ミルメーク・ハニービーの秘密
《ルージュナの別人格の独り言》
ルージュナが眠ると時々出てくる、猫又思考の別人格は、ミルメークを見てすぐに理解できた。
『これは慢性的な栄養不足だ! 血が足りないみたいだな!』
恐らく彼女は、吸血鬼の遺伝子を持つのだろう。
彼女の両親は色白ではないし、体も強い。
隔世遺伝の可能性がある。
何世代前かは、よく分からないが。
そしてあの落ち着き具合は、出自を知っている可能性がある。たぶん代々、先祖のことが語り継がれているのだろう。
吸血鬼の魅了や美しさは、人へ好印象を半端なく与える。繁栄の影に吸血鬼ありと、物語では定番な話だ。
当然だが、吸血鬼に会えるのは稀なこと。
だから巷では、伝説や物語のように思われており、実在するとは考えられていない。
まあ実際に邸で療養し社交にも出ていないので、噂にも上がらないのだろう。
そこに伯爵家に恩のあるメイドの娘は、都合が良かったのだろう。病弱な娘の話し相手は、ルージュナのいる男爵家でも喜ばれていたし。
たぶん執事は、トランコーツがルージュナの本当の母親だと思ったのだろう。
義娘を追い出し金を貰える機会に悩んだのを、王都は遠いから心配だし、教育も行き届いていないことを気にしていると誤解していた。
支払う金銭も娘の今後の為に使いたいと、熱心に聞いていたのだと解釈していた。
両者が良いなら、良いのだろうと。
ナルートと言うメイドの名など、覚えてはいなかった。
◇◇◇
金髪碧眼の美しい令嬢ミルメーク。
彼女の瞳は満月の夜だけ赤く変わる。
今日はその当たり月。
人目を忍んで少し離れた山へ走る、昼とは別人格のルージュナ。
別人格がその身に現れる時、心身の危機が訪れることが多いと言う。
飢餓の危機がなければ、ルージュナも人間として生きれた筈だ。
でもわたしが生まれた。
もう1人のルージュナの人格である、わたしが。
眠気が強いのは、わたしが活動した証だ。
少し申し訳ない。
けれどたぶん、一生の付き合いなので、細く長くよろしくしたい。
きっと朝、起きたら眠いだろう。
ごめんね。
そう言って、近くの森まで駆けていくのだった。
◇◇◇
わたしは深夜、人目を避けてミルメークの部屋を訪れる。
まだ10才の幼い顔は、カーテンから漏れる月明かりを浴びて、まるで天使のようだ。
「ミルメーク様。起きられますか? ルージュナでございます」
声かけに目をバチリと開け、見下ろして立つルージュナを見詰めた。
「ああ、ルージュナか。いや、違うな。お前は誰?」
一瞬で別人格だと見抜くミルメークに、ゴクリと喉を鳴らした。
「ルージュナでございます。ただ昼間のルージュナは、わたしを覚えてはいないのですが」
「……そうか。お前も獣まじりか。大変なことだ」
ミルメークの口調もいつもと違い、横柄になっているようだ。
「何か用があるのだろう? 言え」
質問せずに坦々と話すので、手間がなくて助かると思うルージュナ。
「はい。早速ですが、これを。鹿の肝で御座います」
目を見開いてこちらを見るミルメークは、少し間が抜けた顔をしていた。そして口元に弧を描く。
「知っていたのか。助かるよ」
袋に入れたそれを掴み、血のぬめりも気にせずむしゃぶりつく彼女。
ずっと飢えていた渇きを潤すように、大きな肝をすぐに食べ尽くしていた。
「ありがとう、生き返ったようだよ。さすがにシェフに生レバーを頼めなくてね。……これ以上、異端と思われたくないんだ」
「勿体ないお言葉でございます。今後も満月の夜に獲ってまいります。もう少し早い方がよろしいですか?」
「いや、満月の日で十分だ。私はきっと、この10年渇いていた。それを思えば、ありがたいことだよ」
ミルメークの言葉に、ルージュナは慇懃に礼をした。
そして肝がなくなった袋を回収し、濡れたタオルでミルメークの手を拭き、ハンカチで口元の血を拭った。
ミルメークは再び床に就き、ルージュナは洗濯場に向かった。血濡れの袋とタオルを洗い、部屋に戻りまた眠りに就く。
クーレアは気配に気づいたが、知らない振りをした。
(やっぱり寂しくて、よく眠れないみたいだね。散歩でも行ってたのかね? 少し様子を見てあげなきゃ)
そして翌日も寝過ごすが、クーレアは優しく彼女を起こすのだった。
ミルメークの顔色が少し良くなったことを、伯爵夫人のレイカが気付き、たいそう喜んだ。
「まあまあ。顔色がすごく良いわ。やっぱりルージュナが来てくれたせいね。良かったわ」
彼女の言ったことは、ある意味正解である。
ただ彼女は、友人ができての意味で放った言葉だったが。
実際にミルメークは新鮮な肝を摂取し、血液やビタミンをダイレクトで体に吸収できた。今まで不足した成分が一気に吸収され、カサカサの髪は艶めき乾いた肌は潤いまくっていた。そして顔に赤みも帯びているではないか。
その晩の夕食は、喜びすぎたレイカがケーキを買い込み、家族と職員全員に振る舞った。
「嬉しいよ~、苺のケーキ最高だよ!」
「良かったね、ルージュナ。私の苺も食べるかい?」
「良いの? ありがとうクーレアさん。大好きです!」
「ふふふっ。現金だね、この子は。でも良かったね」
狩りの報酬は、昼のルージュナに届いたのだ。