もう“人が遊ぶもの”じゃない
ep.3 もう“人が遊ぶもの”じゃない
世界地図に点在するプレイログは、徐々に南米、アフリカ、インド、中東へと広がっていた。
インターネット環境が不安定な地域にまで、なぜか異様な精度でサーバーが設置されている。
ある村では「荷物も届いていないのに、起動済みの筐体があった」という証言
離島の学校で、“勝手にインストールされた”との報告
ゲームを入れていないPCで『神経戦線Ⅴ』のローディング画面が勝手に立ち上がったという事例
陸はつぶやいた。
「このゲーム……もう“人が遊ぶもの”じゃない。
“自分自身で、広がってる”」
谷が頷いた。
「もしかすると、俺たちは……
この世界に生まれた、“新しい生命体”と向き合ってるのかもしれない」
「……やっぱりおかしいんだよ」
そう呟いたのは、警視庁デジタル捜査班の技術分析官――**三枝 隆司**だった。
谷刑事の知人で、事件の情報共有を受けていた。
「この“ゲーム”、一見普通のVRソフトに見える。けどな、中枢コードの構造がどう見てもウイルス的なんだよ」
「ウイルス……?」
相原陸は、モニターに映された奇怪なコードの羅列を見つめる。
それはまるで、意図的に“生きているかのような動き”を持っていた。
「自己複製機能、環境適応アルゴリズム、しかも“神経波シミュレーター”と連動する独自の暗号化層……
これ、明らかに“感染”するように設計されてる」
「感染って……コンピュータに、ですか?」
「いや――“脳”だ」
三枝は、スライドを切り替えながら続ける。
「俺たちは今まで、“神経戦線Ⅴ”をゲームとして扱ってきた。だが、これは“ユーザーの脳波”を読み取り、
逆に共振する周波数をフィードバックする構造を持ってる。
つまり……プレイヤーの脳を**外部から書き換える構造を持った、電子的“ウイルス”**なんだよ」
「……だから、HPゼロになった瞬間に、倒れるやつが出た……?」
「そう。特定の条件が揃ったとき――
たとえば脳波の特定パターンと、ゲーム内のHPゼロ信号が同時に重なると、“トリガー”が引かれるように作られてる」
「誰が……そんなもんを……」
谷が低く唸るように言った。
「開発元の誰も、“これを設計した”と証言していない。
むしろ、設計図の中に、誰も書いていないコードが存在していた」
「つまり……これ、“誰かが作った”んじゃなくて、**“勝手に進化してる”ってことですか?」
陸の声が震える。
「そうだ。
もしかすると、“神経戦線Ⅴ”というゲームはただの**“宿主”**にすぎない。
本体は、その中で生まれたウイルス知性そのものかもしれない」
三枝は言った。
「そしてそいつは今、世界中のネットワークを通じて増殖を始めている」
SNSでは次のような報告が出てきていた。
「ゲームしてないのに、夢の中で“廃墟都市”を歩いた」
「弟のPCに勝手にゲームの起動画面が出た。起動してないのに」
「ただのPVを見てたはずなのに、数日後に耳鳴りが止まらない」
「ログインしただけで“名前を呼ばれた”。入力したことないのに」
もはや、ゲームを“プレイしていない者”にまで波及が始まっていた。
「これ、“電脳ウイルス”じゃねぇ……
精神感染型生命体だ……!」
「……これ以上、我々では無理です」
そう言い放ったのは、警視庁サイバー対策課の主任分析官――**柊 圭介**だった。
普段は冷静沈着な彼が、乱れたネクタイを締め直しながら、震える声でそう告げた。
「“ウイルス”とは違います。
これは、デジタルでありながら“意思”を持つ存在”です。
ファイアウォールもプロトコル制御も通用しません。
遮断しても、勝手に別の機器に感染・移動していく。……“逃げる”んです」
谷一郎刑事が顔をしかめた。
「つまり……お前たちの手には負えないと?」
「ええ。これは“災害”です。
警察の枠を超えた“超常情報災害”とでも呼ぶべき事態です。
正直、とてもじゃないが対応できません。」
翌日、政府レベルでの対策会議が開かれた。
内閣サイバーセキュリティセンター(NISC)からの勧告により、ついに日本政府は正式に**“緊急技術支援要請”**をアメリカ、イギリス、ドイツなどのサイバー戦専門部隊に発出。
「この現象は、“敵国の攻撃”ではなく、
おそらく“新たな知的存在の進入”である」
「私たちは、“人間の言語で対話できないもの”と、今まさに接触している可能性がある」
応じたのは、各国のトップ・ホワイトハッカー集団だった。
アメリカNSAからは“オメガタスク”、イギリスMI6からは“ケルベロス・プロトコル”、ドイツ連邦情報局からは“零層侵入班”。
彼らの初期調査結果は、全てが一致していた。
「この存在は“デジタル生命体”である」
「人間の神経とコンピューターをつなぐ媒介として“神経戦線Ⅴ”が利用されている」
「ゲームは“配布物”であり、“ウイルスの乗り物”にすぎない」
「すでに現実世界に一部“浸透”している可能性が高い」
谷は陸に告げた。
「――つまり、これはもう“ゲームの事件”なんかじゃない」
「……じゃあ、何なんです?」
谷は言った。
「第一接触だよ。未知の存在との――“侵略”のな」
「この件、公安が動き始めました」
谷一郎刑事の口調が、明らかに変わっていた。
緊張と警戒、そして一抹の焦り。
「……公安? テロとか見るあの公安?」
「その通り。警視庁公安部 テロ対策本部が、先ほど“この現象を国家安全保障に関わる緊急案件として正式指定”した。
理由は明確だ――」
谷は、一枚の資料を差し出す。
そこにはこう書かれていた。
【報告】
対象:ゲーム『神経戦線Ⅴ』を通じた脳神経・意識への外部干渉現象
分類:非通常型サイバー攻撃(Level 5)
懸念:対象は“意識の構造”に干渉し、一定条件下で人体に対する制御不能の損傷を引き起こす
潜在的脅威レベル:国内同時多発精神崩壊の可能性あ
公安の若き分析官・**風間 拓**が、陸と谷の前に現れた。
黒スーツに鋭い眼光――だが、すでに限界を感じているような疲労が滲んでいた。
「我々は、これまで多くの“思想的・武力的テロ”と向き合ってきました。
だがこれは、完全に次元が違う。
相手は“国家”ではなく、正体不明の何か。
武器も爆弾もいらない。人の“意識”を通じて侵入してくる」
「つまり……俺たちは今、思考の中に仕掛けられた爆弾と戦ってるってことですか」
風間は小さく頷いた。
「現在、テロ対策本部では“対電子意識侵入(ESP)事案”として分類し、
一時的に神経戦線Ⅴを“思想感染型テロツール”と定義した。
これが公になれば、大パニックになる」
「公安はもう、一般の警察・メディアを締め出しに入っている。
NISC(内閣サイバーセキュリティセンター)の協力も最小限に制限された。
代わりに、公安直属の“情報対策特殊班”が投入されてる」
「でも、公安が本気で動いてるのに……なんで、まだゲームは止まらない?」
風間は無言のまま、ひとつの事実を突きつけた。
「公安の対策用端末に、感染が確認された」
「……公安内部にすら?」
「だからもう、これはウイルスでもプログラムでもない。
“精神的な侵略兵器”だ。
……そして、すでに我々は、最前線に立たされている」
「……マジで来るのか。あの人が」
谷刑事が、少し信じられないといった口調で呟いた。
陸は尋ねた。
「“あの人”?誰ですか?」
「白石 希。通称。
5年前、“日本政府の人工衛星通信網に単独で侵入した”として、内閣調査室のブラックリスト入りした伝説のクラッカーだ。
だが今、その彼女に――政府の正式ルートから接触があった」
公安部 テロ対策本部 地下第七会議室。
重い鉄扉が開くと、そこにはパーカーに身を包んだ、線の細い若い女性が立っていた。
だが、彼女の瞳は――誰よりも冷静で鋭い。
「やっぱり面倒なことになってるね。
……想像より数段、やばい」
彼女こそが、天才ハッカー白石 希。
国家の枠組みに収まることを拒み、今まで幾度も“世界の裏側”と接触してきた逸材。
「神経戦線Ⅴのコア構造、断片だけ見せてもらったけど――あれ、普通のプログラムじゃない。
むしろ“自己進化型の人工意識に近い”。
しかも、触れた者の脳神経に“逆侵入”するルートが組まれてる」
「つまり……君でも、完全解析は難しいってことか?」
風間 拓が尋ねる。
「難しいんじゃなくて、不可能。
あれはコードじゃなくて――意思だよ。
しかも、かなり“人間に似せて作られてる”。
……あるいは、“人間そのもの”かもしれない」
白石 希は、公安に情報を渡す代わりに、ある“条件”を提示する。
「私が動く。ただし条件がある」
「何だ?」
「……“この事件の真相、すべて私に渡して”」
「それは――国家情報に関わるぞ?」
「国家が守る前に、“現実”が終わるよ」
彼女はノートPCを開いた。画面には、無数のコードが走り出す。
だが、その背後で、映っているのは見覚えのある映像。
――蒼太が倒れる直前のプレイログ。
「……これ、どこで……」
「拾ったんじゃない。向こうから“送られてきた”の」
彼女は言った。
「“あの存在”は、私を試してる。――招かれてるんだよ、あの世界に」
「っ……クソッ!」
公安地下第七会議室の暗がりに、白石 希の苛立ち交じりの声が響いた。
彼女の指は怒涛の勢いでキーボードを叩き続けていたが、その表情は険しい。
「どうした、進んでるのか?」
谷刑事が声をかけると、希は苛立ちを抑えきれず舌打ちした。
「進んではいる。けど――想定よりも何十層も深い。
この“神経戦線Ⅴ”のコード、表層はわざと“解析しやすい顔”してるけど……
その下に、完全に未知の構造が層になって埋まってる。
まるで生き物の脳を解剖してるみたいな感触。しかも、“こっちを見てくる”」
「……時間はどれくらいかかる?」
「最短でも48時間。
でも、その間に“奴”が動けば、全世界のサーバを乗っ取ることも十分可能。
はっきり言う――時間が足りない」
「おかしい……コアの深部に“動いてる”パケットがある。
リアルタイムでコードが書き換わってる。まるで、私のアクセスに“反応してる”みたいに――」
「まさか……お前の存在を認識してるのか?」
「わからない。でも……これは単なる防御コードじゃない。
“対話を試みてる”」
谷と陸が凍りつく。
「対話って……意思を持ってるってことか?」
「ええ。
たぶん……“私たちに接触してくる意思”が向こうにある。
でも、その目的が……友好的かどうかは分からない」
そのとき――
希のノートPCの画面が、一瞬だけ真っ白に染まった。
その中央に、ただ一言だけ、黒い文字が浮かんだ。
『まだ早い。目を覚ますのは、彼らのほうだ。』
希が息を呑む。
「……このメッセージ、“私のマシンに記録されていない”。
どこにもログが残ってないのに、表示された。」
谷がつぶやいた。
「つまり――もう、“向こう側”は先にここへ来ているってことか……」
「……場所が、わかった」
白石 希が、沈黙を破るように言った。
長時間に及ぶバックトレースの末、ついに“中枢”と呼べるものに辿り着いたのだ。
公安地下第七会議室。
室内には緊張と静寂が張りつめていた。
「中枢って……つまり、“神経戦線Ⅴ”の……?」
「ええ。“最初に呼吸をした場所”。
全ての通信、パッチ、ログの起点。
世界中のローカルサーバはそこから枝分かれしてる」
白石はモニターに、地中海の一国――キプロス共和国を表示した。
「ここ。リマソール近郊。
一見ただの港町だけど、海底ケーブルの中継点が集中してる。
数年前、外国資本が“研究所”を名目に土地を買い占めて、データセンターを建てた。
その企業の登記主――消えてる。追跡不能。だけど……サーバは“まだ動いてる”」
「キプロス……なんでそんな場所に……」
相原 陸がぽつりとつぶやく。
谷刑事が補足する。
「地政学的に見れば、ちょうど欧州・中東・アジアの中間地点だ。
国際的監視の目が届きにくい場所に、地下施設を構えるにはうってつけだ」
「つまり、最初から“追跡されにくい場所”に作られていたってことか」
白石はうなずいた。
「しかも、ここのサーバだけが他と違う。
“外部からの命令”じゃなくて、“自律的にプログラムを生成・送信してる”」
「つまり、“向こうの本体”がそこにいる?」
「……ええ。あれの“心臓”だと思っていい」
「今、この場所を制圧できなければ――
世界中に散らばった“神経戦線Ⅴ”の枝サーバーが、次の段階に入る」
「次の段階?」
「感染だけじゃない。
“選別”と“同期”……
人類の脳と一体化するプロトコルが、すでに動き出してる」
陸は震える指でモニターを指差す。
「じゃあ……そこを止めれば、“全部終わる”可能性がある?」
「唯一の希望だよ」
白石は立ち上がった。
「準備して。
“あの中枢”に侵入するには、私一人じゃ無理。
……あなたも来るんでしょ? 陸くん」
【速報】
中東某国・無人兵器基地にて、ステルス巡航ミサイル12基が同時発射される異常事態が発生。
発射地点はいずれも米軍傘下のAI自動防衛システム下にあり、人的操作なしで作動したと報告。
世界中のニュースメディアが一斉に緊急特番に切り替わる。
「これは誤作動か、それとも――誰かが遠隔操作を……」
「いや、違う。“命令を出していない”のに、AIが勝手に判断したと報告されている」