エピソード15:真実の光、そして新たな始まり
次元安定化装置から放出された強大なエネルギーは、「カラス」に失われた記憶を取り戻させた。
妻の愛、娘の笑顔、そして、彼女がこの世界の真実を解き明かそうとしていたこと。
全てが鮮明に蘇り、彼の心に温かい光を灯した。
しかし、その光は同時に、シェルターD全体を飲み込みつつある次元の歪みという、恐ろしい現実を映し出していた。
「レイラ……!」
「カラス」は、光に包まれた娘を抱きしめた。
彼女の体は、これまで感じたことのない、強大なエネルギーを放っていた。
その光は、シェルターの壁に走る亀裂を、さらに広げていく。
空間は、まるでゴムのようにねじ曲がり、周囲の構造物が軋む音を立てる。
「く、くそっ! 次元が暴走している!」
白いローブの男の声が、遠くで聞こえた。
彼は、エネルギーガンを構え直そうとするが、激しい空間の歪みに体勢を崩し、倒れ込む。
警備隊員たちもまた、混乱に陥っていた。
「カラス」は、レイラの顔を見つめた。
彼女の目は閉じられたままだが、その表情には、微かな苦痛が浮かんでいる。
(このままでは、レイラが……!)
彼の脳裏に、妻の言葉が蘇った。『娘を、守る……』。
彼は、レイラを抱きかかえたまま、装置の制御パネルへと目を向けた。
パネルは、エネルギーの暴走によって火花を散らし、機能不全に陥っている。
(この装置は……レイラの能力を『利用』しているだけじゃない。次元の歪みを『制御』しようとしているんだ)
彼の視線は、パネルの一部に記された、小さな表示へと吸い寄せられた。
それは、緊急停止コードらしきものだった。
妻の筆跡で、小さくメモが残されている。
「最終手段」。
「レイラ、ごめんな……少しだけ、我慢してくれ」
彼はそう呟くと、レイラを片腕でしっかりと抱え直し、もう片方の手で、震える指先で緊急停止コードを入力し始めた。
バチィィィン!
彼がコードを入力する度に、装置から凄まじい放電が起こる。
空間の歪みはさらに激しくなり、床がひび割れ、天井から瓦礫が落ちてくる。
シェルター全体が、崩壊の危機に瀕していた。
「やめろ! そのままでは世界が……!」
白いローブの男が叫んだ。彼の顔には、焦りと絶望が浮かんでいる。
「世界か……俺は、娘を守るだけだ!」
「カラス」は、指先から血を流しながらも、最後のコードを打ち込んだ。
ピピピ……ガガガガガッ……ドオオオオオオオオン!!!
凄まじい轟音がシェルター全体を揺るがし、装置が停止した。
レイラを包んでいた光が消え、空間の歪みが急速に収束していく。
だが、その代償として、装置は激しい爆発を起こし、破片を撒き散らした。
爆風と土煙が舞い上がる中、「カラス」はレイラを庇うように、その場に倒れ込んだ。
どれくらいの時間が経っただろうか。
「カラス」は、ゆっくりと目を開けた。
あたりは、土煙が薄れ、荒廃した研究区画の姿を現していた。
装置は完全に破壊され、瓦礫の山と化している。
白いローブの男と警備隊員たちの姿は、どこにも見えない。
彼らは、爆発に巻き込まれたか、あるいは逃げ出したのだろう。
彼の腕の中には、目を覚ましたレイラがいた。
彼女は、まだ少しぼんやりとしているが、その目は、紛れもない彼の娘の目だった。
「パパ……?」
レイラの声が、彼の耳に届いた。
その声は、震えていたが、温かい響きを持っていた。
「レイラ……!」
彼は、娘を抱きしめた。
その温かい感触、小さな体の重み。
全てが、彼が失っていた「日常」の、確かな証だった。
「ごめん……パパが、迎えに来るのが遅くなって」
彼の目から、熱い涙が溢れ出した。
それは、安堵と、後悔と、そして、娘を取り戻した喜びの涙だった。
「パパ……ずっと、待ってた」
レイラは、彼の服をぎゅっと掴んだ。
その小さな体から伝わる温もりが、彼の心を深く満たしていく。
「カラス」は、立ち上がった。
彼の体は、まだ痛み、疲労困憊している。だが、その目には、これまで以上の強い光が宿っていた。
彼は、破壊された装置の残骸を一瞥した。
「本当に何をしようとしていたんだ……」
彼は、娘の手を引いた。
シェルターDの内部は、まだ比較的安全そうだが、研究区画の爆発によって、いつ崩壊するか分からない。
「行こう、レイラ。ここから、出よう」
彼はそう言い、娘と共に、研究区画の出口へと向かった。
シェルターDの内部は、研究区画の爆発によって、混乱に陥っていた。
人々は、何が起こったのか分からず、恐怖と不安に駆られている。
警備隊も姿を消し、統制が取れていない。
「カラス」は、レイラの手をしっかりと握り、人々の間を縫うように歩いた。
周囲の視線は、彼らに向けられる。
彼らは、彼を異質なものとして見ている。だが、彼は、もはや何も気にしなかった。
彼の隣には、彼の娘がいる。
それだけで、十分だった。
彼は、シェルターの出入口へと向かった。
そこは、以前彼が入ってきた場所だ。警備隊は、もはやいない。
彼は、開いたままの巨大な鉄の扉をくぐり、再び外界の荒廃した都市へと足を踏み入れた。
外は、夕暮れ時だった。
空には、茜色の光が広がっている。
風が吹き荒れ、砂塵が舞う。
「カラス」は、レイラの手を引いたまま、瓦礫の山に腰を下ろした。
リュックから、わずかな保存食と、水筒を取り出す。
「レイラ、食べられるか?」
レイラは、小さく頷いた。
彼女は、疲労困憊しているが、その目には、希望の光が宿っていた。
食事を終え、「カラス」は愛用の煙管を取り出した。
煙草の葉を丁寧に詰め、火をつける。
深く息を吸い込み、ゆっくりと紫煙を吐き出す。
「ふぅ……」
煙が夕焼けの空に溶けていく。
その煙の向こうに、彼の過去と、そして娘との新たな未来が、ぼんやりと見えた気がした。
「パパ……これから、どうするの?」
レイラの問いに、「カラス」は空を見上げた。
夕焼けの空は、美しくも寂しい。
「さあな……」
彼はそう呟き、娘の頭を優しく撫でた。
「でも、これだけは言える。もう二度と、お前を一人にはしない。お前を、守る」
彼の言葉に、レイラは彼の腕に体を寄せた。
「カラス」は、煙管の煙を深く吸い込んだ。
彼の旅は、まだ終わらない。
この世界は、まだ危険に満ちている。だが、彼はもう一人ではない。
彼の隣には、彼が命をかけて守るべき存在がいる。
そして、彼の心には、妻が残した「次元転移理論」の真実と、この世界の変容の理由を、いつか必ず解き明かすという、新たな決意が宿っていた。
それは、彼らの未来を、そしてこの世界の未来を拓くための、新たな始まりとなるだろう。
評価して頂ければ幸いです。