透明な僕と、カーストトップの光の彼女
物語の主役はスポットライトの下で輝く。
時には仲間達に囲まれ、時には何かにぶつかり悩み、しかし、それでも最後は周囲の仲間や友人達から喝采を浴びる。
彼、あるいは彼女の名前を誰もが知っていて、その存在はその世界に必要不可欠だったのだと認められる。
人生とは己を主人公とした壮大な物語である、と何かのアニメで主人公が言っていた。
……あれはたしか、怪盗を主人公としたアニメだっただろうか。
アニメはいい。
出てくる登場人物になんらかの役割を与えているのだから。
画面の端に立つ通行人、あるいは木だっていい。いわゆるモブと呼ばれる存在にも役割を与える。
モブと呼ばれる彼らは、物語の背景を彩る、いなくてもよさそうで、でも絶対に必要な存在だ。
……僕は、どうだろう?
僕は、誰かの物語のモブと呼ばれる存在なのだろうか?
僕には、明確な役割や、背景を彩るだけの機能もない。僕は確かに存在していて、確かに普通の人間のはずだ。
家族との夕食で、用意された皿が一つ少なかったことがある。そのときは、ただ単に家族が僕の分を出し忘れただけだと思った。実際「本当に忘れてしまっただけ」と謝られたので、そういうこともあるだろう、の範疇だった。
しかし、異変に気付き始めたのはそれからすぐのことだった。
小学生の頃、テストでたまたまいい点数を取った事があった。初めての満点だった。先生に名前を呼ばれてテストを渡されたとき、初めての3桁の数字に胸が高鳴った。そのあとクラスの皆にテストを返し終えた先生から言われた言葉は今も忘れられない。
「今回満点を取れたのは一人だけだ」
嬉しかった。心の底から。少しの優越感があった。
……なのに。
「今回満点を取った人は――」
空いた口が塞がらなかった。
先生が出した名前は、僕の名前ではなく、僕の二つ後ろの席の女子生徒の名前だったのだ。
その子は確かに優秀だった。
今回のテストでもその子は、満点を取っていた。
それでも、僕の名前を出されなかったことが、なぜか無性に恥ずかしくて……そっと僕は机にテストを押し込んだ。
そういったほんの僅かな、すれ違いのような、間違いのような、些細な一件一件を繰り返していくうちに僕はある事に気付いた。
どうやら僕はものすごく影が薄いというか、存在があやういのだと。
街中で人とぶつかって、ぶつかった人が首を傾げる事があった。さっきまで話していた友人が、他の友人を話し始めたと思ったら、そのまま二人で、僕のことなど端からいなかったようにどこかに行ってしまったり、など。
そういうことを繰り返しているうちに、僕は気付けば一人になっていた。それがまるで運命のように。
孤独が寂しくないとは言わない。けど、そういった経験が、諦めという感情を育てていった。
高校生になった今では、誰にも認知されないそんな自分の物語を受け入れるようになった。
誰にも認知されないと聞けば、それは悲しいことのように思えるかもしれない。だが、一人で気ままで、何にも縛られない自由を謳歌できると考えれば、それはなかなかに悪くない人生だと思えるようになった。
そんな僕の日常は、これからもずっと続くのだろう。誰にも気づかれず、僕は一人で生きていくんだ、と。
「ねぇ、君はどう思う?」
澄んだ声が、僕という存在にスポットライトライトを当てるまで。
そう思っていた。
***
僕以外誰もいないはずの静かな世界に突如現れたその光は、あまりにも眩しすぎた。
「……あれ? 聞こえてる?」
その言葉にハッとして、僕はあたりを見渡した。
彼女――七星きらりは僕のクラス、いや、学年全体で見ても中心的な存在だ。
陽の光を吸い込んだような、柔らかなブラウンの髪は、肩にかかるほどの長さで、毛先がふわりと弾む。スラリと伸びた手足に、制服越しでもわかるしなやかな体つきは、彼女が運動神経にも恵まれていることを物語っていた。
それだけにとどまらず、彼女は太陽のような笑顔でも有名だった。「どれだけ落ち込んでいても、きらりちゃんの笑顔を見るだけで、暗い気持ちなんて一瞬で吹き飛ぶよなぁ」って前に誰かがすれ違いざまに言っていた。
この学校でカーストトップが誰かと聞かれれば、誰もが七星さんの名前を真っ先に出すであろう。
彼女の仕草一つ一つが人を惹きつけて、人々に幸せを与える。まるで女神のような存在。
星の女神。
そんなふうに呼ばれている彼女が、今更僕といういるかいないかもわからない存在――杉田透に話しかけてくるなんて。
まぁ、ありえない。
周りをキョロキョロと見渡して、声をかけられたであろう人物をさがすが、なぜかそれらさき人が見つからない。
皆、別の友人達と話していて、七星さんに話しかけられた事にも気付いていないようだ。
誰かは知らないが七星さんに関われる、せっかくのチャンスをふいにしてしまったようだ。
「……もったいない」
「え、何が?」
「……え?」
1度は閉じた本を開き直そうとしたところで、また七星さんの声が響いた。
都合のいいタイミングに、思わずもう一度顔を横に向けると、七星さんと目が合う。
「……」
「……?」
なぜか首を傾げながらこちらを見ている七星さんの周りにはたくさんの友人達。彼らは揃って不思議そうに彼女を見ているのに、当の本人の七星さんは僕の目をジッと見つめている……ような気がする。
僕はその視線の先、つまり自分を飛び越えてその先になにかに目を向けるが、やはり誰もいない。
そうしていると、誰かに肩をちょんちょん、と叩かれた。
久し振りの感触にビクリと肩を震わせて、おそるおそるまた振り返ると七星さんがケラケラと面白そうに口に手を当てて笑っていた。
「も~う、さっきから無視しないでよ。杉田くんに聞いているんだよ?」
すぎたくん。すぎた……くん?
「……え、僕ですか?」
「このクラスには杉田くんは君一人だけだよ?」
一人で面白そうに笑う七星さんを周りの友人達と目が合うと「え、いたの。ってか、誰?」みたいな顔をする。
見慣れた反応だ。
「それで、どうなの?」
「な、何がですか?」
七星さんが当然のように聞いてくるが、僕には質問の内容すらわからない。
「カラオケだよ、カラオケ。せっかく初めての中間テストが終わったのにさ。そういえばこのクラスで懇親会やってなかったなぁ~って。だからクラスでカラオケっていうのはどう?」
どう、と言われても……。
「い、いいんじゃない?」
「他人事のように言うけど杉田くんも入ってるんだよ?」
「はあ……」
そんなことより、今のこの状況について、説明してほしいんだが……。そんなことを考えていたせいで、中途半端な返事を返してしまう。
そんな僕の反応が不服なのか、七星さんは、ムッと頬を膨らませる。
あ、ちょっと可愛い。
「杉田くんも参加しない?」
「……え、何が?」
「だからカラオケだよ。カ〜ラ〜オ〜ケっ!」
「カラオケ……」
戸惑っている間に次の授業のチャイムが鳴る。次の授業の担当の先生が教室に入ってくる。七星さんは「絶対だからね!」と言いつつ僕から目を離すと、黒板の方へと身体を戻す。
いろいろ話が見えないが、どうやら僕はカラオケに誘われたらしい。
でも僕にはやはり関係ない。だって、そんなもの放課後になってしまえばみんな忘れてしまうのだから。
「……びっくりした」
本当に驚いた。
誰かに何かを誘われたのなんていつぶりだろうか。
家族含め、何かに誘われるなんてここ数年はなかったはず。まさかそれが急にきてしまうなんて。あまりにも驚きすぎて、変な回答になってしまったが、まぁ、その辺はいいとしよう。
どうせすぐに忘れられてしまうなら、黒歴史もあって無いようなもの。
いつもの日常が始まる。
「……?」
視線を感じて隣の席に顔を向ける。七星さんは依然として前を向いたままだ。しかし、その口元が微かに緩んでいるように見えるのはなぜだろうか。みんなでカラオケに行くことがそんなに楽しみなのだろうか?
わからない。わからないけど、僕には関係の無いことだ。無理にでもそう思い込んで、僕は前を向き直した。
***
さて、その日の放課後、クラスの懇親会として、今週末にカラオケに行くことが正式に決まったことが知らされた。
黒板の前で七星さんらカーストトップの人達が、いつの間に準備したのであろう、出欠の紙を高らかに見せている。
「参加する人は、この紙に名前書いてねー!」
七星さんがそう言うと、クラスの皆、特に男子たちが勢いよく立ち上がって名前を記入していく。
それを横目に女子たちも「すげぇ必死じゃん」と、口ではそう言うが楽しそうに後に続いていく。
「どうせだからこれを機に、クラスのグループチャット作ろうよ!」
誰かのその一声に、教室内はどんどん盛り上がっていく。さながら、好きな歌手のライブ前の観客のようだ。
参加者のほとんどが七星さん目当てなのだろうが、それ以外の人達も今から楽しそうにしている。友達と何かを一緒にするって言うのは、それほどまでに楽しい事なのだろう。
僕はもちろん席を立たなかった。グループチャットにももちろん誘われないし、自ら参加しようとも思わなかった。
行ったところで僕の存在は誰にも気付かれない。歌を歌ったところで、誰も反応しないか、下手すればお化けと間違われて騒ぎになってしまうかもしれない。
中学の頃、似たような経験をしたのだ。同じ轍を踏むようなことはしない。
友達もいない僕が誰かと楽しめるわけもない。楽しみ方も忘れてしまった。
だから不参加。
こういうのは強制感があって、ただ一人不参加だと空気が読めない人だとレッテルを貼られてしまう者なのかもしれないが、そもそも空気のような僕ならそれは関係ない。
「……帰ろうか」
一通り教室内も落ち着き始めた。今ならこっそりと帰ってもいいだろう。
そう思って立ち上がったその時だった。
「あれ、杉田くん?」
いつの間にか七星さんが僕の隣に立って、そう声をかけて来た。
七星さん、実は僕と同じくらい影が薄い?
と、思ったがそんなわけない。ただ単に周りの皆が盛り上がりすぎて、彼女が移動していたことに気づかなかっただけだった。
「カラオケ、参加しないの?」
そう言った七星さんの右手には、先程、クラスの皆が名前を書いていた紙があった。
「あ、……と」
あたりまえのように投げかけられた問いかけに、僕の思考は完全に停止していた。同じ日に二度も話しかけられるなんて思っていなかったので、話す準備などできていなかったのだ。
「みんなもう書き終わってて、後は杉田くんだけだよ?」
たくさんの名前が書かれているのはわかるが、それが全員かどうかは僕にはわからなかった。
「本当に全員書いてるの?」
「うん、間違いないよ、ほら」
紙は二列の表形式になっており、この表に名前を記入するらしい。そして、なぜか一つだけ空いている空白のマス。それが僕、ということか。
だが、それでもよく気づけたものだと思う。現に、他の皆はそれに気付いている様子はない。
七星さんだけがそれに気付いていて、しかもそれが僕だとはっきりわかっていた。
「……別に、行かない、とは言ってないよ」
間を置いて絞り出した声は、自分でも驚くほどに小さかった。
本当は行きたくない。けどはっきりと断れなかったのは、僕が根っからの陰キャということと、彼女の真っ直ぐな目に、断るという二文字が出なかったからだ。
「……ほんと?」
「うん」
頷くしかない。ここまで言ってしまったのなら。
すると、七星さんはぱっと花が咲いたような笑顔を浮かべた。
「よかった! じゃあ、書いておくね!」
彼女は自分の机の引き出しからペンを取り出すと、嬉しそうに僕の名前を書き込んだ。彼女らしい、丁寧で明るい字だった。
「決まり! 杉田くんも一緒だからね!」
なぜか嬉しそうにそう言って、彼女は僕に人差し指を向ける。
私は、あなたを見ていると言わんばかりに。
「……っ」
僕はそんな彼女から逃げるように背を向けて教室のドアから出た。
「……今日は暑っついなぁ」
……そう、暑い。暑いんだ。
夏が近づいているからだろう。そうじゃなきゃありえない。あぁ、ほんっとうに今日は暑い。
制服の前後に動かして、自分の顔に涼しい空気を送る。そのとき、ガチャガチャと名札が鳴る。
「……名札。そうか、これか」
彼女がはっきりと書いた『杉田透』という名前。当たり前のように書いていて、なんで知っているのか、なんて思ったけど。きっと名札を見て書いたに違いない。
「あぁ、もう。暑っついなぁ……」
顔の熱が収まらない。
***
とうとう来てしまった金曜日。そして、あっという間の放課後。楽しみにしていたわけでないのに、なぜかあっという間に来てしまった。
「杉田くんは何歌うか決まってる?」
「なんだろうね」
「楽しみだなぁ」
なぜかあれ以来、七星さんには話しかけられるようになった。
彼女以外は相変わらず僕を認知できていないのに、彼女だけが僕を見て、話しかけに来る。
しかもなぜか嬉しそうに。楽しそうに。
友達のいない僕でも、こんなコミュ障の僕との会話なんて楽しくないとわかるほどに、僕は人と話すのに慣れていないのに。
彼女の考えがわからなかった。
「さ、そろそろ歌おうか、杉田くん」
「もうちょっと待ってね」
当然のように七星さんは、カラオケで僕の隣に座っていた。
クラスの全員で二つの部屋に分かれて、僕は七星さんと同じ部屋になった。それは二分の一の確率なので、そういうものだと理解できる。
「なぜ僕の隣に?」
「ダメなの?」
「そういうわけじゃないんだけど」
「杉田くんが後から私の横に座ってきたんだよ?」
「……そのはずなんだけどなぁ」
最後に部屋に入った僕が座る場所を探していると、なぜか七星さんの隣しか空いていなかった。
あの七星さんの隣を誰も狙わないなんてことがあるだろうか。何が目的かはわからないが、誰かの策にハマっているような気がしてならない。
「さぁ、そろそろ歌おうよ! 杉田くん。いい加減逃げられないよ? 1回でいいからさ」
そう言って、七星さんはカラオケの機械を僕に向ける。
ここまで来たら腹を決めるしかない。
「わかったよ」
「やったね!」
何がそんなに嬉しいのかわからないが、僕はとりあえず誰もが知っているであろう曲を入れた。
「……」
「あれ、もしかして緊張してる? 大丈夫だよ。カラオケは楽しめば上手い下手は気にしないから!」
自分の番が近づくにつれ、緊張する僕に七星さんは励ましの言葉をかけるが、僕が気にしているのはそこではない。
しかし、それは口で説明するより、実際に味わった方がわかるかもしれない。
そして、その番が来た。
曲の前奏が……流れる。
「……あれ? この歌、誰か入れた?」
僕が歌い始める前に誰かがそう言った。
「杉田くんだよー」
「……んん?」
七星さんが僕の名前を出す。それに対し、皆が眉をしかめたその時、僕が歌い出した。
「え、待って。……誰の声? え、……え!?」
「なんだ杉田くん、普通に――「え、待って! 本当に誰の声なの!?」」
七星さんの声をかき消すような叫び声が上がった。
「ど、どうしたの? みんな……?」
「え、ヤバいヤバい! わかんない、誰!?」
「おい、ちょっとこれマジでなんなんだ!?」
「これってまさか前に噂になってた、幽霊って奴じゃ……!」
「やめてよ、ホントに! 誰かがボイスチェンジでも使ってるんでしょ!?」
「おい、いい加減にしろ! 悪ふざけも大概にしろよ!」
「ちょっと待ってよ、みんな! さっきから何を言って……!?」
「……はぁ」
「やめてって、ホントに!」
Aメロを歌い終わらないうちに、僕はマイクをテーブルの上に置いて、そのまま曲の停止ボタンを押す。
騒然とする部屋を見渡して、僕はそのまま部屋のドアノブに手をかけた。
ドアから出る直前、隣にいた七星さんと目が合う。しかし、僕は止まることなく、そのまま部屋を後にする。
部屋を出ると、防音のおかげか、部屋の騒ぎは外にまで漏れていなかった。
「……やっぱり、か」
中学の頃、同じようなことがあった。
あの日も同じように何人かの人と一緒にカラオケに行って、歌を歌った。たったそれだけの事なのに、今回のような騒ぎになった。
勝手に曲が流れた。知らない声がする。一人分料金が増えている。
どういう原理かは僕も知らない。けど、結果として言えるのは、どうやら僕はこの世界に認知されていない、されずらい存在ということだけ。
誰にも認知されず、見えなくなる僕の歌声は、彼らにとって「本来聞こえない声」だった。物理的にありえない現象だからこそ、物理的でない理由を彼らはつける。
せっかくのカラオケが一瞬にして、どこかのホラーゲームと同じように変貌してしまった。
「これだからイヤだったんだけどなぁ……」
ドアの外から曇りガラス越しに中の様子が見えるが、パニックを七星さんが落ち着かせているように見える。
そのかいもあって、彼らは少しずつ冷静さを取り戻していく。
「……ふぅ」
僕はそれを見て、ゆっくりとカラオケの外へと歩き出す。こんなこともあろうかと、あらかじめお金は七星さんに渡していたから、会計時の処理は大丈夫だろう、と思いたい。
「どうしたものかな……」
いたたまれなくなって外に出てきてしまったわけだけど、さすがにこれで帰れるほど僕の心もできていない。誘ってくれた七星さんにも悪い。
「というか、なんで七星さんは僕を……?」
「その方が楽しいかなって思ったんだよ?」
「な、七星さん!?」
いつの間にか、七星さんが僕の隣に立っていた。
「いつも僕をびっくりさせるね」
普通であれば、それは逆のはずなのに。
「……ごめんね」
「え?」
「ごめんね」
「えっと……何が?」
突然泣きそうな顔で謝られて、僕は思わず周りを見渡す。
「どうしたの、いったい?」
「さっきなんで、って言ってたから。私はただその方が楽しそうだな、って思ってたのに。嫌な思い、させちゃったね」
「え、あ……いや。今のは……」
いつも明るい、笑顔の七星さんが泣いている。
これはダメだ。見せてはいけない。
そう思って自分の身体で七星さんの顔を隠すようにするけれど、彼女の泣き声が夕方の空に響く。
どうしたものかと困り果てていると。
「なになに? どうしたの?」
「こんなところで女の子を泣かせているのはどこのどいつよ?」
不意に、二人の男がその言動とは裏腹に、ニヤニヤと僕たち二人の前に立ち塞がった。
「お嬢さん、こんなところでどうしたの?」
チャラついた声が、七星さんを品定めするように響く。
「俺達が話でも聞こうか?」
そう言って、もう一人の男が七星さんの肩に手を掛けようとしたそのとき、彼女は涙を拭いながらするりとその手を躱した。
そして、キッと目を細めて二人の男を見ると。
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
と、彼女はあからさまに距離を取った。
しかし、二人の男はそれでも強引だった。男の一人が七星さんの腕を掴もうと腕を伸ばしてきた。
「あ、あの……!」
その腕を遮るように僕が割って入ろうとする。
しかし、その前に男は七星さんの手首を掴んでしまう。遅れて、僕は男のその腕を掴んでいるのだが、彼らはそれでも僕を認知していない。
僕に力があればこの腕を解けるのだろうが、一介の高校生。ましてや鍛えているわけでもない僕の力では、彼らを止める事すらできない。
「くそっ……!」
七星さんが助けを求めるように僕を見てくる。わかっている。助けたいんだ。でも、それができない自分に腹が立ってくる。
「杉田くん……っ」
「え、なに? それって彼氏? 大丈夫大丈夫。悪いようにはしないって!」
そんなわけがない。彼らの下卑た笑みがそう物語っている。このまま七星さんを連れて行かれるわけにはいかない。
では、僕に何ができる? さっきは幽霊のようにクラスの皆から怖がられたのに、どうして今はこんなにも無力なのか。
そう思ったそのとき、一つ案が浮かんだ。
「七星さん……ごめん」
「えっ……?」
僕は踵を返し、カラオケ店へと駆け戻った。後ろから七星さんの必死の声が聞こえる。
焦る気持ちを抑えて僕はある部屋のドアを開けた。勢いよく開けたにもかかわらず、彼らは僕を見ていない。
よし、これならいけるかもしれない。
僕はテーブルに置いてあるマイクを素早く取ると大きく息を吸った。
「うああああぁぁぁぁっっ!!」
肺の中の空気を全て吐き出すように思いっきりマイクに向かって叫んだ。
「え、なに!? なに!?」
慌てる彼らをよそに、僕は電気のスイッチをオンオフ繰り返し、部屋の照明を点滅させる。
それで彼らはもう大騒ぎだった。
「なんだよ。なんなんだよ、ここぉ!!」
「ヤバいって、マジで!」
「と、とりあえず出るぞ!」
ドカドカと彼らは部屋から逃げるように出て行く。
途中、僕に何人かぶつかったのにもかかわらず、彼らは僕には気付かなかった。
けど、それでいい。これがいい。
「頼むよ、みんな」
クラスメイト達はなにがなんだかわからぬまま、カラオケ店を出て行く。
すると、彼らが次に見る光景は必然だった。
「ちょ、あれってきらりちゃんじゃね!?」
「え、そうだよ。きらりちゃんじゃん!」
「おい、アイツらまさかナンパってやつか!?」
クラスメイト達はしつこく七星さんの手首を掴んでいるナンパ師たちを見ると、さっきまでの恐怖も忘れて走り寄った。
「おい、やめろ。お前ら!」
「な、なんだよ、てめぇら……っ!」
「お、おい。ずらかるぞっ」
多勢に無勢。
高校生といえど、さすがの集団に取り囲まれては彼らにも為す術はない。七星さんの手首から手を放すと、男たちは慌てて逃げ去っていった。
「大丈夫、きらりちゃん!?」
「あ、ありがとう。みんな……」
「きらりちゃんが無事でよかったよ」
クラスメイトたちは七星さんの無事を確認すると、ほっと息をつく。
「なぁ。なんかここさ、いろいろとヤバいし、場所変えねぇ?」
そのタイミングで誰かがそう言った。
「うん、いいんじゃない? ちょうどお腹も空いてきたしさ。みんなでご飯でも食べにいこうよ」
そんな感じで、どうやら彼らは近くのファミレスで食べに行くようだ。
「……なら、僕はここで解散かな」
緊急とは言え、驚かしたせいで部屋の中はめちゃくちゃだ。誰かが少しでも片付けなければお店の迷惑になってしまう。もう、遅いかもしれないけど。
一人でそう呟いた僕は、皆が先ほどまでいた部屋へと一人戻った。
***
部屋に戻ると、やはり部屋の中は散々たる様子だった。
散らばったドリンクのカップ。散乱したスナック菓子。誰もいない部屋は、先ほどまでの喧噪が嘘かのように静まり返っていた。
「よいしょっと」
それを黙々と片付けていると、ふと視線がマイクに向かった。
そういえばちゃんと歌えなかったことを思い出した。
「……まぁ、せっかくなら。いいよね?」
僕は先ほど自分が入れた曲と同じものを入れた。
「……」
誰にも聞こえない。誰にも届かない僕の歌声。それでも、一度だけ、ちゃんと歌ってみたかった。
皆みたいにそれを共有する事はできないけれど、せっかくの僕の物語に歌もないというのはあまりにも寂しすぎると思った。
歌い終え、静寂が戻ったとき、僕は息を小さく漏らした。少しだけ、すっきりした気持ちになった。
「やっぱり私は好きだなぁ。杉田くんの声」
「え……?」
突然、背後から聞こえた声に、僕の身体は硬直した。振り返ってみると、部屋の入り口で七星さんがパチパチと手を叩いて笑っていた。
「どうして、ここに?」
「杉田くんにお礼を言いに、ね」
「お礼なんて。僕は逃げたんだよ?」
「そんなわけないじゃん。みんなを連れてきてくれた」
彼女はそう言って、僕の隣に「よっこいしょ」と座った。
「杉田くんって。影が薄いんだね」
「本人の前でそれを言う?」
「うん、ごめんね。でも、私は知ってるよ」
「なにが?」
「杉田くん……ううん。透くんのこと」
首を傾げる僕に、七星さんは頬を赤くした笑みを向けた。
「小学校の頃、実はテストで満点を取ってた事」
「……っ!?」
どうして。それを。七星さんが知っているの?
「本当は私だけじゃなかったのに。それを知っていたのに、何も言えなかった私が。とても恥ずかしかった」
七星さんは僕の手を優しく覆うように取ると、僕の顔をまっすぐに見る。吸い込まれそうな彼女の目に映っているのは、間違いなく僕だった。
「街で誰かにぶつかると、大丈夫かな、って相手の事を心配そうに見つめたり。さっき助けようとしたとき、この手であの人たちの腕を掴んでた事。こうやって誰も見ていなくても、このお部屋の片付けをしようとしていたこと。全部ね、知っているんだよ」
どうやら七星さんはずっと前から、僕を見ていたようだ。
「でもね。それを皆に認めてもらえない透くんを見て、悔しかったんだ」
「悔しい?」
「うん。悲しいとも言えるね。好きな人が皆から認められていないって、さ」
「……うん?」
今、なにか重大な発言を聞いたような気がする。
「だから皆に見てもらいたかったんだ。透くんのこと、知ってほしかったんだ」
七星さんはそう言って、悲しそうに俯いた。
「それなのにダメだった。透くんを、逆に傷つけちゃった」
「えぇっと……」
先ほどの発言がやたらと気にかかってしまい、頭がうまく働かない。けど、どうやら七星さんが勘違いしている事だけはわかった。
「私、迷惑だよね。なんで傷つけるようなマネをするんだ、って。どうしてカラオケに連れてきたんだって。そう思うよね?」
俯く彼女の顔は見えないが、僕の手の甲に温かい何かがぽつり、ぽつりと落ちてきた。
せっかく晴れたはずの顔が台無しになってしまっているだろう。
「え、っと。七星さん、顔をあげて?」
「……」
七星さんは首を横に大きく振った。僕にあわせる顔がないと思っているのか、はたまた今の顔をみせたくないのか。そのどちらかはわからないが、共通している感情なんだと、恥ずかしながら思ってしまう。
「僕があのときいった『なんで』はそういう意味じゃないよ?」
七星さんは顔こそ上げないが動きを止めた。
「僕が言ったのは……えっと、その、なんていえばいいのか。その……」
――なんで七星さんは僕を見つけられるんだろう?
「って、そういう意味だったんだけど……」
自分で言いながら無性に恥ずかしくなってくる。包んでくれた手が沸騰するかのように熱くなっているのが自分でもわかる。手のひらは残念な事にびしょびしょだ。
今となってはその答えを聞いた、というか、聞いてしまったというか……。
「そっか。そういう意味だったんだね」
ようやく、七星さんがゆっくりと顔を上げた。瞳は潤んでいるけれど、その中にいつものきらめきが戻っていた。
「でもちょうどよかった。言いたいこと、やっと言えたから」
彼女の瞳は、それはまさに夜空の星のように輝いていて、まさに彼女を表していた。
そしてその夜空の星は、今だけはたった一人だけにスポットをあてている。
「ねぇ、透くん。私ね、透くんが好きなんだ。ずっと前から。小学校の頃から、ずっと。誰からも認めてもらえなくても、声が届かなくても、私だけは、ずっと透くんのこと見てたよ。聞こえてたよ。ずっと私の光だったよ」
真っ直ぐな告白に僕は目を奪われる。
まさか皆の光に、僕が光だと言われるなんて。
物語には主役がいて、主役はスポットライトがあたって輝く。そして輝いた主役が次に光を当てようとしたのは、いるかいないかもわからない空気のような存在。しかもあろうことか、それを自分の光とまでいうとは……。
「えっと……七星さん、あの、その……」
必死に言葉を探すが、うまく出てこない。
そうやってやっと出てきた言葉が。
「透明な僕が光って言われても……僕は、光を透過しちゃう方なんだけどなぁ」
半ば自暴自棄に言った言葉はまるで支離滅裂で、自分でも何を言っているのか全然わかんない。七星さんも少し驚いたように目を丸めると、ふわりと微笑んだ。
「そういう変に面白いところも好きだよ?」
「……勘弁してよ」
七星さんらしい笑顔が僕を照らす。
僕もつられて、少しだけ光を七星さんに当ててみるけど、彼女の光に到底かなわない。
こんなでは、彼女の光とはやはり言えない。
それでも七星さんが僕を「光」と呼ぶのなら、今はただ、その「透明な光」というものを受け入れてみようと思う。
久し振りに投稿してみました。
最近、自分が以前書いていた短編もなぜか日間ランキングに載る事があるので、よろしければそちらもどうぞ。
「僕の彼女の恋のジャンケン」 N0710EU