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エピソード9:再会の灯、そして束の間の安寧


東京湾岸部を離れ、西へと進む「カラス」の旅は続いていた。


大阪の「シェルターD」は遥か遠く、その道のりは未だ見ぬ危険に満ちている。


それでも、娘が生きているという確かな希望が、彼の心を支えていた。


妻が残した「次元転移理論」の断片的な情報も、彼の旅に新たな意味を与えていた。


道中、彼は朽ちた山道を越え、干上がった川床を渡った。


時折、瓦礫の隙間から現れる異形や、物資を狙う野盗との小競り合いもあったが、その度に彼は研ぎ澄まされた勘と技で切り抜けてきた。


身体は常に疲労困憊し、リュックの中の物資も徐々に減っていく。


ある日の午後、荒野の先に、複数の煙が立ち上っているのが見えた。


警戒しながら近づくと、それは仮設の集落だった。


かつての高速道路の高架下を利用した、小さなシェルターだ。


周りには、廃材やシートで囲まれた簡素な家々が並び、物資を運ぶ人々が行き交っている。


 「……シェルターか」


「カラス」は、警戒しつつも、安堵の息を漏らした。


この旅に出てから、まともな屋根の下で眠ることも、温かい食事をとることもなかった。


彼は、このシェルターで物資を補充し、しばしの休息をとることにした。


シェルターの入り口には、武装した門番が立っていた。


 「止まれ! 何の用だ?」


 「サルベージ屋だ。物資の交換を希望する」


「カラス」はそう言い、リュックからいくつか貴重そうなサルベージ品を取り出した。


旧時代の電化製品の部品、まだ使える工具、そして、幾つかの医療品。


門番は彼の物資を検分し、満足げに頷いた。


 「よし。中へ入れ。ただし、余計な揉め事はごめんだ」


シェルターの中は、思った以上に賑やかだった。


小さな市場が開かれ、人々が声を上げながら物々交換をしている。


中央には、いくつもの屋台が並び、香ばしい匂いが漂っていた。


彼は、まず物資の交換に向かった。


 「これは珍しい! 旧時代の医療品なんて、滅多にお目にかかれないね」


物資交換所の老人が、目を輝かせながら彼のサルベージ品を検分する。


彼は、持っていた医療品や工具と引き換えに、保存食、新鮮な水、そして、交換所で最も珍しいとされた携帯式の簡易バッテリーを手に入れた。


このバッテリーがあれば、小型の電子機器を充電できる。


「これで、あのデータチップの解析も、もう少し進められるかもしれない」


彼の心に、かすかな期待が湧いた。


物々交換を終えると、「カラス」は市場の中央にある屋台へと向かった。


そこからは、食欲をそそる匂いが強く漂っている。


屋台の主人に目をやると、彼の目は皿に盛られた温かいスープと、肉の串焼きに吸い寄せられた。


 「兄ちゃん、何にする? うちは、この地の獣肉をじっくり煮込んだスープが自慢だよ」


主人の威勢のいい声が響く。


 「……この肉と引き換えだ」


「カラス」は、リュックから取り出した小さな電化製品の基盤を差し出した。


それはサルベージで手に入れた、まだ通電可能な貴重品だ。


主人はそれを検分し、満足げに頷いた。


熱々のスープが運ばれてくると、彼はゆっくりとスプーンを口に運んだ。


肉と野菜の旨みが凝縮されたスープは、疲れた体にじんわりと染み渡る。


久しぶりの温かい食事は、彼の心を深く癒した。


 「……美味い」


彼はそう呟き、串焼きにかぶりついた。


香ばしく焼かれた肉は、野盗から奪った干し肉とは比べ物にならないほど柔らかく、美味だった。


食事を終えると、彼は愛用の煙管を取り出した。


そして、懐に大切にしまっていた紙煙草を一本。


火をつけると、独特の香りが鼻腔をくすぐる。


 「ふぅ……」


煙が夜空に吸い込まれていく。


周囲の喧騒が遠のき、彼だけの静かな時間が流れる。


そして、彼は屋台の主人に声をかけた。


 「酒は、あるか? 交換できるものがある」


 「ああ、もちろんさ。この地の穀物から作った、とっておきがあるぜ」


主人が差し出したのは、無色透明の、強そうな酒だった。


「カラス」はそれと引き換えに、手持ちの簡易工具のセットを差し出した。


主人は工具を検分し、満足げに酒の瓶を手渡した。


「カラス」はそれを一口飲むと、喉の奥がカッと熱くなった。


粗悪な密造酒とは違う、澄んだ味わい。


 「……悪くない」


彼はそう呟き、再び煙草を吸った。


この束の間の安寧が、彼の心に温かい灯をともす。


その夜、「カラス」はシェルターの一角にある簡易宿泊所へと向かった。


そこには、数台の簡素なベッドが並べられていた。


彼は、埃を払って毛布を被り、横になった。


硬いマットレスだが、これまで野営で寝てきた地面とは比べ物にならない。


 「……」


目を閉じると、頭の中に、娘の笑顔と、妻の真剣な顔が交互に浮かぶ。


そして、目の前には、広大な荒野と、危険な異形の影が広がる。


彼は、旅の途中で手に入れた小型の携帯端末を取り出した。


簡易バッテリーに繋ぎ、充電を開始する。


この端末には、妻が残したデータチップから、僅かながら解析できた情報が記録されていた。


それは、「次元転移理論」に関する、専門的な記述だった。


まだ、その全貌は掴めない。


だが、その中には、「座標点03」という記述と共に、大阪の地図の一部が記されていた。シェルターDの位置と重なる場所だ。


(真実……)


彼は、端末を胸に抱き、ゆっくりと目を閉じた。


久しぶりの屋根の下、温かい食事と、酒と煙草。


そして、何よりも安らかな「ベッド」。


疲労困憊の体は、すぐに深い眠りへと落ちていった。


夢の中では、なぜか、遠い昔の、娘のオルゴールが奏でる優しいメロディが聞こえていた。


翌朝、「カラス」は、久しぶりに熟睡したことで、身体の疲労が嘘のように軽くなっているのを感じた。


目覚めると、頭はすっきりと冴え渡り、彼の表情には、旅の疲れだけでなく、新たな活力が漲っていた。


彼は身支度を整え、改めて旅の準備をする。リュックの中には、交換で手に入れた食料と水、そして充電されたバッテリーと、解析中のデータチップ。


そして、何よりも貴重な、残りの紙煙草。


シェルターを出る時、彼は門番に軽く頭を下げた。


 「世話になった」


門番は、彼の変化に気づいたのか、何も言わずに頷いた。


「カラス」は再び、西の空を見上げた。


大阪は、まだ遠い。


だが、彼の足取りは、もはや迷いも躊躇もなかった。


 「待ってろ……」


彼はそう呟き、新たな旅路へと足を踏み出した。




その背中には、かすかに煙草の香りが漂い、彼の目に宿る光は、希望の道標のように輝いていた。


評価して頂ければ幸いです。

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