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午後5時57分。仙台市にあるみなそこ区の時計台の下に集合という命令があり、アスミはそこに着いた。
平日だからか、休日に比べると人の姿は少ないが、混雑はしていた。これから夕食を食べるカップルや友達同士で出かける学生たちがたむろしている。
「やあ!あなたが目黒さんのアシスタントかな?」
そこにいたのは男性の平均身長くらいの中肉中背の男だった。優男風で、髪にパーマがかかっている。遊び人のようにも思える風貌だが、その目は鋭く尖っていた。服装はシャツにアイロンのかかったズボンで会社員にも見える。
「ええ。アスミよ。よろしくね」
アスミは自分で作った名刺を男に差し出す。彼は受け取ると、「僕、持ってないんだよねえ」と言って受け取った名刺をズボンに入れた。
「こんなスタイルのいい美人だって知ってたら、もっとかっこいい格好すればよかった。ほんと、目黒さんはなんにも教えてくれないからなあ。それとも君たちってそういう関係なの?」
男はポケットから慣れた手つきでたばこの葉巻を出すと、火をつけうまそうに吸っては吐いた。たばこ独特の匂いが充満し、前にいた女性が睨みつけてきた。
「そういう関係って愛人とか?」
男はアスミの直球の問い返しに噴き出したが、笑ったあとに「君面白いね」とたばこを吹かしながら言う。
男の顔を見た時にその目が灰色のことに気づいた。ハーフなのだろう。顔立ちもどちらかというとはっきりした顔で、鼻筋がしっかりとした外人よりの顔だった。
「もし違うなら俺も立候補したいなあ、なんてね」
男が軽口を言って、アスミはげんなりしてしまう。こういうナンパが彼女はとても苦手で、どう反応していいか、迷うところがあった。
「あなたはワンナイト希望に見える」
「目黒さんは違うのかい?」
「あの人とはそういう関係じゃない。最初からそういう話を決めつけるのってどうかと思う」
「俺の頭は、性欲に抗えないからそういう話に進んでしまうんだよね。みんなセックスし合ってるように見えるんだ」
「病気みたい」
「まあそうかも。目黒さんの手にかかった君を俺がいただいちゃうストーリーってなんだか刺激的だと思ってね」
「官能小説家にでもなれるかも」
アスミが呆れながらに突っ込むと、男はニヤニヤ笑って、「わかりやすいねぇ」と言ってきた。こんな猥談を話すために私は来たのではないと声を大にして言いたくなる。
「それにしても君、こんなむさ苦しい仕事をしてさ、嫌にならない?君みたいな美人だったら、それ相応に受付嬢とかやっていい男見つけて結婚して子供産むのが幸せだと思うんだけどなあ。あ!もしかして、目黒さんは俺と君を出会わせて付き合わせるためにこんなハッピーなシナリオを設定してくれたのかなぁ?俺にそんな役をさせるなんて、目黒さんも粋なことするねえ。ほんと気が利いてるよ」
アスミは小さな管理会社の事務兼目黒という上司の秘書をしている。この管理会社は表向き企業の監視システムを承る仕事をしているが、裏では大金を振り込めば何でもやる便利屋だった。社長は目黒で、彼は殺し屋で、アスミも頼まれればそういう仕事をした。
「絶対違うと思うけど」
「ほんとつれないなあ…。君みたいな危険な香りがする女性はすごいタイプなんだけどなあ。最近セフレとやっても昂んなくてね。やっぱり普通の女の子とその道の女の子って全然違うじゃない?ドキドキが違うというかさ、生きてる基盤が違うんだよね」
「危険な味を楽しみたいの?」
男はその言葉を聞くと、射抜かれたように目を見開いてアスミを見つめる。
「その言葉、すごいいいね」
男は吸っていたたばこを地面に捨てて、靴でぐしゃぐしゃにすると、髪を撫でてから言った。
「君、この仕事の後はフリーでしょ?
俺が全部おごるから一緒にご飯食べない?そこで仕事の話もしちゃうからさ。俺の名前は、八木橋。皆からはヤギって言われてるよ」
「八木橋さん、仕事の話だけでけっこうですので」
アスミはそういうと近くの喫茶店に向かった。
八木橋の軽口を避けながら、仕事の話に話を進める。
「えー、こんな喫茶店じゃあ、話せないよー」
八木橋は明らかに不満な顔をして、喫茶店に入ろうとしない。話がスムーズに進まないことに腹立ちながらも、目黒から助言を貰うために電話をかけた。
「どうした?」
どっしりとした重厚な声が響く。死に場所を幾度も乗り越えた人間の自信の見える声だ。
「あの、協力者の方が喫茶店に入ろうとしなくて。話が全く進まないんです」
すると、目黒は冷たく言い放った。
「そいつは特別なやつなんだ。そいつの願いを聞き入れれば、スムーズに動く」
嫌な予感がした。願いと言うとこの男の場合、私なのではないかと。目黒はそれを分かって私を使ったのではないかと。
「目黒さん、その願いって」
「本人に聞けば分かる」
「私と寝たいとか言ってくるんです」
「そうすれば都合よく動いてくれるやつだ」
「嫌ですよ」
「仕事と私情どちらを優先する?それは君の自由だが、選択によっては仕事の進み具合が悪くなれば君を解雇することになる」
アスミは嵌められたことに気づいた。目黒は自分をあの男に差し出して、仕事がうまく進むようにしたかったのだ。どうしてこうなってしまったと頭が真っ白になる。
「私が断れば解雇ということですか」
「そうだな」
感情のこもらない声がしてから、電話が切れた。
「どう?」
八木橋が顔を見つめてくる。アスミはじんわりと浮かんだ冷や汗を拭く。動揺で頭がくらくらしてきた。
「目黒さんに電話したの?返事はどうだった?」
八木橋の声は勢いに乗っていて、調子が良かった。
明らかにアスミの動揺を見て、事の顛末を理解したようだった。嵌められたなんてこの男の前で言えるわけがない。
「場所どこがいいですか」
「居酒屋かなあ、個室の」
個室の居酒屋店に入った。店はかなり混んでいて、30分ほど待っていた。自分たちと同じような2人組もいれば、3人や4人で待っている人もいる。相変わらず八木橋は所構わずたばこを吸っていて、そのせいでアスミも他の人から睨まれることがあった。
「ねぇ、好きなの食べていいからね」
席について八木橋が言った第一声がそうだった。
その一言が今後の後から積み重なってくる負担の始まりだと思うと、何も注文したくないことを選択したくなった。
「先にどうぞ」
アスミが早口で言うと、八木橋は驚いた演技をして大げさに声を上げる。
「なんでよー。君が何か頼まないと仕事の話が進まないよ。まあ、何時間でも居続けてあげるからいいんだけど。俺は酒しか飲まないから、とりあえずハイボールを2本」
君も選んでとすすめられて、思わず怒鳴ってしまう。
「あなたは全部わかってこういうことにしたいんでしょう」
「どういうこと?」
「私が目黒さんにはめられて、あなたに差し出されたってわかってあそこに来たんでしょう?」
「わからなかったよ。どんな子なのかなあとは興味津々だったけど」
「あなたは最初から私を抱くためにあそこに来たんですね」
「だから、そんなに直球に言わなくてもいいじゃん。自分の貞操を守るのはいいことだよ。今回の仕事はあの人からすると俺がいたほうがやりやすいから、やりやすくするために君が俺とそういう感じになって利用し合えばいいだろうって目黒さんが考えた結果なんだと思うよ」
「嫌です」
アスミは、思わず涙が噴き出していたことに気づいた。
「金を出せば、この仕事を助けてくれるんですか。それなら百万単位でだしますよ。私にだってそれくらいの貯金はあるし」
「金じゃないんだよなあ。さっきも言ったけど、俺は頭が快楽思考になってて、そっちのことを四六時中考えてる人間なんだ。金で買える美人はたくさん買ったし、その子たちの関係も金で終わりと言えばそれまでなんだけど。俺が欲しいのは、君が仕事をするために俺に頼むっていうその行為だったりするんだよ」
「何を言ってるのか分かりません」
八木橋は自分の持っているハンカチをアスミに差し出し、目に当てて涙を拭いた。
「わからないかあ。君が俺と組むために自分を押し殺すとして、どこまで俺とするのかが見たいんだ」
「気持ち悪いです」
八木橋はため息をついて、注文されたハイボールを飲む。ごくごくと喉仏が動くのが見える。
「まあそうだろうな。でも、俺は優しいから無理やりなんてやらないよ。凄く紳士的って皆から言われるよ」
アスミはその言葉を無視して、部屋の片隅をじっと見つめている。目黒にこのようなことをされてショックでもあった。自分が何か非礼をしたから、この男に献上されたのだろうか。それとも、この男にお似合いと思われて、邪魔だと思われてこんなことをされたのだろうか。
「何か頼みなって。そうしないと仕事の話ができないんだ」
「だって、そうすると私はあなたに恩を売ることになるから、最終的にあなたと寝る羽目になる…」
「まあ、そういうことになるけど、そんな痛い思いはさせないって誓うよ。君はとても美人なんだから」
アスミは泣きながらするするとメニュー表を眺めて唐揚げ4個入りを頼む。
「全然、遠慮しなくていいからね」
男の言葉が悪魔の言葉に聞こえた。