伯爵家に到着
ルージュナは支払われるお礼金など知らない。
当然シオンも知らないので、乗り合い馬車にとことこと乗り込んだ。
本来なら馬車を借りて行っても損はないのに。
きっと伯爵家もそれ込みで資金を出しているはずだ。
ちなみに男爵家に馬車はない。
用がある時は、町にある馬車を扱う商会に依頼をしていたトランコーツ。
どうやらルージュナには使っては貰えなかったみたい。
けれどいつも家にいないシオンもそれを知らないから、そんなもんだと思っていた。
古くから男爵家では、自分の馬に乗って移動していたからだ。
男爵家には厩舎があり、馬も3頭いる。
当然ながらルージュナは馬に乗れないし、それはトランコーツ、ミロソもだ。
ただ家の根幹を担う、執事と侍女長、先代の男爵夫妻は乗れる。
シオンは優しいので、女性は乗れなくても仕方がないかと許していた。
本来は乗れるようになってと伝えていたのに、トランコーツがそれを無視をし、練習もしないで乗れないとシオンに伝えていたのだ。
だからこそ、ルージュナだけに乗馬の教師を雇うこともなかった。
そんな感じで乗り合い馬車だから、ゆっくりゆっくりと馬車は進む。幸いにして乗客は、ルージュナ1人だった。
シオンは出発前に乗り合い馬車の御者に、移動ルートをあらかじめ聞いた。
宿泊代や運賃についてを聞き出し、それに上乗せしてルージュナの世話代も手渡した。
「娘は初めて王都に行くんだ。これから伯爵家に仕え自由は制限されると思うから、旅の途中で時々美味しい物でも見かけたら食べさせてあげて欲しい。お願いだよ」
シオンは男爵だけれど腰が低い。
自分は仕事で送れないから、御者に頭を下げたのだ。
本当は自分の乗る馬の後ろに座らせて、送りたいのを呑み込んで。
御者は恐縮し「頭をあげて下さい」と言って、慌てて引き受けてくれた。
そんなだから、ルージュナの旅はとても楽しいものになったのだ。
面白い曲芸をしていたらそれを観覧し、いろいろな町の美味しいものや、時には織物の工房にも案内してくれた。
乗り合い馬車の御者も、馬を扱う商会の従業員だった。
運行はローテーションで回している。
王都に行って商品を売り、王都で必要な物を購入して積んでくるのだ。
遠征する男達の中でも腕利きのコロタは、厳つい顔とフサフサの口ひげ、さらに筋肉隆々だった。
ちょっと恐がられる外見だ。
これでも20代だそう。
ずいぶん年上に見えたのに。
けれどルージュナは気にすることなく、旅を楽しむ。
ルージュナが苦手な顔はトランコーツとミロソだった。
いろいろ気にかけてくれるコロタのことを、恐れることはない。
そんな感じのルージュナなので、第一印象からコロタに気に入られていた。
「おう、お嬢さまは可愛くて話しやすいな。俺は慣れるまで、近所に住む赤ん坊にも泣かれたのに。嬉しいからいろいろ案内してやるよ!」
厳つい顔が笑顔で歪む。
ルージュナは飛びきり喜んだ。
古参の使用人とシオン以外に、親しく話した大人がいないからだ。
「本当に。嬉しいよ、ありがとう。家から出ることもなくてさ。山にしか行ったことなくて。てへへ」
そんな風に照れて言うルージュナに、コロタは困惑した。
(何で山? トランコーツ様やその娘は、俺のいる商会から馬を頼んで社交に出ていたはず。
それが山? 山ってどう言うことだ?
俺は顔が恐いからってその仕事から外れていたが、ルージュナ様は行ってなかったのか?
先妻の娘だからか? 可哀想に)
勝手にいろいろ妄想して涙に濡れるコロタは、もう金銭は度外視でルージュナにご馳走してくれた。
ルージュナはご馳走の連続に幸せに浸る。
(人間は恐い人ばかりだと思っていたけど、そんなこともないのね。
特に顔と気持ちは別物みたい。
これからも外見に囚われてはいけないわね。
ああ、お腹いっぱいで幸せだわ! ふふっ)
現金なもので、8日間の旅でお世話になったコロタに、すっかり情が移っていた。
黒髪の少年のことを考える時も心が暖かくなったが、コロタの時も同じように感じていた。
伯爵家に着いて、コロタにお礼を言って別れる。
家を出た時とは違い、寂しくて後から後から涙が出た。
「頑張れよ、お嬢さま。あんたならきっと素敵なレディになれるからな。体に気をつけろよ」
「うん、ありがとう。コロタさんも気をつけて帰ってね」
「ああ、気をつけるよ。じゃあな」
「うん……。ありがとう」
コロタも泣くのを我慢して、馬車を動かした。
(あの子なら、家にいない方が幸せになれる気がするよ。頑張れよ!)
◇◇◇
降ろされた場所は、街の中にある伯爵家のお屋敷の前だった。
男爵家の3倍はあり、敷地は赤いレンガで囲われていた。
見たことがないほど綺麗で立派な建物だった。
中央には門前から見ても水を吹き出す、大きな噴水もある。
取りあえず見とれている場合ではないと、門番に声をかけた。
「すいません。お嬢様に仕える為に参りました。ユコーン男爵家のルージュナと申します。これはお手紙です。
よろしくお願いします」
門番は手紙を受け取り、少し待つようにと行ってお屋敷に向かう。
もう1人の門番とその場で待つことにした。
暖かいし綺麗なお花が咲いているし、それを見ていだけで悲しい気分はしぼんでいくほどだ。
残っている門番は優しそうなおじさんだった。
話しかけてはこないが、ルージュナの出で立ちを見ていた。
(伯爵家に来るのに、こんな服しかなかったのか?
ずいぶん貧しい男爵家なんだな。
それもそうか、ロアンナお嬢様のところに、奉公に来たのだものな。可哀想に)
実際のところ、ユコーン男爵家はそこまで困窮していない。
けれどトランコーツ達が、ルージュナにお金を使わないせいで、こんな誤解を受けてしまったのだ。
ほどなく中から、執事がルージュナを迎えに出てきた。
「お疲れ様でした、ルージュナ嬢。まずは中で伯爵夫人とお会いして下さい。
部屋の案内などは、私の方からのちほど行わせて貰いますから」
丁寧に案内をしてくれるのは、セバスチャン・グライスさんだ。
あいさつの時も目を見て微笑んでくれた。
銀の長い髪を一つに縛る青い瞳の彼は、コロタより年上に見えた。
父のシオンと同じ年齢くらいだろうか。
彼はルージュナの生活用品を詰めた、重いカバンを軽々と持ち上げ、ルージュナの部屋に運んでくれた。
その後に応接室に案内されたルージュナは、伯爵夫人レイカと顔を合わせた。
今まで学んだカーテシーをして、挨拶をする。
「はじめまして、伯爵夫人。私はユコーン男爵家のルージュナと申します。今日からお願いいたします」
夫人は頷き、立ち上がる。
「こちらこそ、よろしくね。貴女のことはナルートから聞いているわ。とにかく娘とお友達になって、一緒に過ごして欲しいのよ。もちろん、勉強もね」
そう言って微笑む赤い髪の夫人は、美しい笑顔をルージュナに向けた。
再び頭を下げるルージュナは少し混乱した。
(ナルートって、お母さんの名前だ。でもどうして? お母さんは死んだはずなのに)
聞くことも出来ず座るように指示され、ぎこちなくも出された紅茶を一口飲んだ。
「うわあ、美味しい。甘いです!」
はじめて飲んだ上質な紅茶に、声が出てしまう。
「ふふっ。良かったわ。少しハチミツが入っているの。それで甘いのよ。お菓子も食べてね」
綺麗な皿に盛られたクッキーに、ルージュナは釘付けだ。
いやしくたくさん食べてはいけないと言われていたのに、もう無理だった。
少しずつ、5枚のクッキーを完食し、幸せに震えた。
(ここに来て良かった。これから頑張ります!)
そう呟いていた。
夫人は優しそうに微笑んで、今日の仕事は終了だと言う。
なんと今日の分も給金をくれるそう。
素晴らしい職場だ。
その後セバスチャンに邸内を案内され、夕食を食べて就寝したルージュナ。
ナルートの名のことは、同名だと思うことで片付けた。
だってお母さんが生きているわけは、ないのだから。
翌日からルージュナの、新しい生活が始まる。