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峰本冴花さん、眼鏡を外した顔を見せてください

作者: 野中 すず
掲載日:2026/06/05


 瀬戸(せと) 琴音(ことね)は高校の制服のまま、キッチンのテーブルでスマートフォンを眺めている。流れてくる文字たちに興味を引くものはない。ディスプレイ内の時計表示は「18:48」となっている。


「琴音、帰ったらすぐ着替えなさい」


 シンクに向かい、夕飯の支度をしている母親から注意を受けた。

 琴音は画面をスクロールさせながら、その母親の背中に声を掛ける。

「ねえ、お母さん」

「なに?」

「ずっと前から不思議に思っていること……、訊いていい?」

 その琴音の言葉に母親はタオルで手を拭き、振り返った。テーブルの下から椅子を引き出し、琴音の正面に座る。


「なんか面白そうな話ね。なんでも訊いていいわよ」


 琴音はスマートフォンから母親――、瀬戸(せと) 冴花(さえか)へ視線を移した。冴花は真顔で琴音の質問を待っている。 

 そのプレーンな縁無し眼鏡を掛けた顔を、琴音はまじまじと見る。思わずため息が漏れた。


(やっぱり……、美人だよね。お母さん。すごい美人)


 冴花は、娘の琴音が嫉妬してしまうほど美しかった。

 とても三十代後半とは思えない。


(それに比べて……)


 琴音は冴花の目を見たまま、口を開く。

「えっと…………、お母さん、なんでお父さんと結婚したの?」

「えっ? 『なんで』って、なんで?」

「いや……、だってお父さん全然カッコよくないし、背もお母さんの方が高いし。その……、なんか頼りないし」

「琴音」

 その静かな冴花の声に、琴音は身を(すく)ませた。

 滅多に聞くことがない、「本気で母が怒ったときの声色(こわいろ)」だったから。


「取り消しなさい。琴音でも、()()()を悪く言うのは許さないわよ」


「ごめんなさい。言い過ぎた」


 琴音はすぐに非を認める。ちゃんと謝れば、冴花はそれ以上しつこく人を責めないことを琴音は知っている。


「そうね……。分かった。教えてあげる」


 冴花の声色は普段の優しいものに戻っている。


「お父さんとお母さんは高校二年生のとき同じクラスだったの」

「あっ、そうなんだ」

「で、まあ……、その頃のお父さんは()()()()と大して変わらなかった」

 琴音の中で疑問が大きくなる。

()()()()? 頼りないってこと? じゃあなんで……?)


「琴音、今からお母さんは惚気(のろけ)るからね」


 冴花の声がキッチンに響く。

 少し楽しげな声に変化している。


「お父さんはね、あの頃も今も『やるときはやる男性(ひと)』なのよ」




 ――――――




 「秘書」


 それは峰本(みねもと) 冴花(さえか)のあだ名である。

 同級生の男子たち――、高校二年生の男子たちが付けたあだ名である。

 当然、彼らは本物の秘書を見たことなどない。勝手な思い込みで作り上げた秘書のイメージに冴花が重なっただけ。

 頭脳明晰、黒髪のロングヘアが似合う美貌と高身長、華奢(きゃしゃ)でありながらも常にピンと伸びている背すじ、そしてオーバル型の眼鏡。

 その細い楕円の金属フレームの眼鏡が何よりも彼らに「秘書」を連想させている。

 彼らは陰で冴花を「秘書」と呼んでいることは、冴花本人にはバレていないと思っている。

 しかし、冴花は知っている。テストの点数などでは測れない「頭の良さ」でも、彼らは相手にならない。隠し事など興味もないのに見抜いてしまう。冴花が知った上で相手にしていないだけだった。

 冴花は他にも知っていることがある。

 最近、一部の男子たちの中で「秘書が眼鏡を外した顔を見てみたい」と盛り上がっていることを知っている。


「めちゃくちゃ可愛いだろうな」

「いや、あの『美』は眼鏡も込みで完成された『美』であって……」

「眼鏡なんかあってもなくても可愛いだろ」


 好き勝手に盛り上がっていることを知っている。


「誰か()()覚悟で頼んでみろよ。秘書に」


 いつも誰かがこんなことを言っている。そう言いつつも、「自分は頼みたくない」というのが明白だった。もし、冴花が本気で怒ったり、泣き出したりしたときに自分が悪役になるのは避けたいからだろう。

 5、6人くらいの男子グループ。クラスのカーストでは「中の下」程度のグループ。

 当然、冴花は相手にしていない。


 ――――


 ある昼休み、冴花が自作の弁当を食べていると男子たちの声が背後から聞こえてきた。冴花の「眼鏡なし」を見たがっている男子グループの声。

「おい、瀬戸(せと)。ジュース買ってこいよ」

「あっ、オレもな」

「オレも頼むわ」

 次々に、便乗する声が続く。


「え……、あっ、うん」


 冴花にもその小さな返事が(かす)かに聞こえた。

 冴花はほんの少し苛立(いらだ)ちを感じる。

 クラスの中で特に気が弱く、体格も弱々しい瀬戸(せと) 崇信(たかのぶ)を選んで横柄な態度で命令している男子たちに。

 理不尽なことだと思っているはずなのに、何も言い返さないで命令に従う瀬戸に。

 冴花の推測では、瀬戸はこのグループに属していない。ただ、このように()()()として時折(ときおり)扱われている。


 ――ほんとに下らない。こんなの相手にしてられない。

 弱い者を選んでおちょくるヤツも。

 おちょくられてるのに戦えないヤツも。


 冴花は食事を続けている。

「ねえ、峰本」

 隣の席の片山(かたやま) 理央(りお)が話し掛けてきた。

 理央はコンビニエンスストアのサンドイッチを食べている。

「なに?」

「……珍しいね」

「え?」

 理央が冴花の目を覗き込む。


「イライラしてるよね」


「うん。イライラしてる」


 

 ――――


 その夜、冴花は就寝前の歯磨きをしながら考えている。

 目の前の鏡には当然、歯磨きをしている自分が映っている。眼鏡を掛けている。


(眼鏡ねえ……)


 冴花は眼鏡を外してみる。視界が一気にボヤける。

 鏡に映る自分の顔は、ハッキリとは見えない。

(もし、あの男子たちが『眼鏡外して』と頼んで来たら……)

 別に構わない。ケータイのカメラを向けられたら嫌だけど。

 それで毎日毎日、嫌でも聞こえてくる「誰かが秘書に頼めよ会議」を終わらせられるのなら別に構わない。


 冴花は眼鏡を戻した。鏡に映る自分の顔が視界に戻ってくる。


 冴花自身は自分の顔が好きではない。


 ――――


「うわっ!? まさかのオレかよ!?」


 数日後の放課後、帰り支度をしている冴花の背中に大きな声が届いた。

 教室には15人程度の生徒しかいない。既に半数以上の生徒は帰宅したか、部活動へ向かっていた。

 その教室に響いた声。

 ()()グループのリーダー格である大沢という男子の声。

 続いて他のメンバーたちの笑い声。

「大沢が言い出したんだからな」

「かっこいいとこ、見せてくれよ」

 その煽りに対し、大沢が言い返す。その声色はひどくあたふたしている。

「いや、お前ら……、ちょっと待ってくれよ。別に本気で言ったんじゃなくて……」

 


 冴花は、彼らが何の話をしているのか分からない。ただ、何か嫌な感じがしている。

 隣の席の片山 理央が、彼らの様子を覗きに行った。理央も「嫌な感じ」がしているのだろうか。



「峰本、早く帰ろ」

 


 戻って来た理央が珍しく厳しい表情で、冴花を急かした。

「え、何があったの?」

「……あみだくじ」

「あみだくじ?」

()()()()分かるでしょ?」

 その理央の言葉と表情で冴花は全てを理解した。


 ――あみだくじ。「誰かが秘書に頼めよ会議」を彼らは終わらせる気になったらしい。

 その()()()()に当たったのは大沢。どうやら「あみだくじで決めよう」と言い出したのも大沢らしい。

 そして今、大沢は()()()()を実行することから逃げようとしている。「自分が当たってしまったパターン」の想像をしなかったのだろうか。

 


 冴花はため息を()いた。


 情けない男。更に情けない男たちの中でしかイキれない男。卑怯な男。

 帰ろう。相手にしてられない。


 冴花が教室の出口へ向かい、一歩踏み出したとき――


「僕が頼んでくる」


 教室の(すみ)から力強い声が冴花に聞こえた。

 その声は、クラス全体を静まり返らせる力があった。

 驚いたのは、大沢たちだけではない。何が起きているのか全く理解していないクラスメイトたちもが、その声の主を無言で眺めている。


 その視線の先に瀬戸(せと) 崇信(たかのぶ)がいる。

 

 崇信が冴花に向かい、歩を進める。

 二人の距離が縮まっていく。


「みっ……、峰本さん」


 冴花の目の前に立った崇信が――、ほんの少し冴花より背が低い崇信が冴花を呼ぶ。

 当然、冴花はその声は知っている。 しかし、こんな力強い声を出せるなんて知らなかった。

「あっ、あの……、お願いがあって……」

 冴花は掛けている眼鏡に右手を伸ばし、人差し指で軽くフレームを撫でた。


 なんとなく「今の瀬戸くんは戦ってるな」と思っている。

 なんとなく「今の瀬戸くんから頼まれるのは悪くないな」と思っている。


 崇信が冴花の目をまっすぐ見た。 

 その顔は真っ赤だが、目を逸らしてしまう気配はない。


「おっ……、お願いします」


 冴花の頭に、「続きの言葉」が瞬時に浮かぶ。

(――お願いします。眼鏡を外した顔を見せてください)




 崇信は腰を90度曲げ、冴花に深く頭を下げた。



「お願いします! 僕と付き合ってください!」



 今まで以上に力強い声。何の飾り気もないまっすぐな言葉。


 冴花より先に、隣に立っていた片山 理央が反応した。

「……はああっ!? ちょ……、瀬戸!? あんた何言ってんのよ!?」

 ただただ眺めていたクラスメイトたちも騒ぎ始める。

「おい、なんだこれ。瀬戸って、誰かに言わされてんのか?」

「なんか眼鏡がどうのこうのって、大沢たちはいつも言ってたけど……」

「瀬戸、関係ねえじゃん」


 

 色めき立つ教室に冴花の声が響き渡る。

「待って! お願い、ちょっと待って!」

 その冴花の思い詰めたような声に、教室は再び静まりかえった。


「瀬戸くん……、頭あげてよ。ねっ?」


 冴花に(うなが)され、崇信は腰をまっすぐ伸ばした。冴花と向き合う。


 冴花は眼鏡を外した。冴花の素顔を初めて見た崇信の顔が更に赤く染まる。


「瀬戸くん」


「はっ、はい……」


「ありがとう」


 今度は冴花が、崇信へ向かって深く頭を下げた。




「こちらこそよろしくお願いします」

 

 冴花なりに、最高に力を込めた声を崇信へ返した。

 


 峰本 冴花は瀬戸 崇信の告白を受け入れた。




 崇信が告白したときよりも、教室は大騒ぎになった。



 ――――――




「――という訳なの」


 キッチンで冴花が琴音に微笑みかける。窓の外はすっかり暗くなっている。

(……どこがどうなってどうなったら『という訳なの』になるの?)

 全く理解が追いつかない琴音は手を挙げた。

「えっと……、お母さん? 質問が……」

「はい、なんでしょう?」

 冴花が嬉しそうに応えた。


「あの……、なんで()()で『お願いします』になるの? お父さん、やってること滅茶苦茶じゃない……」

「ああ……、それねえ、正直言うとお母さんもよく分からないの。それに多分、お父さんもよく分かってないんじゃないかな。『なんであの場で告白したのか』なんて。そもそも私のこと好きだったのかどうかすら、今もお母さんは疑ってる」

「なっ、なにそれ!?」

 冴花は笑う。

「だって、あの頃の私たちは今の琴音と同い年よ? 17才。後先考えないで突っ走るものなのよ。とにかく、何の根拠もないけど……、そのときのお母さんは思ったの。『この男性(ひと)となら幸せになれる』って」

 琴音の顔が微かに曇る。

「それって……、深く考えなかったことを後悔してるってこと?」

 冴花は琴音に向かい、手をピラピラと振る。

「まさか。そのおかげで私は琴音のお母さんになれたし。お父さんね、私や琴音を守る為ならすごく強くなれる男性(ひと)なのよ。すごくかっこいいんだから。お母さんはそんなかっこいいお父さん、何回も見てきたんだから」


 琴音は驚く。にわかには信じられない。


「あのお父さんが?」

「違う。あのお父さん()()()





 そのとき、玄関の扉が開く音がキッチンに届いた。


「ただいまぁ」


 なんともくたびれた父親の声も続いて届く。

 いつも琴音が「頼りない」と感じていた声。


「あら、お父さんもう帰って来ちゃった。まだ夕飯のおかず、出来てないのに……」

「先にお風呂入ってもらおうよ」



 琴音は父親を出迎えるために玄関へ向かった。

 その足取りは軽い。




「お父さん、おっかえり〜」



 最後まで読んで頂けて嬉しいです。


 御感想、評価ポイント(★)頂けると励みになります。


 よろしくお願いします。


 ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
いいお話しでした。 何となくクラスの雰囲気もみえて昔の教室の空気を思い出しました(^^)
告白現場のドキドキ感がこちらにまで伝わってきました……! お父さんのかっこよさ、ここでは告白シーンしか描かれていないですが、それ以外にもあったそれらをばっさり書かないことで想像させるところがいいなぁと…
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