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エピソード1:瓦礫の歌、夜の残響


深夜の帳が東京の廃墟を覆い、摩天楼の残骸が黒いシルエットとなって空を切り裂いていた。


月明かりが瓦礫の山に無数の影を落とし、まるで亡霊たちが踊っているかのようだ。


その中を、「カラス」と呼ばれた男は、慣れた足取りで進んでいた。


彼の身を包むのは、泥と油が染み付いたくたびれた作業着。


所々に補修の跡が見られ、それが彼の過酷な日常を物語っていた。


腰には使い古されたツールポーチがぶら下がり、警戒心を宿したその鋭い目は、常に周囲の気配を探っている。


30代前半。


だが、その顔には年齢以上の疲労と、深く刻まれた諦めが滲んでいた。


今日のサルベージは不発だった。


期待していた旧時代の医療品は見つからず、手に入ったのは錆びついた金属片と、かろうじて原型を留めた配線ケーブルだけだ。


 「ちっ……」


舌打ちが、乾いた夜の空気に吸い込まれる。足元に転がる小さな瓦礫を蹴ると、虚しい音が響いた。


空腹が胃の腑を締め付け、喉の渇きが意識を鈍らせる。


こんな夜には、決まって家族の顔が脳裏をよぎる。


幼い娘の笑い声。妻の優しい眼差し。


あの災害で、全てが瓦礫の下に消えた。


だが、「カラス」は諦めていない。僅かな希望を胸に、今日もまた廃墟を彷徨っている。


彼はかつて銀行の地下金庫だったというシェルター「フクロウの巣」へと向かっていた。


ここは、比較的大きなコミュニティが形成されており、物々交換が盛んに行われている。


手に入れた廃材でも、何か価値のあるものと交換できるかもしれない。


シェルターの入り口は、分厚い鉄板と有刺鉄線で厳重に封鎖されていた。


番をしていた男が「カラス」の姿を認めると、警戒を解き、重い閂を外す。


 「よお、カラス。今夜も手ぶらか?」


男の軽口に、「カラス」は無言で首を振った。


言葉を交わすのも億劫だった。


シェルターの中は、旧時代の非常用ライトが仄かに灯り、人々の話し声や生活音が微かに聞こえる。


だが、そこに明るい雰囲気はなかった。


誰もが明日を生きるために、疲弊し、消耗していた。


 「おう、カラスじゃねえか。珍しくしょぼい獲物だな」


物々交換の広場へ行くと、顔なじみの老人が声をかけてきた。


廃品を加工したナイフや槍を並べている男だ。


 「ああ、悪いな」


「カラス」は無骨な金属片とケーブルを差し出した。


老人はそれを検分すると、眉をひそめた。


 「こいつはなぁ……。まあ、これならどうだ? 傷んだ肉の缶詰が2つ、それと水1リットル。おまけに……これだ」


老人が差し出したのは、指先ほどの小さな布袋だった。


「カラス」は中を覗き込む。僅かだが、煙草の葉が入っていた。


 「悪くない」


「カラス」は頷き、交換に応じた。


肉の缶詰と水は、今の彼には何よりも貴重だ。


そして、煙草の葉。


これが今日の唯一の「ご褒美」だ。


シェルターの一角、薄暗い通路の隅に腰を下ろす。


周囲の喧騒が遠のき、孤独が「カラス」を包み込む。


肉の缶詰を開け、無表情で口に運ぶ。


鉄の味がする。


水で流し込むと、僅かに喉の渇きが癒えた。


食事が終わると、彼は愛用の煙管を取り出した。


使い込まれて表面は黒光りし、時を超えてきた証が刻まれている。


老人がくれた煙草の葉を慎重に煙管に詰める。


火をつけると、ゆっくりと煙が立ち上り、微かな芳香が鼻腔をくすぐる。


ふぅ、と長く息を吐き出す。


煙がゆっくりと空間に溶けていく。


その様は、まるで彼の心に積もった疲労が、少しずつ消えていくようだった。


煙草の葉は貴重だ。


だからこそ、ゆっくりと、その一服を味わう。


そして、缶詰の空き容器に入れた粗悪な密造酒を傾ける。


喉を焼くような強烈な刺激が、全身に染み渡る。


今日一日の張り詰めた緊張が、ゆっくりと弛緩していくのを感じた。


アルコールは、冷え切った心を一時的に温めてくれる。


 「…………」


無言のまま、彼は夜空を見上げた。


廃墟となったビル群の合間に見える星は、かつての東京では考えられないほど鮮やかに輝いていた。


だが、その輝きは、彼の心には届かない。


その時だった。


シェルターの入り口付近が俄かに騒がしくなる。


 「野盗だ! 鉄屑の群れ(スクラップ・ハント)だ!」


絶叫が響き渡り、シェルター内は瞬く間に混乱に陥った。


「カラス」は煙管を素早く懐にしまい込み、立ち上がった。


休む間もなく、日常が彼の元へ襲いかかる。


 「くそっ、またか!」


シェルターの番をしていた男たちが、錆びついた旧式の銃を構える。


だが、相手は「鉄屑の群れ」。


廃材で組み上げた簡素な車両に乗り、旧式の銃器や刃物、そして廃材を加工した粗悪な武器を手に、奇襲攻撃を得意とする野盗集団だ。


彼らは数の暴力で押し寄せてくる。


金属の軋む音と、怒号が響き渡る。


シェルターの入り口が、激しい衝撃に震えた。


「カラス」は冷静に周囲を見回した。


こんな時に、正規の武器などない。


あるのは、彼の身一つと、長年培ってきた合気道の技術、そして環境を利用する即興性だ。


野盗の一人が、シェルターの防衛網を突破し、中に飛び込んできた。


金属バットを振り上げ、近くにいた住民に襲いかかる。


 「うおおお!」


「カラス」は迷わず動いた。


男の勢いを冷静に見極め、間合いを詰める。バットが振り下ろされる寸前、彼の体が流れるように動いた。


――相手の力を利用し、最小限の動きで制圧する。


男の振り下ろされたバットの勢いをいなし、その腕を掴む。


男の体が前のめりになった瞬間、「カラス」はシェルターの壁に立てかけてあった太い鉄骨のパイプに目を留めた。


一瞬にして体勢をひるがえし、パイプを掴み取る。


男の重心が崩れた隙を突き、掴んでいた腕を捻り上げ、そのままパイプを振り上げた。


金属バットを持つ腕が悲鳴を上げ、男はバランスを崩して倒れ込む。


 「ぐっ……!」


「カラス」は倒れた男の腕を離さず、パイプでその意識を刈り取った。


一瞬の出来事だった。


だが、敵は一人ではない。


次々と野盗が侵入してくる。


彼らは狂気じみた眼差しで、シェルター内の物資を狙っていた。


 「てめぇ、どこ見てやがる!」


別の野盗が、錆びたナイフを構えて突進してきた。


「カラス」は落ち着いていた。


相手の突進力を利用する。体をわずかにずらし、ナイフを躱す。


同時に、シェルターの壁から突き出た折れた鉄筋に手をかけた。


ナイフを振り回す野盗の腕を、合気道の動きで掴み、その勢いを利用して自分の体を引き寄せる。


そのまま、折れた鉄筋を軸に体を回転させ、野盗の背後へと回り込んだ。


 「何っ!?」


驚愕に目を見開く野盗。


次の瞬間、「カラス」は背後から野盗の首筋に肘を叩き込み、そのままバランスを崩させ、地面に転がす。


そして、倒れた野盗の背中に乗り上げるようにして、地面に落ちていた石の塊を拾い上げ、的確に後頭部に打ち付けた。


ごん、と鈍い音が響き、野盗はぐったりと動かなくなった。


「カラス」は立ち上がり、周囲を見渡す。


シェルターの入り口付近では、シェルターの番人たちと野盗の激しい攻防が繰り広げられている。


番人の一人が、野盗の放った銃弾で腕を撃ち抜かれ、倒れ込んだ。


 「くそっ、キリがねえ!」


番人たちが焦燥の声を上げる。


野盗は常に数的有利を保ち、物資を奪い尽くすまで攻撃を止めない。


「カラス」は、負傷した番人の傍に転がっていた壊れた電子レンジの扉に目を留めた。


それは金属製で、盾として使えるかもしれない。


彼はそれを拾い上げると、素早く構えた。


その夜の攻防は、夜明けまで続いた。


最終的に、野盗たちは目的の物資を奪うことができず、撤退していった。


シェルター内には、被害の跡と、重い沈黙だけが残った。


負傷者も出たが、命を落とした者はいなかった。


「カラス」は、静かに壊れた電子レンジの扉を地面に置いた。


肩で息をしながら、荒れた呼吸を整える。


全身が痛み、疲労困憊だった。


 「助かったぜ、カラス」


老人が彼の肩を叩いた。


 「またあんたに助けられたな。本当に、どこでそんな戦い方を覚えたんだか……」


「カラス」は何も答えなかった。


ただ、遠くで白み始めた空を見上げていた。


再び、シェルターの一角に戻り、残りの密造酒を飲み干す。


喉の奥が焼けるように熱い。


その熱さが、彼の心に僅かな安堵をもたらした。


煙管を取り出し、残りの煙草の葉を詰める。


火をつけ、ゆっくりと煙を燻らせる。


(今日も……生き残ったか……)


煙が吐き出され、夜の闇に消えていく。


その煙の中に、彼は幻のように家族の姿を見た気がした。


 「待ってろ……きっと、見つけてやる……」


小さな呟きは、誰にも聞こえることなく、廃墟の東京の夜に吸い込まれていった。


明日の朝が来れば、彼はまた瓦礫の中へと繰り出すだろう。




家族の痕跡を求めて、この終わらないサルベージを続けるのだ。


評価して頂ければ幸いです。

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