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第十章

   第十章


 勇気より少し遅れて教室に戻った流磨は全ての感覚をシャットアウトして過ごした。

 今は何がショックだったのかも把握出来ていない状態だが、少なくとも、怒りや悲しみ、悔しさを通り越してしまう程の衝撃であることは確かだった。

 そして、そのショックとは別の座標を、虚しさが素通りしていた。

 いつもは何かと気に掛けて話しを振ってくれる隣の席の勇気も、声を掛けるどころか目も合わせようとしない。

 怒っているというより、ひどく疲弊し、無気力状態という感じだった。

 幸い先程の流磨の剣幕を恐れてか、クラスメイトは誰も近寄ってこなかったが、その代わりに勝手な憶測が面白半分で囁かれていた。

 ――ケンカしたのかな?

 ――華峰君、さっき少し変だったもんね。

 ――あの話、そんなにイヤだったのかなー? もうずっと前のことなんでしょ?

 ――あ、もしかしてあの噂流したの小葉君だったとか?

 ――美しい友情にヒビがっ……てやつ?

 ――最近仲良かったみたいなのにねぇ。

 教壇で長々と話し続けている担任に隠れ、クラス中が耳打ちや手紙のやりとりなどをして盛り上がる中、千空と春季だけはその輪に入らず、複雑な表情で二人の様子を見ていた。

 そしてHR終了後、抜け殻になったかのような流磨と勇気は誰の呼び声も聞こえていない様子で帰っていった。

 その態度に、無視されたと怒る生徒もいた。

「あいつちょっと人気あると思って調子乗ってんじゃねぇ?」

 元々流磨の人気を内心妬んでいた男子連中がぶつぶつ文句を言っているのが、廊下で物思いに耽っていた春季の耳にも入ってきた。

「まあまあ山崎! あいつにだってイッパイイッパイの時もあるって、大目に見ろよ!」

 慌てて流磨のフォローに入る春季。

「あー分かってる分かってる、マジで言ったんじゃねぇって、女子敵に回したくねぇしな」

 冗談ぽくそう言う山崎に笑って手を振りながらも、勘の良い春季は胸の奥にくすぶる嫌な予感を拭いきれなかった。

「ねぇ、サル」

 気付くと目の前には見慣れた生意気そうな女生徒の顔があった。

「んだよ千空……サルって呼ぶのヤメロ」

「ねぇ……リュウちゃんのことだけどさ……」

 千空にはいつもの元気がなかった。

 その様子を見て、春季もケンカ口調を緩める。

「何だよ、いつもの勢いねぇじゃん……お前のことだから目の色変えてリュウのこと追っ掛け回すかと思ってたぜ」

「……この前リュウちゃんにマジ怒られちゃったんだよね……それに……」

 千空は言葉を止めて俯いてしまった。

 春季はそんな千空を珍しそうに見てから、腕を組んで少し憂鬱そうに溜息を吐いた。

「はぁー、なるほどね! リュウにマジギレされて、やっとお前もデリカシーというものを理解したってわけか。まぁ、確かに今回の噂はちっとタチ悪ぃカンジだよな」

「……やっぱそう思うよね……」

「あぁ、リュウの奴も相当こたえてるっぽいしさ……あのままじゃやばいよなぁ……さっきも山崎軍団がブーブー言ってたし……」

「マジで? リュウちゃんのこと?」

 千空の顔色が更に悪くなる。

 春季は頷きながら探るような視線を千空に向けた。

「あいつらが変な風に動き出したら、今のリュウじゃ上手くかわせないんじゃないか? 厄介なことにならなきゃいいけどな……」

「う……ん……そーだね……」

「……で? 何があった?」

「……えっ」

「お前のそのテンションの低さ、普通じゃ有り得ねぇ……何考えてる?」

 意外な切り返しに戸惑い、ポカンとなる千空を、春季は確信を持った目で見据えた。

「……な~に知ったか振ってんのよ、サルが」

 いつもの不敵さを取り戻したのか、千空はそっぽを向いて笑った。しかしいつもと違っているのは、その笑いにバカにするような色が含まれていないことだった。

「サル言うな、タヌキ女が」

「まったく、あんたにしては勘がいいじゃん……」

 千空はそう言って苦笑いすると、周囲を気にしながら春季に場所を変えようと目で合図した。


 流磨は河原で太陽が沈むのを見ていた。

 一昨日前の同じ時間には勇気とここに居て、数年振りに心から楽しいと感じた。だがそれと同時に、これ程自分の中で大きくなった勇気という存在を失うことに怯えていた。

 大丈夫、勇気のこと知らなくてもオレは信じてる――そうやって、一番大切なものから目を逸らしていたのだ。

 勇気の優しさに甘えるばかりで、自分は本気で勇気を信じようともしなかった。

「――何で……何でこうなんだよオレは……」

 自分への怒りをどうすることも出来ず、奥歯を噛み締めた。

 あれ程恐れていた裏切り。

 結局自分が勇気を裏切る形で終わった。

 今でも正直、本気で勇気を信じ切れていない自分がいる。

 今も裏切り続けているにも関わらず、勇気の優しさだけは失いたくないなんて身勝手な感情が流磨の中に渦巻いていた。

 そんな自分に嫌悪を覚えたが、それが紛れもなく自分であることを今回ばかりは実感しなければならなかった。

「勇気……ごめん……置いてかないでくれ……行かないで……くれよ……」

 沈みゆく太陽と重なった、振り返ることのない勇気の後ろ姿が涙で霞んだ。

 今までも痛かった心が、更に痛い。

 やがて日はすっかり暮れ、辺りは暗闇に包まれた。

「……待ってくれるワケないか……」

 流磨は虚ろな目で独り言を言った。

 ――これからどうしたらいいんだろう……

 ――お前自身はどうしたい?

 ――どうもしたくない……疲れたよ……

 流磨は取り敢えず重い足取りで、帰りたくない家に帰ることにした。

 帰ると相変わらず不自然に明るい両親が迎え入れてくれた。

「流磨、今日は流磨の好きなシチュー作ったのよ、ねぇ、今日だけでもみんなで一緒に食べましょうよ」

「そうだぞ流磨! 今日は父さんも奮発して金名堂のケーキ買ってきたんだ、一緒に食べよう、な?」

 そして流磨の返事は、この数日で何度言ったか分からない台詞。

「……放っといてくれる……頼むから」

 その度に、目の端には両親の寂しそうに黙り込む顔が映る。

 胸が張り裂けそうに痛い。

(お願いだからオレのことなんか無視してよ、早く諦めてよ……!)

 優しい両親をこれ以上傷付けたくない。

 でも、甘えることは許されない。

 このまま、完全に見向きもされなくなるまで、このやりとりが続くのかと思うと気が遠くなる。

 いや、そんな日は来ないのかもしれない。

(……いつまで持つのかな……オレ……)

 息抜き出来る場になる筈だった学校も、例の噂が広まり居辛くなってしまった。

 たった一つの命綱だった勇気との関係も、このままでは完全に修復不可能になってしまうだろう。そして、今の流磨には関係が壊れないように行動する程の勇気も気力もなかった。

 ――結局、オレは生きる資格が無いどころか、このまま生き続ける能力(ちから)も無いのかもしれないな。

 何かを信じるという能力。

 それが無ければきっと生きていけない。

 自分さえも信じることが出来ない今の状態で無理矢理生き続けても、やはり近いうちに心が死ぬだろう。

 そこで思考を停止した。

 それ以上考えても今までと同じ、死んだ方がいいという結論しか出ない。

 だが、その選択肢を選ぶ日も近いような気がした。

 もう、その意志に抗う理由も無いのだから。


 翌日、流磨はいつも通りに登校した。

 行っても噂の的にされることは分かっていたが、明日からゴールデンウィークの四連休、ずっと家に居て、連休明けまで無事乗り切れる自信は余りなかった。

 もしかしたらもう学校に行くこともないかもしれない、そう予感して行く気になった。

 勇気と顔を合わせるのを避ける為に早めのバスに乗り、学校に着いてからも教室には止まらず屋上で時間を潰した。

 やがて予鈴が鳴り、のろのろと教室に戻る途中、流磨の噂話をしている一団を見掛けた。

 どうやら昨日の流磨の言動が既に『学年一の優等生ご乱心』という見出しで広まっているらしい。

(……こういう奴らも誰かを信じたり、誰かに信じられたりするのか……?)

 純粋に疑問を持って見ていると、一人が漸く近くに流磨が居たことに気付いたらしく、集団は慌てた様子で散り散りになっていった。

 それを見送り、再び教室に向かって歩き出したその道すがら、擦れ違う殆どの生徒達が流磨を振り返って行く。

「あっ……華峰君おはよー」

「お、よお……ハヨッすリュウ!」

 わざとらしく笑顔で声を掛けてくる知人達。

 無表情で挨拶だけは返す流磨だったが、周囲の生徒達に対する不信感が募っていくのを抑えようとはしなかった。

 目の前に広がる嘘と偽りの世界。

 心の底から自分に接してくる人間なんていやしない。

 しかしそれは、流磨が心底相手と向き合ってこなかった結果でもある。例え相手が向き合おうとしてくれても、自分が逃げたらうまくいく筈がない。

 自業自得。

 流磨自身もそれはよく分かっていた。

 ずっと、失うのが怖くて自分を偽ってきた。

 そうやってしか生きてこられなかった。

 そして、偽るのをやめてしまった今、誰かに手を引いてもらわなければ何も見えず、暗い迷路の中を彷徨ってばかりだ。

 ――やっぱり、生きる能力無いんだな、オレ……

「リュウちゃん……」

 聞き慣れた呼び声に、死んだように色を失った瞳を現実に戻す。

 いつの間にか目の前には千空が立っていて、流磨が目を合わそうとすると気まずそうに下を向いた。

「……何」

 不機嫌そうに短く溜息を吐くと、流磨も千空から視線を外した。

 今は千空の話や質問攻めに付き合っていられるほど、心に余裕が無かった。

 さっさと終わらせてこの場を去りたい。

 そう言いたいのが雰囲気で伝わったのだろう、千空は顔を曇らせたまま拳を強く握り、思い切ったように口を開いた。

「あの、リュウちゃん、まだ……怒ってるの?」

「……? 怒る……?」

「ほら……この前、屋上で……」

 言われて漸く、数日前屋上から飛び降りそうになって混乱していた時、その場に千空が居合わせていたことを思い出した。

 それと同時に、千空がいつもより元気が無く、深刻な面持ちをしている意味も理解した。

「あぁ……別に、怒ってないから……」

 生気のない声でそう言うと、千空は少しホッとしたように流磨の顔を見た。

「よかった……リュウちゃんあの時怒ってたみたいだったから……」

「……怒ってたわけじゃないよ」

「……じゃあどうしてあの時……」

「そうやって訊かれるのが嫌だったから、放っといて欲しかったから……今みたいにね」

 そう言い切ると案の定俯いてしまった千空の横を、素っ気なく通り過ぎる。

 ここまではっきり言えば、もう声を掛けてくることもないだろう。

 このまま、いつか自分が消えて無くなるまで放っておいてくれるだろう。

 再び思考が暗い迷路に戻ろうとした時。

「……リュウちゃん!」

 今度は鼓膜が破けるかと思う程の大音響で現実に引き戻された。

 驚いて振り返ると、先程までとは明らかに雰囲気の違う、何かを決意したように強い光を瞳に帯びた千空が流磨を見据えていた。

「リュウちゃん、待って」

 離れた分の距離をしっかりとした足取りで詰めてくる。

 いつもの、内側から輝いているような千空の姿を、流磨は呆然と見ていた。

 千空は自分には無い強さを持っている。

 漠然とそう思った。

「リュウちゃん」

「……何」

 流磨の無表情な声にも、もう怯まない。

「実はね、リュウちゃん」

「……だから何……」

「ここに遊園地の無料招待券があるの」

「……は……?」

「……で、でね……明日にでも一緒に行かないかなーー……と、ね」

 千空の口から出たのは、まるで想像もしていなかった言葉だった。

 何故、今この状況で自分のことを誘おうとするのか。

 思わず絶句する流磨を見て、千空は思い出したように取り繕った。

「あ、チケットは……さ、三枚あるんだ……だからあとサルも一緒、だから気楽に遊びに行こうよ……ね?」

「何でオレなの……もっと別の奴がいるだろ」

「あたしこれでも反省してるんだよ? それに……ううん……お詫び……とかにはならないかもしれないけど、一緒にパーーっと遊んでヤなこと忘れようよ……!」

 先程までの何かを思い詰めたような千空が再び顔を出す。どうしてそこまで、一体何を思い詰めているのか、疑問は残っていたが、遊園地行きについて流磨も少し考えてみた。

 勇気との関係も気まずくなってしまった今、明日からの連休はただ憂鬱なだけだった。それにもしかしたら、もうすぐ何もかも終わりになるかもしれない。そう思うと、最後に全てを忘れ、羽目を外して楽しみたい気もした。

 暫く無言で考え続けていた流磨だったが、ふっと小さく息を吐くと、緊張の面持ちで返事を待つ千空を見てボソリと言った。

「……わかった……行くよ」

「! ……ホントに? そっか、よかった」

 ホッとした笑顔。

 そして瞬間、その笑顔にも影が過ぎった……ように見えたのは気のせいだろうか。だが例えそうでなかったとしても、今の流磨にとってはどうでも良いことだった。

 もうすぐ縁の切れる世界だ。

「じゃ! 明日の予定はまた休み時間にでも! もうHR始まっちゃうよ、行こう」

 すっかりいつもの元気を取り戻した千空を見て、思わず薄く笑いが漏れる。

 それが冷めた皮肉笑いなのか、漸く調子を取り戻した千空を見て安堵した為の微笑みなのか、自分でもよく分からなかった。

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