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みなそこ区の東側にある、月の丘公園という小規模の公園にアスミは通ったときだった。先ほど本屋にいた男勅使河原がベンチに寝転んでいる。今は春の季節だから、暖かな日差しで気持ちがいいが、夏になっていたら、熱中症になるのも時間の問題だろう。
迷っていたが、悪い気はしなかったので近くに寄っていく。
「あの、勅使河原さん」
アスミが声を掛けると、勅使河原が唸りながら上半身をあげて声の主を探した。アスミに目がいくと、「あ!さっき若竹といた」と言って、顔の汗を手で拭いた。
「私はアスミっていいます。さっきの話を聞いて、きっと子供たちの場所に行ったんだなって思って」
「アスミさんって仰るんですね。改めてよろしくお願いします。僕は勅使河原っていいます。まあこんな感じの無職なんで、気楽に接してください。
そうなんですよー。いつも子どもたちこの公園にいるんですけど、今日は早く来ちまってて、待ってる時間寝ようかなって思って」
「暑いですよね、違う場所にいきませんか?私今日休みなので、喫茶店で奢りますよ」
勅使河原の目が子供のようにキラキラとひかる。
「え!いいんですか?
ありがたいなあ、ちょうどおなかが減ってきたところだったんですよ」
勅使河原を誘って、近くの喫茶店に入る。
テーブルに着くと、メニューをすぐさま手にとった勅使河原がBセットのサンドイッチとサラダとコーヒーのセットを指差し、
「これ頼みますね」
と快活な声をだす。アスミも昼食にしようと思いたち、同じ物を頼んだ。
2人の間に微妙な雰囲気が醸し出される。さっきまで会っていたとは言え、面と向かって話すとなると何を話せばいいのかわからない。
「若竹くんとは中学から仲がいいんですか?」
アスミが声を掛けると、勅使河原はコップの水を全部飲んで、
「ええ。昔からこの仙台でしてね。ずっとやりとりしてましたよ。あいつは腐れ縁って言うけど、僕は仲良くなるべくしてああなったって思いますよ」
勅使河原は傍らにある水差しをもって、コップに水を注ぐ。
「私は去年あの本屋で会ってそれから仲良くなりました」
「ふーん。あいつ、あんな感じだから疲れるでしょ?気遣いが遅いし、余計なことを言うし」
勅使河原が同意を求めるように愚痴を話してきたが、アスミはそうは思ってなかったので否定した。
「いえ、若竹くんは私にはとても優しく対応してくれています」
勅使河原はえーっと大きな声を出して、意外そうな顔をした。
「あいつらしくない。それとも人によって態度を変えるやつなのかあいつは。だから僕のときはぞんざいなのか」
小言をプンスカ言っている勅使河原にアスミは、笑いながら「仲が良いってことですよ、気遣う必要のない関係」と言う。アスミにとってそれは理想の関係のように思えた。自分がすべてをさらけ出しても、文句を言いながら受け入れてくれる関係。そんな関係が自分も欲しい。
勅使河原が出来上がったサンドイッチに口をつけながら言う。たまごサンドとレタスとハムのサンドだ。
「でもさ、そういう関係も煩わしいもんだよ。
こいつ、またこんなことやってるとか何回言ってもわかんないじゃん。もうその先はさ、あきらめるしかないってことになるの。相手に言っても治らないんだから、しょうがないよねって。あいつと僕の関係はその連続だよ」
「若竹くんは私にはそういうこと見せてこないですけどね。隠してるのかな」
「あいつは、あなただから見せないんですよ。男同士の関係と、男女の関係っていうのは違いますからね。あいつもそういうタイプの男だったのかぁ、僕の見立てが間違ってたなあ」
「見立て?」
「僕は奴も僕と同じタイプで、女の人にも媚を売らないタイプだと思ってたんだけど、やっぱり違かったみたいとおもってね。別にいいけど」
「媚びを売る?」
「女性に対して、見栄を張ってしまうんですよ。それで自分の優しさをアピールする。まあ、みんなやってしまうんですけど、これが結婚したら打って変わったように優しさがなくなる奴らがいるじゃありませんか?僕はそれが面白くってならないんですよ。それだったらずっと、見栄をはらずにありのままを見せてるやつのほうが信用ありませんか?」
「そういう人はそこまでの人だったんですよ」
「そういう人はかなりいるんですよ?そう言ってしまったら、その男についてってしまった女性も同レベルになってしまう。こんな悲惨なことってありませんよ」
「悲観的なんですね」
「悲観的というか、人間の性質なんてそんなに重要じゃないと思い始めましてね。たかが、こういう理想を持って生きてるって言ってる男が裏で女性をDVしてる奴だったなんて話はあちこちであるでしょ?人格者なわけじゃない人間がきれいな理想を言ってるのに僕は腹が立つんですよ」
「言動一致して欲しい?」
勅使河原が深く頷く。
「僕はそういう生き方をしている人間が増えれば、世の中も良くなると思うんですよね。まあ、こう言ってる僕が無職な時点で話を聞いてくれる人はいなくなるわけですが…」
「どうして無職に?」
勅使河原ははあとため息をついて、アイスコーヒーをごくごく飲みながら言った。その飲み方はまるで酒を一気飲みにするように豪快だった。
「上司が僕にミスを隠蔽するように命令してきたんです。僕はそういうことが大嫌いだから拒否したら、次の日から当たりが強くなって、その上の上司にその話をしても、そういうことはないと断定されてしまって話を聞いてくれなかったんです。それで辞めました」
「気持ちは分かりますよ。孤立無援でつらかったですよね」
「人間、あんなところで隠蔽をして生きていたら、死んだように生きることになってしまう。そんなのは絶対嫌だった。正しいことと正しくないことがはっきりと分かれていて、それには越えていけないものがある。ミスを隠ぺいしてしまえば、そのときは許されるかもしれないけれど、ずっと自分がやったことは重りのようにのささってくものです」
「そうでしょうね」
私の場合はどうなのだろう、とアスミは思った。自分の選んだ道は、正しいという言葉では表せないくらいぐちゃぐちゃになって複雑になっている。普通の仕事ではない、それに犯罪まがいのこともしている、それは正しいとは言えないなと心のなかで思ってしまう。昨日のあの出来事だって、正しいことからそれている行為だった。
「人は必ず道からそれれば反動が来ます。それを覚悟してる人間はいいんですよ。でも覚悟してない人間はその重みから逃れるために他の人間を利用することがある。僕はそれが許せない。ほかの人間の邪魔をして、八つ当たりするやつがどうしても許せないんですよ」
ぐさりと心に刃物が突き立てられた感覚があった。私のことだ。勅使河原は、アスミがそういう人間だと知っているようには思えなかった。ただ、彼が語る人間に自分も入っていることは明らかだった。私は他の人間を利用するようになるのだろうか。八つ当たりをするような人間になるだろうか。それは分からなかった。ただ言えるのは、前より不眠になっていることだ。
「私にも来ますかね」
勅使河原が驚いた目で見つめてくる。アスミの発言にびっくりしたようだ
「え?思い当たるところがあるのですか?」
「いえ、私の勘違いでした」
思わず頭を振って否定する。彼に本当のことをいうと何を言われるかわからなかった。怖いのかもしれない。一般の普通の人間から自分が責められるのが。
「アスミさんはないですよ。だってそんな悪いことしてないでしょ。隠ぺいしたり、改竄したり。そういうのをやるやつの顔してないもの」
能天気に話す勅使河原の顔は快活で、翳りがなかった。大丈夫という勅使河原の無責任な言葉に少し励まされるところがあった。
「僕はあの女の子を利用してる悪人も、僕に隠蔽させてきたやつも皆大嫌いです。本当に許せないのは、子供に向けた弱いものいじめだ。絶対に許せない」
「そういう子がいない世の中にしたいものですね」
アスミはスルスルと出た言葉を自分の身とを重ね合わせていた。