エピソード14:歪む世界、交錯する想い
「カラス」は、重々しい研究区画の扉をこじ開けた。
その奥に広がっていたのは、彼の想像を遥かに超える光景だった。
そこは、まるで異世界の入口かのような、おぞましくも美しい空間だった。
部屋の中央には、巨大な装置が据えられていた。
それは、金属と水晶が複雑に組み合わさり、得体の知れないエネルギーを放っている。
装置の周囲には、無数のケーブルが這い回り、モニターには理解不能な記号や波形が映し出されていた。
そして、最も彼の目を奪ったのは、その装置の中央、輝く光の中に浮かぶ、幼い少女の姿だった。
「レイラ……!」
彼の娘、レイラだった。
彼女は、目を閉じ、装置の中で静かに浮遊している。
その体からは、微かな光が放たれ、装置全体と繋がっているかのように見えた。
彼女の周りの空間が、微かに歪んでいるように感じられた。
(これが……次元転移理論、なのか)
彼の脳裏に、妻の残したデータがフラッシュバックする。
予期せぬ変動。
娘を守る。
その時、背後から声が聞こえた。
「素晴らしいでしょう? これこそが、この世界の未来を拓く、我々の研究の粋だ」
白いローブの男が、研究区画へと入ってきた。
彼の背後からは、まだ警備隊員たちが押し寄せてくる。
「娘に何をしている! この装置は、一体……!」
「カラス」は、怒りに震えながら男に詰め寄った。
白いローブの男は、フードの奥から冷たい笑みを浮かべた。
「この装置は、『次元安定化装置』。そして、あなたのお嬢さんは、その安定化のために不可欠な『共鳴体』だ」
「共鳴体……?」
「カラス」は、その言葉の意味を理解できない。
「この世界は、かつての『大災害』によって、次元の境界が曖昧になっている。異形が跋扈し、環境が変容したのはそのためだ。我々は、次元の歪みを安定させ、世界を旧来の姿に戻そうとしている。そして、そのために、彼女の持つ『次元への親和性』が必要なのだ」
男の言葉は、衝撃的だった。
世界が変容したのは、次元の歪みのせい。
そして、レイラが、その歪みを安定させるための「鍵」だというのか。
「君の妻も、同じことを言っていたはずだ。彼女は、次元の歪みを理解し、それを制御する術を探していた。そして、最終的に、このレイラの『能力』に辿り着いたのだ」
男の言葉に、「カラス」の記憶が蘇る。
妻が残したノートの最後のページ。
「娘を、守る……」。
それは、この実験から娘を守るという意味だったのか?
「嘘だ……! 妻は、そんなことを望んでいない!」
「カラス」は、感情を露わにした。
彼の脳裏に、あの日の妻の笑顔が、強く焼き付いている。
「彼女は、未来を信じていた。この世界の未来を。そのために、彼女は全てを捧げたのだ」
白いローブの男が、一歩ずつ彼に近づいてくる。
その手には、旧時代の特殊なエネルギーガンが握られていた。
それは、光を放ち、不気味な輝きを放っていた。
「残念だが、あなたには邪魔をさせない。彼女は、この世界の希望なのだから」
男が、エネルギーガンを「カラス」に向けた。
同時に、強化装甲の警備隊員たちが、研究区画の入り口を塞ぎ、彼を取り囲もうとする。
(娘を……救い出す)
彼の心に、迷いはなかった。
白いローブの男が、エネルギーガンを発射した。
青白い光線が、「カラス」めがけて一直線に飛んでくる。
「カラス」は、その光線を紙一重で躱しながら、装置の周囲に散乱していた複雑な配線の束へと飛び込んだ。
配線は、電流が流れているらしく、微かに火花を散らしている。
光線が、彼の背後の壁に命中し、高熱を発しながら壁を溶かしていく。
「愚か者め! その程度で我々の研究を止められると思うな!」
白いローブの男が叫んだ。
「カラス」は、配線の束を掴み取ると、それを盾のように構えた。
強化装甲の警備隊員たちが、彼へと機関銃を乱射してくる。
ダダダダダッ!
弾丸が配線に命中し、火花が激しく散る。
その衝撃をいなしながら、「カラス」は配線を振り回した。
配線は、まるで蛇のように、警備隊員たちの銃に絡みつき、その銃口を塞いでいく。
ガキィン!
警備隊員たちは、銃を構え直すことができない。
その隙を突き、「カラス」は、配線を掴んだまま、強化装甲の警備隊員の一人へと、猛烈な勢いで飛び込んだ。
――相手の力を利用し、最小限の動きで制圧する。
彼は、配線を巻き付けた警備隊員の体を、その重装甲の質量を利用して、そのまま背後の、別の警備隊員へとぶつけるように投げ飛ばした。
ズシャアアッ!
二体の強化装甲が激突し、鈍い金属音が響き渡る。
彼らは、配線に絡まったまま、身動きが取れなくなった。
だが、白いローブの男が、再びエネルギーガンを構えた。
その光線は、配線を焼き切り、彼へと迫る。
「カラス」は、光線を躱しながら、研究区画の壁に設置された、巨大なモニターの破片を掴み取った。
モニターは、分厚いガラスでできており、鋭い破片が突き出している。
彼は、そのモニターの破片を盾のように構え、白いローブの男のエネルギーガンを受け止める。
キン!
光線がガラスに命中し、眩しい火花が散る。
ガラスがひび割れていくが、辛うじて彼は光線を防ぎ切った。
(狙いは……装置だ)
「カラス」は、娘が浮遊する「次元安定化装置」へと目を向けた。
この装置を停止させれば、娘を救い出せるはずだ。
彼は、モニターの破片を投げ捨てると、装置へと走り出した。
白いローブの男と、残りの警備隊員たちが、彼を追撃する。
「させない!」
白いローブの男が、背後からエネルギーガンを発射した。
光線が「カラス」の足元をかすめる。
「カラス」は、装置の周囲に張り巡らされた、複数の太いケーブルに目を留めた。
それらは、装置へと電力を供給しているようだ。
彼は、そのケーブルへと飛びかかり、一本を掴み取ると、その勢いのまま体を回転させた。
ケーブルは、まるで鞭のように、白いローブの男へと振り回される。
バチィィン!
ケーブルが男の顔を掠め、フードがはだける。その顔には、驚きと怒りが混じった表情が浮かんでいた。
「くそっ!」
男は、エネルギーガンを乱射してきた。
「カラス」は、ケーブルを巧みに操り、光線をいなし、警備隊員たちの動きを妨害する。
そして、彼は、掴み取ったケーブルを、装置の制御パネルへと向かって、渾身の力を込めて投げつけた。
バチィィン!!
ケーブルが制御パネルに激しく衝突し、火花が盛大に散る。装置全体が、一瞬、激しく点滅した。
「何をする!」
白いローブの男が叫んだ。
装置の中央、レイラの周囲の空間の歪みが、さらに激しくなった。
レイラの体が、苦しげに痙攣する。
「レイラ!」
「カラス」は、装置へと飛び込んだ。
白いローブの男が、彼の背後からエネルギーガンを発射する。
だが、その光線が彼に届く寸前、装置から、制御不能になったかのように、激しいエネルギーの波動が放たれた。
ゴオオオオオオオオオッ!
研究区画全体が、激しい光に包まれた。
空間が歪み、視界が揺れる。
白いローブの男と警備隊員たちが、その波動に巻き込まれ、吹き飛ばされていく。
「カラス」は、その波動の中を、レイラへと向かって突き進んだ。
彼の体にも、激しい衝撃が走る。
「レイラ……!」
彼は、装置の中のレイラの体に触れた。
その瞬間、彼の脳裏に、かつての記憶が、まるで洪水のように流れ込んできた。
娘が生まれた日のこと。
妻と過ごした日々。
そして、彼らが家族として過ごした、平穏な時間。
そして、その記憶の中に、鮮明に焼き付いている映像があった。
妻が、このシェルターDの研究区画で、何かを研究している姿。
彼女が、彼の知らない、もう一つの顔を持っていたこと。
そして、彼女が、彼らに「真実」を伝えることをためらい、娘をこの装置に預けた、その瞬間。
それは、彼が失っていた、家族との「記憶」だった。
(妻は……俺を、守ろうとしていたのか)
彼の目に、熱いものがこみ上げる。
レイラの体が、装置の中で激しく光り輝いた。
そして、その光が、シェルター全体に広がり、空間を大きく歪ませていく。
「う、嘘だ……次元が……!」
白いローブの男の叫び声が、遠くで聞こえる。
研究区画の壁に、亀裂が走る。
空間の歪みが、シェルターD全体を飲み込もうとしている。
「カラス」は、レイラの体を抱きしめた。
彼女の体から放たれる光は、彼の全身を包み込む。
「レイラ……必ず、守る!」
彼の言葉が、歪みゆく空間に響き渡った。
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