エピソード7:招かれざる饗宴、そして疾走
研究所の地下で妻のノートを発見した「カラス」は、娘が生きているという希望、そして妻が託した「真実」の重さに震えていた。
彼の旅の目的は、明確になった。
シェルターD――そこへ向かい、娘を迎えに行く。
だが、その前に、妻が残したという「真実」が何なのか、もう少し手掛かりが必要だと感じていた。
あのデータセンターの「R&D記録」と、この研究所で見たロゴマーク。これらを繋ぐ何かがあるはずだ。
彼は研究所の地下を探索し、いくつかのデータチップや、解析不能な旧時代の装置の破片を回収した。
これらもまた、妻の真実に近づくための重要な手がかりになるかもしれない。
研究所での激闘と疲弊した体を引きずり、「カラス」は「潮風の要塞」へと戻った。
彼はドレッドから得た情報、そして研究所で回収した物資を持って、シェルター内の「解析区画」と呼ばれる場所を目指した。
そこは、旧時代の技術を理解する数少ない「学者」たちが集まる場所だと聞いていた。
解析区画の入り口には、武装した警備隊員が立っていた。
「ここは関係者以外立ち入り禁止だ。何の用だ?」
「カラス」は、回収したデータチップと、研究所の地下構造の地図を差し出した。
「情報と物資の解析を依頼したい。ドレッド隊長からの話も聞いているはずだ」
警備隊員は眉をひそめたが、彼の顔をじろじろと見つめ、やがて渋々といった様子で中へ通した。
解析区画の内部は、旧時代の研究室がそのまま残されているかのような雰囲気だった。
薄暗い照明の下で、数人の痩せた男女が、モニターや解体された機械の部品を前に、黙々と作業をしている。
埃っぽい空気と、機械油の匂いが混じり合う。
(これが……学者、か)
一人の老人が、彼の方へと振り返った。
眼鏡の奥の目は鋭く、彼が差し出したデータチップを一目見ると、その価値を理解したようだった。
「これは……! 研究所の奥で回収してきたのか? 無茶をする」
老人はデータチップを手に取り、近くの端末に差し込んだ。
画面に表示される羅列されたデータを見つめ、驚きに目を見開く。
「この情報は……確かに価値がある。我々が喉から手が出るほど欲しかったものだ」
老人は顔を上げ、彼の目を見つめた。
「報酬は弾む。食事も用意しよう。だが、このデータの解析には時間がかかる。一週間、いや、それ以上かかるかもしれない」
「カラス」は頷いた。
一週間。その間、このシェルターに留まることになる。
その日の夜、老人が約束通り、豪華な食事を用意してくれた。
彼の目の前には、滅多にお目にかかれない新鮮な肉のソテー、旧時代の瓶詰めの野菜、そして、焼きたてのパンが並べられた。
芳醇な香りが食欲をそそる。
「……こんな贅沢、いつぶりだろうな」
「カラス」は、無表情のまま、ゆっくりと肉を口に運んだ。
柔らかく、ジューシーな肉の旨みが口の中に広がる。
久しぶりに、心から美味しいと感じた。
パンを千切り、ソースに浸して食べる。
彼の疲弊した体と心に、温かい食事が染み渡る。
食事を終えると、彼は愛用の煙管を取り出し、贅沢にもたっぷりと煙草の葉を詰めた。
火をつけ、ゆっくりと煙を燻らせる。
「ふぅ……」
煙が彼の顔を覆い、どこか遠い目をする。
一日の疲れが、ゆっくりと溶けていくのを感じた。
そして、老人が用意してくれた旧時代のワインをグラスに注ぎ、ゆっくりと傾けた。
粗悪な密造酒とは比べ物にならない、芳醇な香りと深い味わい。
「……悪くない」
静かな時間が流れた。
数日が経ち、「カラス」は解析区画で、老人の指示を受けて、いくつかの旧時代の機器の修理を手伝っていた。
彼のサルベージで培った知識と技術が、思わぬ形で役立っていた。
その日の午後、ドレッドが解析区画に現れた。
彼の表情は、以前よりもどこか友好的だ。
「カラス。少し話がある。ついてきてもらおう」
「カラス」は警戒しつつも、ドレッドの後についていった。
向かった先は、シェルターの一角にある、組織の幹部だけが立ち入れるという「司令室」だった。
中には、シェルターのリーダーらしき、厳めしい顔の男が座っていた。
「座れ、カラス」
リーダーが促す。彼は座らず、立ったままでいた。
「お前の腕前は、このシェルターでも評判だ。鋼喰いの群れを単独で片付け、研究所から貴重なデータを持ち帰った。お前のような人材は、この荒廃した世界では貴重だ」
リーダーの言葉は、まるで上からの評価のようだった。
「そこで、提案がある。我が組織、『荒波の守護者』の一員とならないか? お前には、このシェルターの警備隊長の一角を任せたい。食料、水、そして旧時代の物資も、好きなだけ提供しよう。何より、お前の探し物も、我々の情報網を使えば、見つかる確率は格段に上がるだろう」
ドレッドが、彼の傍らでニヤリと笑った。
それは、魅力的な誘いだった。
安定した生活、そして、家族の手がかりとなるかもしれない情報網。
普通ならば、誰もが飛びつくような話だ。
だが、「カラス」の心は揺らがなかった。
彼の目的は、組織に属することではない。
妻が残した「真実」を知り、娘を迎えに行くことだ。
組織の縛りの中で、それは叶えられないだろう。
「……断る」
彼の言葉に、司令室の空気が凍り付いた。
リーダーの顔から、笑みが消え、ドレッドの表情も険しくなった。
「何だと? この状況で、何を言っているか分かっているのか? 我々の庇護を拒むというのか?」
リーダーの声に、威圧が込められる。
「俺は、俺の目的のために動く。誰かの道具になるつもりはない」
「カラス」は毅然として言い放った。
彼の脳裏には、妻が残したノートの文字が浮かんでいた。
「フン……ならば、仕方ない。だが、ここをそう簡単に出られると思うなよ」
リーダーが合図を送ると、司令室の入り口と出口が、武装した警備隊員によって塞がれた。
彼らは、手に旧式の銃器を構えている。
ドレッドも、背後の壁から大型の金属バットを掴み取った。
「カラス。残念だが、お前には我々の『管理下』に置いてもらう。腕は立つようだが、このシェルターから逃げられると思うな」
ドレッドが、嘲るように笑った。
司令室の空気は、一瞬にして殺伐としたものへと変わる。
「カラス」は、ゆっくりと構えた。
彼の目は、冷静沈着だ。逃げるつもりなど、最初からなかった。
ドレッドが、まずバットを振り上げて突進してきた。
その動きは、ゴンザレスとは比べ物にならないほど洗練されている。
だが、「カラス」はさらに上を行く。
――相手の力を利用し、最小限の動きで制圧する。
ドレッドのバットの鋭い一撃を、寸前で体をずらし、紙一重で躱す。
同時に、バットの勢いをいなし、その腕を掴み取る。
ドレッドが驚愕に目を見開く。
「なっ!?」
「カラス」は、バットを振り抜こうとするドレッドの力を利用して、そのままバットを彼の肩へと押し込む。
ドレッドの体勢が崩れ、彼の重心が浮いた瞬間、「カラス」はドレッドの腕を捻り上げ、その体を空中で一回転させるように投げ飛ばした。
ゴンッ!
ドレッドの巨体が、司令室の分厚いテーブルに激突した。
テーブルの上が散乱し、彼は呻き声を上げて倒れ込む。
「ドレッド隊長!」
警備隊員たちが、一斉に銃を構えた。
「カラス」は迷わず動いた。
彼は、倒れたテーブルの破損した脚を蹴り飛ばす。
木の破片が飛び散り、警備隊員たちの顔をかすめる。
(多人数相手に、銃は不利)
彼は、目の前の警備隊員の一人へと飛び込んだ。
銃口が彼を捉える寸前、その懐に入り込み、銃を持つ腕を掴み取る。
そのまま、警備隊員の体と銃を同時に利用し、別の警備隊員へとぶつけるように投げ飛ばした。
ガシャン!
銃声が響き、誤って仲間の肩を撃ち抜いた。
警備隊員たちが混乱に陥る。
「カラス」は、床に転がっていた壊れた無線機に目を留めた。
それは金属の塊で、打撃武器として使える。
彼はそれを拾い上げると、次の標的へと向き直った。
警備隊員の一人が、恐る恐る銃を構え直す。
だが、その動きは硬い。
「カラス」は、その男の突進を躱し、同時に背後の壁に掲げられた古い設計図を掴み取った。
設計図は分厚い紙でできているが、金属のフレームで補強されている。
彼はそれを盾のように構え、警備隊員の銃撃を受け流す。
パン!パン!
銃弾が設計図にめり込み、金属フレームが火花を散らす。
その隙を突き、「カラス」は設計図を警備隊員の顔へと突きつけた。
男が怯んで目を閉じ、体勢を崩す。
そして、「カラス」は、手にした無線機で、その男の顎の下を的確に打ち上げた。
ガツン!
男の体が大きく跳ね上がり、そのまま後方へと倒れ込む。
残る警備隊員は二人。
彼らは完全に戦意を喪失し、震える手で銃を構えている。
司令室のリーダーは、テーブルの裏で震え上がっていた。
「カラス」は、倒れた男たちの銃を、素早く足で蹴散らした。
そして、司令室の入り口へと向かう。
入り口を塞いでいた警備隊員たちは、彼の圧倒的な戦闘能力に怯え、道を開ける。
「警備隊長だと? 笑わせるな」
彼は冷たく言い放ち、司令室のリーダーへと視線を向けた。
「お前らが守るのは、自分の権力だけだ。だが、俺が守るものは……ここには、ない」
彼はそう言い放つと、迷うことなく司令室を後にした。
シェルターの廊下へと出ると、住民たちが騒ぎに気づき、呆然と彼を見つめている。
彼の顔には、微塵の迷いもなかった。
「カラス」は、解析区画へと戻り、老人を呼び出した。
「データはどうなった?」
老人はまだ解析中のデータを見つめていたが、「カラス」の鬼気迫る表情に、事態を察したようだった。
「ま、まだ途中だが……このデータは、旧時代の『次元転移理論』に関するものだ。そして、君の奥さんが、その研究の主導者の一人だったことが分かった」
次元転移理論。
その言葉に、「カラス」の心臓が強く脈打った。
そして、画面に表示されたデータの一部に、あのオルゴールのロゴマークと共に、「シェルターD」の文字が記されているのを見つけた。
それは、単なる避難先ではない、研究の重要拠点、あるいは何か特別な意味を持つ場所であることを示唆していた。
「……もう、待てない」
「カラス」は、手を老人に差し出した。
「これ以上は、俺には必要ない」
老人はデーター端末を渡した。
「行くのか、シェルターDへ?」
「カラス」は無言で頷いた。
シェルターの住民たちの視線が、彼に集中する。
彼の背中には、旅のリュックがしっかりと背負われている。
その足取りは、もう誰にも止められない。
「カラス」は、シェルターの出口へと向かった。外には、ドレッドが倒れていたテーブルから起き上がり、警戒態勢を取った警備隊員たちが待ち構えていた。
「止めろ! 逃がすな!」
ドレッドが叫ぶ。
だが、すでに「カラス」の姿は、瓦礫の隙間へと消え去っていた。
彼の目の奥には、娘への思い、そして妻が託し
た「真実」を解き明かすための、揺るぎない炎が宿っていた。
「待ってろ……必ず、辿り着く。そして、全てを終わらせる」
夜明け前の東京の廃墟を、彼の足音が駆けていく。
その速さは、まるで時間が加速したかのようだった。
評価して頂ければ幸いです。