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アスミは退勤後、若竹の店に向かった。八木橋が護衛だからといってついてきたが、話しかけはしなかった。彼は相変わらず性行為についてペラペラと話しかけてきたが、知らんぷりする。
店に向かうと、普段と変わらず若竹が会計のレジの後ろに座り、本を読んでいる。アスミと八木橋に気づくと顔を上げ、怪訝な顔を八木橋に向けていた。
「ごめん。突然。なんかどうすればいいのかわからなくて」
「火葬やら告別式は後々やるだろう。僕も連絡を待ってるところだ。近親者のみかもしれない。ところでこの方は?」
八木橋に顔を向けた若竹はなんだか、不快そうな表情になっていった。彼のどこが気に食わなかったのか分からないが、八木橋はそんな相手の表情に気付かないらしく、飄々と自己紹介をした。
「八木橋っていいます。仕事は褒められた仕事じゃありません。アスミちゃんの護衛をしてるんです」
「護衛?」
「セックスをしたから護衛するっていう契約をしたんです」
荒唐無稽なことを言ったからか、若竹は嫌悪の表情で顔を歪め、視線を外していた。やはり彼らは相性が悪いらしい。
「へえ。彼女を無理くり襲ったんじゃなく?」
若竹が突っかかるように言う。2人の間に諍いが起きた。八木橋も応戦するように言う。
「違いますよ。そんなことしたら立派な犯罪でしょう?僕は嫌がる相手にそんなことしないよ」
「彼女は仕方がなく仕事でしたような話をしていたが、そうやって追い詰めて楽しいですか」
若竹が鋭く問い詰める。内心拍手をしたが、図星を突かれた八木橋はむきになって膨れっ面で反論する。
「人ぎきが悪いなあ。彼女と俺は同意の上そういうことをして、こういう利害関係を築いてるんだから部外者にあれこれ言われる筋合いはないよ。あんたはなにか?俺に嫉妬してるんだ。美女と体の関係になってるんだから」
若竹は顔をしかめ、いやな虫を見るような目つきで八木橋を睨見つける
「アスミ、何なんだこいつは」
アスミも手をあげて、お手上げのジェスチャーをした。
「目の前に、しなやかな体つきをした美女がいたら見てしまうように、男なんて美人が大好きだからね。君もそうだろう?こんな本なんか読んで、利口ぶってるけど、内心はやりたくてたまらないくらいのを隠してるだけだ。セックスできる機会をうかがってるんじゃあないのか」
「全員があんたみたいに狂ってないんでね。そのうるさい口をずっと閉めててもらえないか。臭すぎて、たまらないんだ」
若竹がここまで嫌悪感を露わにしてるのも珍しかった。彼は近くにある本の整理を始める。
「くさい?さっきドーナツを食べたからかなあ。ニオイ対策は万全なはずなんだけどなあ。君のボロい本のカビた匂いじゃないのか?」
「アスミ、この男と一緒にいたくない。帰ってもらっていいか?今度は君だけで来てほしい」
若竹が不機嫌な調子で言ってきた。アスミは謝って、また来ることを約束する。八木橋は喜びながら捨てぜりふをはいていた。
「わかりやすいなあ。アスミちゃん、この人のこと気をつけたほういいよ!彼もいつキミとやれるかを考えてる狼なんだから、ほんとたちが悪いよ」
「そんなこと言わないで。彼はそういう人じゃないわ」
アスミが反論すると、明らかに八木橋の攻撃が弱まる。口をとがらせて、唸るとため息をついて再びアルミの後についてきた。
夜道はかすかな街灯の光で照らされるだけで、その光がなければ不安になるほどの暗闇だった。八木橋はまだついてきていたが、先ほどよりも余計なことは言わなくなってきていた。彼が静かになると、こっちのペースが崩れてしまう。
「アスミちゃん、君いつもこの道歩いてるの?」
突然八木橋が問いかけてきた。
「そうだけど」
「やめたほうがいいよ。もっと明るい広い道を通ったほうがいい。こんな道通ってたら、襲ってくださいって言ってるようなもんだよ」
「そんな大げさな。周りに家が立ち並んでるから大丈夫よ」
「襲う人間ってのは声を上げられるのが困るから口から制圧するんだ。つまり声を上げれなくさせた上で君を襲う。声が届かなければ助けも呼べないからね」
「それって経験談?」
苦い顔で聞き返すと、八木橋は頷く。
「殺しをやるときはその場の状況を見て選択しないといけない。一気に殺すのにしくじったときはいつもそうしてるよ、口から制圧。まあ、そんなことめったに無いんだけど」
「へえ」
「実演してもいいけど、びっくりすると思うよ」
八木橋が、どれほどの技量なのかは気になっていたが、それは自分の身に危険が迫ることと同義なので口にしなかった。
「見たい気もするけど、そんな頻繁に襲われてたら身が持たないね」
「まあね。そういう日もたまにあるけど、ほとんどは平和な日のほうが多いよ」
「いつでも殺そうと思えば殺せるの?」
「殺せるよ。こう見えて拷問だってやれる。また違った俺が見れるってわけ。今日は調教プレイでもしようか?手錠つけて、アスミちゃんをいじめるんだ」
アスミはいつも通り脱線した八木橋に呆れて、早足で自宅に向かった。
「いい案だと思ったんだけどなあ。刺激的じゃないか」
「それ以外話すことはないの?」
「さっき会った男だけど、君に気があるよ。ああいうのには気をつけなよ。急にスイッチが入ったように豹変するんだから。そういう雰囲気にならないように気をつけないと。2人きりなんてだめだよ。やってくださいって言ってるようなもんなんだから。気がないならないなりに扱いを変えないと、変に気を持たれて、そういう関係になるよ」
八木橋が再び真剣な口ぶりになった。若竹にはそういう思いがないと思っていたが、第三者からはそう思われるのだろうか?アスミは八木橋が言っているから当てにならないと思ってしまう。
「彼は私のことそう思ってないわ」
「いや、思ってるね」
「彼もあなたみたいに思ってるってこと?」
「ざっくりいうとね。彼は俺を見た瞬間、嫌な顔をしてたよ。邪魔者が来たって顔をね。君に気がなければ俺のことなんか気にしないはずだよ。彼は俺からセックスの話をされたから気まずくなって怒ったんだ」
「考えすぎよ」
「それじゃあ、しばらく彼のところに行ってみて。
すぐに彼は君に手を出すよ。きっと彼はサインを出してるんだけど君が気づかないから、ヤキモキしてるだろうね」
「そんなことされたことないわ」
「彼は繊細そうだからね、露骨にわかりやすい表現はしないだろうさ。俺のいいところはわかりやすいところだよ。思ったことははっきりいうし、行動もわかりやすいから他人から危害がないと思われる。でもね、やろうと思えば、際どいことだってやれるんだよ。こういう人間が1番盲点だって気づかない人が多いんだ。カモフラージュのためのうるささっていうのもあるからね」
「そんな関係は築きたくない」
「君はもっと男を選別しないと、都合のいい女になってくよ。そこが君の優しいところで俺の好きなところだけど、好きな子には幸せになってもらいたいからいうよ。君は好きでもない男にあれこれ気を回して、好かれに行ってるように見えるんだよ。本当に大事なものが見えてないし、自分を助けてくれる存在にも気づいてない」
八木橋はとうとうとお説教を始めた。この男にはセックスの話とお説教しかないのか。中年のおっさんの境地だ。
「あなたはセックスのはなしかお説教しかしないよね」
「俺の女友達で同業者の大和っていうお嬢がいるんだ。彼女は君より大柄でかなり筋肉量が多いから見てて全然色気を感じないんだけど、彼女は凄いんだよ。金を貰わないとやりたくないって一点張りだし、男女性差ない社会の実現のために、男がやるようなことばかりやってるんだ」
「あなたにも女友達がいるんだね」
「まあね。セックスはしたことないけど、彼女と話してると得られるものがある。あそこまで徹底して女性性を取っ払える人間は凄いと思ったね。彼女は男のようでもあり女でもあるって感じなんだ。俺の話にも快く耳を傾けてくれるし、話ができる唯一の友達だよ」
「あなたに友達がいて安心したわ」
自宅に着いた。事務所から徒歩で約三十分ほど歩いたところにある2階建てのアパートだった。彼女はそそくさと八木橋に、「それじゃあ」と言って部屋の中に入ろうとしたが、ガンと締めるのを阻まれて、後ろを振り返った。八木橋がニコニコしながら邪魔をする。
「ちょっと待って、アスミちゃん。これ俺のアパートの番号と入るときのパスワードの番号。いつでも来れるように鍵も渡すからさ。来たい時に来てよ」
紙とカードキーを手渡してくる。押し付けられたように受け取ったアスミは、再びドアを閉めようとしたが、八木橋がドアに手をかけているため閉めれない。
「ちょっと、もう家に着いたから閉めたいんだけど」
「おやすみのキスは?」
アスミは、無理くり八木橋の手を引き剥がして、ドアを閉めた。