エピソード18:導きの声、未来への選択
旧政府の地下シェルターを後にした「カラス」とレイラは、再び大阪の荒廃した街を彷徨っていた。
レイラの目には、まだ世界の変容が映し出されている。
彼自身の心にも、シェルターDでの出来事、妻の残した「次元転移理論」、そして娘の持つ「能力」への疑問が深く刻まれていた。
月のない夜だった。
空は分厚い雲に覆われ、街の残骸は漆黒の闇に沈んでいる。
「カラス」は、レイラを抱きかかえ、崩れたビルの陰で休んでいた。
彼の体は鉛のように重く、疲労は限界を超えていた。
「パパ、大丈夫?」
レイラの小さな声が、闇の中で響く。
彼女は、彼の疲弊を感じ取っているようだった。
「ああ、大丈夫だ。もう少し休んだら、また進もう」
彼はそう答え、レイラの頭を優しく撫でた。
レイラは、彼の腕の中で、安心したように目を閉じた。
彼は、リュックから手に入れたばかりの紙煙草を一本取り出した。
ライターで火をつけ、深く息を吸い込み、ゆっくりと紫煙を吐き出す。
煙は、闇に溶けていく。
「ふぅ……」
彼の脳裏には、シェルターDで見た光景が、鮮明に蘇る。
あの白いローブの男の言葉。
「共鳴体」
レイラの体が、この世界の次元の歪みを安定させるための「鍵」だという言葉が、重くのしかかっていた。
妻は、本当にそれを望んでいたのか? 娘を、そんな運命に委ねたかったのか?
その時、彼の携帯端末が、微かに振動した。
それは、シェルターDで手に入れたはずの、あの旧時代の小型無線機と連携しているらしい。
画面には、見慣れない発信源からの信号が点滅している。
ノイズが混じっているが、かすかに人の声が聞こえる。
「……聞こえるか……外界の……者……」
男性の声だ。
しかし、ひどくノイズが混じり、途切れ途切れにしか聞こえない。
「カラス」は、レイラを起こさないよう、慎重に無線機に耳を傾けた。
「……危険だ……この場所は……次元の歪みが……拡大している……」
その言葉に、「カラス」の心がざわついた。
次元の歪み。
それは、妻の研究であり、レイラの能力と深く関わっている。
「……我々は……あなたの奥方の……研究を……引き継いでいる……彼女は……この世界の……真実を……解き明かそうとしていた……」
男の声は、さらに小さくなった。
しかし、「あなたの奥方の研究」という言葉に、「カラス」は強く反応した。
(妻の研究を……?)
「……来るのだ……『次元の狭間』へ……そこには……全ての答えが……」
そして、通信は途絶えた。
残されたのは、不気味なノイズだけだった。
「次元の狭間」
彼の脳裏に、妻が残したデータの中の、曖昧な記述が浮かんだ。
それは、次元転移理論の最終段階、あるいはその先にある場所を示唆するような言葉だった。
「この声は……誰だ? 味方なのか……?」
彼は、無線機を握りしめた。
罠の可能性もある。
だが、妻の研究に関わる情報、そして「全ての答え」という言葉は、彼にとって無視できないものだった。
「レイラを連れて行くべきか……」
彼の視線は、眠るレイラへと向けられた。
彼女を危険な場所に連れて行くことはできない。
しかし、この「次元の狭間」に、彼女の能力、そしてこの世界の真実を解き明かす鍵があるのなら……。
彼は、煙草を深く吸い込んだ。
煙が、彼の心の中の迷いを映し出すかのようだ。
夜が明け、朝の光が瓦礫の街を照らし始めた。
「カラス」は、レイラの小さな手を引いて歩いていた。
彼の顔には、昨日までの迷いの色はなく、確かな決意が宿っている。
彼は、「次元の狭間」へと向かうことに決めたのだ。
それが、たとえどんなに危険な場所であろうと。
その日の午後、彼らは、まだ完全に崩壊していない、旧時代の簡易的な野外シェルターを見つけた。
それは、災害時に備えて設置されたものらしく、外界の荒廃から、辛うじて内部を守っていた。
「ここなら、少しの間、休める」
彼はそう呟き、レイラと共にシェルターの中へ入った。
中は、埃っぽいが、雨風はしのげる。
彼は、レイラを座らせると、リュックから残りの食糧の缶詰を取り出した。
昨日見つけたものだ。
「レイラ、少し早いがお昼にしよう」
彼はそう言い、缶詰を開けた。
レイラは、小さな手で缶詰を受け取り、ゆっくりと口にした。
その様子を見て、「カラス」は安堵した。
食事を終えると、「カラス」は再び紙煙草に火をつけた。
深く息を吸い込み、ゆっくりと煙を吐き出す。
「ふぅ……」
煙がシェルターの小さな空間に広がる。
彼は、静かに無線機を取り出した。
あの声は、もう聞こえない。
だが、彼の心には、あの言葉が刻み込まれていた。
「次元の狭間」
彼は、懐から密造酒の小瓶を取り出し、一口飲む。
喉を焼くような強烈な刺激が、彼の疲れた体に染み渡る。
「どこに、向かっているのか……」
彼の心には、まだ不安が残る。
だが、レイラの手を握る感触が、彼に力を与えてくれた。
「パパ、大丈夫?」
レイラが、彼の顔を見上げていた。
その真っ直ぐな瞳に、彼は迷いを捨てた。
「ああ。もう大丈夫だ。パパが、お前を守る」
彼はそう言い、レイラの頭を優しく撫でた。
彼は、無線機をリュックにしまうと、レイラの小さな手を握りしめた。
彼の心には、あの声が導く「次元の狭間」への道が、確かに見えていた。
「妻は、きっとそこで待っている。俺たちが、真実を知ることを」
彼は、煙草を地面に押し付け、火を消した。
彼の目には、未来を見据える、揺るぎない決意の光が宿っていた。
「行くぞ、レイラ」
彼の言葉に、レイラは小さく頷いた。
彼らは、静かにシェルターを後にし、あの声が導く「次元の狭間」へと向かって、荒廃した都市の奥へと歩き出した。
彼らの行く手には、まだ見ぬ危険と、そして、世界の真実が待ち受けている。
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