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エピソード5:錆色の契約、鋼の舞


東京湾岸部に到達した「カラス」は、研究所のシルエットを目前にして、固唾を飲んだ。


しかし、そこは彼が想像していた以上に厳重な「危険地区」と化していた。


かつて研究所へと続く唯一の道は、巨大なコンクリートブロックと、崩れた鉄骨のバリケードで完全に封鎖されている。


有刺鉄線が幾重にも張り巡らされ、錆びた警告板には「立入禁止 - 汚染区域」の文字が読み取れた。


周囲には、異形の活動を警戒する巡回ルートが設定されているらしく、時折、遠くから重機の音が聞こえてくる。


 「……これじゃあ、入れねえな」


「カラス」は舌打ちをした。


迂闊に近づけば、何者かの監視網に引っかかるか、あるいは未知の危険に巻き込まれるだろう。


焦りは禁物だ。


彼は引き返し、バリケードから数キロ手前に位置する、比較的規模の大きなシェルター「潮風の要塞しおかぜのようさい」へと向かうことにした。


研究所への情報が、そこにあるかもしれない。


「潮風の要塞」は、廃墟となった巨大な港湾施設を改築して作られていた。


分厚い鉄板と、旧時代のコンテナが何重にも積み上げられた壁は、野盗や異形の襲撃に備えた堅固な防御を誇っている。


入り口は重厚なゲートで守られ、数人の武装した男たちが警戒にあたっていた。


彼らの服装には、共通のマークが縫い付けられている。


一つの組織が、このシェルターを管理しているようだ。


 「止まれ! 何者だ?」


銃を構えられたが、「カラス」は冷静に名乗った。


 「サルベージ屋だ。通りがかりだが、物資の交換と、情報収集をしたい」


男たちは警戒を解かず、「身分証明になるものを出せ」と要求する。


旧時代の身分証など、ほとんど残っていない。


「カラス」は荷物から、錆びついた金属製のサルベージ品の数々を取り出した。


男たちはそれをじろじろと眺め、やがてゲートを開いた。


シェルターの中は、「フクロウの巣」よりも活気に満ちていた。


武装した「警備員」らしき者たちが巡回し、住民たちはそれぞれ割り当てられた役割をこなしている。


物資の分配所、簡易的な修理工場、そして、怪しげな「取引所」まであった。


ここには、旧時代の貨幣に代わる独自の通貨が存在し、組織的な経済が機能しているようだ。


「カラス」は人目を避け、シェルターの隅にある、崩れたコンテナの影へと向かった。


リュックを下ろし、水筒の水を一口含む。乾いた体に水が染み渡る。


彼は、今日の食事を広げた。


干し肉と、先日手に入れた栄養バー。


味も素っ気もないが、効率よくエネルギーを補給できる。


彼はゆっくりと咀嚼し、疲弊した体を労った。


食事が終わると、彼は愛用の煙管を取り出した。


たっぷりと煙草の葉を詰め、火をつける。深く息を吸い込み、ゆっくりと紫煙を吐き出す。


 「ふぅ……」


煙が夜の空に溶けていく。


頭の中を整理する。


このシェルターは、研究所に最も近い場所だ。ここなら、研究所に関する何らかの情報を得られるはず。


だが、同時に厄介な組織の支配下にある。不用意な行動は避けるべきだ。


そして、彼は懐から粗悪な密造酒の小瓶を取り出し、ちびちびと傾けた。


喉を焼くアルコールの刺激が、全身に染み渡る。


今日一日の張り詰めた緊張が、ゆっくりと弛緩していく。


翌朝、「カラス」はシェルターの取引所へと向かった。


住民たちの会話に耳を傾け、研究所に関する情報がないかを探る。


 「……あの『黒い区画』には、誰も近づかねえ方がいい。最近、妙な音が聞こえるって話だぜ」


 「ああ、警備隊も神経質になってる。何かを隠してるらしいが……」


住民たちの会話は、研究所が「黒い区画」と呼ばれ、危険視されていること、そしてシェルターの管理組織が何かを隠しているらしいことを示唆していた。


その時、彼の背後から声がかけられた。


 「おい、あんた。見かけねえ顔だな」


振り返ると、そこにいたのは、シェルターの武装した警備隊員、それもかなりの地位にいそうな男だった。


その男は「ドレッド」と呼ばれていた。顔には古傷があり、腕には独自の入れ墨が彫られている。


目は冷酷だが、どこか知性を感じさせる光を宿していた。


 「サルベージ屋だ。情報収集に来た」


 「フン。そうか。あんたの噂はシェルター通信で聞いているぜ。『フクロウの巣』で、厄介な野盗を片付けたとか。あんたのような腕っ節なら、利用価値がある」


ドレッドはそう言うと、一歩踏み込んだ。


 「単刀直入に言おう。我々がお前に依頼したいことがある。成功すれば、お望みの情報も提供しよう」


「カラス」は黙って相手の次の言葉を待った。


 「最近、我々の物資輸送ルートが、妙な獣どもに襲われるようになった。奴らは鋼のような外殻を持ち、銃弾が効きにくい。しかも動きが速いときた。『鋼喰い(メタル・イーター)』の亜種だろう。奴らが現れる場所は、旧時代の地下水道だ。そこに、我々が回収した貴重なパーツが隠されている。お前なら、単独で潜入し、回収できるだろう」


ドレッドは一枚の地図を差し出した。


地下水道の入り口が記されており、その先には、かつて見たようなロゴマークが描かれた場所が示されていた。


それは、データセンターで見た、妻の写真に映っていたロゴ、そして娘のオルゴールの意匠と同じものだった。


 「……場所は?」


「カラス」は冷静を装い、地図を指差した。


 「シェルターから南西へ、約5キロ。そこから地下に潜る。奴らは群れで行動する。決して無理はするな。回収物を確認でき次第、撤退しろ」


ドレッドの目は、まるで「カラス」の腹を探るかのようにギラついていた。彼らは「カラス」の腕前を試している。


そして、この依頼が、研究所への手掛かりとなる可能性があった。


 「分かった」


「カラス」は短く答えた。


彼の胸には、新たな決意が宿っていた。


依頼を受け、翌日の未明、「カラス」は地下水道の入り口へと向かった。


入り口は崩れたコンクリートの塊で塞がれていたが、辛うじて人が潜り抜けられるほどの隙間が残されている。


中からは、湿った空気と、微かな金属の匂いが漂ってきた。


(鋼喰い、か……)


彼は、リュックからワイヤーカッターと、自作のフック付きロープを取り出した。


慎重に隙間を通り抜け、暗闇の中へと足を踏み入れる。


地下水道は、漆黒の闇に包まれていた。


彼のヘッドライトが、埃とカビに覆われた壁を照らし出す。


足元には汚れた水が溜まり、奇妙な反響音を立てていた。


彼は静かに進む。


壁に耳を澄ませ、微かな音も聞き逃さない。


地下水路の構造を把握し、身を隠せる場所や、利用できる環境を脳内でシミュレートする。


その時だった。


前方から、カリカリと金属を削るような音が聞こえてきた。


そして、複数の小さな光点が、闇の中に浮かび上がる。


「鋼喰い」だ。


昆虫のような硬質な外殻を持ち、瓦礫や金属を食べて成長する異形。


彼らの強靭な顎は、あらゆる金属を噛み砕く。


「カラス」は身を潜めた。


ライトを消し、物音を立てないように息を潜める。


鋼喰いは、闇の中でも獲物を感知する能力が高い。


奴らに気づかれる前に、先手を取る必要がある。


(数が多い……)


鋼喰いは、5匹。


群れで移動している。


通常の銃器では外殻に弾かれる。


彼が持っているのは、懐のパイプレンチと、サルベージで拾った幾つかの工具だけだ。


鋼喰いの群れが、回収物のある地点へと向かっていくのが見えた。


彼らは、金属製の箱のようなものを囲み、その表面をガリガリと削り取っている。


その箱こそ、ドレッドが言っていた回収物だろう。


「カラス」は、回収物から少し離れた場所に、太い送水管が通っているのを見つけた。


送水管は錆びついているが、人が一人隠れるには十分な太さだ。


彼はその送水管の裏へと、音もなく移動した。

鋼喰いが、金属箱に夢中になっている。


その隙を突く。


(相手の目を潰す……)


彼は、リュックから小さな発煙筒を取り出した。


サルベージ中に見つけた、旧時代の花火だ。爆発力はないが、煙幕を張るには十分だろう。


「カラス」は発煙筒に火をつけ、鋼喰いの群れの中心へと投げ込んだ。


シュッ! ボンッ!


白い煙が勢いよく噴き出し、瞬く間に地下水道を覆い尽くした。


「キィィィ!」


鋼喰いの群れが、突然の煙幕に驚き、甲高い鳴き声を上げた。


視界を奪われた彼らは、混乱して互いにぶつかり合う。


その隙を突き、「カラス」は煙幕の中へと飛び込んだ。


(一撃で仕留める)


彼は、煙の中で混乱している鋼喰いの一匹に接近した。


鋼喰いの外殻は硬い。


だが、その節々の関節は、比較的柔らかいはずだ。


「カラス」は、パイプレンチを逆手に持ち、鋼喰いの脚の付け根の関節へと狙いを定めた。


カキン!


鈍い音が響き、鋼喰いの脚が不自然な方向に折れ曲がった。


異形はバランスを崩し、煙の中で倒れ込む。


だが、残りの鋼喰いが煙の中から、彼の存在を嗅ぎ付けて襲いかかってきた。


複数の足音が、煙の中で迫ってくる。


「カラス」は、倒れた鋼喰いの背中に飛び乗った。


そして、その硬質な外殻を足場にして、高く跳び上がる。


彼の目標は、地下水道の天井からぶら下がった、錆びついた巨大なバルブだ。


 「キィィィ!」


鋼喰いの牙が、彼がいた場所を空しく噛み砕く。


彼は空中で体をひるがえし、バルブへと足をかける。


そのまま、バルブを軸に体を回転させ、煙の中から現れた別の鋼喰いの頭上へと着地した。


そして、手にしたパイプレンチで、鋼喰いの最も弱いとされる眼窩の隙間へと、渾身の力を込めて突き刺した。


グシャッ!


異形の甲高い悲鳴が響き渡る。


その頭部から、青白い体液が飛び散った。鋼喰いはのたうち回り、やがて動かなくなった。


残る鋼喰いは3匹。


煙が少し薄れてきた。


彼らは「カラス」の位置を特定し、囲むように迫ってくる。


「カラス」は、通路の脇に散乱していた、尖った鉄骨の破片を見つけた。


彼はそれを拾い上げると、地面を蹴った。


鋼喰いのうち2匹が、左右から同時に彼に襲いかかってくる。


「カラス」は、左側の鋼喰いの突進を、寸前で体をひねって躱す。


同時に、右側の鋼喰いの硬質な外殻に、手にした鉄骨の破片を滑らせるように突き立てた。


狙いは、外殻の隙間、特に体の付け根の薄い部分だ。


ゴリッ!


鉄骨が外殻の隙間に食い込み、鋼喰いは身をよじらせた。


その動きを利用し、「カラス」は鉄骨をねじ込むように引き抜き、鋼喰いの体勢を崩させた。


そして、そのままその鋼喰いの背中を踏み台にして、もう一匹の鋼喰いの頭上へと跳び上がる。


その勢いのまま、手にした鉄骨を、残る一体の鋼喰いの頭部へと突き立てた。


ガキィン!


致命的な一撃だった。


鋼喰いは痙攣し、地面に倒れ伏した。


残るは、最初に脚を折られた一匹と、外殻を傷つけられた一匹。


彼らは完全に戦意を喪失し、怯えるように後ずさり、闇の中へと消えていった。


「カラス」は、荒い息を整えた。


全身に疲労感が押し寄せる。


だが、ミッションはまだ終わっていない。


彼は、鋼喰いに囲まれていた金属製の箱へと近づいた。


箱はかなりのダメージを受けていたが、中身は無事なようだ。


旧時代の精密機械のパーツが、厳重に梱包されていた。


(これか……)


彼はそれをリュックに収めると、来た道を戻り始めた。


シェルターへと戻ると、ドレッドは彼の帰還を静かに待っていた。


 「……無事か」


「カラス」は、リュックから回収したパーツを取り出し、ドレッドの前に置いた。


ドレッドはそれを検分すると、満足げに頷いた。


 「見事だ。まさか、鋼喰いの群れを相手に、これを持ち帰るとはな」


ドレッドは、一枚の古い地図を「カラス」に差し出した。


 「約束通りだ。これは、旧時代の研究所の、地下構造のデータの一部だ。我々も完全には把握していないが、ここに潜るなら、役立つだろう」


「カラス」は地図を受け取った。


そこには、研究所の地下に広がる複雑な通路と、いくつかの「隔離区画」が記されていた。


そして、特定の区画の傍らには、やはりあのオルゴールの意匠と同じロゴマークが、かすかに手書きで書き込まれているように見えた。


 「これは……」


「カラス」の目が、地図上のロゴに釘付けになった。


 「あの場所は、我々も深くは踏み込んでいない。何があるか、何が潜んでいるか、知れたもんじゃない。だが、お前がそこを目指すというのなら、これは有効な手掛かりになるだろう」


ドレッドはそう言うと、意味深な笑みを浮かべた。


(やはり、奴らも何かを知っているのか……)


「カラス」は地図を懐にしまい込んだ。


このシェルターに長居はできない。


新たな情報、そして妻と娘の手掛かりが、目の前にある。


その夜、「カラス」はシェルターの隅で、再び煙管を燻らせた。


今日の酒は、勝利の苦い味がした。


彼の視線は、遠く、暗闇に沈む「黒い区画」へと向けられている。


 「待ってろ。必ず、真実を暴いてやる……」




彼の静かな決意が、夜の帳に響き渡った。


評価して頂ければ幸いです。

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