も半分払うという妥協策で一段落した。

「いやぁ~持つべきは心の友だな!」

「リュウちゃんが払う必要なんかないのにぃ……それならあたしが全部払うよぉ」

 満面の笑みを浮かべた春季を横目で睨みながらいつまでも納得いかなげな千空に、流磨は話を逸らそうと思い出したように言った。

「そういえばあと何時間くらい遊べるんだ? 千空」

「あ、えっと今は……三時五十分か。あたしは遅くとも十時には帰って来いって言われてるんだけど……二人は? それに合わせるよ」

 流磨は思案顔をした。

 特に何時とは言って来なかったが、まさかいつもの門限までに帰るとは思っていないだろう。

 だが、自信は無かった。

 そして浮かぶ、母の泣き顔。

 それを振り払うように目を閉じて首を振る。

「オレも……そのくらいでいいと思う」

少しでも、家や兄や、勇気のことを忘れていられるこの時間を引き延ばしたかった。

 ――どうせ、もうすぐお別れの世界だ……

 合い言葉のように、その言葉を頭の中で何度も繰り返す。

「そう? あ、サルも別に平気でしょ? 親厳しくないって言ってたもんね! よし! じゃあギリギリ七時まで遊ぼうよ!」

 流磨が頷くと、千空は漸く笑顔を取り戻して辺りを見回しながら先を歩き出した。

 流磨も吹っ切れたように笑顔を零すと、後ろを歩く春季を振り返った。が、春季は何故か真顔で流磨の瞳を見据えていた。

「春季?」

 戸惑い、立ち止まっている流磨の側まで歩いて行きながら、春季は無言で迷彩柄のズボンのポケットから携帯電話を取り出すと、流磨に突き付けた。

「……え」

 面食らって、銀色に光る小さな携帯と春季の顔を交互に見比べる。

「何で無理すんのリュウ……親、心配させたくないんだろ? 顔書いてあんぞ」

春季の真意を漸く悟った流磨は、俯き唇を噛み締めた。

「ホレ、電話して」

 春季は真剣な眼差しで、更に強く電話を押しつけてきた。

 流磨は一瞬迷ったが、ゆっくりと春季から携帯を受け取った。

「サンキュ……」

 そしてもう一度春季の目を見た。

 力強い光と、ほんの少しの影が宿っていた。

「春季はいいのか? 電話しなくて……」

「あぁ、オレんちは平気ってかオレは平気ってカンジかな? あんま気にされてねぇから」

春季はあっけらかんと笑うと、遠くから二人を呼んでいる千空に手を振り、流磨の横を通り抜けていった。流磨も春季の携帯を握りしめ、微かにオレンジ色が混ざり始めた景色に飛び込んだ。


 それから数時間、三人は頭を空っぽにして、ありとあらゆるアトラクションに乗り、体験し、はしゃぎ回った。

 お化け屋敷では意外にも千空が怪談の類が大の苦手だということが判明し、メリーゴーランドに乗っては幼稚園児に指を差され、お土産の店で売り物の着ぐるみを着て大騒ぎした春季が店員に叱られたりした。

 楽しければ楽しい程、時間が経つのが早かった。気が付けば大空は夕暮れから夕闇に表情を変え、色とりどりのネオンライトがあちこちに灯り始めて、眩しいくらいに辺りを照らし出していた。

 遠くに見える観覧車の電光掲示板はデジタルで今の時刻を示していて、この場所からもはっきりと確認出来る。

「もう六時四十分かぁ……急いでもあと一つ乗れるかどうかじゃん」

 まだ元気が有り余っている様子の春季がつまらなそうに溜息を吐いた。

「あー……夜の観覧車乗りてーー……もっと詳しく調べてくるんだったなぁ……」

 遊園地全体がライトアップされていくのを見ていると、さぞや観覧車からの眺めは絶景だろうと想像して、流磨の心に悔しさが蘇ってきた。

「なに? 観覧車ってさっき乗ったろ。リュウまた乗りたいのか?」

 レストランでの千空の話を全く聞いていなかったらしい春季がキョトンとしている。

 ガクリと肩を落としながらも、流磨は春季に、如何に夜の観覧車が素晴らしいのかを説明してやろうとした。

「あのな……夜にあの観覧車からこの遊園地を見下ろすとぉ……なんと!」

「あ、あーっ! ゴーカートだってゴーカート! すごいよ、レース場みたいに大きいコース! ねぇ乗ろうよリュウちゃん」

 今まで黙りこくっていた千空が、突然流磨の腕を引いて飛び跳ねた。

「え……? あ、あぁ、じゃ乗るか」

 話の腰を折られ面食らう流磨に構う様子も無く、千空は不自然なくらい明るく頷くと、人混みの間を縫うようにゴーカート乗り場に向かって走っていった。

「まったく、元気だなぁ千空は……」

 一日中はしゃぎ回り、さすがにもう走る元気は残っていない流磨も、やれやれと言った調子で千空を追う。ふと一人足りないことに気付き振り向くと、何か遠くを見るような目をして立ち止まる春季の姿が目に入った。

 しかしそれは一瞬のことで、流磨と目が合うと情けなさそうに笑って手を振った。

「リュウーー! オレいいわ! 腹イテェからさ、ちびっと便所駆け込んでくる!」

「え……おい、春季!」 

 大衆の目を気にすることなく、流磨の声も聞こえていない様子の春季は大声でそう叫ぶと案内図に向かって行った。

 春季が消えた後も暫く呆然と人混みを見詰めていた流磨だったが、仕方なく一人で千空の待つゴーカート乗り場に向かうことにした。

 春季のことを説明すると、千空は一瞬目を泳がせて複雑な表情をしたが、すぐにそれを誤魔化すように冷めた口調で言った。

「あぁそうなんだ、別にいいんじゃない? ゴーカート二人乗りみたいだし、丁度いいよ」

 その時、何故か千空からひしひしと緊張感が伝わってくるのを感じた。

 流磨には千空が何を考えているのか、分からなかった。

「ね、並ぼうリュウちゃん!」

取り繕うように行列を指差す千空の顔を見ながら、これは例のことを謝罪して、じっくり話をする良いチャンスかもしれないと流磨は思った。


「踏むとアクセル、離すとブレーキ、後はハンドル操作だけですから簡単ですよ! それじゃ、お気を付けて!」

 威勢の良い係員の声に送り出されて、白地に赤いラインの入ったレーシングカータイプのゴーカートをゆっくり発車させる流磨。

「だ、大丈夫? リュウちゃん?」

「あー……ちょっと待って……」

 不安げな千空の声に、流磨は満足に返事をすることも出来ない。

 確かに踏む所は一つなのだが、少しでも足を離すとブレーキが掛かるし、踏みっ放しだとどんどんスピードが上がるしで、スムーズに走らせようと思ってもなかなか上手くいかないのだ。最初はそんな調子でふらふらしていて、他の車に次々と抜かれていたが、暫くすると漸く運転のコツを掴み、周囲の様子に気を配るだけの余裕が出てきた。

 コースは一周するのに数分は掛かりそうな巨大なもので、そのコースに囲まれた中央部分では無数のライトが光を放ち、コース全体を透明な紫に染めていた。

「うわー……綺麗だね……」

「あぁ……何て言うか……いいな……」

 濁りのない、透き通った空気の中を走り抜けているような、不思議な気分にさせられた。

 二人は暫し、言葉を失って目の前の景色に見入った。

 やがて、流磨は隣で黙ったままの千空をちらりと盗み見て、一つ深呼吸をすると、一日中言おうと思っていた言葉を口にした。

「千空、今日は誘ってくれてありがとな……マジで楽しかった……ホント、いい思い出になったよ……」

「リュウちゃん……」

 流磨の神妙な顔付きを見て、千空は困ったように口籠もった。

 やはり今日の千空は元気が無いようだ。

 隣を追い越していく黒いスポーツカーのエンジン音と、それに乗っている若いカップルの笑い声が、短い沈黙を浮き立たせる。

 何も言わない千空に構わず、流磨は言葉を続けた。

「千空、今日いつもと違う……よな」

「……!」

 千空の顔が瞬間的に青ざめる。

「あのさ、もしかしてあの屋上のこと……まだ気にしてるのか?」

 言いながらそっと顔を覗き込むが、千空は深く俯き、丁度影になって表情を読み取ることは出来なかった。

 気まずそうに額に手をやりながら、溜息を吐いて前方に視線を戻す流磨。

 どうやら間違いないようだ。

 そう、思った。

「なぁ、もう気にすんなよ……千空は悪くない……って言うか、オレが悪いんだし……」

 千空は大きく首を振った。

「……違うの……」

「何も違わないって……! あーもう! ゴメン千空! あん時オレ頭おかしくてさ、八つ当たりしちまったんだよ! ゴメン! マジ許せ! な?」

「違うの! リュウちゃん……違うの……! 謝らないで……あたし……最悪……」

 話を遮るように甲高い声を上げる千空の剣幕に、流磨は驚いて口を噤んだ。

「千空……?」

 千空は泣きそうな顔で、投げやりな笑みを零しながら、前方に延びる紫色のコースを見詰めていた。

 そして、ゆっくり流磨の瞳を振り返る。

「……リュウちゃん、あたしなの……リュウちゃんのお兄ちゃんのこと学校で言ったの……あたしなの……あたしが……言ったの……」

「…………え……?」

 一瞬、頭の中が真っ白になった。

 何を言われたのか、分からなかった。

「ゴメンナサイ!」

 千空は思い切り頭を下げたまま、上げようとしなかった。肩が小刻みに震えている。

 しかし、流磨にはそれを気遣うだけの心の余裕が無かった。

 少しの間を置いて、漸く千空の言葉の意味が飲み込めた。すると今度は、抑え切れない怒りとも悲しみとも取れない、痛い程の感情が胸に溢れてくるのを感じた。それを抑えて、笑顔で千空を許せる程、流磨は大人ではなかった。

「何で……? 何でそんなこと千空が知ってんだよ? どうして軽く話したり……! オレがどんだけ苦しいか分かってんのかよ千空……!」

 頭の中で様々な想いが乱れ飛んで、掴まえておけずに、一番最初に噴き出したものをそのまま千空にぶつけた。

 千空は静かに頭を上げた。

 辛そうに顔を歪ませ、唇を強く噛んでいたが、泣いてはいなかった。恐らく覚悟していたのだろう。昼間に時折見せていたあの思い詰めたような表情は、この覚悟に至るまでの過程だったに違いない。

「……先週、生徒会長とのこと訊き出そうと思って、放課後リュウちゃんのこと校門で待ち伏せてたの……でも、出てきたリュウちゃん何か様子が変だったから、声かけ損なっちゃって……黙って付いてってたら、そしたらリュウちゃん道に飛び出して……あたしびっくりして出て行こうとしたんだけど、その前に小葉君が助けに行って……で、その後の二人の話……立ち聞き……しちゃって……」

 千空はそこで言葉を止めて、細かく震えながら深く息を吐いた。流磨の顔を見ることが出来ない様子で、俯いたまま。

 流磨自身も、見られたくなかった。

 一大決心で勇気にだけ打ち明けた、誰にも見られたくない心の内側を盗み聞きし、しかもそれを言い触らした千空。

 憤りを抑えることが出来なかった。

「……へぇ? そりゃお前にとっちゃ、オレの意外な過去ネタを手に入れてさぞかし面白かったろーな……」

「ちが……あたしは……」

「もう……聞きたくねぇよ……」

 流磨のとげとげしい言葉に反論しようとして顔を上げた千空だったが、すぐにその声は途切れ、消えた。

 流磨は、数日前、例の噂話をしていた女生徒を見た時と同じ氷のように冷たい瞳を前方に向け、千空には一瞥もしていなかった。 

 それ切り、一言の会話も無いままコース一周は終わり、走り出した時とは全く違った空気が、二人の間を隔てていた。

「はーい! お疲れ様でしたー! 足下に気を付けてお降り下さいねーー!」

 今の状況にはどう考えても合わない係員の朗らかな声が耳に触る。

 やはり無言のまま、流磨はゴーカートから降りるとさっさと出口に向かって歩き出した。

 千空も慌てて流磨の後を追った。

「さぁて……帰るか」

 独り言のように言うと、漸く千空を振り返る流磨。

「……じゃ、それぞれ勝手に帰るってことで」

 その瞳は先程と何も変わらず冷たいままだった。

 いや、今だけでなく、きっとこれからもずっと変わることはないのだろう。そう覚悟した様子で顔を上げ、千空はもう一度だけ、離れていく流磨の背中に震える声を追わせた。

「リュウちゃん……待って」

 数歩進めて立ち止まり、怠そうに振り向く流磨の目を千空は真っ直ぐに見た。

「あたしのことは……許してなんて言わない。でも……あたしのせいで小葉君と気まずくなるのだけは……耐えられないよ……小葉君は誰にも何も言ってないの……リュウちゃんのことすっごく心配してるだけなの……だから……」

「……」

 流磨の胸に痛みが走った。

 そのことは流磨も考えていた。

 あれ程、勇気を信じようと何度も何度も心に誓ったというのに、あっさり疑いの目を向け、傷付けてしまった。勇気の方は自分を信じ、我が身のように心配してくれていたというのに。

 こんな形で勇気の本当の優しさを確認した所で、自分には今更合わせる顔なんかない。

 流磨は死んだ様な目で皮肉笑いをした。

「……もう手遅れだよ、あいつと仲直りなんてさ……だってオレはあいつを……勇気を裏切ったんだから……」

 最後の方は笑顔が保てなくなって、思わず目を伏せた。

 周りが信じられないんじゃない。

 自分自身が一番信用出来ない奴だった。

 こんな自分を信じてくれた唯一の存在を捨ててしまった弱過ぎる自分。

 こんなので生きていけるわけない。

 大切なものが手に入るわけない。

 どす黒い絶望が、心に充満していく。

 声にならない呻き声を上げ、再び千空に背を向けようとしたその時。

「……まだ……まだ手遅れなんかじゃないよリュウちゃん……!」

 千空は必死の声でそう言いながらポケットから一枚の紙を取り出すと流磨に差し出した。

 面食らってその紙を見る流磨。

 時刻と何かの番号が書かれた、整理券のようだった。

「……実は今日、小葉君も来てるの……この番号の観覧車に乗って……多分小葉君も乗ってると思うから……」

「な……んだって……?」

 耳を疑う言葉だった。

 千空は決まりが悪そうに、それでも一生懸命流磨の瞳を見返していた。

「リュウちゃんにだけ内緒で来てもらったの……言ったら、リュウちゃん来てくれないと思って……」

 どうやら嘘や冗談ではないようだ。

 千空の真剣な口調からそれが伝わってきた。

 勇気が今、この遊園地に居る。

 優しげな笑顔と、傷付いた表情が交互に脳裏を過ぎった。

 今すぐにでも飛んで行って、謝りたかった。

 しかし、流磨の中のもう一つの気持ちが、チケットを受け取るのを躊躇わせた。

「……でも、オレにはあいつに会う資格なんか……」

「リュウちゃん……! リュウちゃんを許すつもりがないなら、小葉君はこんな所まで来てくれるハズないよ……! 早くしないと観覧車、間に合わないよ……?」

 見ると、チケットの予約時間は七時十分。

 遠くに見える観覧車が示す時刻は七時五分になろうとしていた。

 時間が無い――。

 それが分かった瞬間、考えるよりも先に体が動いた。

 千空が差し出しているチケットを無言で受け取ると、人混みの中を弾かれたように駆け出していた。もし今を逃したら、もう二度と勇気と言葉を交わせないような気がした。

 ――オレはまた勇気の優しさに甘えようとしているのか……? このままでは、再び同じ過ちを繰り返すだけなのではないのか?

 無我夢中で走り、行き交う人にぶつかりながら、頭の中ではそんな問い掛けが溢れ返っていた。

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